吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺ブログです。

縁起の考え方は,

この世界を客観的に示した捉え方です.

 

 「これあるによりてこれあり」

 「これ生ずるによりてこれ生ず」

 

あらゆる物事はそれ自体では存在せず

何らかのものに依って存在する

ということを釈尊は見出しました.

 

例えば,燃える炎は

ロウソク,酸素,ライターによって成り立ち

それらが無くなれば

存在できません.

 

そして,この世のあらゆるものは

無常であるということを

「諸行無常」として示します.

 

これもまた仏教が説く道理です.

 

常なるものは無い

と説くこの言葉には

 

人間が常なるものを求める生き物である

ということをも表します.

 

物事は無常であり

常に移ろい行くのにも関わらず

人は「常」を求めます.

 

一旦満たされても

それが永続することはなく

「苦」を感じます.

 

「一切皆苦」といい

全ての事柄は「苦」へと帰結すると

説きます.

 

さらに,

人間には「我」があると執着する

性質があることが見出されます.

 

しかし,釈尊の見出した縁起によれば

変わることのない「我」

魂のようなものは存在しません.

 

それゆえ,「無我」という観念が

生まれてきます.

 

そして,「我」があると錯覚し

その錯覚したものに対して執着することで

苦しみが生まれるのであるといって

 

そこから解放されるための

教えや実践方法を

釈尊は説かれました.

 

縁起という世界の捉え方を基盤に

戒律や,八正道等の様々な

修行を実践すれば苦しみから

解放されるのです.

 

しかしながら,この「我」への執着は

動物としての生存に必要な機能でもあり

完全に無くすことは難しいものです.

 

社会にいながらは

特に難しいでしょう.

 

ですので,

仏教実践の大事なポイントは

 

執着の方向が自分の「我」の

快楽だけにいかないように

コントロールし,程々に抑え

 

人との関係性や,社会への貢献など

の方向へと向けていく視座があるか

ではないかと思います.

 

「我」への執着には

一時的な欲求に向かうものがあれば

社会における権力や地位に向かうものが

あります.

 

執着がその方向にいかないようにして

 

諸行無常であることを受け入れ

その道理の世界の上で

人間としてのエネルギーを

うまく活用していき

 

その中で,自分が感じる苦しみを少なくし

また,他者や社会がより良くなることを

目指した生き方こそが

 

仏道的な生き方であろうと思います.

 

南無大師遍照金剛

 

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・今後の瞑想会スケジュール

6月25日(土)

時間は、8:45~9:45です。

ご予約は以下からお願いいたします。

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アリストテレスによれば

 

「徳」を身につけることで

幸福を実現できると

いいます。

 

中でも「性格の徳」は

習慣から形成されるといいます。

 

性格はギリシャ語で

エートス」といいますが

 

これは習慣を意味する

エトス」を少し変化させて

できた語だといいます。

 

アリストテレスによれば

「人柄、性格」というのは

「習慣」の積み重ねによって

形成されるのだとされます。

 

勇敢な行いを重ねていけば

勇敢な人間になっていき

 

逆に憶病な行いを続けていると

憶病な人間になっていくというのです。

 

このような考え方が

科学的にどう評価されるかは

わかりませんが

仏教思想とも似ているところがあります。

 

例えば、唯識思想では

善い行いであれ、悪い行いであれ

その影響力が阿頼耶識(あらやしき)という

各個人の深層意識に蓄えられるとし

 

個人の実際の行いは

様々な影響力がたまっている阿頼耶識から

起こってくると考えます。

 

つまり、善い行いを多くすれば

その善い影響力が阿頼耶識がたまっていき

善人としての人格が確立していくということです。

 

ただし、究極的には、仏というのは

社会的な善悪を超越した存在であります。

 

善悪という社会的基準ではなく

中道や無我の実践を重ねていくことで

仏の境地へと近づいていくことが

できるのだと思われます。

 

いずれにしても、

目標とする人格へと近づくには

自身の行いが非常に重要である

いうことは共通しているようです。

 

性格なんて変わらないとも思えますが

 

でも実際に、過去の自分と今とを比べると

変化している点が結構あったりするのが

普通なのではないでしょうか。

 

「無我」とはよく言ったものです。

 

あらゆる存在に不変な「私」はなく、

自然環境や、他者との相互の関係の中で

変化しながら存在しているのです。

 

南無大師遍照金剛

 

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チベットの聖なる巡礼:五体投地 | ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 (tibethouse.jp)

 

この記事にあるように、

チベットは、仏教国であり

多くの国民が仏教を信仰しています。

 

われわれ僧侶がするように

五体投地(ごたいとうち)の礼拝を

祈りの行為として行っています。

 

すごいのは、聖地巡礼の旅を

五体投地で少しずつ進んでいくという

習慣が一般の信者にあるということです。

 

生き方、信仰の仕方は多様であり

この方法が絶対的に善いことだと

いうわけではありませんが

 

そういった行為によって

安心感とか幸福感をその人が感じるのであれば

それは大事なことであり

尊重すべきだと思います。

 

しかしながら、チベットは中国の内にあり

様々な弾圧を受けていることが知られています。

 

チベット人たちは

輪廻転生を信じて生活しています。

 

こんにちの日本では

理解できないほどだと思います。

 

そういった信仰よりも

もっと先進的で、より良い生き方があるんだ

といって、中国はそれを強制し

弾圧をしているように見えます。

 

それを止める術を私は持っていませんが

 

少なくとも、自分の身の回りにおいて

多様な生き方、信仰を尊重しようという意識

大事にしようと感じます。

 

仏教などの宗教を大事にしたり

仏教好きだなんでいうと

若干距離を置かれる雰囲気が

まだまだ日本にはあるように思います。

 

人々が幸福感を感じる形、生き方は

多様であり、人によって大きく異なります。

 

仏教に興味のある人が

のびのびと楽しんで生きられる社会であって

ほしいと思いますし

 

仏教に限らず

一般とは違った生き方であっても

尊重される社会であってほしいと思います。

 

南無大師遍照金剛

 

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すでに解散してしまっている

Aqua Timezというグループに

『虹』という曲があります。

 

この歌詞に

仏教を感じます。

 

「苦しみを乗り越えると

喜びが必ず待っている」

 

というメッセージが

込められているそうで

これだけでは

仏教的とは言えませんが

 

歌詞をみてみると

個人的には仏教的要素を

強く感じます。

 

 大丈夫だよ 見上げればもう

 大丈夫ほら 七色の橋

 やっと同じ空の下で 笑えるね

 

というサビから始まる曲で

 

人は別々の存在であるけれども

本来的には一緒なのだから

 

孤独を感じることはない

みんな繋がっているんだよ

というようなメッセージが背後にあるように

思います。

 

また、

 

 別々の空を持って生まれた 

 記憶を映し出す空

 君には君の物語があり 僕の知らない涙がある

 もしかしたら僕が笑う頃に

 君は泣いてたのかもしれない

 似たような喜びはあるけれど 同じ悲しみはきっとない

 

という歌詞には

仏教でいう唯識的な感じがあります。

 

人それぞれ異なった物語の中に生きていて

それゆえ、見えている世界は違います。

 

また、他人の悲しみや苦しみの感情を

100%理解することは難しいというニュアンスも

唯識思想と一致するように感じます。

 

そのように、人と人は違うんだけど

 

 絆という名の虹が架かったね

 そして

 二つの空がやっと やっと 一つになって

 僕らを走らせるんだ

 

と曲の最後にあるように

 

本来的には絆によって繋がっているんだよ

仏教的には「空」ということによって

繋がって存在しているんだよ

ということを伝える一曲であると

 

そんな風に感じ取りました。

 

さらには

 

 涙のない世界には その橋は架かりますか

 悲しみを遠ざけることで

 君は橋を架けようとした

 けれど 今 傘を捨てて 目をつぶる

 

とか

 

 涙を流し終えた君の空に

 ねぇ見えるでしょ 色鮮やかに

 

といった文は

 

現実を受け入れることによって

前に進むことができることの示唆であり

 

自我や執着にとらわれないで

それらを手放していくことを説く

仏教の教えに似た観念が込められている

とも感じます。

 

最近の曲ではないので

知らない方も多いかもしれませんが

気になった方はぜひ聞いてみてください。

 

南無大師遍照金剛

 

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お釈迦様の言葉からは

徹底して内面を磨くことの重要性が

感じられます。

 

 頭髪が白くなったからといって

 長老なのではない。

 ただ年を取っただけなら

 空しく老いぼれた人といわれる。

 

 誠あり、徳あり、慈しみがあって

 損なわず、慎みあり、自らととのえ

 汚れを除き、気を付けている人こそ

 長老と呼ばれる。

 

 妬み深く、ケチで、偽る人は

 ただ口先だけでも、美しい容貌によっても

 端正な人とはならない。

 

 これを絶ち、根絶やしにして、憎しみを除き、

 聡明である人

 かれこそ端正な人と呼ばれる。

 

 頭を剃ったからといって、戒めを守らず

 偽りを語る人は、道の人ではない。

 欲望と貪りに満ちている人が

 どうして道の人であろうか。

 

 大きかろうとも小さかろうとも

 悪をすべてとどめた人は

 もろもろの悪を静め滅ぼしたのであるから

 道の人と呼ばれる。

 

お釈迦様の、こういった言葉を目にすると

 

見た目や、身の表面的な振る舞いではなく

内面の心を清らかにした人こそが

真の聖者であるということがわかります。

 

決して見た目の良さとか

外見的な行動が批判されるわけではなく

そこに内面の心が伴っていなければならない

という戒めの言葉だといえます。

 

また、博学であって瞑想をし

戒律を守り、誓願を立てていたとしても

汚れが消えないうちは油断してはならない

ともおっしゃっています。

 

人として生きている以上は

欲望などの心の汚れが消えて

なくなることはないので

 

やはり修行者としては

一生精進し続ける必要がありそうです。

 

南無大師遍照金剛

 

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マインドフルネス瞑想は

仏教でいうところの「念」(サティ)

起源があるといわれます。

 

マインドフルネスというのは

今この瞬間の体験をありにままに

判断することなく観察すること

 

あるいはそういった状態のことを

いいます。

 

単に「気づき」ともいわれ

ふだん何気なく過ごしている日常の物事に

マインドフルネスになることで

 

様々な気づきが得られたり

それによって、自分自身の心の状態

怒りとか欲の感情をフラットに

客観的に見ることができる

 

というメリットがあるといわれます。

 

これは私が思うに

上座部仏教の方で発展した実践法だと

考えています。

 

大乗仏教の方ではこういった実践は

あまり強調されないと思います。

 

今ではそれが

仏教からインスピレーションを受けながらも

宗教要素をできるだけ除いた形で

世界的に広まっているという状況です。

 

そのマインドフルネスは世俗化しすぎて

それが1つの問題を招いているともいわれますが

 

本来の形で実践する上では

とても有用性の高いものだと思います。

 

そのためには出家して

行に励む必要があるのかもしれません。

 

正しく実践すれば良いとはいえ

「念」=今この瞬間への気づき

という理解は本来の「念」の意味

失わせてしまう恐れがあります。

 

八正道にもあるような「念」は

「憶念」や「記憶」の意味します。

 

大事な教えを記憶し

それをしっかりと定着させ

場面に応じて記憶から想起させるはたらきのことを

意味するのが元来です。

 

何かの困難に出くわしたときに

この「念」をしっかりと機能させることができれば

自分自身を正しい方向へ

向かわせることができます。

 

怒りの感情が現れた時

「念」がはたらけば

正しい行動が導かれます。

 

それは、自分の怒りを客観的に観察して

怒りに振り回されないように

一呼吸おいて冷静になるように

という正しい教えが想起されて

問題を解決へと向かわせてくれるはずです。

 

そのためには

ちゃんと正しい教えが自分自身に

インプットされていなければなりませんが

 

一旦インプットされた教えを

記憶しておくこと

それが「念」の本来の意味だと思います。

 

そのことは忘れないようにして

マインドフルネスに取り組むことで

本来の仏教の良さがより引き出されるのでは

ないでしょうか。

 

南無大師遍照金剛

 

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仏教の教えは実に多様で

一見相反する内容のものも多いです。

 

事実、すべての教えを並べてみれば

矛盾する教えはたくさんあります。

 

しかし、それらをすべてひっくるめて

仏教として包含するところに

1つの良さというか

 

多様性があると

いえるのかもしれません。

 

違った教え同士が

少々の論争があったとしても

大きな問題とならないところは

重要な点だと思います。

 

もちろん、根本的な

諸行無常とか、一切皆苦などの観念は

どの派でも共通して持っています。

 

共通の教えを宿しつつも

やはり大きく主張する部分は

宗派によって違いがあります。

 

たとえば、浄土真宗では

他力本願といって

 

自らの力ではなく

すべて仏様の力、はたらきによって

救われるんだと説く一方で

 

禅宗は、確かに同じような側面が

ないわけではないですが

やはり、自らのうちにある仏性を

自分で自覚していこうとする

意気込みが強い宗派といえます。

 

真言宗は、

自らの発心、努力を大事にするのと同時に

仏様の不可思議なはたらきも

同様に重視している宗派だと思います。

 

あるいは、お釈迦様の教え(初期の仏教)と

その後に出てきた大乗仏教の教えでは

これまた大きく違う点があります。

 

初期の仏教ではさほど大事にされなかった

慈悲のはたらき

大乗仏教では最重要なものとします。

 

厳しく自分を律することに

重きを置いた教えに対して

 

大乗仏教では、

とにかく他者への施しを大事にし

それによって執着から離れていこう

とする教えとなります。

 

密教では、他者に対する執着ともいえる

心のはたらきさえも修行のエネルギーとして

活用しようとします。

 

例えば、異性に対する好きな思い

愛する思いには

とてつもないエネルギーがありますが

それを修行のために活用していくわけです。

 

宗派の違いもさることながら

 

お釈迦様の言葉の中には

実に多様な教えが込められています。

 

というのも、対機説法といって

弟子や信者に対して

それぞれ違った言葉をかけていたのが

まとめられたのがお釈迦様の教えだからです。

 

輪廻転生の中で

安楽な天の世界に生まれるために

善い行いをするようにと説くこともあれば

 

お釈迦様の教えの教えの本質は

この今生きている現世において

苦しみから解かれることを目指すこと

にあったともいわれます。

 

また、欲望を絶て、という言葉もあれば

善い行いをせよ

善友を大事にせよ

慈悲の心を大事にせよ

 

などといった、多様な言葉が残されています。

 

一口に仏教といっても

多様な教えが包含されています。

 

色々と探ってみるうちに、

本当に自分に合った教えに巡り合えるのだと

思います。

 

南無大師遍照金剛

 

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初夏とも感じられる蒸し暑い日が

多くなってきた今日この頃です。


桜の木も、

花が散ると同時に育ち始めた葉が

ぐんぐんと大きくなり、

緑が茂ってきました。


境内では、

ふと下に目をやると

あおむしやトカゲが地面を這い、

花壇の上では

バッタのこどもがひと休みしています。


どこもかしこも

賑やかになってまいりました。



さて、題名にもある通り、

境内のぼたんの花が咲き始めました。


《↑境内に咲く牡丹の花》


《↑弘法大師像のとなりに位置する牡丹園》



境内には100株ほどの

牡丹の花が植えられています。


満開の時期には

境内が牡丹の妖艶な香りに包まれ

春の訪れを満喫できます。


既に咲いていたいくつかの花は

昨日の雨にうたれてしおれてしまいましたが、

まだまだ蕾があります。


これから沢山の花を見せてくれるでしょう。

今から楽しみです。



お近くをお通りの際はぜひご覧ください。

養老孟司先生が語る内容が好きで

よく著作を読んだり

講演会の話を聞いたりしています。

 

とある講演会の中での

話ですが

 

養老先生が小学校2年の時に

第二次世界大戦が終戦したのだそうですが

 

その機を境にして

完全に価値観がひっくり返ったといいます。

 

それまでは、国の為に滅私奉公することが

当たり前の善であるという世界で生きていたのが

その時に価値観が180度変わってしまった。

 

それを目の当たりにして

人を頼ると危ないんだ

ということを感覚的に学んでいったといいます。

 

そういったこともあって

人間社会とは離れた自然の世界に

目が行くようになったのかもしれません。

 

養老先生の趣味は昆虫採集で

人間社会における幸せだけを求めるのではなく

自然にもそれを求めてきたといいます。

 

もちろん、人間社会の中で

良いことがあれば悪いことがあるのと同様に

自然界にも良いこと悪いことがある

ということも悟ってらっしゃいます。

 

そういえば、田原総一朗さんも

小学生の時に終戦を迎えて

大きな衝撃を受けたと述べていたのを

思い出しました。

 

平成、令和と

経済や技術が発展し、

平和な社会が保たれていると

当たり前に思っているわれわれですが

 

今世界では

私たちにとっては考えられない価値観によって

引き起こされた戦争をはじめとする

様々な問題が絶えません。

 

同じ人間とは思えないような行動が

ふつうになされている。

 

これは、自分たちの価値観は絶対であるという

視点で観ているだけでは

何も解決には至らないものと思います。

 

何か決定的な解決策があるのかといえば

そうではないですが

 

特にグローバル化、IT化が進む社会の中で

それまでの当たり前の価値観が

急に大きく変わっていく可能性がいくらでもある

ということは意識しておきたいと思います。

 

南無大師遍照金剛

 

仏教にとって「(ごう)」という言葉は

とても大事です。

 

業はインド語では

「カルマン」とか「カルマ」といい、

 

はたらき」「行い」といった意味を

表す語です。

 

われわれは業を積み重ねること

つまり、日々行いを続けることで

輪廻していくものだと

仏教では説きます。

 

その業には

善いもの悪いもの

そのどちらでもないものとがあります。

 

因果応報という考え方がありますが

善い行いをすれば楽を感じる結果が生じ

逆に、悪い行いは苦を感じる結果を生みます。

 

善因楽果、悪因苦果という言葉は

そのことを意味しています。

 

このことからすれば

 

今現在、楽な状態にあるのは

過去の良い行いの結果で

今現在、苦を感じる状態にあるのは

過去の悪い行いの結果である

 

ということができます。

 

結構自己責任論的な感が強く

人によっては有難いというよりも

ネガティブな教えともなり得るものです。

 

大事なポイントは

 

楽であれ、苦であれ

今あるその状態、状況は

過去の行いの結果であるということです。

 

その行いの影響力は結果として

もうすでに出ているので

これから先のことについては

今から行う内容に左右されるのです。

 

どうしても過去の失敗が

頭から離れなかったり

 

他者との環境や能力の差に

目が行ってしまいがちな人も

多いかもしれません。

 

そういった場合には

やはり現在の行いが

未来を決める、という視座を

もつことが大事だと思います。

 

失敗やネガティブなことは

どうしても頭に残りやすいですが

この仏教の教えを頼りにすることで

少なからぬ力が得られるのではないでしょうか。

 

南無大師遍照金剛

 

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