安心感と未来への希望をはぐくむ「人間中心のこくかん主義」を

 

生命尊厳の思想に基づく共生の世界を!――環境運動家のワンガリ・マータイ博士との対話では、人類に新しい希望の光を送るアフリカの使命などについて語り合われた(2005年2月、東京・信濃町の聖教新聞本社で)

 

関西国際文化センターで先月開幕した、創価学会主催の「難民の子どもたちの絵展」。中東・シリアでの紛争から逃れた少年が将来の夢を描いた作品をはじめ、76点の絵が紹介されている(兵庫・神戸市で)

 

仏法にみゃくつ「どう」の精神がSGIの平和運動のげんりゅう

 

 

 またヒンケル氏は別の講演で、きょくひんこんおちいった人々のきゅうじょうについて、こうべていました。
 「一日一日のせいぞんさえ――まさしく『一日一日』であって、『一時間一時間』とさえいいうるのだが――しょうされないとしたら、人はいかにして生活に喜びや意味を見い出したり、人間的そんげんしながら生活を送ることができるだろうか。明日をむかえるのがせいいっぱいというような生活がしゅたる関心事であるとしたら、人はいかにして未来にけ、他者とのきずなを築くことができるだろうか」(「疎外、人間の尊厳、責任」、「日本国際問題研究所創立40周年記念シンポジウム報告書」所収)と。
 私はそこに、じゅうらいの安全保障ではごされてきた人々の苦しみのしんこくさを、つうせつに感じるのです。
 そのつらい思いは、貧困やかくに苦しむ人々だけでなく、ふんそうのためになんみん生活をいられた人々や、災害によってなん生活をなくされた人々をはじめ、世界の多くの人々がかかえているものではないでしょうか。

 

アフリカで広がる画期的な難民支援


 その意味で私は、同じ地球に生きる一人一人が「意味のある安心感」をいだくことができ、未来への希望を共にはぐくんでいける世界を築くことこそ、「人間中心の多国間主義」の基盤にあらねばならないと訴えたい。
 とはいっても、このちょうせんはゼロからの出発ではありません。多くの深刻な問題に直面してきたアフリカで、意欲的な取り組みが始まっているアプローチだからです。
 そのけいとなったのが、2002年のアフリカ連合(AU)の発足でした。
 人道危機に対応するための協力がさくされる中、7年前には「AU国内なんみん条約」がはっこうしています。
 これは他の地域には見られないせん的な条約で、国内避難民の保護を地域全体で支えることを目指したものです。
 また、難民支援の面でもとくひつすべき動きがみられます。
 例えばウガンダでは、南スーダンなどの紛争国からのがれた110万人もの難民を受け入れてきましたが、難民の人々は移動の自由と労働の機会が認められているほか、土地の提供を受け、りょうや教育も受けられるようになっています。
 ウガンダの多くの国民が紛争の被害に苦しみ、難民生活を送った経験を持ち、その時の思いが、難民の人々を支える政策の基盤となっているのです。
 このほか、タンザニアでも注目すべき取り組みがありました。
 タンザニアでは、周辺の国々から避難した30万人以上の難民の人々が生活していますが、その難民の人々と地域の住民が協力して、なえさいばいする活動が行われてきたのです。
 この活動は、まきを得るために森林ばっさいが進み、自然環境の悪化が懸念される中で始まったもので、難民キャンプとそのキャンプがある地域に約200万本の木々が植えられてきました。
 アフリカの大地にあらたに植えられた、たくさんの緑の木々――。その光景を思い浮かべる時、私の大切な友人で、アフリカにしょくじゅ運動の輪を広げたワンガリ・マータイ博士が述べていた言葉が胸にせまってきます。
 「木々は土地をいやし、貧困とえのサイクルを断ち切る一助になります」
 「そして、木々はらしい平和のシンボルです。木々は生き、私たちに希望をあたえてくれます」(アンゲリーカ・U・ロイッター/アンネ・リュッファー『ピース ウーマン』松野泰子・上浦倫人訳、英治出版)
 難民の人々にとって、新しく生活を始めた場所で栽培を手伝った木々の存在は生きる希望のしょうちょうとなり、「意味のある安心感」につながるものとなっているのではないでしょうか。
 私は、“最も苦しんだ人こそが最も幸せになる権利がある”との信念に基づき、21世紀は必ず「アフリカの世紀」になると、半世紀以上にわたって訴え続けてきました。
 世界で求められている「人間中心の多国間主義」のアプローチのきょくじつは、今まさにアフリカからのぼろうとしているのです。

 

無関心とが苦しみを強める


 現在、国連難民高等弁務官事務所が支援する難民の3割以上が、アフリカの国々で生活をしています。
 国連で先月さいたくされた、難民に関するグローバル・コンパクト=注3=でも呼び掛けられたように、大勢の難民の人々を受け入れ国だけで支えるのは容易ではなく、国際社会をあげて難民への支援とともに、受け入れ国に対する支援を強化することが欠かせません。
 ともすれば、難民問題や貧困の問題にしても、そのさんさに直面していない場合、“自分たちの国には関係がない”とか“自分たちの国の責任ではない”と考えてしまうけいこうがみられます。「人間中心の多国間主義」は、こうした国の違いというかきえて、深刻なきょうや課題に苦しんでいる人々を救うことを目指すアプローチなのです。
 仏法の出発点となった釈尊の「もんしゅつゆう」の説話には、この意識てんかんを考える上でを与えるメッセージがあると、私は考えます(以下、『ゴータマ・ブッダI』、『中村元選集[決定版]』第11巻所収、春秋社を引用・参照)。
 古代インドの時代に、王族として生まれた釈尊は、政治的な地位と物質的な豊かさにめぐまれる中で、寒さや暑さに悩まされることも、ちりや草やつゆによって衣服がよごれることもない生活を送り、多くの人が王族に仕えてくれる環境の下で青年時代を送りました。
 しかしある日、城門から出た釈尊が目にしたのは、病気やいをかかえて苦しむ人々や、みちばたくなっている人の姿でした。
 その姿にはげしく心を動かされた釈尊は、自分もふくめ、人間であるならばだれしもしょうろうびょうの苦しみは逃れがたいものであることを、まざまざと感じたのです。
 釈尊が胸を痛めたのは、生老病死の悩みもさることながら、多くの人がそれを“今の自分とは関係のないもの”と考えて、苦しんでいる人々をきらったり、いとう気持ちをいだいてしまっていることでした。
 後に釈尊は当時をかいそうし、そうした人間心理について次のように述べました。
 「自分が老いゆくものであって、また、老いるのをまぬかれないのに、他人がろうすいしたのを見ると、考えこんで、悩み、じ、けんしている――自分のことをかんして」
 こうした言葉を通し、釈尊は「老い」だけでなく、「病」や「死」に対しても同じ心理が働きやすいことをかっしました。他者の苦しみを自分とは無縁のものと思い、嫌悪の念すら抱く――この人間心理を、釈尊は「若さのおごり」「健康の驕り」「いのちの驕り」としていましめたのです。
 それらの驕りを、“人間と人間との心の結びつき”の観点から見つめ直してみるならば、驕りから生じる無関心やが、人々の苦しみをよりしんこくなものにしてしまうという問題が、かびがってくるのではないでしょうか。
 いつの時代にも、“貧困などの状態におちいるのは本人の運命でやむを得ない”といった運命論や自己責任論をはじめ、“人々に苦しい思いをさせたとしても、自分の知るところではない”といった道徳否定論がおうこうしやすい面があります。
 こうした考えに対して釈尊は、人間が生きる上でさまざまな苦しみにうことは避けられないとしても、自身のうちなる可能性を開花させることで、人生を大きく切り開いていくことができると強調しました。
 そしてまた、困難を抱える人々に対し、同苦してい、はげまし支えていくえんつむぎ合う中で、安心と希望の輪を広げることができると強調したのです。

 

 この仏法のまなしは、生老病死の悩みにとどまらず、社会でさまざまな困難に直面している人々にも向けられたものでした。
 例えば、ある大乗仏教の経典(そくかいきょう)には次のような一節が説かれています。
 「かんそうした場所には、をつくり、じゅりんを植え、すいを整備しよう」
 「ねんぱいの人や子どもや体の弱い人がこまっていれば、かれらの手をとって助けよう」
 「住んでいた土地を失ってしまった人を見かけたら、しんな言葉をかけて寄り添おう」
 これらの言葉は、自分も同じ苦しみに直面するかもしれない一人の人間として、“自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない”との心で「ともの幸福」を目指していく、仏法の精神の一つの表れといえるものです。
 私どもがFBO(信仰を基盤とした団体)として、平和や人権、環境や人道などの地球的な課題に取り組む上での思想的げんりゅうとなってきたのも、こうした他者の苦悩に「同苦」する精神に他なりませんでした。
 釈尊がどうさつした、老いや病や死を自分に関係がないものとしていとい、苦しみを抱える人に冷たく接してしまう心理――。それはまた、貧困や飢餓や紛争で苦しんでいる人々を、自分が直面する問題ではないからと意識の外に置いてしまう心理と、ていりゅうにおいて結びついているのではないかと思えてなりません。

 

環境問題がうながす安全保障観のてんかん


 この問題を考える時、先にれた国連広報局/NGO会議の成果文書の中にも、「私たち民衆は、ナショナリズムかグローバリズムか、いずれかしかないといったあやまったせんたくきょする」との言葉があったことがそうされます。
 自国第一主義に象徴されるようなナショナリズムを追求すればするほど、「はい」の動きが強まることになり、経済的な利益をじょうするグローバリズムを進めれば進めるほど、「じゃくにくきょうしょく」的な世界の傾向が強まってしまいます。
 そうではなく、深刻な脅威や課題に直面する人々を守ることに主眼を置いた「人間中心の多国間主義」のアプローチを、すべての国々が選び取って共に行動を起こしていく時代が来ていると思うのです。
 安全を守る防衛の歴史には、“じょうへきけんに築けば、自分たちは安全である”との思想がみられますが、そうした考えは現代においても、“軍事力でぼうぎょされた国境の内側にいる限り、自分たちの安全は確保できる”といった形でがれてきたといえましょう。
 しかし一方で、気候変動をはじめとする地球的な課題の多くは、国境を越える形で被害が及ぶものであり、新しいアプローチでの対応がかせないのではないでしょうか。
 こうした中、ラテンアメリカとカリブ海諸国が、昨年3月、環境に関する権利を地域全体で守ることを目指す、「エスカス条約」という画期的な枠組みを採択しました。
 この地域では、ハリケーンによる災害や、海洋の酸性化などの問題を抱えてきました。そこで、条約を通じて地域間の協力を強化するとともに、環境問題に取り組む人々を共に守り、重要な決定をする場合には多様な意見に耳をかたむけることを義務づけるという、「人間中心」の方針が打ち出されたのです。

 

『第44回「SGIの日」記念提言㊤-5』へ続く

 

 (2019年1月26日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より