縁起の考え方は,
この世界を客観的に示した捉え方です.
「これあるによりてこれあり」
「これ生ずるによりてこれ生ず」
あらゆる物事はそれ自体では存在せず
何らかのものに依って存在する
ということを釈尊は見出しました.
例えば,燃える炎は
ロウソク,酸素,ライターによって成り立ち
それらが無くなれば
存在できません.
そして,この世のあらゆるものは
無常であるということを
「諸行無常」として示します.
これもまた仏教が説く道理です.
常なるものは無い
と説くこの言葉には
人間が常なるものを求める生き物である
ということをも表します.
物事は無常であり
常に移ろい行くのにも関わらず
人は「常」を求めます.
一旦満たされても
それが永続することはなく
「苦」を感じます.
「一切皆苦」といい
全ての事柄は「苦」へと帰結すると
説きます.
さらに,
人間には「我」があると執着する
性質があることが見出されます.
しかし,釈尊の見出した縁起によれば
変わることのない「我」
魂のようなものは存在しません.
それゆえ,「無我」という観念が
生まれてきます.
そして,「我」があると錯覚し
その錯覚したものに対して執着することで
苦しみが生まれるのであるといって
そこから解放されるための
教えや実践方法を
釈尊は説かれました.
縁起という世界の捉え方を基盤に
戒律や,八正道等の様々な
修行を実践すれば苦しみから
解放されるのです.
しかしながら,この「我」への執着は
動物としての生存に必要な機能でもあり
完全に無くすことは難しいものです.
社会にいながらは
特に難しいでしょう.
ですので,
仏教実践の大事なポイントは
執着の方向が自分の「我」の
快楽だけにいかないように
コントロールし,程々に抑え
人との関係性や,社会への貢献など
の方向へと向けていく視座があるか
ではないかと思います.
「我」への執着には
一時的な欲求に向かうものがあれば
社会における権力や地位に向かうものが
あります.
執着がその方向にいかないようにして
諸行無常であることを受け入れ
その道理の世界の上で
人間としてのエネルギーを
うまく活用していき
その中で,自分が感じる苦しみを少なくし
また,他者や社会がより良くなることを
目指した生き方こそが
仏道的な生き方であろうと思います.
南無大師遍照金剛
吉祥院(茨城県石岡市)(@kichijoin_manizan) • Instagram写真と動画
・今後の瞑想会スケジュール
6月25日(土)
時間は、8:45~9:45です。
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