※:この記事は、きぼう堂のHP内ブログの「Kさんとの会話」シリーズから引越ししたものを加筆編集したものです。
※:きぼう堂のHP内ブログに似たようなテーマのブログ記事が多々ありますが、新い試みとしてKさんとさる先生という架空の人物の会話形式で書いてあります。それにより反って今までよりも解り難くなるかもしれませんが、暫くお付き合いください。m(_ _ )m
尚、茶色の太字は、Kさんの言葉、普通の文字は、さる先生の言葉です。
Q:さる先生、私は自分を嫌っていないと思います。むしろ自分が好きです。でも病気があります。なぜなんでしょうか?
Kさん、私から言えば、
Kさんに何らかの身体的な不具合があるのならば、
ご自分をあるがまま愛していないことになりますね。
えぇ!そうなんですか?
はい、そうです。あくまでも私の考えですがね。
説明すると、Kさんが普段気づかない心の奥、
つまり無意識の領域でご自分を責めていることになりますね。
ひょっとして、誰か、他人のことを責めているかもしれませんし、
もちろんその両方かもしれませんが。
Kさんの様に一部分だけ自分を愛する人は結構います。
でも、実のところそれは自分を愛したことにはなりません。
厳しい言い方ですが、全くの勘違いです。
それは偽物の「愛する」になりますね。
なんか、そう言われるとキツイですね。
いや~、すみません。ちょっと言葉使いが下手なもので。(;^_^A
その点はご容赦してください。m(_ _ )m
いや、いいです。冗談ですから。(^~^)
さる先生、話を続けてください。
ほい、そんじゃ続けますよ。
一部分だけ愛するとは、
言い換えれば、自分の嫌いな部分を隠している、
ということになりますね。
それだと、
結局のところKさんは心の奥では自分を責めたままになってます。
でもそんな自覚は無いんだけどな~。
はい、普通はそうでしょうね。
これは、心の奥、無意識の領域のことですから、
普段の生活の中ではまず気づくことはないです。
でも、その無自覚の責めを教える為に、
身体は、必ずKさんの体調の不具合で現れてきます。
このこと、つまり無自覚の責め(自己否定)は、
人生の中の様々な人間関係のトラブルとしても現れてきますし、
身体と人生の両方で現れることも勿論あります。
通常、多くの人は、
私のHPでクドクド書いている「心と身体と人生の関係」に、
全く気づかないまま身体だけを治療していると思います。
だから一時は良くなっても、
ある程度時間が経つと同じ症状か、
または別の症状か、
そのどちらかは分かりませんが必ず身体に現れますね。
心の不安の度合いによっては、
何度でも身体は不具合を出してきますし、
その内に何をやっても良くならない状態にまで容赦なくなりますね。
今の話は、身体のことですが、人生のトラブルでも同じですよ。
通常、殆どの人はトラブルに対しても
我慢や妥協といった自分の心に犠牲を強いる考え方で対処しますよ。
そのため心の中では未解決のままになっており、
そのトラブルに関わった相手を恨むことになり、
自分で人生を辛いものにし続けるのです。
こんな風に偉そうに言いましたが、
この世に生きる殆どの人がやっていることです。
もちろん、私自身もそうでしたから、他人のことは言えませんが・・・。
へぇ~、ちょっと面白そうだけど、でも、なんか怖いですね。
ええ、確かにこれだけを聞くと不安になるかもしれませんね。
でも、病気も人間関係のトラブルも、
Kさんの心の中をKさん自身に教える、
いや、自覚させる為に身体や人生に現れているだけですよ。
私に何を自覚させるためですか?
それは、本当の意味で
「Kさんに幸せに生きて欲しい」ということのためです。
でも私は幸せな方だと思いますよ。自分も好きだし。
そのことについては、
Kさん自身が仰るのですから私は否定しません。
でも全く心配事がないとは言えないと思いますよ。
現に今病気がある訳ですからね。
他にも身体や将来に不安もあるでしょう。
自分に無くても家族に対してもあると思いますよ。
友人や知人のことも入れればきっとあると思います。
そういう風に言われれば、ありますよ。
無い人なんていないんじゃないですか?
そうです。私も含め皆にあると思います。
だから誰もが病気になる可能性を秘めているのです。
トラブルも含めてそうなのです。
へぇー。
そう、だから私は、考えたのです。人生の意味について。
答えはまだ確定してませんが、
一つ言えることは、
「人生は苦しむためにあるのではない」ということです。
幸せに生きることがこの世に生まれた目的だと思うのです。
幸せに生きるとは、どんなことですか?
私は、自分自身をあるがまま愛することだと思います。
そして他人も自分と同じ様にあるがまま愛することです。
もし、そうならば、
心の中で無意識に自分を責めていることは、
幸せに生きることとは真逆になります。
それを気づかせるために病気やトラブルがあると思うのです。
ふ~ん、なるほど。
もし、この様な私の話が信じられるのであれば、
「私はどこかで私を責めているんだな」
と今は謙虚に自分を責めている部分が残ていることを
素直に認められてはどうでしょうか?
今直ぐに、さる先生が言う話を理解するのは難しいですが、
ちょっと考えてみる必要はあるかも?と思いますね。
◎:「02:」に続く
【注意】この話は、Kさんとさる先生という架空の人物の会話です。全てフィクションですので実在する人物や出来事等とは一切関係ありません。又、書かれている内容の真偽に関しても当方は一切責任を負いませんのでその点をご理解の上お読みください。
<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の細かい質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。
きぼう堂鍼灸治療院のHP ⇦クリック