冷戦時代から現在まで続く「平和不在」の病理の克服を
環境学者のエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー氏と(2010年3月、創価大学で)。ローマクラブの共同会長を務めた氏との対談集『地球革命への挑戦』では、環境問題をはじめ、氏の父君の信念の行動が話題となった
戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」発表60周年を記念し、横浜で行われた青年不戦サミット。世界五大陸から集った青年たちが、「核兵器のない世界」の建設を誓い合った(2017年9月、神奈川文化会館で)
生存の権利を守る信念に立脚した戸田会長の「原水爆禁止宣言」
私たち人間には、いかなる困難も乗り越えることができる連帯の力が具わっています。
不可能と言われ続けてきた核兵器禁止条約も2年前に採択が実現し、発効に向けて各国の批准が進んでいます。
闇が深ければ深いほど暁は近いと、眼前にある危機を“新しき歴史創造のチャンス”と受け止めながら、今こそ軍縮の潮流を大きくつくり出していくべきではないでしょうか。
そこで今回は、21世紀の世界の基軸に軍縮を据えるための足場について、①「平和な社会のビジョン」の共有、②「人間中心の多国間主義」の推進、③「青年による関与」の主流化、の三つの角度から論じてみたい。
核軍拡競争が再燃する恐れ
第一の足場として提起したいのは、「平和な社会のビジョン」の共有です。
世界では今、多くの分野にわたって兵器の脅威が増しています。
小型武器をはじめ、戦車やミサイルなどの通常兵器の輸出入を規制する武器貿易条約が2014年に発効しましたが、主要輸出国の参加が進まず、紛争地域で武器の蔓延を食い止められない状態が続いています。
化学兵器のような非人道的な兵器が、再び使用される事態も起きました。
また兵器の近代化に伴って、深刻な問題が生じています。武装したドローン(無人航空機)による攻撃が行われる中、市民を巻き込む被害が広がり、国際人道法の遵守を危ぶむ声があがっているのです。
核兵器を巡る緊張も高まっています。
昨年10月、アメリカのトランプ大統領は、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約=注1=から離脱する方針を発表しました。
両国の間で条約の遵守に関する対立が続いてきましたが、今後、条約が破棄されることになれば、他の保有国を含めた核軍拡競争が再燃する恐れがあります。
まさにグテーレス事務総長が「軍縮アジェンダ」の序文で述べていた、「冷戦時代の緊張状態が、より複雑さを増した世界に再び出現している」(「軍縮アジェンダ・私たちの共通の未来を守る」、「世界」2018年11月号所収、岩波書店)との警鐘が、強く胸に迫ってきてなりません。
なぜ、このような事態が21世紀の世界で繰り返されようとしているのか――。
この問題を前にして思い起こされるのは、著名な物理学者で卓越した哲学者でもあったカール・フォン・ヴァイツゼッカー博士が、かつて述べていた慧眼の言葉です。
博士は、私が友誼を結んできたエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー氏(ローマクラブ名誉共同会長)の父君で、世界平和のための行動を貫いた尊い生涯については対談集でも語り合ったところです。
その博士が冷戦の終結後に、“ベルリンの壁”が崩壊した1989年からドイツの統一が実現した90年までの世界の動きを振り返って、こんな言葉を述べていました(『自由の条件とは何か 1989~1990』小杉尅次・新垣誠正訳、ミネルヴァ書房)。
「世界情勢はこの一年間全体としてはほんのわずかしか変化を経験しなかった」
もちろん、東西に分断されたドイツで人生の大半を過ごしてきた博士自身、冷戦の終結を巡る一連の動きが、歴史的な一大事件に他ならなかったことを何度も強調していました。
そのことを承知の上で博士には、ソクラテスの産婆術=注2=にも通じるような言葉の投げ掛けによって伝えたいメッセージがあったのではないでしょうか。
当時の政治・軍事状況を踏まえて、博士は次のように述べていました。
「制度化された戦争の克服は、残念ながら現況ではまだ精神の根源的変革の域に達していません」
つまり、異なる集団の間で覇権を巡って戦闘が繰り広げられる「制度化された戦争」の克服という根本課題は、冷戦の終結をもってしても、確たる展望を開くことができないままとなっている、と。
そして、こう警告を発していたのです。
「二〇世紀最後半の現時点においても停止することなき軍拡競争の結果、新種の武器開発が行なわれ、それがさらに戦争を勃発させる事態へ連動していく可能性と危険性すら存在する」
今の世界にも当てはまる警告であり、博士の洞察の深さを感じずにはいられません。平和と軍縮の問題は、冷戦時代から現在に至るまで“地続き”となっており、アポリア(難題)として積み残されたままであることが浮き彫りとなるからです。
それでも、希望の曙光はあります。軍縮の分野で、国際政治や安全保障に基づく議論だけでなく、人道的な観点からの問題提起が行われるようになり、対人地雷、クラスター爆弾、そして核兵器と、非人道的な兵器を禁止する条約が一つまた一つと制定されてきているからです。
国際人道法の形成にみられる歴史の大きな流れとしての人道的アプローチを追い風としながら、軍縮を大きく前進させるための共同作業を、すべての国が協力して開始していかねばなりません。
ヴァイツゼッカー博士の重要な考察
そこで、一つの手がかりとして言及したいのが、ヴァイツゼッカー博士が、軍縮を阻んできた背景にあるものを、「平和不在」という名の病理として掘り下げていた考察です(『心の病としての平和不在』遠山義孝訳、南雲堂)。
私が着目したのは、博士が平和を巡る問題を“病気”に譬えることで、いずれの国にも、また、どんな人にも決して無縁な課題ではないとの前提に立っていた点です。
その考えの基底には、人間は善と悪に分けられるような存在ではなく、「確定されていない生き物」であるとの認識がありました。
ゆえに、「ひとは平和不在を外側から、愚かさとも悪ともみなしてはいけない」のであって、「病気の現象だけを、目の前に置かねばならない」と強調したのです。
また博士は、「平和不在は教化によっても、罰することによっても克服できない。それは治療と呼ぶべき別のプロセスを必要とする」と指摘し、こう呼び掛けていました。「わたしたちが、病気の症状をわたしたち自身のうちに認識しない限り、また他の人達とわたしたち自身を病人として受け入れることを習わない限り、いかにしてわたしたちは病人を助けることができましょうか」と。
そうした博士であればこそ、アメリカとソ連に続いてイギリスが核開発競争に踏み出していた時代に、次のような問題意識を提示していたのではないかと思います。
博士が中心になって起草し、他の学者たちとの連名で57年に発表した「ゲッティンゲン宣言」には、こう記されています。
「自国を守る最善の方法、そして世界平和を促進する最短の道は、明確かつ自発的に、いかなる種類の核兵器の保有も放棄することであるとわれわれは信ずる」(マルティン・ヴァイン『ヴァイツゼッカー家』鈴木直・山本尤・鈴木洋子訳、平凡社)
この言葉は、核開発競争を続ける保有国に向けられたものというよりも、まずもって、“自分の国が核問題にどう臨むべきか”との一点に焦点を当てたものでした。
また、科学者として自分たちの仕事がもたらす結果に対する責任を負うがゆえに、すべての政治問題に対して沈黙することができないと宣言したのです。
三車火宅の譬え
一方、この「ゲッティンゲン宣言」と同じ年に、仏法者としての信念に基づいて「原水爆禁止宣言」を発表したのが、私の師である戸田第2代会長でした。
戸田会長は、当時高まっていた核実験禁止運動の重要性を踏まえつつも、問題の根本的な解決には、核兵器を正当化する安全保障の根にある思想を断ち切る以外にないとして、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)と訴えました。
世界の民衆の生存の権利を守るとの一点に立脚して、その権利を脅かすことは誰であろうと許されないと訴え、国家の安全保障という高みに置かれていた核兵器の問題を、すべての人間に深く関わる“生命尊厳”の地平に引き戻すことに、「原水爆禁止宣言」の眼目はあったのです。
私が核廃絶の運動に取り組む中で、「核時代に終止符を打つために戦うべき相手は、核兵器でも保有国でも核開発国でもありません。真に対決し克服すべきは、自己の欲望のためには相手の殲滅も辞さないという『核兵器を容認する思想』です」と訴えてきたのも、その師の信念を継いだものに他なりません。
思い返せば、「原水爆禁止宣言」の発表から1年が経った時(58年9月)、私は戸田会長の師子吼を反芻しながら、「火宅を出ずる道」と題する一文を綴ったことがあります。
火宅とは、法華経の「三車火宅の譬え」から用いた言葉で、そこには、こんな話が説かれています。
ある長者の家が、突然、火事に見舞われた。しかし屋敷が広大なこともあり、子どもたちは一向に危険に気づかず、驚きも恐れもしていない。そこで長者は、「外に出よう」という気持ちを子どもたちが自ら起こせるように働きかけて、全員を火宅から無事に救出することができた――という話です。
私は、その説話に触れた一文の中で、「原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」と強調しました。核兵器はまさに、すべての国の人々に深く関わる脅威であり、その未曽有の脅威に覆われた“火宅”から抜け出す道を共に進まねばならないとの思いを込めて、その言葉を綴ったのです。
この説話が象徴するように、何よりも重要なのは、すべての人々を救うことにあります。
その意味で、グテーレス事務総長が主導した「軍縮アジェンダ」で、長らく論議の中核を占めてきた“安全を守る”という観点だけでなく、「人類を救うための軍縮」「命を救う軍縮」「将来の世代のための軍縮」との三つの立脚点が新たに打ち出されたことに、深く共感するものです。
(2019年1月26日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より