吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺ブログです。

一昨日まで2分咲きだったソメイヨシノが

昨日で一気に開花しました。

現在満開です。


本日から正面のソメイヨシノの

ライトアップをはじめました。



雨天中止、夕方から21時までです。

お近くをお通りの際は是非ご覧ください。


なお、現在駐車場の一部で工事をしています。

ご駐車の際はご注意ください。


始まりも終わりも知らされず

誰もが今を歩いている

 

いつか帰るべき故郷を探し続ける旅人

君のこと 今もこの街のどこかで待っている人がいる

 

という、ある曲の歌詞がありますが

人間は、命の始まりやその終わり

生きていることの意味を知らされず

生きています。

 

弘法大師空海の著作

『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』

の冒頭の部分に

 

 生れ生れ生れ生れて

 生の始めに暗く

 死に死に死に死んで

 死の終りに冥(くら)し

 

という言葉があります。

 

この世に生まれ

命を全うし

最後に亡くなるまで

 

盲目のように

自分自身の煩悩に気づかず

ただ過ごしている人間の性を

嘆いた言葉です。

 

また、人びとは、命の意味を知らず生きているし

そこへの疑問をもたずに

欲望のままに生きている

ということが述べられています。

 

さらに、自我に執着し続けるなら

輪廻の苦しみからは

逃れられない

 

仏法を聞き入れず

人に悪口を言い、教えに背き

欲におぼれ、酒におぼれていては

 

来世では閻魔さまの裁きによって

地獄や餓鬼に赴いてしまう

とも述べられています。

 

厳しさが込められた言葉ですが

弘法大師が密教の教えを信じ

それが人々の幸せのためのものだという

確信をもっていたからこその

言葉だと思います。

 

人は迷いの世界に生きていますが

教えの実践によって

そこから抜け出して生きることができると

仏教は説きます。

 

それにはまず

自分の生の始まりやその終わり

生き方について

 

つまり、生きていることの意味を

考えることが大事です。

 

それから仏法を学び

実践していくというプロセスになります。

 

とはいえ、仏教を学べば

迷いがすぐに解決できるのかという

まったくそうではありません。

 

わかっちゃいるけど

やめられないのが人間であります。

 

人によっては

生まれの始め、生の終わりに対して

何の疑問も持たないことも

あるでしょう。

 

しかし、疑問をもったとしたら

その答えの1つを

仏教が示してくれています。

 

ただ、今の時代は

仏教の教え以外にも

生きることの意味を与えてくれるものが

たくさんあります。

 

哲学の教えや心理学が

役立つかもしれません。

 

冒頭にあげた歌詞のように

自分を待っている人がいると

信じて生きることも

その1つとなるのかもしれません。

 

南無大師遍照金剛

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次回の写経会

 4月21日(日)

 15:00~

 ご予約はこちらから

予約内容の選択|吉祥院リンクairrsv.net

 

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 瞑想会 3月17日 15:00~

こんにちは。

 

次回の瞑想会は、

3月17日に開催いたします。

時間は15:00~となります。

 

毎回少人数で行っていますので

初めての方も参加しやすいかと思います。

是非ご参加ください。

 

↓  こちらから予約ができます

予約内容の選択|吉祥院リンクairrsv.net

(お電話にても予約可能です)

 

 

仏教瞑想というと

様々なやり方がありますが

呼吸瞑想は初心者でも

行いやすいものとされます。

 

心の散乱を押さえ、

身体を安定させる効果があります。

 

すなわち、心の乱れがなくなり

心と体が軽くなって

物事への集中が高まる

 

ということが経典に

説かれているのです。

 

瞑想がすべての人にとって

良いものかどうかはわかりませんが

多くの人にとっては

心の安らぎを与え

 

また、様々な気づきを与えてくれるもの

だろうと思います。

 

南無大師遍照金剛

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去る、日曜日

瞑想会を開催いたしました。

 

近くに住む檀家さん

また、遠方からの方にも

参加いただきました。

 

皆さんが良い時間を過ごせて

いたならば幸いです。

 

檀家さんとはいえ

ふだんあまり接点のない方も

おられます。

 

もちろん、瞑想を体験いただき

よい時間を過ごしてもらえるように

こちらも尽力しますが

 

ただ瞑想体験があるだけではなく

われわれにとっては

交流の場となり、貴重な時間であると

感じます。

 

また、檀家さん以外の方の参加も

大歓迎です。

 

仏教の瞑想や教えについて

興味があっても

なかなか触れる機会に恵まれない

という方もいらっしゃると思います。

 

そういった方にも参加いただくと

仏教についての色々な話をする機会にもなり

私にとっても貴重な学びの機会となります。

 

次の瞑想会は

 2月24日(土)

 15:00~

に開催しますので

ぜひご参加いただければと思います。

 

↓  こちらから予約ができます

予約内容の選択|吉祥院リンクairrsv.net

(お電話にても予約可能です)

 

 

南無大師遍照金剛

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仏教には「唯識」という

考え方があります。

 

ただ識(認識)だけあって

それ以外のもの

例えば、物質的なものは存在しない

というものです。

 

物質的なものが存在しないとまで

説いているかは学術的には

異論もあるようですが

 

ただ大事な点は

 

われわれが観ている世界、

理解していると思っているものは

 

真実ではなく

幻のようなものであり

 

そこにとらわれている限りは

迷いや苦しみから

逃れることはできない

 

と説いていることです。

 

もう少し別の表現をすると

われわれは、物事を

それぞれの価値観や色眼鏡によって

視たり、捉えているので

 

世界や物事の

「ありのままの」姿をみておらず

いわば、何らかに偏って

認識しているのです。

 

「ありのまま」というのは

何によっても区別されていない

平等にみられた姿ということです。

 

ブッダはこの境地にいる方のことです。

 

その偏りによって

生じるのが煩悩であり

それによって心が迷い苦しむのだと

説きます。

 

時には

それが原因で人間同士の争いも

生まれます。

 

その偏りは、自分の理性で

どうこうできる部分もあるかもしれませんが

大部分は無意識の中で

起こっているといえます。

 

具体例として

ふつう、コップといえば

お茶やコーヒーなどを飲むためのもの

として理解されます。

 

多くの人は人間社会の中で

このような形のものをコップとして

使うべきものだという認識

自然と持たされるからです。

 

しかし、コップという概念を外せば

この形の入れ物としては

様々な使い方があります。

 

花瓶として使うこともできますし

ペン立てとして使うこともできます。

 

ちょっと喩えが上手くなかった

かもしれませんが

 

そのように、

人間というのは無意識の中で

物事の見方、捉え方が固定されて

しまっている。

 

いわば、無意識によって

現わされた世界を生きている

ともいえます。

 

したがって

唯識の考え方は

VR(ヴァーチャルリアリティ)に

喩えることができます。

 

VRの世界では

だれかが作った世界に入り込みます。

 

VRにいる間は

自分の意志は関係なく

誰かによって表現された世界を

生かされるわけです。

 

それは幻の世界であり

現実を離れています。

 

そのように

現実世界を生きるわれわれも

実は無意識によって現わされた

幻の世界を生きている

 

というのが唯識思想の

重要な点だといえます。

 

そして、その迷いの世界から

一歩抜け出していこうとするのが

仏教修行です。

 

とくに瞑想によって

それに気づいていき

最終的には、輪廻からの解脱が

目標とされるわけです。

 

とはいえ、とくに仏教修行に限らず

唯識の考え方は多くの人にとって

有益なのではないかと思います。

 

どうしても

普段の生活の中では

物事の捉え方、見方というのは

固定化してしまいます。

 

それは執着やとらわれとなり

迷いや苦しみ、争いを生みます。

 

人間には元々そういった性質が

備わっているのは仕方ないとして

 

唯識から学び

ときには静かなところで瞑想でもして

 

その固定化した世界から抜け出す時間を

持つのは現代人にとって

大事なことなのではないでしょうか。

 

南無大師遍照金剛

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次回の写経会

 1月28日(日)

 15:00~

 ご予約はこちらから

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お寺の掲示板大賞という

イベントがあります。

 

 

お寺の掲示板に書かれたことばの

ユニークさなどを競うもので

仏教伝道協会が2018年から

はじめているイベントです。

 

だれでも参加でき、

お寺の掲示板が写った写真を

インスタグラムかⅩにハッシュタグを

つけて投稿すると

 

その中から作品が選ばれ

いくつかの賞が与えられます。

 

仏教伝道協会の大賞や

仏教タイムス賞

笑い飯哲夫賞などが

あります。

 

昨年2023年の大賞となったことばは

 

 ことばだけ

 立派な者は

 敵である    

     釈尊

 

というものでした。

 

仏教では、身・口・意の三業といって

人間の行為は

身(体をともなうもの)

口(ことばによるもの)

意(心によるもの)

 

の3つに分けられます。

 

それぞれの側面から

悪いことから離れて

清らかなものに

していくことが重要とされます。

 

よく、十善戒という形で

悪い行いを止めることが説かれます。

 

不殺生、不偸盗、不邪淫     …身業

不妄語、不綺語、不悪口、不両舌 …口業

不慳貪、不瞋恚、不邪見     …意業

 

殺生や盗むことは

身体的な悪い行いであり

 

嘘をついたり、二枚舌を使うことなどは

ことば(口)による悪い行いであり

 

欲張ること、激しく怒ることは

心による悪い行いであり

 

それらの悪い行いを離れよ

という教えがまとめられているものです。

 

上に挙げた2023年の

掲示板大賞になった

「ことばだけが立派」

というのは、

 

三業のうちの口業のみが

優れていてもダメだということです。

 

もちろん、

立派なことばを発することが良くない

ということではありません。

 

悪いことば遣いを避け

正しいことばを発するように

することは大事なことです。

 

ただ、そこに心や実際の行動が

伴っているべきだという

教えとなっているのです。

 

また、「敵である」というのは

少し強めの表現であり

仲間と敵という二分することは

仏教の本意ではありません。

 

自分自身が清らかな行いをしつつ

さらに、清らかな行いをしている仲間と

一緒にいれば

煩悩がなく幸せでいられますよ

 

というお釈迦さまの教えであろうと

思います。

 

この他、たくさんのお寺の掲示板が

掲載されています。

 

お寺の住職やお坊さんでなくとも

誰でも応募できるイベントとなっていますので

気になった方は

来年の機会に参加してみてください。

 

南無大師遍照金剛

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次回の写経会

 1月28日(日)

 15:00~

 ご予約はこちらから

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明けましておめでとうございます。

 

今シーズンの大みそか、元旦は

比較的暖かく過ごしやすかったですね。

 

これから2月にかけて

少しずつ日が伸びていく中で

寒さはより厳しくなっていくのでしょうかね。

 

さて、次回の瞑想会の日程を

お知らせしておきます。

 

1月28日(日)15:00~

瞑想会を開催します。

 

ご予約は以下からできます。

予約内容の選択|吉祥院リンクairrsv.net

 

初めて参加の方も

気軽にご参加ください。

 

また、久しぶりにという方も

是非参加ください。

 

よろしくお願いいたします。

 

南無大師遍照金剛

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2023年も

年の瀬となりましたが

 

先日は、クリスマスという

世間的には

年末の大きなイベントがありました。

(特にお寺で何かをやっているわけ

ではありません)

 

今年は弘法大師の生誕1250年の

記念の年でしたが

クリスマスといえば、

イエスキリストの生誕を祝う日です。

 

キリストのミサ

という意味に由来し

教会では、イエスの誕生をお祝いする儀礼を

行っているようです。

 

ちなみにイエスの正確な誕生日は

よくわかっていないようです。

 

キリスト教圏ではこの時期、

クリスマス・スピリットという

精神が大事にされます。

 

イエスキリストが行ったように

他人に愛を与え

他人を許すという精神だとされます。

 

この精神は様々な言葉で

表現されるようです。

 

Joy (喜び)

Love (愛)

Kindness (親切)

Forgiveness (寛容)

Charity (慈善)

Togetherness (一緒にいること)

 

などです。

 

喜びの気持ちを大事にし、

家族や友人への愛、思いやりや

他者への寛容の気持ちを表現します。

 

また、大事な人と一緒にいることも

大事にされます。

 

イエスの誕生を内容とする

歌のことであるクリスマス・キャロルの

ある曲には

 

自分たちにとって大切で信頼できる人たちと

一緒になれることの喜びが

表現されています。

 

チャリティ活動も行われます。

 

金額的には大きくなくとも

恵まれていない人たちの助けになろうと

皆が寄付するといいます。

 

また、Toy DriveやFood Driveという

活動がよく行われるようで

オモチャや食料が低所得者に

配布されています。

 

国としての文化や仕組みとして

富裕層から貧困者層にモノやお金が

流れていくようになっているともいいます。

 

クリスマス・スピリットには

「みんなと喜びを分かちあう」

「思いやる気持ち」

「寛容な精神」

が根底にあり

それを実際に表現することを

大事にしているように思います。

 

これはまさに仏教の

四無量心にも通じる精神です。

 

慈悲喜捨の四無量心です。

 

捨は含まれないかもしれませんが

他者への慈しみ、思いやり

喜びを共有する気持ちは

我々人類にとって普遍的に

重要な心の作用だといえそうです。

 

仏教では、お釈迦さまの降誕会が

4月に行われます。

 

この時期にはもっと
お釈迦さま慈悲の心を表現し
みんなで体現するような活動を
していくべきなのかもしれませんね。
 
 
 

「意味」とは何でしょうか。

 

単語には意味があります。

 

「子供」という単語には

幼い者、児童といった意味や

親がもうけた子という意味があります。

 

どこからどこまでが子供で

どこからが大人なのかというのは

成人の年齢が18歳だったり

20歳だったりと国や地域によって異なるように

 

国や文化、あるいは人によって

その分け方は違う点もあります。

 

ただ、概ね、一致するものといえます。

 

また、意味というのは

生物学的な意味という側面から

考えることもできます。

 

「筋肉」や「骨」という組織とその機能は

体を維持するためなどといった

決められた意味があります。

 

欲や怒り、悲しみの感情は

生き物が生存するための意味をもった

心の作用といえます。

 

すべてが科学的に検証がされているわけでは

ありませんが、科学の知識などによって

多くの人によって

その意味が共有されているものと思います。

 

一方で、

文化や人によって大きく異なる意味もあります。

 

人生の意味」という時の意味は

価値や重要性が問われるものなので

当然、人や文化などによって異なるものと

いえるでしょう。

 

楽しい時間を過ごすために

人生があるのだという人もいれば

困難をどれだけ乗り越えられるかに

意味を見出し生きる人もいるでしょう。

 

社会貢献に意味を見出す人、

ブッダのようにあらゆる執着から離れる生き方に

意味を見出す人もいます。

 

よく、あなたにとっての人生の意味は

という問いが立てられてます。

 

それは人それぞれなはずなのに

何らかの正解があると思ってしまうと

苦しみになってしまうのだと思います。

 

「子供」などの具体的な言葉や

生物としての機能などには

ある程度決まった意味が備わっていますが

 

人の人生などには意味は

決まった意味はありません。

 

それは人それぞれであり

誰かに決められるものではなく

自分自身で探すものだといえます。

 

簡単には見つからないかもしれませんが

探し続けていれば

きっと見つかるでしょう。

 

ただ重要なのは

必ずしも人生の意味は

自分が掴み取っていくものではない

ということかもしれません。

 

周りから与えられた生き方であっても

それに自分自身で腑に落ち

納得しているならば

それは良い人生の意味を見つけたということ

なのだと思います。

 

幸福には

人生の意義を感じていることが

重要だと考えられています。

 

社会への貢献というように大きなことではなく

ふだんの生活のちょっとしたところでも

自分にとっての意味を見つけながら

過ごすことが幸せをもたらしてくれるのでしょう。

 

南無大師遍照金剛

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次回の写経会

 12月24日(日)

 15:00~

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