へんかくの波を世界にこす「青年によるかん」をしゅりゅう

 

南米・コロンビアで開催された、東京富士美術館所蔵の「日本美術の名宝」展。相次ぐテロ事件で緊迫する中、同国を訪問した池田SGI会長は、東京富士美術館の創立者として開幕式に出席した(1993年2月、ボゴタ市の国立博物館で)

 

昨年9月、国連人権理事会が、「人権教育のための世界プログラム」の第4段階の焦点を青年にすることを決議。会期中には、SGIなどが制作した「人権教育ウェブサイト」の完成発表会が、人権理事会の関連行事として行われた(ジュネーブの国連欧州本部で)

 

人権活動家のエスキベル博士と池田SGI会長による共同声明の発表を記念して行われた「青年の集い」。イタリアのNGOなどに所属する約1000人の若者が参加した(昨年6月、ローマ市内で)

 

自分にしかできない行動がきびしい現実をやぶちから


 くわえて、グローバルなでも注目すべき動きが始まっています。
 国連環境計画が2年前に開始した「クリーン・シー・キャンペーン」で、海洋せんを引き起こしてきたプラスチックごみのさくげんを目指す運動です。
 現在までに50カ国以上が参加し、対象となる海岸線は世界全体の6割をえるまでになりました。
 これまで“海岸線を守る”というと防衛的な観点が前面にあったといえますが、今やそこに、“国の違いを超えて海洋を保護し、せいたいけいを共に守る”というまったく新しい意味合いがしょうじつつあるのです。
 歴史をかえれば、現代にもつながるはい的なナショナリズムと、利益じょう主義のグローバリズムのたんしょとなったのが、19世紀後半から世界にたいとうしたていこく主義でした。
 創価学会の牧口常三郎初代会長は、そのあらしれた20世紀の初頭(1903年)に、他国の民衆をせいにして自国の安全とはんえいを追い求める生存競争からだっして、各国が人道的競争に踏み出すべきであるとうったえていました。
 そしてそのようていを、「他のためにし、他をえきしつつ自己も益する方法を選ぶにあり。共同生活を意識的に行うにあり」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社、現代表記に改めた)と強調したのです。
 このじくあしてんかんは、現代の世界でせつじつに求められているものだと思えてなりません。
 人道危機や環境協力の分野で助け合う経験をかさねることは、「平和ざい」のびょうがつくりだした対立ときんちょうに、しんらいと安心の緑野を広げるためのしょほうせんとなるはずです。その先には、対抗的なぐんかく競争から抜け出す道もひらけてくるのではないでしょうか。
 今年の9月には、国連で「気候サミット」が開催されます。
 世界全体が「人間中心のこくかん主義」へと大きく踏み出すためのぜっこうの機会であり、“同じ地球で生きる人間の生命とそんげんにとって重要な協力とは何か”にしょうてんを当て、おんだん防止の取り組みの強化をはかるとともに、安全保障観のてんかんうながす機運を高める出発点にしていくことを、私は強くけたいのです。

 

国連事務総長の学生への


 最後に、ぐんしゅくを進めるための第三のあしとして提起したいのは、「青年によるかん」をしゅりゅうさせることです。
 国連では今、多くの分野で青年がキーワードになっています。
 そのちゅうかくとなるのが、昨年9月に始まった「ユース2030」のせんりゃくです。世界18億人の青年のエンパワーメント(内発的なちからかい)を進めながら、若い世代が主役となってエスディージーの取り組みをそくさせることが目指されています。
 人権の分野でも新しい動きがありました。
 来年からスタートする「人権教育のための世界プログラム」の第4だんかいで、青年を重点たいしょうにすることが決まったのです。
 私も昨年の提言で、その方向性を呼び掛けていただけに、第4段階の活動が多くの国でどうに乗ることを願ってやみません。
 青年の重要性が叫ばれているのは、軍縮の分野も例外ではなく、グテーレス事務総長がしゅどうした「軍縮アジェンダ」で明確に打ち出されています。何より事務総長の思いは、その発表の場として国連本部のような外交官の集まる場所ではなく、若い世代が学ぶジュネーブ大学を選んだことにも表れていました。
 グテーレス事務総長は、こう呼び掛けました。
 「この会場におられる学生のみなさんのような若者は、世界にへんかくをもたらす最も重要なちからです」
 「私は、皆さんが自分の力とつながりを利用し、核兵器のない世界、兵器が管理、規制され、資源がすべての人に機会とはんえいをもたらすように使われる世界を求めることを希望しています」(国連広報センターのウェブサイト)
 その強い期待を胸に事務総長は、長年にわたり未解決となってきた核兵器の問題だけでなく、若者たちの未来にしんこくきょうおよぼす課題として、新しい技術が引き起こすふんそうの危険性を学生たちに訴えたのです。
 なかでも事務総長が深いゆうりょしめしていたのが、サイバー攻撃の脅威でした。サイバー攻撃は、軍事的なげきあたえるものにとどまらず、重要インフラへのしんにゅうで社会的な機能をさせることを目的にした攻撃など、多くの市民をみ、じんだいがいを及ぼす危険性を持つものです。
 このように現代の軍拡競争は、せんとうにかかわらず、日常生活にまで及ぶ脅威をまねいています。
 しかも、その深刻さは、平和や人道に対する脅威だけにとどまりません。
 人間の生き方、特に青年に及ぼす影響の観点から見つめ直してみるならば、軍拡の問題があまりにも複雑できょだいになってしまったがゆえに、現実を変えることはできないといった“あきらめ”をまんえんさせる点に、こんげん的な深刻さがあるのではないでしょうか。

 

社会のじょうむしばむ“あきらめ”のまんえん


 「平和不在」の病理のこくふくを訴えたヴァイツゼッカー博士が、何よりねんしていたのもこの問題でした(前掲『心の病としての平和不在』)。

 博士は、制度的に保障された平和の必要性を訴える自分の主張に対し、寄せられるなんとして二つのるいけいげました。
 一つは、「われわれは平和の中でらしているではないか。大規模な兵器こそが平和をまもっているのだ」との非難です。
 もう一つは、「戦争はいつの時代にもあったし、またこれからもあるだろう。人間の自然とはそういうものだ」との非難でした。
 みょうなことに二つの非難は、しばしば同じ人間がはっする言葉でもあったといいます。つまり、「同じ人が、一方では平和の中で暮らしていると考え、他方では、平和は単なるとどけられないがんぼうであるといっている」と。
 そこで博士は、本人でも気づかないじゅんがなぜ起こるのかについてこうさつを進めました。
 ちゅうし続けることがこんなんな問題を前にした時、人間にはそれを頭の中から押しのけようとする心理が働く。その心の動きは、ある場合には精神のきんこうたもつために必要かもしれないが、「せいぞんに必要な判断」が求められる時に、たしてそれで良いのだろうか。
 それは、「わたしたち人間が、平和をつくり出すようになるためにはなにがなされねばならないか。なにを実行しなければならないか」について、しんに考えようとする取り組みをあしめしてしまうのではないか――というのが、博士の問題提起だったのです。
 この考察から半世紀がった今なお、核抑止を積極的に支持しないまでも、安全保障のためにはやむを得ないと考える人々は、核保有国や核依存国の中に少なくありません。
 核戦争が実際に起こらない限り、「大規模な兵器こそが平和をまもっているのだ」と考え、核の脅威から目をそむけていても、いっけん、何の問題もないようにみえるかもしれない。
 しかし、核問題に対する“あきらめ”が蔓延していること自体が、社会のじょうと青年たちの未来をむしばみかねないことに目を向ける必要があります。
 核抑止にもとづく安全保障は、ひとたびせんたんが開かれれば、他国と自国の大勢の人々の命をうばだいさんを招くだけではない。核兵器が使用されるたいが起きなくても、核の脅威のもとで生きることを強いられるじょうは続き、核兵器のぼうや軍事みつの保護が優先されるため、国家の安全保障の名の下に自由や人権を制限する動きが正当化されるつねに残ります。
 そこに“あきらめ”の蔓延が加われば、自分たちの身に自由や人権のしんがいりかからない限り、必要悪としてごしてしまうふうちょうが社会で強まるおそれがあるからです。
 ヴァイツゼッカー博士が懸念していた「平和不在」の病理がもたらす悪影響が、このような形で今後も強まっていくことになれば、次代を担う青年たちがけんぜんで豊かな人間性を育む環境はそこなわれてしまうのではないでしょうか。

 

立正安国論の精神


 しゃくそんの教えのせいずいである法華経に基づき、13世紀の日本で仏法をてんかいした日蓮大聖人が、「立正安国論」において、社会のこんめいを深める要因としててっけつしていたのも、“あきらめ”の蔓延でありました。
 当時は、災害やせんらんが相次ぐ中で、多くのみんしゅうが生きる気力をなくしていました。その上、自分の力でこんなんえることをあきらめてしまうえんせいかんちた思想や、の心のへいおんだけを保つことにせんねんするような風潮が社会をおおっていました。
 その思想と風潮は、法華経にみゃくつ教えとは対極にあるものに他なりませんでした。法華経では、すべての人間に内在する可能性をどこまでも信じ、そのくんぱつと開花を通じて、万人のそんげんかがやく社会を築くことを説いていたからです。
 たびかさなる災害で打ちひしがれている人々の心に希望をともすには何が必要なのか。ふんそうや内戦を引き起こさないためには、どのような社会の変革が求められるのか――。
 大聖人はその課題とてっていして向き合いながら、「かずの万祈を修せんよりはいっきょうを禁ぜんには」(御書24ページ)と訴え、“あきらめ”の心をしょうじさせる社会のじょうくうびょうこんのぞく重要性を強調しました。
 社会の混迷が深いからといって、あきらめるのではない。人間の内なる力を引き出して、時代変革の波を共に起こすことを呼び掛けたのが、大聖人の「立正安国論」だったのです。
 私どもは、この大聖人の精神をぎ、牧口初代会長と戸田第2代会長の時代からこんにちいたるまで、地球上からさんの二字をなくすために行動する民衆のれんたいを築くことを社会的使命としてきました。
 こうした仏法のげんりゅうにある釈尊の苦に関するどうさつについて、「厭世的な気分というものはない」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と評したのは、哲学者のカール・ヤスパースでした。
 ヤスパースのちょさくの中に、“あきらめ”を克服するためのほうを論じた考察があります(『実存開明』草薙正夫・信太正三訳、創文社)。
 一人一人の人間が直面するのがれられない現実を「限界状況」と名づけたヤスパースは、「げんそんざいとしてわれわれは、限界状況の前に眼をざすことによってのみ、それらをかいすることができる」が、それは自身の内なる可能性を閉ざすことになると指摘しました。
 私が重要だと感じたのは、ヤスパースが、限界状況といっても一人一人の人間にとって個別具体的なものであるからこそ、そこに打開の糸口を見いだせると洞察していた点です。
 つまり、人間はそれぞれ、生まれや環境といったことなる人生をっており、その制約によって生きる条件がせばめられるものの、限界状況を自覚して正面から向き合うことを決断すると、他のだれかとはだいたいできない個別のきょうぐうという「せまさ」を、本来の自分に生きゆくせいの「深さ」へとてんかんすることができる、と。
 その上でヤスパースは、「このような限界状況にあっては、客観的な解決などというものはえいきゅうにあるわけでなく、あるものは、そのの解決だけである」と訴え、だからこそ自分自身でなければ起こすことのできない一回一回の行動の重みが増してくると強調したのです。

 

共存の道を開く


 このヤスパースの呼び掛けは、冷戦時代から平和と共存の道を開くために行動してきた私自身の思いとも重なるものです。
 冷戦対立がげきした1974年に、中国とソ連を初訪問した私にびせかけられたのは、「宗教者が、何のために宗教否定の国へ行くのか」とのはんでした。
 しかし私の思いは、平和を強く願う宗教者だからこそ、中日友好協会やモスクワ大学から受けた中国やソ連へのしょうへいというえんを無にすることなく、何としても友好交流のばんを築きたいとの一点にありました。
 “このようにすれば必ず成功する”といったばんのうな解決策など、どこにもなかった。まさに、それぞれが「一回限りの状況」というほかない出会いと対話をせいじつに重ねながら、教育交流や文化交流の機会を一つまた一つと、さぐりで積み上げてきたのです。
 冷戦終結後も、どの国の人々もりつすることがあってはならないと考え、アメリカとのきびしい対立関係にあったキューバや、テロ問題に直面していたコロンビアなどを訪問してきました。自分は何もできることはないとあきらめるのではなく、“宗教者や民間人だからこそできることは必ずあるはずだ”との信念で各国に足をはこんできたのです。
 また、35年以上にわたって平和と軍縮のための提言を続け、市民社会の連帯を広げるための行動を重ねてきました。
 その大きな目標であった核兵器禁止条約が実現をみた今、私は自らの経験をまえて、世界の青年たちに呼び掛けたい。
 一人一人が皆、そんごくの生命と限りない可能性を持った存在に他ならず、国際社会の厳しい現実を、うごかしがたいものとしてかんじゅし続けなければならない理由はどこにもない!――と。

 

エスキベル博士と共同で出した声明


 昨年6月、世界の青年に向けて発表した、人権活動家のアドルフォ・ペレス=エスキベル博士との共同声明でテーマにかかげたのも、「もう一つの世界は可能である」との信念であり、私たちはこう訴えました。
 「いく百万、幾千万もの人々が、戦争や武力しょうとつの暴力、えの暴力、社会的暴力、構造的な暴力によって、生命と尊厳をおびやかされている。こんきゅうしている人々に連帯し、そのきゅうじょうを打開するために、我々は両手だけでなく、考え方と心を大きく広げなければならない」
 共同声明でげんきゅうしたように、そのモデルとなるちょうせんこそ、若い世代の情熱と豊かな発想力によって核兵器禁止条約のさいたくあとしし、ノーベル平和賞を受賞したアイ(核兵器はいぜつ国際キャンペーン)の取り組みでした。
 ICANのほっそく以来、国際パートナーとして共に行動してきたSGIでも、ちゅうかくになってきたのは青年部のメンバーです。
 SGIでは2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の活動を立ち上げ、日本の青年部を中心に核兵器廃絶を求める512万人のしょめいを集めました。
 イタリアでも、青年部を中心に「センツァトミカ(核兵器はいらない)」キャンペーンに協力し、同国の70都市以上で意識けいはつのための展示を開催してきました。またアメリカでは学生部が、2030年までに核兵器廃絶を目指す「私たちの新たな明るい未来」と題する対話運動を、全米各地の大学などをたいに活発に行ってきました。
 これらの活動の一部は、国連に昨年提出した報告書でもしょうかいしたところです。
 安全保障理事会が2015年に採択した「2250決議」では、青年が平和構築と安全保障にこうけんしている事例を調査し、安保理と加盟国に報告するようさだめており、私どもの青年部の活動は、その「2250決議」に関するしんちょく研究でも言及されています。
 青年部がまとめた報告書では、SGIの「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の取り組みをそうかつして、次のようにしるしています。
 「青年たちが運動に加わることで、核兵器の問題を意識していない人々にもすそが広がり、すでに運動に参加している人々にさらなるかつりょくあたえるきゅう効果がある」
 人々の心に時代変革の思いを呼び起こし、共に強め合う――私は、その「共鳴力」のはっに、青年のしんこっちょうがあると訴えたい。
 核兵器禁止条約の早期発効はもとより、その発効の先にある大きな課題、すなわち、核保有国や核依存国の参加を促し、核兵器のはいを前に進めるには、世界的な関心と支持をかんし、維持し続けることがかせず、青年たちによる力強い関与がその生命線となるのではないでしょうか。
 以上、私は軍縮を進めるための三つの足場をそれぞれ提起してきましたが、この青年たちが発揮する「共鳴力」こそ、他の二つの足場をもけんきたげていく、すべての足場のかなめとなるものであると強調したいのです。(㊦に続く)

 

語句の解説


 注1 ちゅうきょ核戦力(INF)ぜんぱい条約
 アメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が1987年12月に署名した条約。しゃてい500~5500キロの地上配備のだんどうミサイルとじゅんこうミサイルの生産・実験・保有を禁止した。冷戦終結後はロシアが条約の義務をけいしょうし、91年5月に対象兵器のぜんぱいが完了したが、近年、新たなINFの配備を禁止した条約の規定などを巡って対立が続いてきた。

 注2 ソクラテスのさんじゅつ
 古代ギリシャの哲学者ソクラテスがもちいた問答法で、言葉の投げ掛けや対話を重ねる中で、つうねんや常識に対する疑問を相手に呼び起こし、正しい認識や真理にみちびくアプローチ。弟子のプラトンがまとめた対話へん『テアイテトス』では、ソクラテスが、助産師だった彼の母の仕事になぞらえて、真理を産み出す過程をじんつうぶんべんなどにたとえているしょがでてくる。

 注3 難民に関するグローバル・コンパクト
 2018年12月の国連総会でさいたくされた、難民支援のれんけいを進めるための国際的な指針。難民の教育機会の確保や受け入れ国でのインフラ整備など、難民と受け入れ国のそうほうおんけいを受けられる包括的な支援を進めるための国際協力の強化を目指す。各国の取り組みのしんちょく状況を報告する「グローバル難民フォーラム」を4年ごとに開催することもまれた。

 

(2019年1月26日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より