思春期に向き合い
しあわせ親子になるためのメッセージ Vol.8
ibマッピングカウンセラーの
祖父江里香(まじょりかっち)です。
最近は
「ばあば役」として
引っ張りだされる事
多数
都度感じることは
これって
「ばあば目線」だな
ということ。
あ、
ばあば役といっても
実際の関係性です。
(私の中での、お役目のひとつ)
先日、
3番目の孫っちが
転んで
おでこを5針縫う
という
アクシデントに
見舞われ
親の思い込みと
感情を表現する
ことについて
フォーカスしたのでした。
子どもは
怪我をしているので
痛いはずなのに
大人は
「痛くない、痛くない」
と言いくるめます。(笑
あるある!
私もやってた!
そして
泣かないことを
強要されます。
治療中も
泣かないで
我慢することで
立派だと
誉めたたえられます。
はい。
ずっと疑いもなく
そうゆうものだと
思い込んできました。
現役子育て時代。
しかし、今、
ばあばの立場で
その様子を
客観視すると
不思議がいっぱい。
子どもが痛がっている
その痛さは事実だよね?
泣いて当然じゃないの?
怪我したら
誰だって痛いよね。
それを
「痛くない痛くない」と
身に起こっている感覚を
他者に否定される。
ってどうよ?
ひとこと
「痛かったネ」って
共感してくれたら
それだけで
肯定される
安心感があるよね
痛ければ
泣けてきちゃうし
その感覚や気持ちを
否定されたら
もっと悲しくなって
悔しくなって
寂しくなって
余計に
泣けちゃうよね。
わかってもらえないって
ことだもの。
↑
(これ、ばあば目線)
そんでもって更に
泣いちゃだめって
言われるんだ。
そうやって
感情を押しこめて
押しこめて
育ってきたんだよね
私たち
今までは
そんなことにも
気付けないくらい
刷り込み
思い込みの中で
あたりまえに
子どもと
接してきたんだなぁ
痛くても
我慢することがいいこと
と思ってきたし
悲しくても
泣いちゃだめって
思ってきたし
ね。
でも もう
そんなことは
必要ないんだよ
って。
伝えたい
喜怒哀楽は
そのまま
表現していいんだよ
自分の気持ちは
伝えたらいいんだよ
親子の距離より
少し遠い分だけ
俯瞰することが
できる
ばあば目線
きっと私の
おばあちゃんも
そんなふうに
みていてくれたのかな
という
思いも馳せながら
まだまだ大切な
役割が残っていることを
実感しています。
痛みは痛みとして
受け止め
悲しみは悲しみとして
受け止め
ただ寄り添い
同じ目線で
共感できる
豊富?な
人生経験を基に
関わって行きたいと
思います。
この
ばあば目線というのは
少し距離を置いて
他人事のように
俯瞰してみる
ということ。
なので、誰でも
感じることは可能です。
子どもが、もし
自分の友だち
だったとしたら
なんと声をかけるか
と、考えてみてください。
「痛い」と言っている友達に
「痛くない!」って言う?
泣いてる友達に
「泣くな!」って言う?
そんな感じでしょうか。
自分の子どもとは
距離が近い分
コントロールしよう
コントロールできる
と思ってしまうんです。
あとは
無意識の
刷り込みを基に
言葉を発して
しまうんですよね
たまには
自分の言動にも
意識を向けてみてくださいネ。
自己肯定感を
育てることが大切
と言われますが
子どもは
こんなちっちゃな
日々の積み重ねの中で
受け止めらる経験を
繰り返しながら
「自分は自分のままでいい」
という自信を育んでいきます。
幼児期だけのことではなく
思春期になっても同じですよ
+++
今日のハッピーメッセージは
『 受け止めて 』