がいしんはらい“命をすくう存在”へ 釈尊がうながした生き方のてんかん

 

SGIとICANが共同制作した「核兵器なき世界への連帯」展。2012年に広島でスタートした同展は、これまで世界の90都市で開催されてきた(17年9月、タイのソンクラナカリン大学で)

 

 

 

戦争のげきかえさせない

 

 

アングリマーラを変えた二つのてん


 では、いかなる手段もいとわず、どんなせいしょうじてもかまわないといった思想に横たわる「平和ざい」のびょうを乗り越えて、すべての人々の命を救うための軍縮を世界のちょうりゅうに押し上げていくためには、何が必要となるのか――。
 この難題と向き合うにあたり、“やまいに対する”のアプローチを重視する仏法のを示すものとして紹介したいのは、しゃくそんざいの時代の古代インドで、多くの人命をうばい、人々からおそれられていたアングリマーラをめぐる説話です。

 

 ――ある時、釈尊の姿すがたを見かけたアングリマーラは、釈尊の命を奪おうとして、後を追いかけた。
 しかし、どれだけ足をはやめても、釈尊のそばにはたどりつけない。
 ごうやした彼が立ち止まり、釈尊に「止まれ」とさけんだ。すると釈尊から返ってきたのは、「アングリマーラ、わたしは止まっている。おんが止まれ」との答えだった。
 自分は足を止めているのに、なぜ、そんなことを言うのかとたずねるアングリマーラに対し、釈尊はさらにこう答えた。
 「止まれ」と言ったのは足のことではない。つぎつぎと命を奪うことに何のつうようも感じない、その行動のおうていにあるがいしんに対し、みずからをせいして止まるように言ったのである、と(長尾雅人責任編集『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』中央公論社を引用・参照)。
 この言葉に胸を打たれたアングリマーラは、害心をはらって悪をつことを決意し、手にしていた武器をてた。そして釈尊に、弟子にくわえてほしいと願い出たのです。
 以来、彼は釈尊にし、自らがおかしたつみを深く反省しながら、しょくざいの思いをめた仏道修行にひたすらはげみました。
 そんなアングリマーラに、もう一つの重要なてんおとずれました。
 ――アングリマーラがたくはつをしながら街を歩いていると、なんざんで苦しんでいる一人の女性を見かけた。何もできずに立ち去ったものの、女性の苦しむ姿が胸に残り、釈尊のもとにおもむいてそのことを伝えた。
 釈尊はアングリマーラに対し、女性のもとに引き返して、次の言葉をかけるようにうながした。「わたしは生まれてからこのかた、に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身にやすらかさあらんことを、たいに安らかさあらんことを」と。
 自分が重ねてきたあくぎょうを知るがゆえに、アングリマーラは真意がつかめなかった。そこで釈尊は、アングリマーラが害心を自ら取り払い、深く反省して修行を重ねていることに思いをいたらせるかのように、改めて彼に対し、女性にこうげるように呼び掛けた。
 「わたしはとうとい道にこころざす者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを」と。
 釈尊の深い思いを知ったアングリマーラは、街に戻って女性に言葉をささげた。すると苦しんでいた女性はおだやかな表情を取り戻し、無事に子どもを出産することができたのだった――(前掲『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』を引用・参照)。
 この二つの出来事を通して、釈尊がアングリマーラに促したことは何であったか。
 それは、彼を長らく突き動かしてきた害心に目を向けさせて、悪行を食い止めたことにとどまりませんでした。母子の命を助けるための道を照らし出し、アングリマーラが自らのちかいをもって“命を救う存在”になっていく方向へと、心を向けさせたのです。
 もちろんこの説話は、一人の人間の生き方のへんかくのドラマをえがいたものであって、現代とは時代も違えば、状況も違います。
 しかし、こうの禁止を強調するだけでなく、その行為とは正反対の“命を救う存在”へと踏み出すことを促すベクトル(方向性)は、社会の変革にまで通じる治癒のていりゅうとなりるのではないかと、私は提起したいのです。

 

ジュネーブ諸条約にめられた決意


 今から70年前(1949年)にていけつされ、国際人道法の重要な原則をさだめたジュネーブ諸条約には、このベクトルにあいつうじるような条約制定への思いが込められていたと感じます。
 ジュネーブ諸条約は、にんをはじめ、子どもや女性、こうれいしゃや病人を保護する安全たいの設置などを求めて、第2次世界大戦の末期に赤十字国際委員会が準備作業にちゃくしゅしていたものでした。
 戦後、こうしょう会議に参加した国々は、条約のさいたくに際し次の表明をおこないました。
 「各国政府は将来にわたり、戦争犠牲者の保護のジュネーブ諸条約を適用しなければならないことのないよう、また各国は強大国であろうと弱小国であろうと常に諸国間の相互理解と協力によりふんそうを友好的に解決することを希望する」(井上忠男『戦争と国際人道法』東信堂)
 つまり、条約に対するはん行為を共にいましめるといったげんにとどまらず、条約の適用がわれるような、多くの人命が奪われる事態をぜんふせぐとの一点に、条約の制定をみちびいた思いがぎょうしゅくしていたのです。
 多くの人々がたりにした戦争のざんこくさとさんさが、交渉会議の参加者の間にも感覚として残っていたからこそ、国際人道法の基盤となる条約は、強い決意をもって採択されたのではないでしょうか。
 私は、この条約の原点を常にかえりみることがなければ、条文にていしょくしない限り、いかなる行為も許されるといった正当化の議論が繰り返されることになると、強くけいこくを発したい。
 まして現在、AI兵器と呼ばれる「自律型兵器システム(LAWSロ ー ズ)」の開発が進む中で、“人間が直接かいざいせずにせんとうが行われる紛争”のとうらいさえ、現実味をびようとしています。このままではジュネーブ諸条約にけつじつした国際人道法の精神がじゅうぜんはっされなくなるおそれがあり、私たちは今こそ、「平和不在」の病理をこくふくするちょうせんを大きく前に進めねばならないと思うのです。
 そのために重要な足場となるのが、「平和不在」の病理に対する認識をたがいに持ちながら、治癒のあり方を共にさぐること――すなわち、「平和な社会のビジョン」を共有していくことではないでしょうか。

 

核兵器禁止条約が持つ歴史的な意義


 私は、このビジョンのこっかくとなるものを打ち出した軍縮国際法のこうこそ、核兵器禁止条約に他ならないと訴えたい。
 核兵器禁止条約は、軍縮や人道のはんちゅうだけにおさまる国際法ではありません。
 国際人道法の名づけ親と言われる赤十字国際委員会のジャン・ピクテ元副委員長は、国際人道法の規則を構成する条文は「人道的な関心を国際法へてんかんしたもの」(前掲『戦争と国際人道法』)であると強調していました。
 ばくしゃをはじめとする多くの民衆の“核兵器によるさんげきを繰り返してはならない”との思いを凝縮した核兵器禁止条約は、まさにそのけいつらなるものだといえましょう。
 さらに、核兵器禁止条約は、新しい国際法のあり方として注目されている、「ハイブリッド型国際法」の性格もびています。
 これは気候変動の分野で提起されてきたもので、人権や強制移住の問題と連動させる形での問題解決を志向した、思考のわくみの転換を促す条約のアプローチです。
 そうした地球的な課題のれんかんせいをよりはばひろほうせつしたのが、核兵器禁止条約であると思うのです。
 国家の主権に深くかかわる安全保障であっても、「環境」「社会経済開発」「世界経済」「しょくりょう安全保障」「現在および将来の世代の健康」、そして「人権」と「男女そうほうの平等」のすべての重みを踏まえたものでなければならないとの方向性を明確に打ち出しているからです。
 いずれの課題に対するはいりょいても、真の安全保障を確保することはできない――その意識の共有が土台になければ、核軍縮の交渉といっても、保有数のバランスばかりに目が向いて、軍備管理的な意味合いから抜け出すことはむずかしいのではないでしょうか。
 その意味で、核兵器禁止条約は、長年にわたる核軍縮のていたいを打ち破るための基盤を提供するだけではありません。
 核兵器禁止条約を支持するれんたいの輪を広げる中で、①すべての人々のそんげんを守り合う「人権」の世界、②自他共の幸福と安全を追求する「人道」の世界、③地球環境と未来の世代に対する責任を分かち合う「共生」の世界への道をちからづよく開いていくことに、最大の歴史的な意義があると訴えたいのです。

 

不十分な状態続くじんどう危機への対応


 次に、軍縮を進めるための第二の足場として提起したいのは、「人間中心のこくかん主義」を共にはぐくむことです。
 「人間中心の多国間主義」は、深刻な脅威や課題に直面している人々を守ることに主眼を置くアプローチで、昨年8月に行われた国連広報局/NGO(非政府組織)会議の成果文書でも、その重要性が強調されていたものです。
 エスディージーの取り組みを前進させるために欠かせないアプローチですが、私は、この追求がそのまま、軍拡の流れを軍縮へと大きく転換する原動力となっていくに違いないと考えます。
 国連のグテーレス事務総長が「軍縮アジェンダ」の発表にあたってけいしょうを鳴らしていたように、世界全体の軍事支出が増加する一方で、人道危機への対応のために必要な支援が不十分となる状態が続いています。
 災害だけをみても、毎年、2億人以上の人々がさいしているといわれます。
 の問題も深刻です。8億2100万人が飢餓にわれ、栄養不良ではついくがいされている5歳まんの子どもは約1億5100万人に及んでいます。
 この問題を考えるにつけ、“そもそも安全保障は何のためにあるのか”との原点に立ち返る必要があると思えてなりません。
 そこで言及したいのは、国連大学のハンス・ファン・ヒンケル元学長が「人間の安全保障」に関するろんこうで述べていた言葉です。
 ヒンケル氏は、安全保障はさまざまな要因が関係するために複雑にみえるものの、一人一人の目線に立てば、何が脅威で、何を不安に感じるのかは明白にかびがってくるとし、次のように指摘しました。
 「世界の大多数の人々にとって、じゅうらいの安全保障が、個人レベルにおいて意味のある安心感を提供できなかったことは明白である」
 「国際関係と外交政策の決定過程には、しっぺいや飢餓やしきよりも、ハイ・ポリティクスをゆうせんする態度や制度がまれている。私たちは、このようなあり方にあまりにもれてしまっており、多くの人にとって『安全』は国家の安全保障と同義になっている」
 「ハイ・ポリティクス」とは政治上の最優先事項を意味する言葉ですが、国家の安全保障のじゅうくらべて、一人一人の生命と生活をおびやかす諸課題への対応がおくれがちになる中で、世界の多くの人々が「意味のある安心感」をられていない状況がしょうじているのではないかと、ヒンケル氏は問題提起したのです。

 

『第44回「SGIの日」記念提言㊤-4』へ続く

 

(2019年1月26日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より