招かれざる客
夜10時。
疲れてもうそろそろ眠ろうかと思っていた時のこと。
玄関先でドアノブを激しく回すような音が聞こえ
それと同時にインターホンが鳴った。
(聡だ…)
私は全く応じるつもりはなかった。
それでも聡はあきらめる様子もなく
何度も何度もドアノブを回し、チャイムを鳴らし続けた。
「藤田さん、いるんでしょ?開けてよ!」
そしてインターホンに出ない私に
わざと聞こえるように大きな声で叫んだ。
(功輔に電話…)
私は慌てて功輔に連絡した。
「もしもし…亜希子です。功輔さんが言った通り
今、玄関の前まで押しかけてきてるんです。」
「とにかく、今は迷ってる状況じゃないね」
激しく回数を増すチャイムの音は功輔にも聞こえていた。
「やっぱり警察に電話…ですか?」
「今はそうするしかないと思う。」
功輔は冷静に言い、私に落ち着くようにと話した。
「はい…わかりました。すぐに警察に電話します。」
「じゃあ、またあとで連絡して、待ってるから…」
そう言うと私は功輔との電話を切った。
(どうしよう…そうは言っても警察に電話なんて…)
私が迷っている間、
今度はドアを蹴り飛ばす音が聞こえた。
「やっぱり電話しなきゃ…」
私は震える指先で警察の電話番号を押した。
「もしもし…」
警察官が電話に出る。
「あの…」
私は口ごもった。
どう説明していいかわからなかった。
「どうかされましたか?」
警察官は事務的に私に尋ねてきた。
「あの…実はストーカーに追い回されて困っているんです」
「それで今はどういった状況ですか?」
「今…家の前まで来ていて…ドアを蹴ったり…」
私が話し終える前にその警察官は冷静に答えた。
「じゃあ、これから近くの交番に連絡して行かせますので
あなたの名前と住所・電話番号を教えていただけますか?」
「は、はい…わかりました。」
私はそう答えるとただひたすらに警察官がくるのを待った。
30分後…
チャイムの音も聡の声も何も聞こえなくなった。
諦めて帰ったのだろうか?
それとも諦めたと思わせてまだ何か考えているのか…。
確かに玄関の向こうに人の気配はない…
だが自分ひとりで確認するわけにはいかない。
とにかく今は早く警察官が来てくれることを願った。
別の作戦
その日の夜は安心して眠れたような気がする。
朝、目覚めると私はすっきりした頭でこう考えた。
(きっとまた、聡から職場へ電話がかかってくるだろう
盗聴器を外した今、聡と私の繋がりは薄くなっている
だけど、もう取引はしない…聡の言葉に耳を傾けることもしない)
…そう覚悟して私は職場へ向かった。
月曜日の日勤…相変わらず仕事は忙しい。
職場の電話が鳴る。
一瞬たじろいだものの私は電話に出た。
「放射線です。○○さん写真とるので降ろしてください」
「は、はい…わかりました。」
胸を撫で下ろしながら私は電話を切った。
不思議なことにその日は一度も聡から連絡はなかった。
(何かまた別の作戦を考えているのかもしれない…)
私は今までの聡の行動から、そう確信すると身震いした。
とにかく…「何かあったらすぐに警察に電話」
私は功輔の言葉を思い出し
何度も心の中で呟きながら帰路についた。
約束
私はすぐに功輔に電話をした。
思えばしばらく功輔とは連絡をとりあっていない。
私が功輔のいない部屋を訪れた時も
功輔からの電話はなかった…。
少し長い呼び出し音のあと功輔が電話に出る。
「もしもし…」
「あっ…ごめん。
今、仕事中…あとですぐに電話するから」
功輔は申し訳なさそうにそう言うと電話を切った。
それでも私は嬉しい気持ちだった。
信じられる相手といつでも繋がっていられる幸せ…。
すぐに家の電話が鳴る。
「もしもし…」
功輔の声だ…そして続けてこう言った。
「ごめん、亜希子さんには言ってなかったけど
しばらく本社出張でそっちにはいないんだ。」
「私こそ仕事中に電話してしまってすみません。」
「いや、もうこっちのほうは大丈夫。
それより亜希子さんのほうは大丈夫なの?
何回か連絡しようと思ったけど
亜希子さんの勤務のこと考えたらできなくって…
でも、連絡もないし大丈夫かなって思ってたんだけど。」
私は功輔がいない間の出来事は何も話さなかった。
もう、私の中では終わったこと…
功輔には何もなかったことにしたかった。
勿論、あの夜、私達の会話が盗聴されていたことも。
ただ家の鍵を変えたことだけは功輔に話した。
「でも…」
功輔はまた考え込むとこう切り出した。
「鍵を変えても、きっとあいつはまた来るよ…。
2~3日中にはそっちに帰れると思うから。
それまでの間、十分、気をつけて…
なんかあったらすぐに警察に電話するんだよ。」
私は「わかりました」と笑顔で答え…
そのあとすぐに「待ってます」と付け加えた。
功輔は照れ笑いしながら
帰ったらすぐに連絡すると約束して電話を切った。
嬉しい知らせ
それからというもの…
私は寝室で眠ることが出来なかった。
いつ盗聴されているかわからない不安は
私に眠ることを許さなかった。
毎日の生活がぎこちなく過ぎる。
聡の職場への電話は回数こそ減ったが
相変わらず執拗に続いていた。
そんなある日…
私のもとに嬉しい知らせが届いた。
それは鍵の交換を行う業者からの電話だった。
私はすぐに作業してもらうようお願いし…それは実現した。
次に私がしなければいけないこと…
それは聡が仕掛けた盗聴器を外すことだった。
私は寝室のベットの下にもぐりこみ
盗聴器と思われるコンセントタップを抜くと
静かに握り締め、そのままマンションを出た。
目の前には下水道が流れている。
私は迷うことなくそれを落とし捨てた。
ようやく、盗聴されている不安と緊張から抜け出せる。
そして、もう聡が勝手に家の中に入ってくることもない。
聡の私への思いもこれで捨ててくれたら…そう願いながら。
盗聴
それにしても…
何故、聡はあの日の夜のことを知っていたのだろう?
私と功輔しか知りえない事実…
(まさか盗聴?)
私はそう考えると同時に体が動いていた。
電話だけじゃなく家中のコンセントを調べてまわる。
(あ、あった…)
寝室のベットの下…そこには見慣れぬ
新しいコンセントタップが挿さっていた。
これでさっきの聡の言動も理解できる。
私の家の近くまでくれば
合鍵を使って家に入り込まなくても
私がいるかいないか…
そして誰と一緒にいたか何の話をしたのかも
おおよそのことは聡にわかってしまうのだ。
私は盗聴器を外そうと手を伸ばし考えた。
(でも、今これを外して捨ててしまったら
すぐにまた聡が合鍵を使って家に入りこむだろう。
今は家の鍵が新しく変わるのを待つしかない。)
そして私は盗聴器から静かに手を離した…
勿論、盗聴されていることを覚悟の生活だ。
悪魔の囁き
私は無我夢中でその張り紙と写真を破り捨てた。
なにが書かれていたのか
そして何が写しだされていたのかわからなくなる位に。
聡とはきっちり話をしなければいけない。
私は番号非通知で聡の携帯に電話をかけた。
「もしもし!」
「藤田さん…ずいぶん遅かったね。」
悪びれた様子もなく聡が電話に出る。
「あなたでしょ?こんなことしたの!」
私が怒鳴ってみせたが
聡は動じる様子もなく淡々と返答した。
「だって、本当のことでしょ?」
「………」
「返事できないの?淫乱ナースさん」
「その言い方やめてください!」
私がそう言い放つと聡は笑いながらまた話し始めた。
「振られたんでしょ?あの男に…
寝室に連れ込んで抱いてって言ったのにね。」
(!!!)
「なんでそんなこと知ってるか不思議なんでしょ?
でも、俺は藤田さんのことなら全部知ってるから…」
(!!!)
私は返す言葉がなかった。
電話したのは間違いだったかもしれない。
まんまと聡のペースに巻き込まれてしまっている。
「とにかく、もう私に関わらないでください…」
私が力なくそう言うと聡は悪魔のように囁いた。
「残念だけどやめないよ」
そして冷たい口調で最後にこう言った。
「藤田さんが俺のことを愛してくれるまで」
私は恐ろしくなってそのまま電話を切った。
このまま自分はどうなってしまうんだろう…
偽りでも聡を愛すれば止めてくれるのだろうか?
そんなことは出来ない…。
もし…仮にそうしたとしても勘の鋭い聡のことだ
きっとすぐに見破ってもっと酷いことをするに違いない。
淫乱ナース
ようやく家の近くまで辿りついた。
部屋の明かりはついていないのを確認すると
私は息を潜めるようにしてマンションの周りを調べた。
…聡の車はない。
少し安心すると私はマンションの玄関へ足を運んだ。
郵便受けには何枚かのチラシの他に
宛名のない白い封筒が一通入っていた。
(なんだろう…?)
私は少し不思議に思いながらもその封筒を手にとり
そのままエレベーターに乗って自分の部屋へむかった。
(?)
部屋の前に何か張り紙がされていた。
白い紙に赤い字で何か書かれている。
私は急いで玄関のドアに駆け寄った。
(!!!)
声も出せず、私の目に飛び込んできたのは
自分の目も疑うような文字の羅列だった。
「淫乱ナース」
…その張り紙には大きな字でこう書かれていた。
(こんな嫌がらせをするのは聡以外いない!)
私は張り紙を直視できないまま引きちぎると
急いで部屋の中に駆け込んだ。
さっきの白い封筒も気になる…。
嫌な予感がして吐きそうになりながらも
私はその封筒を破るように開封した。
中に入っていたのは…
ティッシュペーパーにくるまれた一枚の写真。
それは紛れもなく睡眠薬を飲まされたあの夜…
全裸でベットに横たわる私の淫らな姿だった。
恋愛妄想
午後10時。
功輔が帰ってきそうな気配はない。
連絡しようと思っていたがなんとなく
出来ずに時間が経ってしまっていた。
自由に使っていいと言われても…やっぱり落ち着かない。
私はつけっぱなしていたTVを消すと家に帰る決心をした。
一応、部屋に来たことだけは功輔に伝えなければと思い
短い文章で手紙をしたため、テーブルの上に置いた。
部屋を出ると夜風が身にしみた。
冷たい風が首筋を音を立てて通り過ぎる。
タクシーは呼んでいなかったからそのまま歩いて帰ることにした。
月明かりに照らされた住宅街を抜け
私はさっきのTVでも見たストーカー殺人事件のことを
思い出しながら歩いていた。
(愛されないから殺すだなんて…狂ってる)
私は自分とは別の世界の出来事のように感じていた。
ストーカーという言葉は知っている…
でも、自分が今直面しているのは「ストーカー」ではなく
「過剰な恋愛妄想を持つ人」…そう思いたかった。
だが本当は違った…聡は明らかに「異常」だったのだ。
ストーカー殺人
私は肩を落として
聡の姉の住むマンションをあとにした。
(もう、どうすることもできないのだろうか?)
帰路につくバスの中でぼんやりと考える。
そんな中でふとある不安が私の胸をよぎった。
このまま、家に帰ったら聡は私のことを
待ち伏せしている…そんな気がした。
新しい電話番号を教えることと
職場への執拗な電話
その取引は聡の中でまだ終わっていないからだ…。
私は功輔のアパートの鍵が上着に入っているのを
確認するとそのまま功輔の家へ向かった。
功輔の家に到着する。
部屋の灯りは灯っていない。
(まだ帰ってきていないのかな?)
私は少しためらったが功輔の部屋の鍵を開けて中へ入った。
部屋の電気をつける。
主のいない部屋はなんだか淋しい雰囲気だったが
私はその静けさを打ち破るようにTVの電源を入れた。
ニュース番組が映し出される。
その中で「ストーカー殺人」が大きく報道されていた。
食い入るようにして私は画面を見る。
(もしかして私も…?いや…ありえない…大丈夫。)
私は自分に言い聞かせるようにして功輔の帰りを待った。
残酷な言葉
仕事が終わり
私は早速、聡の姉へ電話をした。
だが長い呼び出し音の後に出たのは留守番電話だった。
出かけているのだろうか?
それともまだ帰ってきていないのか…
そんなことはどうでもいい…とにかく話をしなければ。
私はすぐに住所を調べる
同じ市内…そんなに遠くない住所だった。
私は着替えるとその住所へ向かうことにした。
乗りなれない路線のバスを乗り継いで
私はようやく聡の姉の住む場所へ到着した。
お洒落なマンション。
恐る恐るインターホンを鳴らす。
「はい…」
出たのは紛れもなく女の声だった。
「あの…私は聡さんが以前、入院していた時
受け持っていた看護師の藤田と申します。」
「何の御用事ですか?」
「ちょっとここでは話しにくいので入れてもらえませんか?」
私がそう答えると、聡のお姉さんは少し考え込むと
「どうぞ…」とフロアのドアを開けてくれた。
玄関前に着く。
私は深呼吸するともう一度インターホンを鳴らした。
「はい…今、開けます」
中からは病院で会った時のように清楚な服装の
女の人が出てきた。
「あの…」
「ここではなんですから中へどうぞ」
ためらう私を聡の姉はすべてを察しているかのように
私を部屋の中に招き入れた。
部屋の中はとてもきちんと整理されていていた。
私はリビングにあるテーブルに案内されると腰をおろした。
「あの…聡さんのことなんですけど…」
聡の姉は黙って私の顔を見ている。
私はこれまでのいきさつをつつみかくさずに
聡の姉に話した。
長い沈黙のあと、聡の姉はようやく口を開いた。
「…私にはどうすることもできません。」
「なんで…なんでですか?」
想像もつかない返答に私は突拍子もない声をあげた。
「聡は生まれた時から親の愛情を知らずに育ちました。
だから、愛するということも
どうやったら愛されるということも知らないんです。
ただ、自分の欲しいものは手に入れる…
それが聡のやり方です。
聡があなたを諦めるのをこのまま黙って待つか
それともあなたに愛されてそれで聡が飽きてしまうか
あなたには申し訳ないけど
それしかこの恋愛を終わらせることはできないと思います。」
「そ、そんな…。」
淡々と話す姉の言葉に私は愕然とした。