希望という名の翼
  • 17Jun
    • たどりついたらいつも雨ふり

       いつもね いつもそうなんだよ。 ここかな♪ と腰をおろすと そうぢゃないんだ。 べつに それはそれでいいんだ。 僕たち“生命”は はじまりもなく おわりもない 無始無終の旅人だから。 過去のことを思うと 未練になる。 未来のことを思うと 不安になる。 それで、今を思うと 無気力になるのかも。 思いはまるで“雲” 現場は“大地” 現状は“大河”か。 そして、 そこに生きる“ぼくたち” 世界最高峰の哲学を学びながらして 哲学がわからない―― なんて言ったら 師匠が悲しむだろうけど。 頭ぢゃあ あんまり わからない。 うまく言えないけど… “ここ(胸)”では わかってんだよ。 わかってるけど 行動が伴わない。 新しい夢を見つけた。 その瞬間に v(^-^)v ワクッワクッ したよ♪ だけど すぐに 臆病風が吹き荒れた。 自分自身を信じること それすらできない 「信」の弱さを知った そんな自分が 他人を信じることができるだろうか? うまくいっている時は 「信じてる」と言う事は易く 苦境に立たされると あっという間に 「不信・疑い」に染まるわが心如何! 師の声が 叫びが聞こえる 『胸を張って 北風に進むのだ』 『人生を 喜びで生き 喜びで去っていくのだ』 (『詩集 人生の旅』 池田大作 聖教新聞社)より ――と。 “たどり着いたらいつも雨降り” の人生だからこそ いつだって 汗も、泪も また、泥んこになっても その場で洗い流していける! 悔しさや、苦しみも そして悩みもすべて 雨の如く 自身の「地」を固め 自身の根は その下で、深く広く 伸ばしていける。 枝葉は 大きく開いてゆくのだ。 だから 嘆きなんて 本来、人生にはいらないんだ。 楽しんでいくことがふつうなんだよ。 「たどり着いたらいつも雨降り」 は、『即』 「今から豊作」 『苦悩』の時、日々、年月は 絶対に『不幸』ではない。 自身を“成長”させてくれる「時」だからだ。 苦悩に支配され 「諦め」た時に 不幸になるんだ。 『苦悩』の時間という “雨の日”のなかですら お題目を唱え 命を 自行化他、広宣流布に尽くす。  僕は、そうありたい。  

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  • 10Jun
    • 玲乃愛ちゃん「滋賀YMCAインターナショナル・チャリティー・ラン」に参加

      玲乃愛 (れのあ)ちゃん、2年前の取材で「マラソン大会に参加して、自分の足で歩いてゴールする」を『 実証 (じっしょう)で 示 (しめ)す!』 6月3日の日曜日。玲乃愛ちゃんが、YMCA 主催 (しゅさい)のマラソン大会に参加しました。 お天気にも恵まれて、最高のマラソン 日和 (びより)となりました。 と、いかにも私も参加したかのごとくですが(汗)、玲乃愛ちゃんのお母さん、 敦子 (あつこ)さんからのお 便 (たよ)りで知りました(笑い)。それで、その感動と喜びと希望を、皆様にもお届けすることができたらなあ、と思います。 敦子さんからのお便りには、次のようにありました。『2年前の取材で「マラソン大会に参加して、自分の足で歩いてゴールする」今回、実証することが出来ましたpasの「N」さんが、 多忙 (たぼう)の中を参加して下さいました私達は、ゴール手前5、6歩いてゴールするだけで良い!実証を示せれば良い!と思っていたんですすると、「N」さんが「50m歩ける!」と主人も私も、心の中で「イャー それは無理でしょ」と想っていたのですが、「N」さんにお任せする事にしましたすると「N」さんのサポートで、最高の笑顔で堂々と幸せそうに歩く!歩く!50mをしっかり最後まで歩いてゴールしました ! 感動、感謝で一杯になりました「N」さんが「レノアちゃんが、歩きたいと想っていのが分かったから、私は 隣 (となり)にいただけ」と素晴らしい 信頼 (しんらい) 関係 (かんけい)でもあり、 師弟 (してい)の関係 慈愛 (じあい)の心で見守って下さり、力を与えて下さるのです素晴らしい体験をさせて頂きました』 この、『2年前の取材で「マラソン大会に参加して、自分の足で歩いてゴールする」』というのは、ここをクリック→「 一滴 (いってき)の 向 (む)こう 側 (がわ)「人生を変える 魔法 (まほう)のイス」(第1話)」してみてください。 今回は、海外ではなかったけど、場所はどこであれ、「少しでも自分の足で歩けること」という「 夢 (ゆめ)」「 目標 (もくひょう)」「 念願 (ねんがん)」、 叶 (かな)いましたね! 「海外」については、なんでも 簡単 (かんたん)に叶っちゃったら、人生はつまらないし面白くない。海外は、次の目標に取っておけば、 張 (は)り合いがあるし、楽しみだよね♪ てことで、お父さん・お母さん♪ 海外に向けてしっかり 働 (はたら)いて 稼 (かせ)いでね(笑い)! (≧▽≦)玲乃愛ちゃん! なんだか 「v(^-^)v ワクッワクッ♡」 してきませんかあ♪ ← (TVドラマ【崖 (がけ)っぷちホテル】「 宇海 (うかい) 直哉 (なおや)」 風(ふう)) 私もなんだか 「v(^-^)v ワクッワクッ♡」 してきましたよ~♪ その時は、私も着いていっちゃおっかなあ \(^o^)/ アハハ ともあれ、5~6歩どころか、50メートルですよ♪ 50メートル♪ 歩幅 (ほはば)に関して、ちょこちょこっと調べてみたら、簡単な方法で、身長(cm)から「100cm」を引くというのがありました。 もっとこだわりたいかたは、「オムロン株式会社」のHP (http://www.faq.healthcare.omron.co.jp/faq/show/4195?site_domain=jp)から学んでください。 ちなみに玲乃愛ちゃんの身長は、130cmくらいとのこと。 例えば、あくまでも例えばです。さきほどの、『身長(cm)から「100cm」を引く』というので計算すると、一歩 辺 (あた)り約30cmということになります。 ご両親の言う「5~6歩」であれば、「150cm~180cm」歩ければ、ということになりますが、実際には「50メートル」も歩いたんです。約27倍以上(166歩)の距離(歩数)を歩いたということになります。 どんだけ~\(^o^)/ 玲乃愛ちゃんが、実際に歩いている動画がこれ↓です。 こんなにも胸を「キュンキュン」とさせてくれる玲乃愛ちゃん。 “歩く練習”すら「絶対に無理だ」と言われてきた“一歩”は、重度障害を持つ方にとって、ご家族の方にとって、“希望”の「一歩」です。そして“逆転!”の「一歩」です♪ また、“革命”の「一歩」ではないでしょうか。 その“一歩”は、今や! です♪ お父さん。お母さん。親孝行のお子さんを持って、本当に幸せですね♪ たしかに、日々の暮らしはいろいろと大変かもしれません。 いいことばかりなら言うこともありませんが、むしろ、苦悩の方が多いのが現実ではないでしょうか。 聖教新聞で連載中の、創価学会池田名誉会長の、小説『新・人間革命』には、次のようにありました。 『人生は、宿命との容赦ようしゃなき闘争とうそうといえる。 愛あいする人を失うしなうこともあれば、自みずからが病やまいに倒たおれることもある。あるいは、家庭の不ふ和わ、子どもの非ひ行こう、失業しつぎょう、倒産とうさん、生せい活かつ苦く……。これでもか、これでもかというほど、怒ど濤とうのごとく、苦く難なんは襲おそいかかってくる。だからこそ、信心しんじんなのだ。自みずからを強くするのだ。信心で乗り越こえられぬ宿命など、断だんじてない。 苦難に負けず、労ろう苦くを重ねた分だけ、心は鍛きたえられ、強く、深くなり、どんな試し練れんをも乗り越えていける力ちからが培つちかわれていく。さらに、人の苦しみ、悲かなしみがわかり、悩なやめる人と共感きょうかん、同苦し、心から励はげましていくことができる、大きな境涯きょうがいの自分になれる。 また、苦難に挫くじけることなく、敢然かんぜんと戦い進む、その生き方自体が、仏法ぶっぽうの偉い大だいなる力ちからの証明しょうめいとなっていく。つまり、広宣流布に生き抜く時、宿命は、そのまま自身の尊とうとき使命となり、苦く悩のうは心の財宝ざいほうとなるのだ』 (2018年5月22日 聖教新聞 小説『新・人間革命』 誓願 48)より と。 信心していようといまいと、 『人生は、宿命との容赦なき闘争といえる。 愛する人を失うこともあれば、自らが病に倒れることもある。あるいは、家庭の不和、子どもの非行、失業、倒産、生活苦……。これでもか、これでもかというほど、怒濤のごとく、苦難は襲いかかってくる』ものです。 誰人も逃れられません。しかし、“乗り越えていける”というところがポイントです。 玲乃愛ちゃんを含め家族全員が、まさに、この 指導 (しどう)の 如 (ごとく)くの実践を今日までされてきての、この 度 (たび)の古池ファミリーの幸福があると感じられてやまないのです。 というのも、たとえば、全く同じ 環境 (かんきょう)・ 状況 (じょうきょう)の人がいたとしましょう。 片方では、その環境・状況をバネにし、または、捉え返して、最後の最後まで諦めずに“ 執念 (しゅうねん)”を持って「今に見よ!」、「この度のことには、絶対に深い意味があるに違いない!」と立ち向かっていく人。 と、それとは逆に、環境・状況のせいにして、諦めてしまい、流されてしまう人…。 無念は、どちらにあるでしょうか。 私は、最後の最後まで、諦めずに“執念”を持って戦い抜いた人に 尊 (とうと)さを感じますし 敬意 (けいい)を表します。  仏法 (ぶっぽう)は、なかんづく、 創価学会 (そうかがっかい)の 日蓮大聖人 (にちれんだいしょうにん)仏法は、「生きて生きて、生き抜くための“仏法”」です。 夢や希望を持ち、それを祈りの中で 念 (ねん)じ、そしてそうなるため、叶えるために必死で努力して結果を出す。これが、本来の生き方なんです。  魔法 (まほう)のように「ちちんぷいぷい」で「パッ!」と、 結果 (けっか)が出るものとは違います。それでは、人間は 堕落 (だらく)してしまいますね。 それでは「 有 (あ)り 難 (がた)い」ではなく「有り 易 (やす)い」になってしまいます(笑い)。 ともあれ、この小説『新・人間革命』を、ご両親だけではなく、お子さんたち、 就中 (なかんづく)、玲乃愛ちゃんも今日まで 拝読 (はいどく)し、学び、そして実践してこられているからこそ、 苦難 (くなん)にも負けず、 労苦 (ろうく)を重ねた分だけ、心は 鍛 (きた)えられ、強く、深くなり、どんな試練をも乗り越えていける力がる 培 (つちか)われ、さらに、人の苦しみ、悲しみがわかり、悩める人と共感、同苦し、心から励ましていくことができる、大きな 境涯 (きょうがい)の自分に成長したのだと思います。 また、聖教新聞には、こうありました。 『世界各国で新たな世代への弘教・拡大が進んでいる。イギリスでは今春、青年フェスティバルに3都市で6000人が集つどった。「若い人たちはSGIのどんな点に魅み力りょくを感じているのでしょうか?」との問いに、同国の友が「師し匠しょうを持てることです」と語っていたのが印象的だった▼今、イギリスでは社会に希望を失うしない、無む力りょく感かんに陥おちいる青年が増えているという。その背景には若じゃく年ねん層そうの失業率の高さ、多た発はつする暴力事件、経済至し上じょう主義に伴ともなう倫りん理りの低下などの問題がある▼先の友は「こういう時代だからこそ、若者は“倫理的な手本”“人生の模も範はん”となる人物を求めています。池田先生は、まさにそうした存在なのです」と。仏法哲てつ理りへの共感とともに、「師匠」という人生の模範を持てることが、SGIの大きな魅力となっているのだ▼「師匠」と聞くと、日常生活と離はなれた特別な世界の話と思うかもしれない。しかし人間にとって、目指すべき道を示してくれる存在は重要である。確かな指し標ひょうがあってこそ人間は成長できるからだ▼「若い世代に模範の生き方を示し、平和の精神を伝えることができる池田SGI会長は、今の世界にとって最もっとも大切な人物」とドイツの識者しきしゃ。師匠を持つ人生が、どれほど貴重で崇高すうこうか。その誇りを忘れまい』 (2018年6月8日 聖教新聞 「名字の言」)より と。 玲乃愛ちゃん家族も、人生の“師匠”を持ち、そして生活していく上において、それぞれの専門分野での 諸天 (しょてん) 善神 (ぜんじん)ともいうべく、師匠を「 指筆談 (ゆびひつだん)」や「 pas (ピーエーエス)」にも持っています。本当に素晴らしいですね♪ 表彰台 (ひょうしょうだい)に 満面 (まんめん)の 笑 (え)みで立つ玲乃愛ちゃん。オリンピック 選手 (せんしゅ)みたいに金メダルを 噛 (か)んで~と、せがむお母さん(笑い)。それに応える「今日の 主役 (しゅやく)」玲乃愛ちゃん

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  • 04Jun
    • 〈社説〉 本部幹部会をリズムに前進

      広宣流布の主体者と立ち上がれ 各地で、方面総会を兼かねた本部幹部会(本幹)が開催されている。昨年末の中部をはじめ、本年に入り、関西、北海道、信越、そして今月の関東――方面歌の合唱や記念映像など、地域性を生かした新鮮な内容が全国に喜びの波動を広げている。 それぞれの開催地では総会を拡大の決勝点と定さだめ、郷土の広布史や師弟の絆きずなをあらためて確認。目標を明確にして挑戦を開始することで、最前線の地区、ブロックから題目の渦うずが巻き起こり、いずれの方面も爆発的な勝利の金きん字じ塔とうを打ち立てている。 方面のリーダーは口くち々ぐちに語る。「池田先生をわが地域にお迎むかえする思いで同志と団結し、励まし合い、全力で戦う中で不可能の壁かべを破やぶる拡大の結果を示すことができました」 さらに、世界各国・地域からSGIの代表メンバーが集うことも本幹の伝統である。併あわせて開催地の地元メンバーとの交流交歓こうかん会も活発かっぱつに行われてきた。 求道心あふれる海外の友を迎える日本のメンバーの決意も固い。「先生の思いを胸むねに、心を尽くしてSGIの同志をお迎えしよう」「拡大の結果をもって、海外の皆さんに広布の息い吹ぶきを伝えていくのだ」と。 どこまでも師匠の側がわ、つまり友を励ます側に立つ。そこから世界広布の主体者の自じ覚かくが生まれる。本幹を契けい機きにした交流が、次代を担う人材育成の場にもなっているといえよう。 振ふり返れば2010年6月の本幹の前ぜん夜や、池田先生から次のように指導があった。 「明日の本部幹部会については、弟子の君たちが、団結して、しっかりやりなさい。皆が、創価学会のすべての責任を担になって戦う時が来ているのである」「私を頼たよるのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である」 先生が、「弟子が団結をする」「弟子が全責任を担う」「弟子が師匠に頼らない」との根本姿勢を示されてから、今月で8年。各地の友は今、本幹と共に、本門の弟子の自覚で立ち上がっている。 「勝利のリズムをつくりゆく回転かいてん軸じく」――かつて、池田先生は本幹をそう表現した。この指し針しんの通りに、我らは永遠えいえんに進む。 今週末も全国各地で、本幹の中継行事が開催される。声を掛かけ合い、多くの同志と参加していきたい。師の元もとに喜き々きとして集い、師の元からさらなる勝利へ、心一つに出発する。この師弟のリズムから、先生が待望たいぼうする世界平和の希望の大だい潮流ちょうりゅうが生まれていくのだ。 (2018年6月4日付 聖教新聞)より

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    • 〈社説〉 第九の日本初演100年

      平和の未来へ交流広げる歌声 「すぐれているといわれるのは、よりいっそう善良な人間として数えられる、ということ以外には認めません」(小松雄一郎訳『ベートーヴェン書簡集』岩波書店)とベートーベンは記しるした。 今年は日本における“第九”初演から100年。第1次世界大戦のさなかの1918年6月1日、中国で捕ほ虜りょとなったドイツ人が、徳島県鳴なる門と市(当時・板東ばんどう町)の板東俘ふ虜りょ収容所でベートーベンの「交響曲第9番」を全曲演奏した。その歴史は善良な人々が織おり成す文化の交流で彩いろどられていた。 収容所の松江豊寿とよひさ所長は「捕虜に甘い」との非ひ難なんに屈くっせず、思いやりと信頼で捕虜に接せっした。「世界のどこに、バンドーのような収容所があったろうか。世界のどこに、松江大佐のような収容所長がいたろうか」(田村一郎著『板東俘虜収容所の全貌』朔北社)とはシベリアでも捕虜生活を送ったドイツ人の述じゅっ懐かい。収容所周辺の土地を借り、サッカー場やテニスコート、菜園さいえんを造った。遠足や登山、「足を洗う」との名目で海水浴まで許ゆるした。 一方、捕虜のドイツ人も近隣きんりん住民と交流し、生活向上のための技術を教えた。地元の人たちは親しみを込めて「ドイツさん」と呼んだ。敵国同士にもかかわらず“全ての人々は兄弟になる”との第九の理念を現出したからこそ、平和を願う第九の演奏が実現したといえよう。 ドイツとの交流は今も続く。鳴門市では37回目となる第九の演奏会が昨日と今日開催。収容所で暮くらしたドイツ人の子孫も合唱で初参加するという。 第九の「歓喜の歌」は世界でも人類融合ゆうごうの象徴しょうちょうとなっている。欧州連合(EU)では、「欧州統合の父」クーデンホーフ=カレルギー伯爵はくしゃくの提唱を踏ふまえ、「欧州の歌」として採用された。 創価学会もまた、民族や国境を超え、平和と人間尊重の思想を、第九の演奏や「歓喜の歌」の歌声と共に広げてきた。 だが宗門は違った。現在、連載れんさいが進む『新・人間革命』「誓願」の章で記されたように、宗門は90年12月、“ドイツ語で「歓喜の歌」を歌うのは「外げ道どう礼賛らいさん」で謗法ほうぼうだ”との愚ぐ劣れつな理由で学会を攻撃こうげき。しかし、その後の学会の世界的発展が、仏法の人間主義の普ふ遍へん性・世界性を証明した。一方、衰退すいたいする宗門は、差別主義と前時代的な偏へん狭きょうさを露ろ呈ていしている。 池田先生はベートーベンについて「この大音楽家の一念は、学会精神に通じよう」とつづった。友の笑顔輝く未来のため、人間革命と広布に生きる喜びを高らかに歌い、前進しよう。 (2018年6月3日付 聖教新聞)より

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  • 02Jun
    • 第39回「全国人間教育実践報告大会」への池田先生のメッセージ

      大会では小学校教諭でソプラノ歌手の宮碕正枝さん、ピアニストの松井静江さんがイタリア民謡「サンタルチア」などを披露若き生命を支え育てる心の「ふるさと」の存在に 天てんも光ひかり、地も光り、人の心も輝かがやき光る、大好きな岐阜で、全国人間教育実践報告大会の開催、誠まことにおめでとうございます! 尊とうとき労ろう苦くの結晶けっしょうたる実践記録を発表される先生方がた、また役員の先生方の献身けんしんも本当にありがとうございます。 私が初はじめて岐阜を訪おとずれてより65星霜せいそうになります。以来、20回に及およぶ訪問では、いつも温あたたかく誠実せいじつな友人たちの笑顔と、その心を映うつす美しい花々が迎むかえてくれました。とりわけ、1972年の春と翌よく73年の初しょ夏か、岐阜県民体育館(当時)での会合の折おりに、県花のレンゲ草そうと、季節の花のアジサイが会場を彩いろどってくれた光景こうけいは、鮮あざやかに蘇よみがえります。 実じつは、この72年と73年は、私が大歴史学者トインビー博士と2年越ごしの対談を重かさねていた時でありました。博士と21世紀の教育を展望てんぼうしつつ、「自然と共存きょうそんしながら、人間相そう互ごの信頼しんらい関係を築きずいていくこと」、また「郷土愛きょうどあいを土台として世界全体を『わが祖そ国こく』とする人類愛、世界愛を広げていくこと」等についても深く一いっ致ちを見たのです。 翻ひるがえって、岐阜の教育界で掲かかげられているビジョンには、目め指ざすべき人間像ぞうとして、「高い志こころざしとグローバルな視し野やをもって夢ゆめに挑戦ちょうせんし」「地域社会の一員として考え行動できる『地域社会人』」であると高らかに謳うたわれています。「地域社会人」とは、何なんと素す晴ばらしい表現でしょうか。トインビー博士も理想とした人材像が、ここには凝縮ぎょうしゅくされております。 それは、わが創価教育の父・牧口常三郎先生が提唱ていしょうした、郷土に根ねを張はりつつ、グローバルな視し点てんを併あわせ持って、地域社会と地球社会に貢献しゆく「世界市民教育」とも響ひびき合います。牧口先生は、日本の偏へん狭きょうな軍国主義教育の暴走ぼうそうに対たい峙じし、「子どもたちの幸福」を最大の目的に掲げ、一人一人の価か値ち創造そうぞうの力ちからを引き出すことに主眼しゅがんを置いたのです。 この「地域社会人」即そく「世界市民」と育ちゆく若き生命には、心の支ささえとなり、常つねに立ち返ることのできる、かけがえのない「ふるさと」の存在があると、私は思ってきた一人です。それこそ、忘わすれ得えぬ学校や地域の先生方との出会いではないでしょうか。 岐阜ゆかりの文豪ぶんごう・島崎藤村とうそん翁おうも、「青年時代に受けた感かん化かや影響えいきょうには、殆ほとんど、人の一生を支し配はいする力がある」と語り、「よい教師に対するほがらかな心持こころもちは永ながい事こと忘れられません」と追憶ついおくしておりました(『藤村全集第9巻』筑摩書房、現代表記に改めた)。今日きょうの実践記録に象徴しょうちょうされるように、まさしく、よき教育者こそ若人わこうどの命に刻きざまれ、永遠に慕したわれ、感謝されゆく「ふるさと」なのであります。 岐阜の県花レンゲ草の花言葉は、「私は幸福」「あなたは幸福」といわれます。教育こそ、「自じ他た共ともの幸福」を実現しゆく、最もっとも尊き聖業せいぎょうにほかなりません。私たちは、ここ麗うるわしき日本の故郷・岐阜から、人間教育の滔々とうとうたる大たい河がを日本へ世界へ未来へ流ながれ通かよわせ、「希望の花」「人材の花」「平和の花」を、馥郁ふくいくと咲さき薫かおらせていこうではありませんか! 結むすびに、本日、ご参加くださった先生方のご健康とご多た幸こうを、心よりお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。陰徳いんとく光る教育者の皆様に、無量むりょう無む辺へんの陽報ようほうあれ!(大拍手) (2018年5月30日 聖教新聞)より

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  • 01Jun
    • 第39回「全国人間教育実践報告大会」から

      岐阜市民会館で行われた全国人間教育実践報告大会。幅広い分野の実践報告に来場者から称賛の拍手が送られた子どもたちの幸福のために輝く未来を共に拓ひらく 第39回「全国人間教育実じっ践せん報告大会」(主催=創価学会教育本部、後援=岐阜新聞社・岐阜放送、エフエム岐阜、牧口記念教育基金会)が27日、岐阜市の岐阜市民会館で開催された。テーマは「『教育のための社会』へ――共に育はぐくみ 共に支え 共に拓ひらく」。ここでは池田先生のメッセージ(別掲)とともに、代表の実践報告の要旨、講こう評ひょう、来らい賓ひんの声を紹介する。岐阜 加藤さや香さん 小学校教諭 教師になって3年目のこと。1年生の担任になった私のクラスに、Nくんがいました。 授業中に立ち歩き、大声を出すNくん。注意をしても、余よ計けいに騒さわいでしまって逆効果でした。いら立ちと諦あきらめの心が出てきた時、池田先生の「子どもからの信頼を勝ち取るには、まず、自分が子どもを信頼することです」との言葉が心に浮かびました。 “私がNくんを信じなくちゃ。Nくんの心の声に耳を傾かたむけよう” その日からNくんの行動記録を取り、手だてを考えました。その一つが、「授業中は席に座る」などの目標を達成たっせいできたら、大好きな新幹線しんかんせんのシールをチェック表に貼はるというもの。Nくんはやる気を出したのか、あっという間に目標を達成して、チェック表がいっぱいになりました。 すぐにNくんのお母さんのもとへ報告に行くと、その日は、何とお父さんの誕たん生じょう日び。「一番うれしいプレゼントです」と喜ぶ姿すがたに、胸むねが熱くなりました。 この日を境さかいに、Nくんをはじめ、子どもたちに対する私の見み方かたが変わりました。子どもたちの思いを感じ取り、ちょっとした頑張りや成長を見つけられるようになったのです。 周りの子どもたちも、授業中に手助けをしてくれるようになり、Nくんと関かかわる中で、大きく成長していきました。何より私自身が、Nくんとの出会いのおかげで、心の底から子どもを信じ、励まし、褒ほめることができる教師への一歩を踏ふみ出せました。東京 中里裕治さん プロ家庭教師 “どんな病やまいも治なおす名医のように、どんな子でも立ち直らせる家庭教師になろう”――こう決意した31歳の時、プロの家庭教師の道を歩あゆみ始めました。 多くの子どもたちと関わる中で、単にテストの点数を上げるだけではなく、子どもが自信をつけ、人や社会のために活躍する人材に成長してほしいと思うようになりました。 高校1年生のAさんは、私が「1時間は何分だっけ?」と聞くと、真顔で「3分ですよね」と。「君はカップラーメンを作るのに1時間も待つの!」と笑い合いましたが、お先は真まっ暗くらでした。 私が行う一対一の教育では、その子の性格や生活習慣しゅうかんを踏ふまえ、一人一人に合った学習方法を模も索さくし、本人が納得なっとくして勉強できるように計画を立てます。 特に大事にしていることは「子どもとの最初の出会い」。私と一緒いっしょなら点数が上がりそうだと思わせなければ次は無いと決め、真剣勝負で臨のぞみます。授業では自信を持たせるために、“できた”という成功体験をつかませていきます。 Aさんも成功体験を重かさねるうち、楽しく勉強を進められるようになりました。数学で90点以上を何度も取り続け、英語や理科も80点以上になったのです。 高校3年生の時には、「得意な数学を生かして、数学の教師になりたい」と言えるほど、自信を持てるまでに成長しました。 「人」を育はぐくむ“教育の名医”を目指し、精しょう進じんしていきます。高知 片岡和香さん 小学校教諭 教師になりたての頃、この仕事は向いていないのではと悩なやんでいた私に、先輩が「一人で頑張らんでもええがよ」と笑顔で一言。“全部抱かかえ込まなくてもいいんだ”と思うと、気持ちが楽になり、教師を続けようと心が定まりました。 教師として経験を積んだ後、国立大学の研究生として、発達障しょうがいについて学ぶ機会がありました。“教師の心の負ふ担たん感を少しでも減らし、子どもたちと元気に関わっていけるにはどうすればいいか”と考えながら研究に励はげみました。 その後、教きょう壇だんに復ふっ帰きした私は、日々必ひっ死しに奮闘ふんとうする先生方のために、何か役に立つことはできないかと、研究生として学んだことを生かし、さまざまな取り組みを始めました。 その一つが、職員室通信「チアレター」です。“1~2分で読める”“すぐ分かる”といったことを心掛けながら、「書くことが苦にが手てな子の支援方法」や「穏おだやかなクラスづくり」など、日常の取り組みの工夫や最新の教育情報などを、一枚の紙に載のせました。 「チアレター」の情報は、子どもたちから校長まで、校内全体に浸透しんとうしました。異い動どうするある先生から「片岡先生のチアレターを次の学校に持って行っていいですか」と言われ、他の先生の力ちからになれたことがうれしかったです。 これからも教職員の皆さんと力を合わせて築いていきます。先生が一人で抱え込まない環境、そして笑顔あふれる学校を。福岡 弥いよ永なが隆広さん 美術館館長 中学校の美術科教師だった2002年、学習指導要よう領りょうの改定に伴ともない、美術の授業時間が短縮たんしゅくされました。“美術教育の必要性”とは、一体、何でしょうか。私は「描えがけない」「作れない」と悩む子どもたちが、自分の可能性に気付き、個性を伸ばし、創造そうぞうする喜びを得るためにあると思います。 デッサンの授業では、ものの形をよく観察させ、陰影いんえいの特徴とくちょうを理解させます。具体的な手だてを組むと、生徒はみるみる上達。描けるようになると美術に対する学習意欲も高まり、他教科の学習態たい度どの向上にもつながりました。 生徒と最もっとも意欲的に取り組んだ授業が、「学校美術館プロジェクト」です。紹介したい作品を決めたら、その作家と連絡を取って交流会を設もうけ、作品について語り合います。作家の世界観に触ふれることは、単なる知識の習しゅう得とくだけでなく、人の生き方についても学ぶ機会になりました。学校美術館は2日間にわたって行われ、他学年の生徒や先生、保護者、地域の方などが来場します。生徒は作品について真剣に解説していました。深く心に残ったのは、全ての生徒が最後までやり抜き、成長した姿すがたを見せてくれたことです。学校美術館は反はん響きょうを呼び、学校、PTA、市の教育委員会の三さん位み一いっ体たいで行う地域の行事となり、地元テレビ番組でも取り上げられました。 教師を定年退職した今、公立の美術館の館長として、新たな美術教育を探究たんきゅうする日々です。講評 安福正まさ寿とし・岐阜県教育長 加藤さや香先生の報告では、「子どもを信じること」が、一人の児童のみならずクラス全体を変える力ちからになったという話に感動しました。プロ家庭教師として活躍する中里裕治先生の「真剣勝負」という言葉からは“プロ”としての覚かく悟ごを感じ、片岡和香先生の報告からは、温かなまなざし、人間愛を随ずい所しょに感じました。最後に、弥いよ永なが隆広先生の「学校美術館プロジェクト」は、生徒の意い欲よくを高める素晴らしい取り組みだと思いました。 4人に共通して感じたことは、子どもの可能性を信じ、子どもと共に成長していこうという姿勢です。来賓の声 堀幹夫・岐阜女子大学名誉学長 池田先生は、徹てっ底てい的てきに「一人」を大事にされます。それは世界的な識しき者しゃに対しても、一婦人に対しても変わることはありません。「一人」を大事にすると言葉で言うのは簡単ですが、実践となると難しいことです。今回の4人の登とう壇だん者は、池田先生の目の前の「一人」を信じて励ます精神を体たい現げんし、結果を残しています。そこに、深く感かん銘めいを受けました。 子どもを信じることは教育の根こん幹かんであり、子どもを思いやる愛情の深さは子どもたちの心の栄養となります。まさに、それを強く感じる報告大会でした。 (2018年5月30日 聖教新聞)より

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    • 岐阜で人間教育実践報告大会

      第39回「全国人間教育実践報告大会」。子どもの幸福のための教育に携わる実践が報告された(27日、岐阜市民会館で)テーマ「教育のための社会」へ――共に育はぐくみ 共に支え 共に拓ひらく教育関係者ら1400人が参加 第39回「全国人間教育実践じっせん報告大会」(主催=創価学会教育本部、後援=岐阜新聞社・岐阜放送、エフエム岐阜、牧口記念教育基金会)が27日、岐阜市の岐阜市民会館で開催された。 テーマは「『教育のための社会』へ――共に育はぐくみ 共に支え 共に拓ひらく」。これには岐阜県の古田肇はじめ県知事、安福正まさ寿とし県教育長をはじめとした来賓らいひんや、教育関係者など1400人が参加した。 池田大作先生が祝福のメッセージを贈り、同県の県花であるレンゲ草の花言葉「私は幸福」「あなたは幸福」について触ふれ、「教育こそ、『自じ他た共ともの幸福』を実現しゆく、最も尊とうとき聖業せいぎょうにほかなりません。私たちは、ここ麗うるわしき日本の故郷・岐阜から、人間教育の滔々とうとうたる大たい河がを日本へ世界へ未来へ流れ通わせ、『希望の花』『人材の花』『平和の花』を、馥郁ふくいくと咲さき薫かおらせていこう」と、未来を育む献身けんしんの友をたたえた。 高梨教育本部長は、教育の目的は「子どもの幸福」にあるとの三代会長の精神を胸に、子どもたちの明るい未来を築きたいと語った。岐阜総県の加藤総県教育部長に続いて、古田県知事があいさつした。 そして、加藤さや香さん(岐阜・小学校教諭)、中里裕治さん(東京・プロ家庭教師)、片岡和香さん(高知・小学校教諭)、弥いよ永なが隆広さん(福岡・美術館館長)の実践報告に、共感と感動の拍手が送られた。 講評こうひょうに立った安福県教育長は「子どもたちと共に成長しようという人間教育の姿すがたに感銘かんめいを受けました」と述べた。 (2018年5月29日 聖教新聞)より

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    • 〈現代と仏法 学術者はこう見る〉第4回 科学と宗教に関する一考察

      集積回路のイメージ。人間の頭脳に当たるCPU(中央演算処理装置)に搭載されるトランジスタの数は数千万個にも上る(AFP=時事)真理探たん究きゅうには哲学が不ふ可か欠けつ明治大学教授 小お椋ぐら厚志さん 「科学が進歩すればするほど、仏法の法理の正しさが証明される」とは、第2代会長・戸田先生の達観たっかんでありました。 まだまだ科学は発展途上ですが、私は、この言葉をかみ締しめています。 例えば、法華経に説かれる六ろく難なん九く易い。これは、“人間の内面世界を変える”という難むずかしさに比べれば、“枯かれ草を背せ負おって劫ごう火かの中に入っても焼けない”などは、簡単かんたんなことだと教えています。 簡単と言っても、昔であれば、常識的には不可能と思われていたこと。しかし、科学の力ちからを用いれば、枯れ草を背負っても焼けないことは、今では可能になりました。 一般的に、科学の進歩は“事実を積み上げて細かい問題を解決し、そこから大きな法則を導みちびく”という帰き納のう法ほうによって支えられてきたと言われます。一面では真実かもしれませんが、科学の進歩は、そうした帰納的アプローチだけによるのではないと、私は思います。 私は半導体はんどうたい技術の研究に当たっています。工学系なので、科学的に発見された理論を使い、モノづくりにどう生かすかを考える立場です。15年前には、電でん極きょくの幅はばが5ナノメートルという、世界最小(当時)のトランジスタの開発に携たずさわりました。 トランジスタとは、コンピューターなどに用いられる半導体の大規模集しゅう積せき回路(LSI)に組み込まれているもの。このLSIに搭載とうさいされるトランジスタの数が性能に関係するため、これまで、世界はトランジスタの小型化を競きそってきました。 ナノメートルは、1メートルの10億分の1。例えれば、地球の表面をリンゴ1個程度の誤ご差さの範はん囲い内で、精密せいみつに加工する技術です。そのモノづくりを実現するため、科学的な見けん地ちに基もとづいたさまざまな仮か説せつを立て、それを実験によって立りっ証しょうしていくのですが、時には、これまでの経験や“こうあるべき”“こうあらねばならない”という信念から、仮説を立てることもあります。それは帰納法ではなく、“大局観から固め、それから細かい問題に及およんでいく”という演繹えんえき的な発想です。そうした発想が成功を収めたこともありました。 そもそも古来、物理学者たちは“神がつくった宇宙は単純なはず”“究きゅう極きょくの法則は美しいはず”との信念を持ちつつ、理論を積つみ重かさね、宇宙の真理を求めてきました。その探たん究きゅう心しんから物理学は発展しており、相対そうたい性せい理論を発見したアインシュタインも“宗教なき科学は不ふ具ぐ”“想そう像ぞう力りょくこそ科学研究の真の要因”との言葉を残しています。 これは帰納法だけでなく、“こうあるべき”との信念を持ち、演繹的にアプローチしていくことが必要であることを示し唆さしていると思います。 御書には「日蓮仏法をこころみるに道理と証しょう文もんとにはすぎず、又また道理証文よりも現証にはすぎず」(1468ページ)とあります。道理とは“こうあるべき”との信念であり、証文とは理論の積み重ねと言えます。日蓮大聖人は、この両方が必要であるとされた上で、最終的には、現証が大事であると述べられました。いわば、帰納と演繹という両面のアプローチを大切にしながら、実験での証明を重視することです。まさに私が研究者として感じてきた点と一いっ致ちしており、仏法が科学的であると思う理由です。 私は“こうあるべき”との哲学が真理であれば、そこから、新たな理論や技術が生まれ続けていくと信じています。宇宙の根本法則を説く仏法。私は、その偉大さを証明する研究者でありたいと決意しています。(副学術部長) (2018年5月26日 聖教新聞)より

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  • 30May
    • 若き君よ 勝ちまくれ! 青春は人生の 一生の土台

      未(み)来(らい)は無(む)限(げん)だ。未来は希望だ。未来は夢だ。未来は大活躍の劇(げき)場(じょう)だ。「未来部」はなんと無限の意味をはらんだ名前であろうか。未来は後悔(こうかい)がない。輝(かがや)く希望がある。未来のない人は死である。未来を考えない人は愚(ぐ)者(しゃ)である。未来があれば幸福もある。勝利もある。無(む)数(すう)無(む)量(りょう)の成功がある。感激(かんげき)がある。喜(よろこ)びの乾杯(かんぱい)がある。あのドイツの文豪(ぶんごう)ゲーテは謳(うた)った。「われわれは結局何を目ざすべきか。世の中を知り、これを軽蔑(けいべつ)しないことだ」また彼は言った。「人生は注意だ!」さらに「そうだ、全く ぼくは一個(いっこ)の旅人(たびびと)、地上の巡(じゅん)礼(れい)に過ぎない。君たちは いったいそれ以上のものか」そしてまた彼は語った。「どれほど深く苦悩に ひたっていようともきみは やはり青春の 幸 に生まれた身勇気を ふるいたまえ、敏(びん)捷(しょう)な すこやかな歩みに」若き生命の持ち主は皆がその魂は閃光(せんこう)を放っているのだ。気取る必要もない。失敗に臆(おく)する必要もない。愚(おろ)かと言われようが貧(まず)しいと言われようがそんなことは弱々しい風が吹いていると思え!君の夢は君しか持てない。君の宝は君しか持てない。君の使命は君しか持てない。だから不思議にして偉大なる生命の鍵(かぎ)を持っているのが君なのだ。皆(みな)に仰(あお)がれ皆に教えゆく宝の書がある。宝の技がある。宝の遺(い)産(さん)がある。君の長い生(しょう)涯(がい)の中に決して希望を死(し)滅(めつ)させてはならない。感(かん)情(じょう)で逃走(とうそう)してはならない。邪険(じゃけん)な人々の罵(ののし)りに人生を奪(うば)われてもならない。胸を張って北風に進むのだ。断固として自分自身の人生を勝利するのだ。父のために母のために自分自身のために平和のために友情のためにそして永遠のために!そこにこそ幾(いく)千人に痛めつけられてもすべてが勝ち抜いた君の長い生涯を飾(かざ)りゆく大(だい)勲(くん)章(しょう)と光るのだ!君よ君の名前を呼ぶ人がいなくとも君は君らしく生きるのだ。有名になる必要などない。狂(くる)った人間の世界で褒(ほ)められる必要もない。狂(きょう)乱(らん)した嫉妬(しっと)の世界で悩む必要もない。君は君らしく確かなる人生観をもって残酷(ざんこく)なこの社会を切り開いていくのだ。人生は劇だ。若さは名優(めいゆう)だ。世間には無(む)情(じょう)にして下(げ)劣(れつ)な人々も多いかもしれない。苦しみに負け悩みに負けて敗北者になる人間も多くいる。社会から追放されゆく敗北者もいるだろう。そしてまた恥(は)ずべき行(こう)為(い)を一(いっ)生(しょう)涯(がい) 背(せ)負(お)いながら恨(うら)みと苦しみに生き抜いていかねばならない者もいる。移(うつ)ろい動きゆくこの複雑な社会。果てしない人の心の葛藤(かっとう)の人生。君よその中にあって無残に吹き飛ばされゆく愚(ぐ)者(しゃ)であってはならない。好(こう)奇(き)心(しん)に流されて残酷(ざんこく)な無知を謳いゆく人間になるな!希望を抱(いだ)いた人間には未来が光る。自身の運命に約(やく)された奥深く輝きわたる魂を絶えず見つめて君よ不安と戦い抜き勝つのだ!卑(いや)しき欲望を乗り越えて栄光と幸福をつかむのだ!畜生(ちくしょう)の群(むら)がり叫ぶ暗(あん)礁(しょう)にぶつかるな!目的地を絶えず確かめながら高貴な物語を綴(つづ)りゆき給(たま)え!若き君よ人生の生活の甘(あま)い安(あん)易(い)な虜(とりこ)と決してなるな!暗い運命の道を決して歩むな!春に太陽を求めながら美しく花が顔をのぞかせゆくこの道を進むのだ!彼方(かなた)に白い雲がまた彼方に青い山脈がそして彼方に緑の高原が!生き抜き戦い抜いた満足の心で喜びをもたらす我が家へ!夕暮れの名も知らぬる樹々(きぎ)のざわめきを聞きながら新しい人生となって我が家へ近づいていくのだ。若き君よ遊びだけには絶対に負けるな!一生のための勉強だ。勝つための勉強だ。勝たねば幸福はない。自分は自分のために勉強する。自分のために苦労する。それは親の幸福のためになるからだ。多くの人のためになるからだ。自分自身に溺れて人々のために平和のために社会のために働き貢献(こうけん)できない人間は畜生と同じだ。暗闇をうろつく哀れな畜生になるな!太陽に打たれながら汗を流して今 努力しなければならない課題に向かって格闘していくのだ。それが勝利の自分を創ってくれるからだ。勝利者は幸福者である。敗残者は暗い侘(わび)しい不幸の連続である。惨敗(ざんぱい)だ。人生は幸福のためにある。勉学は幸福のためにある。幸福の究極と永遠性を説いたのが仏法だ。だから僕は父の言うとおり信仰に入った。母の言うとおり信心をしたのだ。自分自身の五体に何か手応えがあることを感じている。正しき幸福への軌道を踏(ふ)み外(はず)すな!大切な命だ。正義という美しい世界を目指せ!醜(むご)い目をしたあの喜びのない世界に踏み込むな!人生を喜びで生き喜びで去っていくのだ。その出発の青春の讃歌(さんか)の詩(うた)を今日も歌え!勝つために前進の曲とともに歌え!この世のあらゆるものが君に幸福をもたらしてくれるとは限らない。いな 反対に不幸の泥沼に連れて行かれることが多い。君自身の中に幸福の軌道か地獄の軌道か君自身が見極め決定するのだ。万巻(ばんかん)の書(しょ)を読んでもその結論は出ないだろう。そこに仏法の真髄(しんずい)という法則があるのだ。友よ不安に行き詰まるような弱々しい青春であるな!すべてが私の人生の転機ととらえて偉大なる正義の目標に向かって勝利の坂を勇敢に登っていくのだ!青春よ勝ちまくれ!若き君よ希望の未来に舞いゆけ!未来部 万歳!未来部の成長が広宣流布だ。未来部の勝利が創価の勝利だ。未来部に栄光あれ!勝利あれ! 二〇〇二年五月二七日(ゲーテの言葉は『ゲーテ格言集』高橋健二訳、新潮社と『ゲーテ全集 8』登張正寛訳、潮出版社) (『詩集 人生の旅』 池田大作 聖教新聞社)より

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  • 27May
    • 蚤とコップの話

       昨夜、5月26日土曜の夜、地区座談会でした。 夜勤明けで、少々くたびれモードでしたが、会場に入って、驚いたのは、元・ゾーン長、現・ゾーン本部長が我が地区座談会に来てくれて、私は、過去に、随分(ずいぶん)とお世話になったこともあり、テンションが上がりまくりでした。 一言発言では、婦人部総会の話題で盛り上がりました。 あるグループでは、いつも小物づくりを恒例としていたけど、今回は、簡単料理のレシピを持ち寄って作って、わいわいと食事を楽しまれたそうで、空きっ腹で参加した私は、生唾(なまつば)が湧(わ)き水の如(ごと)く、でした(笑い)。 おなかも、「ぐーぐー」鳴きっぱなしで、ちょっと恥ずかしかったです。 そんな中で、婦人部の方が、袋(ふくろ)の中をゴソゴソと何かを探し出したではありませんか! 「おや! これはもしや♪」(*´ω`*) と、思いきや、小さな小物……(なんだ、食べものぢゃないんかよ―― (´・ω・`)ショボーン) しかし、そこから出てきたのは、根っこがない植物。 「エアープランツ」と言われるものだそう。 どんなものかは、以下にリンクを記しておきますのでどうぞ。 初心者におすすめの「エアプランツ」7選と基本的な管理方法 小っちゃくてかわいいです。 初めて見た植物に、女性軍は身を乗り出して、手にとって、舐めるように観察。 テンションMAXでした^^ その後、壮年の方が、「蚤(のみ)の話(はなし)」をしてくれました。 先ほど、ネットで調べてみたら、「蚤とコップの話」と言われるようだ。 私が聞いてきたのと少し数字が違っていましたが、内容は、次のようなものでした。 「株式会社 食研」さんのHPから引用させてもらいます。『みなさん、蚤の跳(ちょう)躍(やく)力(りょく)(ジャンプ力)がどの位(くらい)かご存(ぞん)知(じ)ですか?蚤(のみ)は30センチほどのジャンプ力があると言われています。体長が約2ミリの蚤が30センチ飛ぶのですから、自分の身長の150倍の跳躍力という事です。オリンピック選手でも、自分の身長の倍も飛べません。計算でいうと、170センチの人が255メートルの高さまで飛ぶことになります。ちなみに東京都(と)庁(ちょう)が240メートル位ですからそれよりも高く飛ぶことになりますね。それはさておき「蚤とコップ」の話に戻りますが、30センチ飛ぶ蚤をガラスのコップに入れてガラスの蓋(ふた)をする実(じっ)験(けん)です。蚤は最初はコップから出ようとジャンプするのですが、その度(たび)にガラスの蓋にぶつかります。しばらくしてガラスの蓋をとるとどうなるでしょうか?蚤はコップの高さよりも高くジャンプすることが出(で)来(き)なくなっています。きっと蚤は自分の限界(げんかい)を自分で決めてしまったのでしょう。まさに、鎖(くさり)につながれた「サーカスの像(ぞう)」の逸(いつ)話(わ)と一(いっ)緒(しょ)ですね。では、この蚤をもう一度コップよりも高くジャンプさせるためにはどうすればいいのでしょうか。それは、もう一(いっ)匹(ぴき)、蚤をコップに一緒に入れる事だそうです。それにより「飛べない蚤」は「飛べる蚤」の姿(すがた)を見て飛べるようになるといいます。蚤は自信を取り戻(もど)し、またチャレンジして、コップを飛び越(こ)えられるようになるのだそうです』 「株式会社 食研」 蚤(ノミ)とコップ 私が聞いてきた話は、とある小学校の校長先生が生徒に配ったプリントのなかの話のようですが、「本来(ほんらい)、私たち人間には、無(む)限(げん)の可(か)能(のう)性(せい)がある。だから、過去の失敗やしがらみにとらわれて、自分はこのくらいだからと低く見(み)積(つ)もって、限界(げんかい)を作ってしまうのではなく、同じ人間にできて、自分にできないわけがない! ということを忘れないで、成功している人から学んで、どんどんチャレンジして、今の自分を飛び越えていってほしい」、といったような内容だったと思います。 うまくまとめきれませんが、まあ、そういったことを聞いて、私は、興奮しつつも、私の悪い癖(くせ)を地区の皆さんに冗(じょう)談(だん)めいて言いました。 「『「飛べない蚤」は「飛べる蚤」の姿を見て飛べるようになるといいます。蚤は自信を取り戻し、またチャレンジして、コップを飛び越えられるようになるのだそうです』 というけれど、私は、さらに落ち込む、いじける蚤かも~♪(笑い)」 そしたら、地区部長が、満面のニンマリ顔で、「君は、いじけても勝手に飛ぶから大丈夫だ。勝手にいじけてろ♪」(一同大笑い) 皆さん、本当にあたたかいです。 今月も、無事に座談会に参加できたことに、皆さんの笑顔を見れたことに感謝(かんしゃ)♪

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    • 2018年5月度 椎地四郎殿御書 座談会御書e講義

      「椎(しい)地(じ)四(し)郎(ろう)殿(どの)御(ご)書(しょ)」1448ページ 講師:原田副教学部長御書全集……1448㌻2行目~4行目編年体御書……178㌻2行目~4行目【本文】 末(まっ)法(ぽう)には法(ほ)華(け)経(きょう)の行(ぎょう)者(じゃ) 必(かなら)ず出(しゅっ)来(たい)すべし、但(ただ)し大(だい)難(なん)来(きた)りなば強(ごう)盛(じょう)の信心 弥(いよ)弥(いよ)悦(よろこ)びをなすべし、火(ひ)に薪(たきぎ)をくわ(加)へんに さか(盛)んなる事(こと)なかるべしや、大(たい)海(かい)へ衆(しゅう)流(る)入(い)る・されども大海は河(かわ)の水(みず)を返(かえ)す事(こと)ありや【解説】 日蓮大聖人は、門下の椎地四郎に対して、「大難を喜び勇んで勝ち越える“法華経の行者”の使命」について教えられています。 大聖人は、まず御文の冒頭で、『末法には法華経の行者 必ず出来すべし』と示されています。 末法とは、「闘(とう)諍(じょう)言(ごん)訟(しょう)・白(びゃく)法(ほう)隠(おん)没(もつ)」と言われるように、争いごとばかりが起こって邪(じゃ)見(けん)がはびこり、釈尊の仏法が見失われてしまう時代です。 しかしながら法華経には、末法には法華経の行(ぎょう)者(じゃ)が出現し、三類(さんるい)の強敵(ごうてき)などの障(しょう)魔(ま)が競い起こることが説かれています。 仏の言葉が、真実であるからには、末法という最も困難な時代に、迷い・苦しむ民衆を救う法華経の行者が出現しないわけがありません。 そうでなければ、仏法そのものの存在価値が失われてしまいます。 ゆえに大聖人は、「末法に法華経の行者が必ず出現する」と述べられているように、“必ず”、と力強く仰(おお)せなのです。 そして何より、この法華経の行者の実践を貫(つらぬ)き、経(きょう)文(もん)を証明してきたのが、日蓮大聖人に他なりません。 つづく、『但(ただ)し大(だい)難(なん)来(きた)りなば強(ごう)盛(じょう)の信心 弥(いよ)弥(いよ)悦(よろこ)びをなすべし、火(ひ)に薪(たきぎ)をくわ(加)へんに さか(盛)んなる事(こと)なかるべしや、大(たい)海(かい)へ衆(しゅう)流(る)入(い)る・されども大海は河(かわ)の水(みず)を返(かえ)す事(こと)ありや』では、法華経の行者の要件(ようけん)ともいうべき内容が記されています。 すなわち、『但(ただ)し大(だい)難(なん)来(きた)りなば強(ごう)盛(じょう)の信心 弥(いよ)弥(いよ)悦(よろこ)びをなすべし』と仰せです。 先ほども申し上げたように、滅(めつ)後(ご)弘(ぐ)通(つう)に大難(だいなん)があることは、法華経に明確に記されている通りです。 したがって、“大難が起こる”ということ自体、“法華経の行者”であることの証明であり、広(こう)宣せん流る布ふが前進していることの証しょう左さとなります。 その意味で、法華経の行者にとって、大難とは、恐れおののいたり疑ったりするものではありません。 ゆえに大聖人は、「大難が来た時には、強(ごう)盛(じょう)の信心で、いよいよ喜んでいくべきである」と述(の)べられているのです。 「喜んでいくべき」とまで示されているのは、強盛な信心があれば、大難を受けることで宿命を転換することができるからです。 また、仏の大(だい)境(きょう)涯(がい)を開いていくことができるからです。 つづいて本抄では、大難に挑む法華経の行者の境涯について、天(てん)台(だい)大(だい)師(し)の摩(ま)訶(か)止(し)観(かん)の文に即(そく)して、2つの側面から仰せになられています。 1つには、法華経の行者の境涯を「火」に。大難を「薪(たきぎ)」に譬(たと)えられています。 「火」に「薪」をくべれば、火の勢いはますます盛んになります。 それと同様に、難が起これば、信心の炎がいや増して燃え上がり、法華経の行者としての自覚と確信も強く盛んになります。 もう1つには、法華経の行者の境涯を「大海(たいかい)」に。大難を「衆(しゅう)流(る)」あるいは「河(かわ)の水」に譬(たと)えられています。 大海には、河の水が流れ込もうが、それを押し返すことはありません。 反対に、注(そそ)ぎ込まれる水を受け入れて、海はさらに豊かになっていくのです。 難があるからこそ、信心の炎が燃え上がる。大海の如き広大(こうこうだい)な境涯を開いていける。 そして、必ず境涯を変革(へんかく)し、宿(しゅく)命(めい)転換(てんかん)を成し遂げていくことができます。 ゆえに大聖人は、この2つの譬えを通して、難に直面した時こそ、いよいよ喜び勇んで応戦し、乗り越えるように呼び掛けられ、深い覚悟の信心を促(うなが)されているのです。【ポイント】 ポイントの一点目は、“日蓮大聖人の仏法を行ずる私たちは、「難」の意味を受け止め、さらには、捉え返していける”ということです。 そもそも、正しい法を持(たも)った人が、なぜ、「難」に遭うのでしょうか。 正法を信じ、行じて、成仏の境涯を目指すということは、自身の生命を根底から変革していくことに他なりません。 どんな変革にあってもそうですが、仏道修行においても、その変革を起こさせまいとする働きが、自身の生命自体や、あるいは周囲の人間関係の中に生じます。 すなわち、私たちの信心が深まり、実践が進んでいくと、これを阻もうとして“三(さん)障(しょう)四(し)魔(ま)”と呼ばれる障(しょう)魔(ま)の働きが競い起こってくるのです。 これに対して大聖人は、「必ず三障四魔と申す障りいできたれば 賢者はよろこび愚(ぐ)者(しゃ)は退(しりぞ)く」(兵衛志殿御返事、1091ページ)と仰せです。 本抄でも、「大(だい)難(なん)来(きた)りなば強(ごう)盛(じょう)の信心 弥(いよ)弥(いよ)悦(よろこ)びをなすべし」とあるように、障魔や難が出現した時に、“今こそ、成仏への大きな前進の時”と捉え返して、むしろ、これを喜ぶ賢者の信心で乗り越えていくことができるのです。 池田先生は、本抄の講義で、次のように指導されています。 ◎勝利の経典「御書」に学ぶ 椎地四郎殿御書 『いかなる大難にも真正面から立ち向かい、勝利し、悠然(ゆうぜん)と乗り越えていくのが、法華経の信心です。御書には「悦び身に余(あま)りたる」(1343ページ)、「大に悦ばし」(237ページ)、「いよいよ悦びをますべし」(203ページ)と、「大難」即(そく)「歓喜」の仰せが随(ずい)所(しょ)に示されています。 どんなに大難があっても、正(しょう)法(ほう)弘(ぐ)通(つう)に生き抜き、目の前の一人の苦悩を取り除き、幸福の種を心田に植えていく悦びに勝るものはない。この最高にして最強、そして最尊の人生を促す力が、法華経に具わっています。法華経に生き切ること自体が、最高の幸福なのです』 (『勝利の経典「御書」に学ぶ 11』 96ページ) 以上が先生の御指導です。 これまでも、幾多の大難を、悠然たる境涯で乗り越え前進してきたのが、創価の三代の会長であり、創価学会です。 私たちも、師匠に続き、苦難や困難に喜び勇んで挑戦する、強き信心を貫き、最高にして最強、そして、最尊の人生を切り開いて参りたいと思います。 ポイントの二点目は、“信心によって人生の困難に打ち勝ち、社会で実証を示していける”という点です。 人生には、必ず苦難が伴います。 また、広宣流布の戦いには、必ず困難が競い起こります。 その意味で、仏法を持(たも)つ私たち学会員が、現実のそれぞれの立場で、結果を出していくことは、簡単なことではありません。 しかしながら、「信心即生活」「生活即仏法」であるからこそ、仕事や地域での活動、家庭での振る舞いなど、現実のすべてが仏道修行の舞台となります。 池田先生は、次のように語られています。 ◎御書と師弟 『わが創価の友は、大仏法の尊い実践者である。広宣流布の真正の闘士である。ゆえに、現実社会で絶対に勝たねばならない。また、絶対に勝ち抜いていける大(だい)法(ほう)則(そく)を持(たも)った皆様方なのです。(中略) 仏法は「即社会」です。「即職場」「即地域」であり、「即家庭」となるのです。「即(そく)」とは、信心の一念です。学会という和(わ)合(ごう)僧(そう)の中で、使命の役職を担(にな)い、広宣流布に戦えば、「即」という変革の原理が躍動(やくどう)します。 人生は、さまざまな困難の連続である。しかし、信心の上では決して負けない。一歩も退かない。この一念が、「即」人生の勝利、社会での勝利を開くのです』 (『御書と師弟 3』 90ページ) 以上が先生の御指導です。 「難」の意味を捉え返していける“学会員”だからこそ、「絶対に負けない!」との信心の一念を定めて、今いる使命の舞台で奮闘していけば、必ずや、現実社会で勝利の実証を示していくことができるのです。 どうかこのことを確信して、“いよいよの信心”で、勇気と希望の前進を続けてまいろうではありませんか。 (SOKAnet 創価学会公式サイト)より

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    • 〈現代と仏法 学術者はこう見る〉第3回 ストレスに勝つ生命の力

      ストレスに勝つ生命の力細胞を強くするヒートショックプロテイン(HSP)は走ることでも生成される(EPA=時事)中部大学教授 大塚 健三さん (中部総合学術部長) 現代は、ストレス社会といわれます。 人間関係や労働(ろうどう)環境(かんきょう)などから生じるストレス。地球の重力もストレスといえるでしょう。そう考えれば、ストレスと無縁(むえん)な人はいません。 だからでしょうか。仏法では、この世を「堪忍(かんにん)世界(せかい)」(御書771㌻)、つまりあらゆる苦悩を“耐(た)え忍(しの)ばねばならない世界”と説(と)いています。その上で、そうした苦難(くなん)に負けない力はどんな人にも備(そな)わっており、自(みずか)らを鍛(きた)えて胸(きょう)中(ちゅう)の「仏の境涯(きょうがい)」を開けば、この「堪忍世界」が即(そく)、「衆(しゅ)生(じょう)の遊楽(ゆうらく)する場所」となると教えています。 何があっても恐れない。屈しない。自分自身がそうなれば、これほど頼もしいことはありませんし、人生を悠々と歩んでいけるでしょう。 では、苦難に負けない力、ストレスに打ち勝つ力は、どこに眠っているのか。その一端として、私の長年にわたる研究の中で、る一(いっ)個(こ)一個の細胞(さいぼう)にも備わっていることが分かってきました。 人間の体温は通常、36度前(ぜん)後(ご)に保たれていますが、そこから5~10度ほど高い環境に長時間置(お)かれると、多くの細胞(さいぼう)が死(し)滅(めつ)してしまいます。しかしいったん、死なない程度の時間、そうした環境下に置かれていた細胞は、次に長時間置かれてもほとんど死滅しないことを見いだしたのです。つまり、細胞は〝鍛えられる〟ということです。 理由は、そうした環境に置かれた際、それまで眠っていた遺(い)伝(でん)子(し)が働(はたら)き、細胞の中に、普段では合成されないタンパク質を生成するからでした。このタンパク質を「ヒートショックプロテイン(HSP)」と呼び、HSPが増えると、細胞が熱に強くなるのです。 これは、細胞レベルの話であり、人間はもちろん、大(だい)腸(ちょう)菌(きん)などの微(び)生物(せいぶつ)にも、そうした力が備わっています。その後、多くの研究者が調査を進める中、HSPには、免疫(めんえき)を強めるほか、傷(いた)んだ細胞を修復(しゅうふく)する力を持つことも判明しました。 このHSPは、人間にあっては、入浴や運動などを通して体を温めることで、生成されることが分かっています。さらに最近、線虫(せんちゅう)などの小さな生物の結果ですが、ホルモンの分泌によって生成されることも報告されています。 これは熱を加えるという〝物理的なストレス〟のみならず、〝心理的なストレス〟によってもHSPが生成される可能性を示唆(しさ)しています。つまり、私たちの心身の鍛えが、一個一個の細胞にあっても、ストレスに打ち勝つ力やストレスからのレジリエンス(回復(かいふく)力(りょく))の強化につながっているということです。 またこのHSPは、私たちが鍛えの道を歩む上で、興味深いことを教えてくれています。 例えば、HSPが一度生成されても、時間がたつとなくなってしまうという点。これは、鍛えといっても「持続」が大切であるということです。 また、同じ鍛え方をしても、年齢の若い人の方が、HSPが多く生成される点。これは、「若い時の苦労」が重要であるということでしょう。 まさに、私たちが日々挑戦する信(しん)行(ぎょう)学(がく)の地(じ)道(みち)な実践、また未来を見(み)据(す)えての青年育成が、細胞レベルで見ても〝鍛えの法則(ほうそく)〟にのっとったものであることが分かります。 誰(だれ)しもがストレスを抱(かか)える中にあって、相手の苦悩をわが苦悩として捉(とら)え、徹(てっ)底(てい)して寄(よ)り添(そ)い、祈(いの)り、励(はげ)ましを送る。 「同苦」の精神に脈(みゃく)打(う)つ学会活動は、いわば、相手のストレスを自らも受け止める作業といえましょう。そうした学会員の生き方にこそ、自らを最高に鍛え、幸福な人生を開く秘(ひ)訣(けつ)があるように思えてなりません。 (2018年4月20日 聖教新聞社)より

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  • 26May
    • 「5・3」祝賀の集い

      世界広布の主役は私たち! 世界各地で開かれた5・3「創価学会の日」を祝(しゅく)賀(が)する集い。参加者の瞳(ひとみ)には“世界広布の主役は私たち”との決意が輝(かがや)く。ここでは、各国の歓喜あふれる集いの模様を紹介する。オランダ オランダの集いは6日、首都アムステルダムのアムステルダム文化会館で。今月末、池田先生の3度目のオランダ訪問から45周年の節目を迎える。 拡大の息(い)吹(ぶき)に燃(も)える集いでは、ヤスダ書記長が友情の輪を広げ、地域に、社会に勝利の実証をと力説。女子部の代表が歌声を披露した。インドネシア インドネシアの集いに参加した約800人の同志が喜びにあふれて。集いでは、マガレナ婦人部長のあいさつの後、ペーター議長が、師弟不(ふ)二(に)の精神をみなぎらせて弘教拡大の大潮(ちょう)流(りゅう)を巻き起こそうと訴えた。 婦人部有志の舞(ぶ)踊(よう)や民族楽器の演奏が会合に花を添(そ)えた(6日、首都ジャカルタのインドネシア本部で)。オーストリア オーストリアの広布勤行会は、ウィーン市内で晴れやかに行われた。 ウィリアムス理事長は、広布のバトンを継(つ)ぎ、自(じ)他(た)共(とも)の幸福を築(きず)こうと呼び掛(か)けた。 参加したメンバーは「池田先生の指導を学び、前進します」などと決意の声を寄(よ)せた(4月29日)。 (2018年5月19日 聖教新聞)より

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    • 学会訪問団がコートジボワールの文化大臣、宗教局長と会見

      和やかに会見したバンダマン文化大臣(右から3人目)とアフリカ訪問団ら(アビジャンで) 学会のアフリカ訪問団(団長=ミナイ・アフリカ総合長)は22日、コートジボワールの文化省を訪(おとず)れ、モーリス・バンダマン文化大臣と会見した。 大臣は「わが国のクリバリ首相の代理として、皆さんを歓迎します。池田SGI会長の平和への功績(こうせき)、そしてコートジボワール創価学会が平和のために献身的に活動してきたことは、よく存(ぞん)じ上げています」と強調。 また、学会が世界的な広がりで文化運動を進めていることを高く評価し、「学会は文化の交流を通して平和を生み出す、社会に開かれた仏教団体です。さらなる活躍を願っております」と述べた。また、ゴイ理事長が就任したことに祝(しゅく)意(い)を表(ひょう)した。 会見の模様は、同国の有力紙「エクスプレッション」で報(ほう)じられた。 訪問団は同日、内務省宗教局のメッサンバ・バンバ局長とも会談を。局長は一行を温(あたた)かく歓迎しつつ、「平和を求め、行動するコートジボワール創価学会は、わが国に必要な団体です」と、心からの期待を寄(よ)せた。内務省宗教局のバンバ局長(左から5人目)とアフリカ訪問団らが記念のカメラに(アビジャンで) (2018年5月26日 聖教新聞)より

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  • 25May
    • 新生のコートジボワール 喜びの新法人設立総会を開催

      池田先生がメッセージ 学会こそ人類の希望の光(こう)源(げん) 新リーダーが誕生我らは異体同心で前進!――希望大陸アフリカの建設に向けて新出発したコートジボワールの代表が決意にあふれて(アビジャンで) 「コートジボワール創価学会」の新法人設立総会が19日、同国最大の都市アビジャンで3回に分けて行われた。これには創価学会のアフリカ訪問団が出席。池田先生が、清せい新しんな決意で進む友にメッセージを贈おくった。 先月、イリエ・ビ・ゴイ新理事長が誕生し、新たな布ふ陣じんと決意で進むコートジボワールの友。総会は、新出発の誓ちかいに燃もえる同志の熱ねっ気きに満たされていた。 「センセイ! アリガトウゴザイマス!」――会合の途中、参加者の歓かん呼この声が幾いく度ども響ひびき渡わたる。拳こぶしを高々と掲かかげて立ち上がる友、拡大の決意を叫さけぶ友など、アフリカ広布の模も範はんと輝かがやくコートジボワールの“広布第2章”のスタートを、皆が思い思いの表現で喜んだ。 総会に寄よせたメッセージの中で、池田先生は、新生コートジボワールが偉大な前進を開始したことを心から祝福。「どこまでも仲良く、賢かしこく、朗ほがらかに、異い体たい同どう心しんの信心と団結で、新たなコートジボワール創価学会の建設を」と語った。 続いて、“創価学会の組織は戸田の命よりも大切”との戸田城聖先生の言葉を紹介し、「学会こそが真の民衆の幸福と平和をもたらす人類の希望の光源こうげん」と強調。さらに、「信心の血けつ脈みゃくなくんば法ほ華け経きょうを持たもつとも無む益やくなり」(御書1338ページ)の御文を拝はいし、「大だい聖しょう人にん正統せいとうの信心の血脈は創価学会にのみあります。だからこそ創価学会を離はなれて正しい信心と実践はなく、歓喜も功く徳どくもない。世界広宣流布実現は絶対にありえません」と訴えた。 そして、「いよいよ強ごう盛じょうなる信心で福徳ふくとくに満ちあふれ、これ以上ないという所願しょがん満足の人生を晴ればれと勝ち開いていってください」と望のぞんだ。 ジョナス・トボエ書記長が先生のメッセージを紹介する間、メンバーは一言一言にうなずきながら、あるいは一点を見つめ真剣な面おも持もちで聞き入りながら、師の慈じ愛あいの言葉を全身で受け止めた。 皆の思いを代弁だいべんするかのように、ゴイ理事長は晴れやかな笑顔を浮かべて語った。 「永遠の師匠である三代の師弟によって創価学会は世界宗教となり、日蓮仏法の光は、コートジボワールにも降ふり注そそぎました。我らは世界の同志と団結して進む、真実の師し子しです。題目を根本とした我らの師し子し吼くでいかなる闇やみも打うち払はらい、幸福の大道だいどうを歩もう!」 集いでは、マルティン・ヴァレ第1副理事長らがあいさつ。アフリカ訪問団団長のミナイ・アフリカ総合長が開拓かいたくの友をたたえた。 さらに総会の席上、婦人部長にルーシー・バカヨロさん、男子部長にアボワジ・ベルタンさん、女子部長にアルメル・ナンゴネさんが就任したことが発表された。 会合が終わり、帰き路ろに就つく貸し切りバスの中でも、歓喜のうねりは止まらない。「コートジボワールの広布は私たちが進めます!」――師の思想を真っすぐに求め、師の期待のままに進むコートジボワールの友。正義の師子たちの今再ふたたびの行進が、力ちから強づよく始まった。未来を切り開く青年部の友の歓喜と誓いが燃え上がるさ、正義の声を高らかに――貸し切りバスで参加した参加者も意気軒高に創価の女性の明るさは世界共通。コートジボワールを照らす太陽の友 (2018年5月25日 聖教新聞 )より

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  • 24May
    • 学ぶ誇り! 生命の大歓喜を

      学(まな)ぶ誇(ほこ)り! 生命(せいめい)の大(だい)歓(かん)喜(き)を 先せん師し・牧口常つね三さぶ郎ろう先生が誕たん生じょうした6月が巡めぐり来くる。先生が57歳の年(昭和3年)に、広布の戦いを開始されて、今年で90周年となる。 仏法対たい話わの折おりに、先生がよく語られた一ひと言ことがある。「信しん仰こうに入はいるのではない。信仰の世界へ出でるんだよ」 すなわち、正しい信心とは、狭せまく堅かた苦くるしい形式に閉とざされることではない。苦くるしみの流る転てんを断たち切きって、心も広々と、歓喜と福ふく徳とくの世界へ自由自じ在ざいに羽はばたいていくことなのである。 この希望と幸福の価か値ち創そう造ぞうの翼つばさを、万ばん人にんが広げてもらいたい――これが、牧口先生の願ねがいであった。みずみずしい青あお葉ばの季き節せつ、教学部任にん用よう試験へ研けん鑽さんする友の姿すがたを、先生も笑顔で見み守まもられているに違ちがいない。 ― ◇ ―  「生しょう老ろう病びょう死し」の苦く悩のうは、誰たれ人びとも免まぬかれない。どう向き合い、どう打だ開かいしていくか。 この人類の最も本ほん源げん的てきな探たん求きゅうから、仏法は生まれた。ゆえに全すべての人に開かれた生せい命めいの哲理といってよい。 私が対話を重かさねた世界の知性も、トインビー博士をはじめ皆、生死という根本課か題だいを真しん摯しに見つめ、解かい明めいの智ち慧えを求もとめておられた。だからこそ、仏法の生命観かんに深い共きょう鳴めいを寄よせられたのだ。 今、「仏法入にゅう門もん」と銘めい打うたれた任用試験には、新入会の友はもちろん、多くの会友の方々も、多忙な中、勇いさんで挑ちょう戦せんされる。内外を問わず、「十じっ界かい」「宿しゅく命めい転てん換かん」の法理や「日蓮大聖人の御生涯」などへの感かん銘めいの声を、うれしく頂いただく昨さっ今こんである。 御おん義ぎ口く伝でんには、「喜きとは自じ他た共ともに喜よろこぶ事ことなり」「自他共に智慧と慈じ悲ひと有あるを喜とは云いうなり」(御書761ページ)と仰おおせである。 共に学び、教おしえてくれる方々にも、感謝は尽つきない。受験する方も応援する方も「生命尊そん厳げん」と「人間尊そん敬けい」の最さい極ごくの哲学を学ぶ誇ほこりに胸むねを張はっていただきたい。智慧と慈悲のスクラムで、「常じょう楽らく我が浄じょう」という生命の大歓喜を地域に社会に漲みなぎらせていくのだ。 ― ◇ ―  98年5月、念願の韓国SGI本部を訪問した私は、世界に先せん駆くして「21世紀の仏法ルネサンス」を進め、社会に奉ほう仕しし、人間性を広げゆく韓国の宝ほう友ゆうを讃たたえた。 満まん20年になる今月、韓国と日本の青年部が意義深い交流を刻きざんでくれた。妙法で結むすばれた若き地じ涌ゆの連れん帯たいこそ、平和の希望だ。 生涯、正義を貫つらぬかれた牧口先生の如ごとく、我らは、太陽の仏法の光で世界を照てらしゆこう!(2018年5月22日 聖教新聞)より

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    • 〈座談会 師弟誓願の大行進〉36 「新・人間革命」30巻〈上〉が発刊へ 世界の同志と共に広布後継

      組織を利用した「商売」は厳禁〈出席者〉原田会長長谷川理事長永石婦人部長竹岡青年部長伊藤女子部長小説『新・人間革命』の冒頭の一節が刻まれたニュージーランドの「碑」小説『新・人間革命』の冒頭の一節が刻まれたイタリアの「銘板」小説『新・人間革命』の冒頭の一節が刻まれた北海道の「碑」小説『新・人間革命』の冒頭の一節が刻まれたスペインの「銘板」 伊藤 このたび、「韓国青年友好交流団」として、韓国を訪問しました。支ささえてくださった全すべての皆さまに心から感謝いたします。 竹岡 この5月は、池田先生の韓国本部への初訪問から20周年です。今回、韓国の同志と触ふれ合あう中で、先生が各国に築きずかれてきた世界広布の基き盤ばんは、韓国でも強きょう固こに発展していると、あらためて感じました。どの地でも、同志の方々は、師匠への熱い求道心を燃もやし、広布への強い責任感に立っていました。その姿すがたに、信心を学びました。 原田 本当に、ご苦労さまでした。日本の青年部の皆さんにとっても、世界宗教として飛ひ翔しょうする創価学会の使命を再確認する機会になったと確信します。この経験を生かし、皆さんが世界広布の先頭を走りゆくことを期待しています。創価学会仏ぶつの意い義ぎ 長谷川 さて、小説『新・人間革命』第30巻の上巻の予約が、全国の書店やSOKAオンラインストアなどで始まっています。 永石 師弟共戦の日である「7・3」を記念して、6月21日に発売されます。聖教新聞の2017年1月1日付から始まった「大山たいざん」の章をはじめ、「雌し伏ふく」「雄ゆう飛ひ」「暁鐘ぎょうしょう(前半)」の章が収しゅう録ろくされます。 原田 障しょう魔まの嵐あらしが吹ふき荒あれる中、池田先生の大激闘によって、広布の道は開かれました。「大山」の章には、第3代会長を辞じ任にんされた際の心境が描かれており、「弟子のために道を開ひらくのが師である。そして、その師が開いた道を大きく広げ、延のばしていってこそ、真の弟子なのである。この広布の継けい承しょうのなかに真実の師弟がある」と書かれています。 竹岡 この章には、「創価学会会則かいそく」の前文にも記しるされている「創価学会仏ぶつ」の意義も描かれています。 原田 かつて戸田先生は、「学会は、この末法まっぽうにあって、これだけ大勢おおぜいの人に法を弘ひろめ、救きゅう済さいしてきた。未来の経きょう典てんには、『創価学会仏』という名が厳然げんぜんと記されるのだよ」と語られました。 長谷川 法華経の不ふ軽きょう品ぼんには、「威い音おん王のう仏ぶつ」という名前の仏ほとけが登場します。この仏は、一人を指さすのではなく、最初の威音王仏の入滅にゅうめつ後、次に現あらわれた仏も「威音王仏」といいました。 原田 法華経に、「是かくの如ごとく次し第だいに二万億の仏有いまし、皆同一どういちの号みななり」(法華経556ページ)と記されています。「二万億の仏」が皆、同じ「威音王仏」という名前で、長ちょう遠おんなる歳月さいげつにわたり、衆しゅ生じょうを救済してきたと説とかれているのです。 長谷川 そこで戸田先生は、「これは、威音王仏の名を冠かんした『組織』『和わ合ごう僧そう団だん』とはいえまいか」と洞察どうさつされます。その点を、池田先生も、「個人の今こん世ぜの寿じゅ命みょうは限かぎられている。しかし、広宣流布に戦う根本精神が師匠から弟子へと脈々みゃくみゃくと受け継がれ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは、民衆を救済し続ける恒こう久きゅう的てきな仏の生命力をもつことになる」とつづられています。 原田 つまり、「創価学会仏」とは、初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生、第3代会長・池田先生という師弟に連つらなり、広宣流布の大だい誓願せいがんの使命に生きる、同志のスクラムであり、地涌の菩ぼ薩さつの集つどいなのです。「創価学会仏」であればこそ、私たちは、永遠の後継こうけいの流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けていかねばなりません。 伊藤 また、「雌伏」の章では、功労者宅を訪問する模様が描かれ、さらに、広宣流布を目指す上での最第一の鉄則てっそくは、「金こん剛ごう不ふ壊えの異い体たい同どう心しんの団結」であることが強調されています。 永石 そして、池田先生を求もとめ、四国から船で神奈川にやってきた同志の様子などもつづられています。 竹岡 さらには、第5次訪中からの帰き途と、長崎、福岡、大阪、愛知、岐阜など各地を回って、反転はんてん攻勢こうせいの戦いを開始し、新たな広布の「雄飛」を果はたしていく様子も記されています。 原田 「雌伏」の章に、「私は、世界の同志が、また、広宣流布のバトンを受け継ぐ後世こうせいの人たちが、創価の師弟の道をまっすぐに歩あゆみ通していけるように、小説『人間革命』を書き残している」とあります。私たちは徹てっ底ていして、“師弟の一書”を学び、広布の道を走っていきたい。「金(きん)銭(せん)貸(たい)借(しゃく)」も禁止 長谷川 最後に、金銭トラブルについての注意です。それは、いわゆる、“マルチ商法”と呼ばれるものです。“簡単に高収入が得えられる”などという、甘い話には警戒けいかいしてください。特に、高齢の女性の方は気を付けてください。 原田 言うまでもなく、学会の組織は、広宣流布のためにあります。一人一人が、信心の向こう上じょうを図はかり、自じ他た共ともの幸福を実現していくための組織です。したがって、「組織を利用した商売」は厳禁げんきんです。「戸田の命よりも大切」と言われた学会の組織を守り、発展させていくためにも、絶対にしてはいけません。 組織の立場を利用して、物を売らない。万一、話を持ち掛けられた場合には、きっぱりと断ことわり、すぐに組織のリーダーに相談してもらいたい。 長谷川 併あわせて、会員間の「金銭貸たい借しゃく」も、あってはなりません。これが、学会の伝統です。借かりる方ほうはもちろん、貸かす方も、良くありません。金銭的に困っている人に対し、本人が、信心根本に、自じ力りきで立ち上がっていくよう励はげましていくのが、学会指導です。 原田 組織利用の「商売」と、会員間の「金銭貸借」「共同事業」は厳禁――この点を、よく確認し合いながら、仲良き広布の前進を続けていきましょう。 (2018年5月24日 聖教新聞)より

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    • 第4回 持続の信心――日々、新たな決意で出発

       連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励(はげ)ましを教学のテーマ別に掲載。併(あわ)せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第4回のテーマは「持続の信心」です。小説「新・人間革命」第26巻「奮(ふん)迅(じん)」の章 【あらすじ】1978年(昭和53年)、学会では「広布第二章の『支部制』」がスタートし、山本伸一会長は年頭から激励を開始する。2月19日には、東京・立川文化会館で開催された「信越男子部幹部会」へ。会場には、山本伸一の闘(とう)魂(こん)に満(み)ちあふれた力(ちから)強(づよ)い声が響(ひび)いた。 「『さあ、出発しよう! 悪(あく)戦(せん)苦(く)闘(とう)をつき抜(ぬ)けて!  決められた決勝点は取り消すことができないのだ』 これは、ホイットマンの詩集『草の葉』にある、有名な一節であります」 集(つど)った青年たちは、伸一の指導の一(いっ)切(さい)を吸収するのだとばかりに、眼(まなこ)を輝(かがや)かせて、耳を澄(す)ましていた。 このホイットマンの言葉は、伸一が若き日から深く心に刻(きざ)み、暗(あん)唱(しょう)してきた詩(し)であり、これまでに何度となく、多くの青年たちに伝えもしてきた。 「さあ、出発しよう――とは、過去にとらわれるのではなく、晴れやかに、未来をめざして生きる青年の姿です。“いよいよ、これからだ”という日々前進の心(こころ)意(い)気(き)です。間(かん)断(だん)なき挑戦の気(き)概(がい)です。 信心は持続が大切ですが、持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは惰(だ)性(せい)です。“さあ、出発しよう”と、日々、新たな決意で、自分を鼓(こ)舞(ぶ)して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。 毎日、毎日が、新しい出発であり、勝利の日々であってこそ、人間革命も、人生の大勝利もあることを知ってください。 悪戦苦闘――これは、広宣流布のため、自身の人生の勝利を飾(かざ)るために、必(かなら)ず経(へ)なければならない道程(どうてい)なんです。偉(い)業(ぎょう)を成(な)した人は、皆が、迫(はく)害(がい)、非(ひ)難(なん)、中(ちゅう)傷(しょう)にさらされ、ありとあらゆる苦(く)難(なん)と戦っています。 創価の大(だい)道(どう)を開いてくださった初代会長の牧口先生も、第二代会長の戸田先生も、軍部政府の弾(だん)圧(あつ)と命を懸(か)けて戦われています。私たちは、その師(し)子(し)の子どもです。勇(いさ)んで悪戦苦闘のなかに身を置き、それを突き抜けていくなかに、自身の人間革命があるんです」 人生は波(は)瀾(らん)万(ばん)丈(じょう)であり、悪戦苦闘しながら進んでいかなければならない日々もある。しかし、その試(し)練(れん)に挑(いど)み立つ時、自(みずか)らが磨(みが)かれ、鍛(きた)えられ、強く、大きく、成長していくのだ。 山本伸一は、一段と強い語調で語った。 「悪戦苦闘は、われらにとって、避(さ)けがたき宿(しゅく)命(めい)的(てき)なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏(いっしょうじょうぶつ)、人間完成、福(ふく)運(うん)に満ちた勝利の実(じっ)証(しょう)を示(しめ)すという、人生の決勝点は取り消すことはできない。 たとえば、ひとたび飛行機が飛び立ったならば、飛び続けなければ次の目的地に着(つ)くことはできません。その途中には、強(きょう)風(ふう)もある。雷(らい)雲(うん)も発生するかもしれない。ましてや、われわれは、地(じ)涌(ゆ)の菩(ぼ)薩(さつ)の聖(せい)業(ぎょう)であり、人生の最(さい)極(ごく)の目的である広宣流布のための戦いを起こした。悪戦苦闘を覚(かく)悟(ご)するのは当然です。私は、皆さんが苦闘を誇りとして、信心の確信と歓喜を胸に、凜(り)々(り)しく進んでいかれることを、日々、真剣に祈っております」 ※ホイットマンの言葉は、ウォルト・ホイットマン著『詩集 草の葉』(富田砕花訳、第三文明社)から理解を深めるために●「不(ふ)退(たい)の心」こそ成(じょう)仏(ぶつ)の道 ここでは、信心の実践において重要な「受(じゅ)持(じ)」について解説します。  「受持」とは、正(しょう)法(ほう)を信じて心に受け入れ、忘れずに持(たも)つことです。日蓮大聖人は、末(まっ)法(ぽう)の凡(ぼん)夫(ぷ)が成(じょう)仏(ぶつ)するための観(かん)心(じん)の修(しゅ)行(ぎょう)は、南無妙法蓮華経の御本尊を受持することに尽(つ)きるとして、「受持即(そく)観心」の法門を示(しめ)されました。 御書には、「受(う)くるは・やすく持(たも)つはかたし・さる間(あいだ)・成(じょう)仏(ぶつ)は持つにあり、此(こ)の経(きょう)を持たん人は難(なん)に値(あ)うべしと心(こころ)得(え)て持つなり」(1136ページ)とあります。 御本尊を信(しん)受(じゅ)すること以上に、信仰を持ち続け、一(いっ)生(しょう)涯(がい)信心を貫(つらぬ)くことは、非常に難(むずか)しいことです。御書に、「法(ほ)華(け)経(きょう)の信心を・とをし給(たま)へ」(1117ページ)とあるように、大聖人は弟子や門下に対し、御書のいたる所で、信心を貫き通していくことの重要性を強調されています。 また、「成仏は持つにあり」との仰(おお)せのように、「持つ」とは、競(きそ)い起(お)こる難(なん)と戦い、仏(ほとけ)の教えを実践していくという能(のう)動(どう)的(てき)な姿勢にほかなりません。 「信心を貫き通す」「持ち続ける」というのは、いかなる障(しょう)魔(ま)が現(あらわ)れようとも決して紛(ふん)動(どう)されることなく、生涯、不(ふ)退(たい)の信心を貫くことです。そこにこそ、一生成仏の道があるのです。日蓮大聖人の御書から 「上(うえ)野(の)殿(どの)御(ご)返(へん)事(じ)(水(すい)火(か)二信抄(にしんしょう))」について●水の流れるような実践を 日蓮大聖人は「上野殿御返事(水火二信抄)」で、信心に取り組む姿勢に「火の信心」と「水の信心」があるとして、次のように仰せです。 「聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544ページ) 具体的に「火の信心」というのは、火が一時的に激しく燃え上がるように、感激した時には真剣に唱題や弘教に励みますが、永続性のない信心です。 一方、「水の信心」は、派手で目立った行動はなくとも、心堅固に、常に水が流れるように、不退の決意と使命感をもって、生涯、信・行・学を持続し抜いていく人の信心です。 私たちが実践するべきは、「水の信心」です。 創価学会第2代会長の戸田城聖先生は語られました。 「たゆまず流れ出ずる水の信心であれ! 溜まり水は、動かないから腐ってしまう。人間も同じだ。進まざるは退転である」と。 私たちは、どこまでも水の流れるような信心を続けていきましょう。 日蓮大聖人は「上(うえ)野(の)殿(どの)御(ご)返(へん)事(じ)(水(すい)火(か)二(に)信(しん)抄(しょう))」で、信心に取り組む姿勢に「火の信心」と「水の信心」があるとして、次のように仰(おお)せです。 「聴(ちょう)聞(もん)する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544ページ) 具体的に「火の信心」というのは、火が一時的に激(はげ)しく燃え上がるように、感激した時には真剣に唱題や弘(ぐ)教(きょう)に励(はげ)みますが、永(えい)続(ぞく)性(せい)のない信心です。 一方、「水の信心」は、派(は)手(で)で目(め)立(だ)った行動はなくとも、心(こころ)堅(けん)固(ご)に、常に水が流れるように、不(ふ)退(たい)の決意と使命感をもって、生涯(しょうがい)、信・行・学を持続し抜いていく人の信心です。 私たちが実践するべきは、「水の信心」です。 創価学会第2代会長の戸田城聖先生は語られました。 「たゆまず流れ出(い)ずる水の信心であれ! 溜(た)まり水は、動かないから腐(くさ)ってしまう。人間も同じだ。進まざるは退(たい)転(てん)である」と。 私たちは、どこまでも水の流れるような信心を続けていきましょう。 (2018年5月8日 聖教新聞 「世界宗教の仏法を学ぶ 池田先生の指導・励ましから」)より

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    • 第3回 弘教――永遠の幸福を開く「極善の実践」

       連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励(はげ)ましを教学のテーマ別に紹介。併(あわ)せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御ご書sしょなどを紹介します。第3回のテーマは「弘ぐ教きょう」です。小説「新・人間革命」第13巻「北(ほく)斗(と)」の章 【あらすじ】1968年(昭和43年)10月、静(しず)岡(おか県(けん)富(ふ)士(じの)宮(みや)市(し)内(ない)で開かれた地区座談会に出席した山本伸一会長は、「今日は形式は抜きにして、なんでも気(き)軽(がる)に話し合いましょう」と参加者に呼び掛ける。そして、同志の悩(なや)みや質問に対して、渾(こん)身(しん)の励(はげ)ましを送っていく。 ◇ 今度は、壮年が指名された。 「私は、仕事が忙(いそが)しくて休日も取れません。でも、なんとか折伏をしたいと思っています。ところが、なかなかできないもので悩(なや)んでおります」 「人を救(すく)おうとして悩むなんて、すごいことではないですか。尊(とうと)く誇(ほこ)り高い、最高の悩みです。本当の慈(じ)悲(ひ)の姿(すがた)です。それ自体、地(じ)涌(ゆ)の菩(ぼ)薩(さつ)の悩みであり、仏(ほとけ)の悩みです」 集(つど)った同志は、弘(ぐ)教(きょう)を実(みの)らせようと、日々、懸(けん)命(めい)に戦っていた。 それだけに、折伏についての話に、皆、目を輝(かがや)かせ、真剣な顔で聴(き)き入(い)っていた。 「折伏を成(な)し遂(と)げる要(よう)諦(てい)は何か。それは決意です。一念が定(さだ)まれば、必(かなら)ず状況を開(ひら)くことができる。 折伏は、どこでもできるんです。戸田先生は、牢(ろう)獄(ごく)のなかでも法(ほ)華(け)経(きょう)の極(ごく)理(り)を悟(さと)り、看(かん)守(しゅ)を折伏しています。まず、折伏をさせてくださいと、御本尊に懸命に祈り抜くことです。すると、そういう人が出てきます。また、ともかく、あらゆる人と仏法の対話をしていくんです。 もちろん、信心の話をしても、すぐに入会するとは限りません。それでも、粘(ねば)り強く、交流を深めながら、相手の幸福を日々祈り、対話を重ねていくことです。種(たね)を蒔(ま)き、それを大切に育(そだ)て続けていけば、いつか、必ず花が咲(さ)き、果(か)実(じつ)が実ります。焦(あせ)る必要はない。 さらに、入会しなくとも、ともに会合に参加して教学を勉強したり、一緒に勤行したりすることもよいでしょう。自然な広がりが大事です。 ともあれ、苦労して弘教に励(はげ)んだ分(ぶん)は、全部、自分の福(ふく)運(うん)になります。相手が信心しようが、しまいが、成(じょう)仏(ぶつ)の因(いん)を積(つ)んでいるんです」 皆が笑顔で頷(うなず)いていた。伸一の話を聞くうちに、安心感と勇気がわいてくるのである。 彼は、言葉をついだ。 「また、対話してきた人を入会させることができれば、何ものにもかえがたい、最高最大の喜びではないですか。折伏は、一人ひとりの人間を根(こん)本(ぽん)から救い、未来永遠の幸福を約束する、極(ごく)善(ぜん)の実(じっ)践(せん)です。寄(き)付(ふ)をするとか、橋を造(つく)ったとかいうような慈(じ)善(ぜん)事業などよりも、百(ひゃく)千(せん)万(まん)億(おく)倍(ばい)も優(すぐ)れた、慈(じ)悲(ひ)の行為なんです」 答え終わると、すぐに次の手があがり、質問は後を絶(た)たなかった。理解を深めるために●「聞(もん)法(ぽう)下(げ)種(しゅ)」と「発(ほっ)心(しん)下種」 日蓮大聖人の仏法は「下(げ)種(しゅ)仏法」と言われます。「下種」とは、衆(しゅ)生(じょう)に成(じょう)仏(ぶつ)の根(こん)源(げん)の種(しゅ)子(し)である妙法を語っていくことです。 「下種」には「聞(もん)法(ぽう)下種」と「発(ほっ)心(しん)下種」があります。聞法下種とは、友人に妙法を説(と)き聞かせること、発心下種とは、妙法を説いて友人が仏法の実(じっ)践(せん)を決意(発心)することを指(さ)します。 御書には、「とにもかくにも法(ほ)華(け)経(きょう)を強(し)いて説き聞かせるべきである。それを聞いて信ずる人は仏(ほとけ)となる。謗(そし)る人は毒(どっ)鼓(く)の縁(えん)となって仏になるのである。どちらにしても、仏の種は法華経より外(ほか)にはないのである」(552ページ、通解)とあります。 第2代会長の戸田城聖先生は、「初めて会って折伏した。けれど信心しなかった。これは聞法下種である。ところが、次の人が行って折伏し、御本尊様をいただかせた。これは発心下種である。どちらも下種には変わりはない。功(く)徳(どく)は同じである」と語られていました。 大聖人の仏法を語っていく行為は、その人の成仏への機(き)縁(えん)をつくっていく最(もっと)も尊(とうと)い行為です。聞法下種も発心下種も妙法を教えていく尊い実践であり、功徳も大きいのです。日蓮大聖人の御書から 「持(じ)妙(みょう)法(ほっ)華(け)問(もん)答(どう)抄(しょう)」について●「妙法を持(たも)つ」意味 日蓮大聖人は「持(じ)妙(みょう)法(ほっ)華(け)問(もん)答(どう)抄(しょう)」で、「須(すべから)く心(こころ)を一(いつ)にして南無妙法蓮華経と我(われ)も唱(とな)へ他(た)をも勧(すすめ)んのみこそ今(こん)生(じょう)人(にん)界(かい)の思(おもい)出(で)なるべき」(御書467ページ)と仰(おお)せです。 大聖人は、この御文の直前で、法(ほ)華(け)経(きょう)に説(と)かれる「現(げん)世(ぜ)安(あん)穏(のん)・後(ご)生(しょう)善(ぜん)処(しょ)」の文を引き、「現世は安らかであり、来世には善(よ)い所(ところ)に生まれるため」の妙法であることを示(しめ)されています。そして、「『現世安穏・後生善処』の妙法を持(たも)つ」(同ページ)ことが、今(こん)世(ぜ)の真(しん)の名(めい)誉(よ)であり、来(らい)世(せ)も揺(ゆ)るがぬ安(あん)楽(らく)へと生命を導(みちび)く力(ちから)となる、と教えられているのです。 では、「妙法を持つ」とは具体的に何を指(さ)すのか。それは、単に御本尊を“もっている”ということではありません。 第一に、「須く心を一にして」と仰せの通(とお)り、心を一つに定め、純(じゅん)粋(すい)に御本尊を信じ抜くことが重要です。 第二に、自(じ)行(ぎょう)化(け)他(た)の実践が大切です。「自行」とは日々の勤行・唱題であり、「化他行」とは、他者の幸福を願い、弘教に励むことです。 自行と化他行の二つは、いわば“車の両輪”のようなもので、“両輪”が伴(ともな)った自行化他の実践があってこそ「受(じゅ)持(じ)」となるのです。さらに「他をも勧んのみ」と仰せのように、友に仏法を語る「下種」こそが、大聖人の仏法における仏道修(しゅ)行(ぎょう)の要(よう)諦(てい)なのです。 (2018年4月17日 聖教新聞 「世界宗教の仏法を学ぶ 池田先生の指導・励ましから」)より

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    • 〈忘れ得ぬ瞬間 創立者の語らい〉第2回

      〈忘れ得ぬ瞬間(とき) 創立者の語らい〉第2回第1回入学式で、創立者・池田先生が一人一人を激励。新入生の胸元には、先生ご夫妻から贈られたエメラルドグリーンのスカーフとコサージュが(1985年4月、創価女子短大で)創価女子短期大学 1985年4月 入学式「理(り)想(そう)」「鍛(きた)え」「教(きょう)養(よう)」の女性に 「女性教育の殿堂でんどう」たる創価女子短期大学の第1回入学式が行おこなわれたのは、1985年4月9日。スピーチに立った創立者・池田先生は、高こう貴きにして崩くずれざる道を後輩のためにつくりゆこうと語り、短大生に万感ばんかんの期待を寄せた。   短期大学に学ぶ2年間という歳月さいげつは、短みじかいといえば短い。しかし、もっとも大切な人生の節ふし目めであると考えるならば、もっとも深く長い2年間と申し上げたい。この2年間に教授と学生が一体となって、4年制大学の卒業生以上の実力をつけることを、私は願望がんぼういたします。土(ど)台(だい)を築(きず)く2年間 この日、池田先生は1期生に三つの指し針しんを示しめしている。一つ目は「理り想そう」である。青春時代は、魂たましいの奥深おくふかくに「理想」の苗なえを植うえ付けていかねばならない。自分らしく、理想を高く掲かかげ、着ちゃく実じつな日々の研けんさんをと望んだ。   ある大作家の作品に「理想のあるものは歩あるく可べき道を知っている。大なる理想のあるものは、大なる道を歩く……どうあっても、この道を歩かねば已やまぬ。魂がこちらこちらと教えるからである」という私の大好きな一節いっせつがあります。自分の生きるべき「理想」をつかんだ人は強い。それは、どんな迷めい路ろに踏ふみこもうとも、暗あん夜やの灯ともしびのように、皆さんを前へ前へと確実に導みちびいてくれると、私は思うからであります。   二つ目は「鍛きたえ」である。先生は、フランスの思想家モンテーニュの言葉「運命はわれわれに幸福も不ふ幸こうも与あたえない。ただその素そ材ざいと種しゅ子しを提てい供きょうするだけだ。それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用もちいたりする。われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一ゆいいつの原因であり、支配者なのである」(『エセー〈一〉』原二郎訳、岩波文庫)を紹介。2年間の「心の鍛え」が土ど台だいとなり、40代、50代になって、見事な人生の花を咲かせていけることを強調した。   「鍛え」ということは、若い時代の特権とっけんです。脆ぜい弱じゃくな土台の上に建たてられた建物は、すぐに崩くずれてしまう。と同じように、身体を鍛え、頭ず脳のうを鍛え、心を鍛える「鍛え」の青春なくしては、真実の幸福も、真実の満足まんぞくもありえないと思うからであります。   これから、若き皆さん方は、それぞれの運命を背せ負おって生きていかねばならない。つまずいたり、絶望ぜつぼうしたり、挫ざ折せつしたりすることもあるにちがいない。しかし、それはたんなる「素材」であり、「種子」にすぎないのであります。 それを、不幸と感じて人生の敗北者はいぼくしゃとなるか、反対に、幸福への発ば条ねとして生き抜いていくかは、いつに、モンテーニュの言う「それよりも強いわれわれの心」にかかっているのであります。清(きよ)き心を磨(みが)け 三つ目は「教きょう養よう」である。教養とは、たんなる知識や技ぎ能のうの習しゅう得とくだけではない。自分らしい人間性と人格の輝かがやきであり、見識けんしきの母ぼ体たいである。また、よりよい人間関係を築きゆく潤じゅん滑かつ油ゆであり、人間にのみ与えられた清きよき心の昇しょう華かの姿すがたと行動であると述べ、先生はこう言葉を継ついだ。   教養とは「高度な教養」また「一般的な教養」等々、さまざまに論ろんじられていますが、端的たんてきに「洗練せんれんされた常じょう識しき」と、言えるのではないかと思います。正ただしいものを正しく見、美しいものを美しいと見ていける、清らかな広々ひろびろとした健全けんぜんなる心が、第一義となってくるのは理の当然とうぜんでありましょう。   名著めいちょを数多く読み、接せっすることも大切であろうし、よき友やよき先輩と、語り交まじわることも大切ではないかと思うのであります。   最後に、皆さん方が、本学のモットーである「知性と福徳ふくとくゆたかな女性」「自じ己この信しん条じょうをもち人間共きょう和わをめざす女性」、そして「社会性と国際性に富とむ女性」に成長されんことを心から祈って、私のあいさつとさせていただきます。本年、短大に入学した34期生が清新な決意に輝いて(4月2日) (2018年5月23日 聖教新聞)より

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