背徳者の精神 -7ページ目

理由

薄暗くなってきた。

時計は午後六時をさしている。

(功輔さん、もう帰ってくる時間なのに…)

時間が経つのがとても長く感じた。

それでも私はずっと待ち続けた。

携帯は持っていなかったから

その場を離れるわけにはいかなかった。

夜9時、見慣れた車が駐車場に入ってくるのを

私はぼんやり見つめていた。

功輔が小気味よく階段を駆け上がってくる。

私は立ち上がることも忘れてそれを見つめていた。

やがて、功輔は自分の家の前に座る人影に

少し驚いた顔をして立ち止まったが

すぐに私だと気がつき小走りで近づいてきた。

「どうしたの?ずっとここで待ってたの?」

功輔の言葉に私は黙って頷く…

そして功輔は冷え切った私の手を掴むと

切ない表情をしながらゆっくりと立ち上がらせ

鍵を開けるとすぐに部屋の中へ入れてくれた。

「今日は仕事で少し遅くなってしまって…

来るなら電話してくれればよかったのに…」

奥の部屋で背広を脱ぎながら功輔は私に話しかける。

私はなんて言っていいのかわからなかった。

「………」

「亜希子さん…なんかあったの?」

功輔は心配そうに近づいてくると

俯く私の目の前に座り静かに両肩を支えてくれた。

暖かい手の温もり…

今にも崩れ落ちそうな気持ちを抱えながら

私はその優しい胸に顔を埋め声をあげ泣いた。

「亜希子さん…」

功輔は私に重大な何かがあったことを察していた。

しかし無理に理由を聞こうとはせず、

そっと私を抱きしめ…そのまま私達は時を過ごした。

呆然

一日、呆然として過ごした。

功輔には相談できない。

勿論、親友にも両親にも…。

家にいても気が滅入るばかりだった。

何処に行くというわけでもないが家を出る。

家を出てどれくらい経っただろう…

気がつくと私は功輔の家の近くまで歩いていた。

(功輔さん…いるわけないよね)

そう思いながらチャイムを鳴らす。

やはり、なんの返答もない。

そのままドアにもたれかかって座り込む。

アパートの住人が私を不思議そうに見て声をかける。

(なんだか私がストーカーみたい…)

そう考えながら自然と涙が溢れてきた。

…誰にも見られてはいけない涙だと思った。


レイプ

眠いという意識はなかった。

だがいつの間にか私は眠っていた。

気がつくとベットの中…私は裸になっている。

周りには私の服が脱ぎ散らかるように置いてあった。

(昨夜のことは夢であって欲しい。)

私はそう願いながら服を着て居間へと向かった。

…しかし、それは現実だった。

テーブルには昨夜のまま缶ビールとおつまみが並んでいる。

「!!!」

急いであたりを見回したが聡の姿はない。

返してもらうはずだった合鍵も置いてなかった。

私は昨夜のことを思い出しながら色々考えた。

なぜ、聡はグラスを拒否し缶のまま私に飲ませたのか?

そして、ひとつだけ思い当たることに気づいた。


それは聡が入院していた時のことだ…

彼は回診の時「眠れない」と医師に直接訴え

自分が指定した睡眠薬を処方してもらっていた。

(薬剤名:フルニトラゼパム)

アメリカではレイプなどの犯罪が多く禁止となっている薬だ。

もしかしたらそれを飲まされたのかもしれない…

(レイプされた…それ以外になにもない。)

私はそう直感し、その場に力なく腰を下ろした。

私の体は聡に汚されてしまった…。

合鍵の謎

私は気づいた…あの日、私が聡に家を貸した日。

聡は友達と喧嘩なんかしていなかった。

すべては私の家の鍵を借りる為の口実。

そして今、その時作った合鍵を使って私の家にいる。


「出て行ってください!」

「とりあえず座ったら?」

聡は立ち尽くす私に近づいてくると

半ば強引に私の腕を掴んでソファーに連れて行った。

「とにかく帰ってください!」

私はその言葉を何度も何度も繰り返した。

「せっかくビールとか買ってきたのに…」

聡はそう言うと立ち上がり、勝手に私の冷蔵庫から

買ってきたビールを出し、おつまみを並べ始めた。

そしてこう続けた。

「ビール一本飲んだら帰るから…藤田さんも付き合ってよ。」

取引はしないつもりだった。

でも、それで聡が素直に帰ってくれるというなら簡単なことだ。

「本当…?」

「俺は藤田さんと違って嘘つかないって…」

私は立ち上がるとグラスを出そうとキッチンへ向かった。

聡はその後姿を確認するとおもむろに話しかけた。

「グラスいらないから…藤田さんもこのまま飲もうよ。」

とにかく私は聡が早くいなくなって欲しかった。

いそいでソファーに戻ると聡が開けてくれたビールを

缶のまま一気に飲み干す。

空腹の胃袋の中にビールが流れ込んでいくのがよくわかる。

「これでいいでしょ?早く帰ってよ…」

私が一気にビールを飲み干した姿を見て

聡は手を叩いて笑い始めた。

「藤田さんお酒強いね~!」

「………」

「でも俺が一本飲み終わるまで待っててよ。」

「一本だけね…約束してよ!」

聡もビールを飲み始めた。

(このペースでいけば一本なんてすぐに終わる)

そう思いながら私はじっと聡の缶ビールを見つめていた。

不幸な再会

しばらく日勤が続き、

私は疲れた体を引きずりながら帰ってきた。

(明日は久しぶりに休みだ…今日はゆっくり体を休めよう。)

そう思いながら家の鍵を開ける。

「あれ?」

なぜか家の鍵が開いている。

(出かけるときに鍵をかけ忘れたのかな?

でも、いつも鍵をかけた後は確認するはず…)

不思議に思いながらドアを開ける。

家の中は真っ暗…人がいる気配はない。

ただ少しタバコ臭いような気がした。

恐る恐る居間のドアを開ける。

「!!!」

…そこには暗闇の中ソファーに座る聡の姿があった。

「おかえり」

私は居間の電気をつけることも忘れ立ちすくんでいた。

聡はゆっくり立ち上がると灯りをつけて私に微笑んだ。

「どうして…ここにいるんですか?!」

聡は鍵をちらつかせると言った。

「知り合いに鍵屋がいてね…合鍵つくってもらっちゃった。」

「帰ってください!」

聡は知らんぷりしてタバコに火をつける。

「明日、仕事で早いんです!

もういい加減、私に付きまとうのはやめてください…」

「嘘つかないでよ…明日、休みでしょ?」

そう言うと聡は部屋のカレンダーを指差した。

私はカレンダーに自分の勤務を記入していた。

勿論、休みの日も…。

平穏な日々

その後、聡からの連絡はない。

私のことを諦めたのか…

それとも…もうからかうのには飽きたのだろうか?

そんなこと私にはもうどうでもいい。

とにかく平穏な日々が訪れてたことに感謝しなければ…


功輔とはあの日以来、頻繁に会っている。

一緒に借りてきた映画を観たり

気晴らしに水族館に行ったりして

恋人ではないけれどそれにも似た幸福感が私を包んでいた。


仕事も自分なりにだが楽しくやっている。

次期、主任と囁かれ、リーダーを任されることも多くなり

すべてが順調にすすんでいると思われたその矢先のことだった…

告白

私の家に着くまで功輔に多くは語らなかった。

ゆきだってこんなこと他人に話されても嫌だろう

…そう思った。

「どんな事情か知らないけれど…それがその人の寿命だった」

功輔は私を気遣ってか優しく言ってくれた。


功輔と一緒にいると癒される。

この人になら愛されてもいいと思った。

結婚してもきっと幸せにしてくれる…そんな気がした。


家に着くと私は功輔を部屋に案内した。

冷蔵庫から冷えたビールを取り出しグラスに注いだ。

だが、功輔は受け取ろうとしなかった。

「飲まないの?」

不思議そうに尋ねる私に功輔は小声で言った。

「車だから…飲んだら帰れなくなる。」

私はクスクス笑いながらこう言った。

「これくらいなら大丈夫でしょう?」

でも断固として功輔はグラスを受け取らない。

「じゃあ…泊まっていけばいいのに…」

私が何の気なしにそう言うと

「いやいや…」と功輔は照れ始めた。

私は急に功輔が自分のことをどう思っているのか知りたくなった。

「ねぇ…功輔さん…私のことどう思ってる?」

「もしかして…もう酔っ払ってる?」

唐突な質問に功輔は顔を赤らめて私を見ていた。

「好きなほう?それとも……」

功輔は困った顔をしながらもはっきりと答えた。

「好きじゃなかったらここまでしない…」と…。

結局、功輔はジュースを飲んで帰ってしまった。

「冗談言える位だからもう大丈夫だね」って…

なんだか無性に淋しくなった。

でも、やっぱり…恋愛感情はない。

「死に値するだけの恋愛」

怖いけど一度はそんな恋愛も経験してみたい。

功輔では少し物足りないような気がした。

憂鬱

(愛されたいから死ぬ…)

私は今までそれを「エゴイスト」だと思ってきた。

相手に対する当て付けにしか受け取れなかった。

でも、それがゆきの愛し方だったのだろうか?

私にはわからない…わからなくってもいい。

でも、私はゆきに何もしてあげられなかった。

もしかしたら…

あの日、私がゆきに会わなかったら

あんな話をしなかったら…

ゆきは死を選ぶことはなかったのかもしれない。

でも…いくら悔やんでもゆきは戻ってこない。

私達はうなだれてゆきの実家をあとにした。

かずえとは互いに話す言葉もなくすぐに別れた。

私はこのまま家に帰るのが憂鬱だった…。

かずえには家族がいる…

少しでもゆきのことを忘れられる時間がある。

でも、私は違う…ゆきのことが頭から離れない。

「誰かと一緒にいたい」…そう思うと

私は公衆電話から無意識に功輔に電話していた。

功輔が電話に出ると、親友が死んでしまったこと、

そして今は家に独りでいたくない気持ちを話した。

功輔はすぐに車で迎えに来てくれた。



遺書

ゆきの葬儀の日。

喪主であるゆきの旦那は誰とも目を合わすことなく

ずっと俯いたままだった。

その傍らでゆきの母親は力なく泣き続けている。

ゆきが自殺した理由を知っているのはたぶん

ここにいる私とゆきの旦那だけ…。

でも誰もゆきの本当の気持ちはわからない。

初七日…私達はゆきの実家へと招かれた。

なぜなら遺骨はゆきの家にはなかった。

旦那は葬儀の後、行方をくらましてしまっている。

恥ずかしそうに微笑んだゆきの遺影…。

「ゆき…お友達がきてくれたわよ。」

と母親が涙声で遺影に向かって話しかける。

でも私にはゆきが死んだという実感がない…。

私の中にはまだゆきが生々しく残っている。

焼香が終わり、しばしの沈黙の後。

一番最初に口を開いたのはかずえだった。

「あの…ぶしつけで申し訳ありません…

なんで…かずえ自殺しちゃったんですか…」

「かずえ…よしなって…」

私は小さな声でかずえをたしなめた。

「でも…私達、納得いかないんです…」

母親は俯いたまま静かに立ち上がると

ゆきの遺影の下から封筒を一枚持ってきた。

私にはそれがなんなのかすぐにわかった。

「これ…読んでもらってもいいわよね。」

母親はまたゆきの遺影に話しかけ

封筒から二枚の便箋を取り出すと私達に渡した。

やはり、それはゆきが残した遺書だった。

遺書とは思えないくらいのかわいらしい便箋…

老いた母親のことを気遣い大きく丁寧に書かかれた字。

遺書の内容はこうだった。

ゆき自身が今、置かれている状況…

旦那の浮気や子供が出来ないことへの悩み

片親でも一生懸命育ててくれた母への感謝。

そして最後は死を選んだことへの謝罪だった。

私達が遺書を読み終わると母親は静かに呟いた。

「あんな男…

ゆきは死んでまでして繋ぎとめておきたかったんだね」

母親はそう言い終わるとこらえきれない嗚咽を洩らした。

親友の死

朝早く、電話が鳴った。

何度目かのコールで留守電に切り替わる。

「もしもし…亜希子…いないの?」

そしてその後に聞こえてきたのは泣き声だった。

(かずえの声だ…どうしたんだろう?!)

私は急いでベットから起き上がった。

なんともいえない嫌な予感がした。

「もしもし…」

私が電話に出るとかずえは嗚咽をもらしていた。

「どうしたの!?」

私は落ち着かせるようにゆっくり話しかけた。

かずえは一度深呼吸し押し殺した声で話し始めた。

「………亜希子、驚かないでよ……」

「何…なんかあったの?」

「………ゆきが死んだ。」

そしてそう告げると堰を切ったように泣き始めた。

「!!!」

私の頭が真っ白になる。

「新聞…見て…」

かずえが絞り出すような声で続けた。

私は受話器をテーブルの上に置き

パジャマ姿のままフロアにある郵便受けへと走った。

心臓が張り裂けそうになるのを片手で抑えながら…

受話器越しのかずえはまだすすり泣いていた。

私は慌てて新聞を開くとページをめくった。

ページの一番下の記事には小さくこう書かれていた。

(28歳女性マンション屋上から転落死)

そして、確かにゆきの名前が載っていた。


昨日のゆきの淋しそうな顔が脳裏に焼きついている。

確かにゆきは旦那が浮気をして落ち込んでいた。

(…でも、まさか本当に自殺するほどだったなんて…)

私はあまりにも突然の出来事に涙も声も出なかった。

「なんで…なんでゆきは死んじゃったの…」

かずえが独り言のように何度も呟いている。

でも、かずえに事情を話してもゆきは戻ってこない。

時間が経ったら話す日もくるかもしれない…と考え

私はかずえに何も言わなかった。