資本主義にもう疲れた〜〜。

地球文明ももう飽きた〜〜。

それこそが、狂気になってしもうてからに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この踊りに出合った頃、京都で丁子を口に含みながら写経が出来る寺に行こうとして辿り付けず、地元の人に道を訪ねたけれどわからないと言う人ばかりで、ふと、これは自分で辿りつくパターンかもと山中を彷徨っていたところ、ある道が、目の前に開けた。

 

しかしこの先に寺は100パーセント無いことは勘でわかったのだけれど、語りかけてくるような道の先にあったのは、孝明天皇の御陵墓だった。あまりに驚いてしまって声を出したので、お一人、向こうで体操をしていたご老人がすっ飛んできて、「この方は、明治天皇のお父さんだよ」と教えて下さった。

 

それは、わかっていた…けれども。

 

 

 

 

 

今思えば、江戸時代最後の「すめらみこと」。

 

時代は大きく変わり、日本は多くのものを失い、そして今も失い続け、来るところまで来ている感がある。

 

江戸時代最後の天皇の御陵墓の広大で圧倒的な沈黙が、語りかけてきたものが、今、じわじわ感じられてくるようだ。日本が大きく変わるとき、それが一体どういうことなのか、すめらみこと、が何を感じたか。何を憂いたか。失いかける時に痛切に感じられたことは…。

 

その時は、まだ、ことだま、にとって、すめらみこと、に象徴されることがどのようなことなのかは全然わかっていなかった。

 

古事記は、文字に表された瞬間に、創世の力が神々の物語として表された時、その力が政治利用された部分もあるだろう。すめらみこと、の力は、権力として天皇に集結されたが、しかし今、天皇は人になった。そして…やがては、次のあり様にお変わりになるだろう。そのとき、国、のあり様も変わるのかもしれない。

 

古事記には虚々実々がある。真実の物語もある。南方熊楠が、伝承には虚々実々あると言った様に…。その真実は実は開かれているけれど…。

 

 

 

 

百の思いを三十一文字に表すことばとそのリズムを体内に宿す、神話である身体が、二百の詭弁にかき消される前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つくづく何事も、それそのものというよりは、それそのものの後、等々、ずらしたところでわかることがあるんだなと勉強になった。言葉を馬鹿にしすぎたくはないものだなと思いました。しかしそういう気風が増えているようにも思う。これも時代の戦略でしょうが…。

 

8月も終わりなので、切り替えたい!。