吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺ブログです。

何事のおはしますをば知らねども

かたじけなさに涙こぼるる

 

という西行法師の詩があります。

 

伊勢神宮で詠んだものとされます。

 

ある先生の言葉によれば

ここに日本人にとっての宗教観の原点が

込められているといいます。

 

仏教の教えを学んでいると

仏教の歴史や

「空」とか「縁起」といった理論が

大事であることを知ります。

 

つまり、

お釈迦様という偉大な方が

真理をお悟りになって

その内容を弟子や信者に説き

 

そのうち教団が形成され

お釈迦様亡き後は

様々な展開を見せ

ついには日本にも伝わる

という歴史があり

 

すべての物事は関係に中にあって(縁起)

自分というのは他者との

つながりの中にある(無我)

 

それゆえにすべての物事は無常であり

思い通りにはいかない

といった理論としての教えがあることを

知ります。

 

このような仏教が伝わる以前から

わが国には八百万の神を信仰する

宗教観がありました。

 

その日本人の原初の

宗教観が最初に挙げた詩に

現れているというのです。

 

何がここにあるのかは

わからないけれども

ただ、畏れ多い気持ちが生まれて

涙がこぼれてきた。

 

様々なものに神様が宿っていて

特に山などの自然=神に対する畏敬の念を

大切にしてきたのが日本人だと

思います。

 

仏教の教えは

頭で理解しようという

論理的な部分が強調されがちです。

 

しかし、何か大自然に対する

体の奥から生まれてくる

畏れ多いとか、感謝の念を

古来の日本人は大切にしてきました。

 

このような感覚、宗教観を忘れては

仏教の有難い教えも活きてこないのではないか

というのが、かの先生の主張であると

思います。

 

もちろん、

仏像の姿を目の当たりにした時には

多くの人は自然と合掌すると

思いますが

 

大自然などの身の回りにある物事に

対しても感謝の念や畏敬の念をもって

過ごしていくことは

仏道を歩む上でも大事なことだろうと

思っています。

 

 

南無大師遍照金剛

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次回イベントは

7月28日(日)に開催します

 

写経会

 15:00~

瞑想会

 16:00~

 

ご予約はこちらからお願いいたします

予約内容の選択|吉祥院リンクairrsv.net

 

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吉祥院のイベントのご案内です。

 

7月28日(日)

15:00~ 写経会

16:00~ 瞑想会

 

を開催します。

 

もちろん、どちらかのみのご参加でも可能です。

ご予約は以下のリンクからお願い致します。

予約内容の選択|吉祥院リンクairrsv.net

 

 

南無大師遍照金剛

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音楽から学ぶことは

多いなぁといつも

感じています。

 

日々生活する中で

 

大人であれば

仕事で一生懸命に取り組んでいること

あるいは趣味として力を入れていること

 

子どもなら

勉強や部活、好きなことに

熱中して頑張っていることが

あると思います。

 

その中で

幸福感を感じたり

喜びを感じたりすることもあれば

 

落ち込んだり、悩んだり

やる気がなくなる出来事に

あったりします。

 

ポジションな方は良いのですが

ネガティブな心の状態になると

厄介です。

 

そんな時に役立ちそうな

歌詞に出会いました。

 

  情熱に幸あれ

  若気の至りもくべようぜ

  水差されたことに

  気付かないほど燃やせばいい

 

  情熱に幸あれ

  向かい風 それすら飲み込んで

  辺りを照らせたら

  笑顔が幾つも見えるだろう

 

人はただ生きているだけではなく

誰しもが情熱や何らかの意欲や意志をもって

生きています。

 

ただ、その中で

時には水を差されてしまうことがあります。

 

あるいは、人によっては

些細な出来事で

そのやる気がそがれてしまう

ということがあります。

 

この歌詞は

そんなときに力を与えてくれるのでは

ないかと思います。

 

自分が今取り組んでいること

やるべきことに対しての

熱や意欲がないからこそ

外部の物事に惑わされてしまう。

 

逆に、惑わされないようにするためには

今自分が頑張っていることへの

情熱、意欲をもっと高めるように

意識すればよい。

 

そのような教えとして

受け取れるのではないでしょうか。

 

南無大師遍照金剛

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次回イベントは

7月28日(日)に開催します

 

写経会

 15:00~

瞑想会

 16:00~

 

ご予約はこちらからお願いいたします

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常陽藝文センターという施設にて

教養講座を担当しています。

 

はじめてから

2年が経ちました。

 

有難くもこれまで継続で

受講されている方も含め

8名の受講者の方々がいらっしゃいます。

 

講座のテーマは

「仏教を学び、写し、唱える」

と題しています。

 

『般若心経』や『観音経』の教えや

その他、様々な仏教の教えを学び

写経し、最後にお経を唱える

 

という内容の講座となっています。

 

昨日も講座があり

そこでは『般若心経』でも説かれる

「空」についてお話をいたしました。

 

空は

「空っぽ」とか「~を欠いている」

といった意味の言葉で

 

コップが空っぽとか

部屋に人がいない

といった時に使われます。

 

それが仏教思想では

物事には固有の本質は存在しない

という意味で用いられます。

 

われわれは

物事に名前をつけることで

何らかの固有の本質を

もたせます。

 

テーブルという名前をつけることで

それを食事をするのに

使うものとなります。

 

しかし、同じものであっても

「机」と名付けることになれば

それは勉強に使う場となります。

 

また、それを「台」として

電球を交換するのに使うことも

あるかもしれません。

 

そのことを「空」といいます。

 

固有の本質はなく

名前や役割は仮にあるだけです。

 

あるいは、奈良にある長谷寺は

現在は豊山派の総本山の寺院です。

 

真言宗豊山派の管長猊下が

能化としておられ

年中行事が行われ

豊山派の僧籍を得ようという若い僧侶が

修行する場でもあります。

 

しかし、歴史を遡って考えてみると

飛鳥時代に創建、その後に

本尊の観音様が建立されたとされます。

 

当初は東大寺などの傘下にあり

観音様への厚い信仰を集める寺院であることが

知られます。

 

そのようなお寺に

專誉僧正という真言宗の僧侶が

入られたのは戦国時代のことです。

 

それから、長谷寺は

真言宗の寺院となり

今の形があるわけです。

 

そのように考えると

長谷寺は真言宗豊山派の寺院であるという

固有の本質はありません。

 

現在そのような特徴をもっている

というだけであり、

過去から未来に向かってずっと

それが保存されているわけではありません。

 

空なのです。

 

以上のように

この世のあらゆる物事は

「空」の存在です。

 

自分自身もそうです。

一時的に体と心が合わさった

仮の存在であるといえます。

 

ですから、変わらない体を求めたり

何かにこだわる心というのは

「空」を知らず、執着していることであり

煩悩である、ということになります。

 

そのように空であり

ある意味、幻ともいえるこの世界ですが

幻である中で、どう生きて行くか

重要なことになります。

 

空であり、無常であることを

知ったうえで

どう生きて行くのか。

 

何か人生の意義を見つけて

生きるのも1つですし

快楽を求め続ける人生も

1つといえます。

 

仏教では、慈悲の心を起こして

他者の為の行い、すなわち利他行を行い

徳を高めていくという生き方を

提唱します。

 

善い行いによって徳が高まれば

来世では極楽に往生できるかもしれません。

 

また、情けは人の為ならず

といいますが、

他者の為になることは

自分の悟りにつながっている

という自利利他の理念もあります。

 

このような仏教的な生き方は

論理的には理解できない部分も

あろうかと思いますが

 

「空」の理論は

どんな生き方をしようとも

それなりに意味をもたらす

考え方だと思います。

 

こんなような内容を

藝文センターでお話をしています。

 

もちろん、講義だけではなく

写経の時間があり

最後には『般若心経』を皆で

唱える時間もあります。

 

それをすべて合わせて

受講者の方々の心が調う場となればと思い

講座を担当させていただいている次第です。

 

南無大師遍照金剛

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次回イベントは

6月30日(日)に開催します

 

写経会

 15:00~

瞑想会

 16:00~

 

ご予約はこちらからお願いいたします

予約内容の選択|吉祥院リンクairrsv.net

 

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5月26日(日)

写経会、瞑想会を開催いたします。

 

15:00~ 写経会

16:00~ 瞑想会

 

という日程になっています。

 

初めての方、久しぶりの方

どなたでも是非ご参加ください。

 

ご予約は以下からお願いいたします。

予約内容の選択|吉祥院リンクairrsv.net

 

 

南無大師遍照金剛

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貪瞋癡(とんじんち)は、

三毒といい

煩悩の最も基本的なものと

されます。

 

癡(ち)は痴とも表記されます。

 

仏教の教えを知らない状態のことを

意味します。

 

無明(むみょう)ともいい

要するに、悟っておらず

迷いの世界の暗闇の中にいることを

表しています。

 

ところで、癡(痴)というと

愚痴という言葉が思い浮かびます。

 

一般には、

愚痴は言わない方がよいものと

されていると思います。

 

AIにこれについて

聞いてみました。

 

愚痴をこぼさないことの

メリットとして

 

1.周りの雰囲気をポジティブにする

 →ネガティブな感情を出さないことで、

  周囲の人々にポジティブな影響をもたらす

 

2.自分をコントロールできる

 →感情を押さえて冷静に

  状況を見極めることができる

 

3.他者との信頼関係

 →感情的ではなく合理的な行動により

  周囲との信頼関係が構築できる

 

逆にデメリットとして

 

1.ストレスの蓄積

 →感情を抑えすぎてストレスが溜まる。

  長期的には心身に悪影響を及ぼす可能性がある。

 

2.コミュニケーションの欠如

 →愚痴を言わないことで他者との

  コミュニケーションが円滑にいかないことがある。

 

3.問題解決の遅れ 

 →感情を抑えることで、問題の本質を見逃したり

  解決策を見つける機会を逃すことがある。

 

とのことです。

 

愚痴を言うということは

ネガティブ感情を表に出すことであり

その意味ではその相手、周囲に対して

悪影響を及ぼしています。

 

しかし、溜め込んでいると

ストレスとなってしまいます。

 

逆に愚痴をこぼさないことは

ネガティブな影響を表に出さないことであり

周りとの関係が悪くならないように

思えます。

 

ただ、愚痴を言わないことにも

様々なパターンがあります。

 

例えば、自分が正しいと思っているけど

雰囲気が悪くなるかもしれないからと言って

黙っていることもあります。

 

その場合、他者とのコミュニケーションが

欠如した状態となり

長期的に見たら

悪い結果に影響するかもしれません。

 

また、愚痴に対して

相手から否定や評価の言葉をもらうことで

自分の考えが間違っているという

気づきが得られることもあります。

 

その意味では

愚痴をこぼすことは

自らの気づきにつながる可能性も

あるといえます。

 

つまり、愚痴を言わないことが

絶対的に良いのではない

ということです。

 

どんな教えや

どんな格言、思想であっても

一義的であることはなく

 

時と場合、状況によって

正しい行動は変わってくるので

 

それが可能になるための

智慧を磨く姿勢を常にもっておく

必要があるのだと

改めて感じました。

 

南無大師遍照金剛

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次回イベントは

6月30日(日)に開催します

 

写経会

 15:00~

瞑想会

 16:00~

 

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仏教瞑想には

慈悲の瞑想というものがあります。

 

慈しみの心をイメージする

瞑想です。

 

最初に自分自身への

慈悲を向けます。

 

自分自身が幸せでありますように

心安らかでいられますように

 

などとイメージします。

 

続いて、

自分にとって大切な存在に対して

慈悲の心を向けます。

 

家族であったり親しい友人などを

思い浮かべて祈ります。

 

それに続いて

自分にとって中立な立場の存在

お店の店員だったり、宅配業者の方だったり

誰でも構いませんが

 

そういった人に慈悲の心を向けます。

 

その次は

自分にとって嫌いな、あるいは苦手だなと

思う存在に対して慈悲の心を向けます。

 

最後に、

生きとし生けるすべての存在に

向けて慈悲の心を向けます。

 

慈悲の心を養うのは

仏教実践の基本と考えられます。

 

また、

慈悲の心は樹木に喩えられます

 

大きな慈悲の樹木に育つような

可能性、素質を

誰もが元々備えていると

仏教では考えます。

 

根っこにある慈悲を芽吹かせ

育て上げていくための

基本的な修行として

「慈悲の瞑想」があるわけです。

 

吉祥院の瞑想会でも

慈悲の瞑想を実践しています。

 

修行者のみならず

一般社会で幸せに生きて行くためにも

慈悲の心は大切だと思います。

 

ダライラマもよく

強調されています。

 

とはいえ、

なかなか瞑想を実践できない人にとって

聴くだけ慈悲の瞑想が実践できる

楽曲を見つけました。

 

高橋優さんの

「福笑い」という曲です。

 

周りの人をはじめ

世界のあらゆる存在への

慈しみの大切さを説いた歌詞と

なっています。

 

気になった方は聴いてみてください。

 

南無大師遍照金剛

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次回イベントは

5月26日(日)に開催します

 

写経会

 15:00~

瞑想会

 16:00~

 

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風が吹くたびに
さくらの花びらが舞う今日この頃です。




境内に立つと、
地面にはピンクの斑点模様が広がっています。




さくらのライトアップも本日が最後です。

少しずつ葉が出ていますが、
まだまだ花も楽しめます。

是非ご覧ください。

 

瞑想会4月21日開催15:00~

 
    

瞑想会を4月21日に開催します。

時間は、15:00~です。

 

ご予約はこちらから

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南無大師遍照金剛

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一昨日まで2分咲きだったソメイヨシノが

昨日で一気に開花しました。

現在満開です。


本日から正面のソメイヨシノの

ライトアップをはじめました。



雨天中止、夕方から21時までです。

お近くをお通りの際は是非ご覧ください。


なお、現在駐車場の一部で工事をしています。

ご駐車の際はご注意ください。