お釈迦様は成道後、長い布教の旅をした末に80歳で亡くなりました。その最後は、弟子のアーナンダ一人を連れて、北へと向かって伝道の旅をしていました。
亡くなった原因というのは、その最後の旅において、チュンダという鍛冶屋の青年が布施をした食事による食中毒であったとされます。そのとき、お釈迦様は食事によって苦しんでいるにもかかわらずチュンダの事を慮って、供養したことの功徳を称えました。
その後、お釈迦様は何とか歩き続けましたが、クシナガラという村の沙羅双樹の下に横たわりました。そこでも説法しましたが、体力が限界を迎え80年の生涯を閉じました。最後の言葉は、教えを頼りに自らの努力を拠り所として修行に励むように、ということでした。これが、自灯明、法灯明です。
各地に散らばる出家修行者たちにはこの知らせがすぐに伝わり、皆がクシナガラに集まり悲しみました。そして、釈尊の遺骨は8つに分割され、各地で舎利塔に祀られ、偉大な尊者の救済の力を崇める信仰が広まりました。
さらに、直接説法する存在がいなくなり、お釈迦様を慕う思いがますます高まっていくと、それまでのように教えをただ実践する修行だけではなく、救済を求める宗教の色彩も強くなっていきました。
…次回に続く…