背徳者の精神 -3ページ目

思考回路

「どういうこと!」

私が怒鳴ると聡はなだめるようにして言った。

「仕方がないよ

だって、あんな風にしないとあの人帰らないでしょう?」

「………」

一体、聡の思考回路はどうなっているのだろう。

私には想像もつかないことを平然としてやってのける。

そして功輔はもう二度と私には会いにこないだろう。

この間のこと、そして今日のこと…

勘違いとはいえ、もう弁解の余地はない。


私達は居間に戻るとずっと黙っていた。

聡はマガジンラックから雑誌を取り出して見ている。

なにか言わなきゃ…

でも言葉を間違えるとまたとんでもないことになる。

本当に私はどう切り出していいかわからなかった。

…その時、先に口を開いたのは聡だった。

「ねぇ、どっか行かない?」

悪びれた様子もなく笑顔で話しかける。

「行かない」

私がそう答えると聡は「ふうん」と生返事をした。

そして少し考え込むとこう続けた。

「ちょっと行きたいところがあるんだけど」

「勝手に行けば…」

「藤田さん、冷たいなぁ~」

「早く帰ってもらえませんか?」

とにかく言葉を選んでいる暇はない。

半ばヒステリック気味に私は言った。

「もしかしてさっきのこと怒ってる?」

聡がニヤニヤした顔で私を見つめている。

「当たり前でしょ!早く帰ってください!」

私が大声で怒鳴った。

しかし聡は全く帰る気配がない。

そればかりか余裕の表情で私にこう尋ねた。

「帰らなきゃいけない理由でもあるの?」

「………」

聡を帰らせるためには何か理由が必要だろう。

それこそ「理由がない」と言ったら

いつまでここに居座るかわからない。

陰謀

開け放たれたドアの向こうに功輔が立っていた。

「亜希子に何の用?」

聡はわざと眠そうにあくびをしながら話しかけた。

功輔は下着姿の聡を見て強張った顔をしている。

そんな功輔の表情を見て

やっと私は聡の行動の意味がわかった。

だが気づくには遅すぎたのかもしれない…

私が事情を説明しようと玄関先まで駆け寄ると

聡はそれを制止し困った笑顔で功輔に言った。

「そういうことなんで…すみません。」

一瞬、戸惑う私と功輔の視線が合った。

それは今まで見た事がないとても冷たい目だった。

「…お邪魔しました。」

功輔は低い声でそう言うと私達に背を向けた。

「ちょ、ちょっと待って!功輔さん…」

私の悲痛な叫び声も虚しく聡がドアを閉める。

そして振り向きざまに私に向かってこう言った。

「あの人、勘違いしちゃったね。」

そして聡は笑いながら鍵をかけた。


そう…誰だって勘違いするだろう。

一人暮らしの女性の部屋から下着姿の男が出てきたら

それは「恋人と一夜を明かした後」だと…


不自然

その後も聡は帰る気配はなく、

私達は別々の部屋で朝を迎えた。

聡はまだソファーで眠っている。

その寝顔はストーカーとは思えないほど

とても穏やかだった。

「紙谷さん…」

私が声をかける。

聡は薄目を開けて私を見たが

もう少し寝かせてくれというような顔をして

寝返りをうち背中向きになった。

(…起きるまで待つしかないか。)

私は心の中でため息をつくと

これからどうしようかと考えていた。

聡を置いて家を出るわけにもいかない。

かといって、このまま一緒にいるのも不自然だ。

その時…部屋のチャイムが鳴った。

(誰だろう?こんな朝早くに…)

そう思いながら私はインターホンに出た。

「はい。」

「あの…この間はすみません。」

その声を聞いて私はすぐに功輔だと気づいた。

「あっ…功輔さん。ちょっと待って…」

私が玄関に向かおうとしたその時

聡が慌ててソファーから起き上がり叫んだ。

「出ないで!」

そしていきなりジーンズを脱ぐと下着姿になった。

「何するんですか?!」

私が呆気に取られている間

聡はそのままの姿で私よりも先に玄関へ向かうと

家の鍵を開けた。




対話

この機会に私は聡を拒否するばかりでなく

じっくり話を聞いてみようという気持ちになっていた。

「紙谷さん…どうして私のところにきたの?」

「う~ん、どうしてかな…気がついたらここにいた。」

熱も下がりすっきりした顔で聡が答えた。

「でも、お姉さん…心配してるんじゃない?」

「………。」

私が姉のことを口にすると急に聡の表情が強張った。

そして一言だけポツリと言った。

「…姉さんか。」

その横顔はとても冷たかった。

以前、聡本人に聞いたことがある

(複雑な家庭環境)

これ以上この話には触れないほうがいいのかもしれない。

「そういえば…もう膝の調子はいいの?」

私が話題をかえると聡の表情は元に戻った。

「…まだ、長い時間立ってるのは厳しいかな。

でも、そろそろ働きに行かないと…

会社からもいつ働きに来るんだって電話もくるしね。」

そして、また嬉しそうに話し始めた。

自分が会社にとって必要な人間だということを…。

一時間くらい話しただろうか

聡は話を聞いてもらったという満足感からか

かなり上機嫌になっていた。

切り出すなら今しかない。

窓の外はすっかり暗くなっている。

「紙谷さん…熱も下がったし

そろそろ家に帰って寝たほうがいいと思います。」

私はなるべく聡の気持ちを逆撫でしないよう帰宅を促した。

「………」

しかし、聡は無表情のまま返答しない。

また何かを考えている…そんな気がした。

「紙谷さん…?」

私が再び声をかけると突然、聡は怒り口調で遮った。

「そんなに病人を帰したいわけ?!」

「いや…そういうわけじゃないけど…」

私は慌ててその場を取り繕った。

「じゃあ、もう少ししたら帰る!」

聡は駄々っ子のようにそう言うと

ソファーに横になり毛布を被った。

(困ったなぁ…)

そう思いながらも

聡を家にいれてしまったのは自分の責任。

こういう人間だということは十分承知していた。

一晩くらいは泊める覚悟はあったように思う。

不思議な感情

しばらく私は聡の傍らにいたが

全く目を覚ます気配はない。

そっと手に触れてみる。

熱は徐々に下がってきている。

表情もさっきに比べ和らいでいるように見えた。

(よかった…)

心の中でそう呟くと

私は立ち上がりキッチンへ向かった。

(きっと、朝から何も食べていないんだろう。)

そう思ったからだ。

久しぶりに誰かのためにお粥を作った。

なんだかこうしていると本当の恋人同士みたい。

ふと、そんなことを考えて私は首を横に振った。

…違う。

聡が目を覚ましたらちゃんと帰ってもらわなければ。

聡が眠りについてから2時間が経った。

私も昨夜の仕事の疲れからか少しウトウトし

…気がつけばいつの間にか眠ってしまっていた。

目が覚めたのはどれくらい経ってからだろう。

私の体には聡に掛けたはずの毛布が掛かっている。

そして傍らには私を愛しそうに見つめる聡の姿があった。

「……おはよう。」

聡が微笑みながら私に声をかける。

私も少し寝ぼけていたのかもしれない。

いつもなら拒否するはずの聡の言葉を

素直に受け入れていた。

「少しは良くなった?」

「うん、だいぶ良くなった…ありがとう。」

「おかゆ作ったけど食べる?」

「そういえば朝から何にも食べてない…お腹減った。」

聡がくったくない笑顔で答える。

私はすぐに立ち上がると返答した。

「じゃ…今、持ってくるね。」

思えば、聡とこんな風に自然に会話をしたのは

聡が入院していた時以来だ。

今、聡は私が作ったおかゆをおいしそうに食べている。

それを見つめる私にある不思議な感情が沸いていた。

例えるなら「弟に対する愛情」とでもいうのだろうか…

高熱

私は躊躇いながらも思い切ってドアを開けた。

「ちょっと!大丈夫なの…?」

聡は薄目を開け

そして今にも泣き出しそうな顔で私を見上げた。

それはまるで捨てられた子犬のようだった。

「とりあえず中に入ったら…」

私は聡の手を掴んで立ち上がらせた。

確かに風邪を引いたのは嘘ではないようだ。

手は熱っぽく顔面は紅潮している。

私は聡を部屋に入れるとすぐに体温計を渡した。

聡は無言でそれを受け取り熱を測り始める。

…ピピピ

手渡された体温計は38・8℃を表示していた。

とりあえず私は聡に市販の解熱剤を飲ませると

そのままソファーに寝かせ毛布を掛けた。

「もう少ししたら熱も下がって楽になると思う」

私がそう話しかけると

聡は黙って頷き毛布にくるまって目を閉じた。

とりあえず私は安堵した。

なんでこんなことしてるんだろうと思いながら…

最大の過ち

電話を一方的に切られた後

私はどうしていいかわからなかった。

もうチャイムの音も聞こえない。

諦めて帰ったのだろうか?

それとも…

嫌な予感はまだ続いていた。

私は静かに玄関まで歩いて行くと

ドアの覗き穴から外の様子を伺った。

「!!!」

私は声も出せず驚いた。

そこに見えたのは力なく投げ出された聡の足だった。

聡は玄関のドアにもたれかかったまま

たぶん…眠っているか倒れている。

私はどうしようかと悩んだ。

相手はストーカー

今まで酷いことばかりされてきた。

放っておこう…

いや、今は病人だ。

そのままにしておくことはできない…

焦る気持ちの前に私はふたつの選択しか思いつかなかった。

そして、私は「後者」を選んでしまった。

これが私の最大の過ちだったように思う。

だって…

これからストーカーとの同棲生活が始まるのだから。

疎まれる存在

(肉親が病気で苦しんでいるのだから

今度こそ無視するわけにはいかないだろう。)

私はそう考えるとカバンの中から

聡の姉の電話番号を書いたメモを取り出し

急いで電話した。

長い呼び出し音の後、ようやく聡の姉が電話に出た。

「もしもし…藤田と申しますが…」

「はい」

相変わらず落ち着いた様子で姉が返答する。

「今、聡さんが体の調子が悪いって言って

家の前まで来てるんですけど…

…迎えにきてもらえませんか?」

「………」

突拍子もないことに驚いたのだろうか?

聡の姉はしばらく考え込んでいる様子だった。

「もしもし?」

私が声をかける。

しばらくの沈黙の後、姉は静かにこう切り出した。

「迎えには行けません。

聡は私のところに来るよりもあなたを選んだんです。

「そ、そんな…」

呆気にとられて今度は私が返答に困った。

「用件はそれだけですか?」

「はい…でも…私も困るんです。」

姉は話を早く終わらせたいのだろう。

私が返答を考えているうちに電話は切れた。

この弟にしてこの姉あり…

聡の存在は姉からも疎まれているのだろうか?

蘇る悪夢

聡は知っていたのだろうか?

あの夜、功輔の車があったことに…

だから私と手を繋いだのだろう。

そう考えれば納得がいく。

深夜勤務の間、私は勝手にそう解釈していた。

…でも、それで何かが変わる訳もない。

事態は益々、悪化している。

朝になり、何事もなく仕事が終わった。

思えば一晩中、聡のことばかり考えていた。

そして、これからも考え続けるのだろうか?

…この悪夢が覚めるまで


疲れた体を引きずりながら家に辿りつく。

家の中は静まりかえり、昨夜あったことも夢のようだ。

私は疲れた体をベットに横たえるとすぐに深い眠りについた。

どれくらい経っただろう…またチャイムの鳴る音で目が覚めた。

嫌な予感はいつも的中する。

だが、それを無視するわけにはいかない。

また昨日と同じことを繰り返す訳にはいかないのだ。

私は毅然とした態度でインターホンに出た。

「はい…」

「藤田さん…」

いつもと違う、弱々しい聡の声が聞こえてきた。

「風邪引いて…具合悪い…」

(こんな奴でも風邪なんてひくんだろうか?

いや、新しい作戦かもしれない…注意しなければ)

私はインターホン越しに聡に話しかけた。

「早く病院に行ったほうがいいんじゃない?」

「でも俺…今、保険証とか持ってないんだよね。」

「保険証なんて後からでもいいでしょ?

とにかく私のところに来ても何も出来ないから…」

冷たくそう言い放ち私はインターホンを切った。

それでも何度も何度もチャイムは鳴り続ける。

どうにかしなくては…

警察を呼んだほうがいいのか?

いや、警察なんてあてにならない。

しばらく考えて…私はあることを思いついた。

(そうだ!聡のお姉さんに連絡すればいい。)

見離された

ためらいながらも私は功輔へ電話をした。

「もしもし…」

眠たそうな声で功輔が電話にでる。

(私がこんな目に遭っているというのに!?)

内心そう思った…

しかし感情を押し殺しながらも私は電話を続けた。

「あの…」

「どうかしたの?」

あまりにも緊張感のない功輔の返答に

私は今まで抑えていた怒りが込み上げてくるのを感じた。

責めないつもりではいたがどうしようもなかった。

「功輔さん!なんで待っていてくれなかったんですか!」

「???」

「功輔さんが助けてくれるのずっと待っていたのに…」

私がそう言うとふたりの間に長い沈黙が流れた。

功輔が先に重い口を開く。

だが、それは謝罪の言葉ではなく

私が全く予想しえなかった言葉だった。

「もういい加減、僕を振り回すのはやめて下さい!

家に行ってもあなたは出てこない!

インターホンには恋人だっていう男の人がでるし

それでも僕はずっと車で待っていた。

でも、あなたは出てこない…やっと出てきたと思ったら、

さっきの男の人が亜希子は会いたくないって言うから

申し訳ないけど帰ってほしいと頼まれたんだ!」

憤慨し荒々しい口調で功輔は一気にまくしたてた。

「そんなの嘘よ!嘘に決まってるじゃない!」

私も功輔の言葉に負けじとそれを否定した。

しかし功輔はそれでも言葉を続けた。

「………だったら!?

あんな風に男と手を繋いでコンビニまで行く?」

「!!!」

「亜希子さんのこと心配だったから

あの後、もう一度家の前まで行ってみたんだ…

そしたら仲良く手を繋いであなたは歩いていた。

僕に見せ付けたいなら…もうそんなのはごめんだ!」

「………」

頭の中が混乱する。

なんと言って説明してよいかわからなかった。

そして電話は切れた。

私が功輔に何も言えないままで…。


功輔は見ていた。

私に声をかけることも出来ずにその光景を…。

帰ってしまったのは聡に言われたせい。

そんなことにも気づかないなんて…

私は言葉を失い頭の中が真っ白だった。

でもこれだけはわかっていた。

信用し頼りにしていた人からも最後の最後に見離された…と。