「明治維新」を再検証する | キビコジのブログ

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これは売れっ子作家となった司馬遼太郎氏の「史観」の影響もあるだろう。

本能寺の変の実相が長く事実ではなく秀吉の創作した物語に支配されてきた。大河ドラマが取り上げた「太閤記」は秀吉による作られた歴史である。「太閤記」の中で描かれた信長や本能寺の変の首謀者であった明智光秀の実像は実は違ったものであった。明智憲三郎氏が書いた「本能寺の変431年目の真実」をぜひ読んでみてほしい。

同じく大河ドラマのテーマに何度となく登場した「明治維新」その真相はどうだったのか。大河ドラマの影響なのか、あるいは歴史教育の結果なのか。あるいは維新を美化した歴史作家の小説の結果なのか。
明治維新を引き起こした薩長の志士はことさらに美化されてそれを否定するものはほとんどいない。しかし明治新政府の実態は薩長政権であり、その後の日本の政治をリードしてきたのも薩長閥を中心とした人々であった。薩長閥による明治政権はそれまでの旧文化を否定し、急速に西洋化政策を進め、富国強兵政策を進めて行った。その行きついた先が日米戦の敗北とGHQ統治の日本をもたらした。

文化史的観点から見ると明治維新は様々な伝統文化の破壊をもたらした。その中で最も顕著な破壊活動が「廃仏毀釈」であった。このことは戦後の歴史教育の中でも単なる出来事としてその事実関係はほとんど知る人がないのが実情である。
しかし、全国の主要な神社仏閣を訪ねてみてもその破壊の残滓を数多く見ることができる。
日本は古代国家の時代に仏教を取り入れて以来千何百年も仏教国であり、古来の神道とは穏やかに共存し神仏習合の宗教文化を形成してきた。それが明治新政府の「神仏分離令」によりずたずたに引き裂かれ膨大な数の仏教寺院の破壊や佛像の廃棄など甚だしい仏教弾圧が進んだのである。
「王政復古」の名のもとに行われた神道絶対化のの宗教政策は皇室の伝統さえも否定し破壊して行った。それまでの皇室が篤く仏教に帰依してきたことの全てが否定された。諸行事の中から仏教的なものすべてが一掃されて行った。

「明治維新」それ自体が再検証されなければ、日本を取り巻く近現代史を正しく検証することはできない。アジアの隣国との葛藤や戦いも維新の再検証から出発しなければ真実を見つけることはできない。
あるべき日本の国のあり方、今後の世界のあるべきビジョンもそのような歴史の再検証から始まると思う。