初めて ドラゴンボールに出会ったのは小学1年の頃だったと思う



当時私は仲の良い男の子が2人いて、その子たちは名探偵コナンが大好きだった
私は観たことがなくて、「何それ?」と聞くと月曜日の7時半からやっていると教えてくれた
その日から初めて「意識してアニメを観る」という生活が始まった

その後にやる世界まる見えの番組が、当時小学1年生の私にはよくわからなくて
適当にチャンネルを回すと、当時36番で観られたアニマックスに辿り着く
確か天津飯や餃子も出てくる回の天下一武道会だったと思う

「何のアニメかな?」とテレビの前に座る私に母親が、「ドラゴンボールだ、懐かしいなぁ。面白いよ、それ」と勧めてくれた


それがドラゴンボールとの出会いだった


途中からではあったけどもとても惹かれるものがあった
エンディングまでしっかり観て、そうすると2話連続放送だったようで、引き続きドラゴンボールをお楽しみくださいとCMが入った

その次の話も観て、母に「ねぇ、これ明日も観られるのかな?」と聞いたのを覚えている
「普通は週に1回だけど2話やったし、アニメのチャンネルだから明日も8時に36番つけてみたら?」と母に言われ、翌日を楽しみにその日を終える

翌日の8時に再びテレビの前に座り、36番をつけると母の言った通り続きが観られた
そこからもうどんどんドラゴンボールにハマっていった



元々朝7時からはアニマックスでアニメをつけて朝の支度をしていた私は、36番をつければアニメが観られることは知っていたのかもしれない
だからきっと、ドラゴンボールにハマっていなくたって色んなアニメを見ていたと思う
朝の7時はちびまる子ちゃん、HUNTER×HUNTER、こち亀、アラレちゃん様々なアニメをやっていた
キテレツ大百科にキン肉マンもその時間だ
そこのその枠でREBORN!や幽遊白書にも出会った

だからきっと、ドラゴンボールにハマっていなくてもきっとどこかで何かに出会ってオタクしてたんだろうなとは思う
アニメを観るきっかけはコナンだったし

そんな中でひょんな巡り合わせでドラゴンボールに出会った



どういう風だったか覚えていないけれど、それから弟も父親もドラゴンボールにハマって
弟はドラゴンボールのゲームもやるようになった
まだPS2の時代、ドラゴンボールZの無印のゲームだ

家の警備会社だったか何かのお兄さんが家に来てくれた時も、弟はドラゴンボールのゲームをしていて
そのお兄さんが「あ、俺もそれ持ってる」と言ったのが衝撃だった
大人もこのゲームやるの?!と

ドラゴンボールってそんなに人気があるんだ、と改めて胸が踊った



小学4年生になり、新しく仲良くなった男子もドラゴンボールが好きだった
しょっちゅうその話をしたし、あの話がどうだ、この話がこうだと語り合った

給食で出たみかんを剥き、下を取らずにそのまま向いた部分をぶら下げて机に置く
「輝羽、見て。GTのオープニング」
そう言って歌いながらあの宇宙船が飛び立つシーンを再現して大爆笑をした



中1になった
ドラゴンボールが好きな友人が更に増えた
「ドラゴンボールってやっぱすごい」と思った

当時部活で一緒だった子がベジータが大好きで、「将来の夢はブルマ様になってベジータと結婚したい」が口癖だった
初めて自分以外の夢女子と出会った

私はトランクスが大好きで大好きで
当時夢女子なんてものも夢も何も知らない私は自分の頭がおかしいのかと思っていたが仲間がいた

実際に夢を知ったのはそれよりもまた先で
REBORN!にハマった後だったので、頭がおかしい仲間が世の中には沢山いるのだとその後に知ることになる

ブルマ様になってベジータと結婚したいと豪語する友人に「こんなかっこいい動画がある」と英雄のMADを教えてもらった
私がdoaに出会ったのはドラゴンボールがきっかけだった


そして丁度今日思い出した
私が今のようにイラストを書き始めるよりも前に、恐らく私はドラゴンボールの模写をしていた気がする
もしかしたら絵を書き始めてからだったかもしれないけれど
ひたすらに模写をしてドラゴンボール好きの友人と見せ合いっ子したり、当時教育実習に来ていた先生に2人で餃子を各々描いてプレゼントしたのを思い出した

弟のゲームの攻略本の紹介ページを真似て書き、紹介文まで真似て書いた



高校に入り、またさらにドラゴンボールが好きな友人が増えた
彼女も、また違う彼女もベジータが好きだった

高3の頃、ドラゴンボールの原画展へ親が連れて行ってくれた
今でもその時の感動や原画の飾り方に不満があったこと、自分のお金があったらここにあるもので欲しいものはいくらでも買えるのにと思ったこと
沢山覚えている
今ブログ観に行ったら「キーホルダー欲しかったけど欲しいタイプのものがなかった」とも書いてるから美化されてんのかなとも思うけど
足早に観終わった両親が「遅いわ笑」というくらいには真剣に原画を見た


きっと両親に言えばいくらか買ってもらえただろうに、遠慮して一番好きな悟空のイラストの栞を買ってもらった
Vジャンプの表紙か何かの、かめはめ波をしている悟空の栞
ベジータが大好きな友人にはベジータの写った栞を買って
大好きなドラゴンボールの原画が見られたことが嬉しかった

鳥山先生の描く絵の線が本当に本当に大好きで
「大人になったら絶対に新品で漫画を全部揃えるんだ」と気合が入っていた
しかしその後、背表紙も表紙もデザインが変えられてしまい、私が恋い焦がれたあの背表紙の漫画は書店から消えてしまった
今でもその面影を私は追っている
どこでも出会うことができなくなってしまった、あの背表紙が大好きだった

あれがズラリと並ぶことに、とても憧れた



大人になり、今の職場に就職した
飲み会なんてものにも参加して、2次会のカラオケにも参加した

おじさんばかりのカラオケで、「何か歌いなよ!」もデンモクを渡されても何を歌えば良いのかわからない
ボカロなんて絶対に無理だし、流行りのJ-popは星野源の恋しか知らない
もういっそ残酷な天使のテーゼにしようか
でも「エヴァ好きなの?!」とエヴァ好きに声かけられたら困る、見たことがない

困った、さてさてさぁさぁ困ったぞ、と

あ、そうだ、
ドラゴンボールなら、おじさんたちでもわかるかもしれない
どの世代にだって、ドラゴンボールが好きな人たちはいるんだ
大丈夫、ドラゴンボールならきっと「何の歌?」なんてならない

助けてくれ悟空

そう思って“DANDAN心惹かれてく”を入れた
GTをチョイスするあたりコアだとは思うが、これなら映像みたらドラゴンボールだとわかるし、GT知らなくったって無印やZ観てたら悟空やトランクスがわかるだろうし
映像も曲調も雰囲気が壊れないし、行けるやろ、と

そうするとどうだ

「え!!誰?!ドラゴンボール入れたの!!」
「ぇえ?!知ってるの?!世代じゃないよね?!」
「最高じゃん!!」

大盛りあがりだった

「懐かしい!」
「これこれ、このオープニング!」

調子に乗った私は次に“微笑みの爆弾”を入れる

「え!!!!誰!??!?輝羽さん!!?!」
「世代じゃないよね?!!?!」
「懐かしい!!!!」

それ以降私はそのカラオケに行く度にそれを歌うのでデンモクが回ってくる度に「はい、ドラゴンボールどうぞ」と言われる
完全におじさんたちから「ドラゴンボールと幽遊白書の子」という印象を持っていただけた



最後の映画公開から遥か十数年後
まさかまさかのドラゴンボール新作映画

まさかそんな、ドラゴンボールの新作の映画が観られるだなんて
そんな幸せなことがあるのか!と
まだ学生だったから映画を観に行くこともなく、結局神と神も、復活のFも家で見たのだけれど

ブロリーは弟と観に行こうと思ったら先に行ってしまい
一人で観に行くという選択肢がなかったので行かず
家で観て「行けばよかったなぁ」なんて

そしてそれからスーパーヒーローが公開になり
これはもう絶対だ、絶対に行くんだと決めてワクワク待った4月
ファンタビとコナンとドラゴンボールと、忙しいぞとワクワクした4月

まさかの公開延期で6月に持ち越し

でも、待った6月のドラゴンボールは最高だった
前3作品とは違い、メインの敵が倒されて終わる
最高にワクワクして、これは伏線だろうか?次があるのかな?なんて
絶対に次回作があるはずだから何があっても見るぞと意気込んだ6月だった

去年の年末に暇だったのでスーパーヒーローをもう一回Amazonプライムで観た
やっぱり最高だった

先月、ひょんなことでアラレちゃんの曲を聞いて、アレアレアラレちゃんをぐるぐる聞いた
その後ワイワイワールドと顔でかーいを聞いて
顔でかーいに至っては高校だが専門の時にカラオケで歌ってたなと思い出して
アラレちゃん、また観たいなぁ何かで観られないかなぁなんて
私、つい先週まで思ってた



今日のお昼
昼食を取り終えて、何の気なしにTwitterもといXを見ていて
「ファン、関係者の皆さまへのお知らせ」が目に入り

あ!ドラゴンボールのアカウントや!なんやろ!
とワクワクして
左下に腕を組む鳥山先生の絵を横目に
文章に目を通す
突然のご報告になりますが、までワクワクして読んでいた



急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした。



意味がわからなかった
68歳でした、まで読んでから息が止まった
その後の文章は目で追ったけど何が書いてあるのか本当にわからなかった
空の弁当箱の前で口元を覆って動けなくなった
職員のいる部屋で涙が滲み出す

1時からの会議に向けて準備をしなくてはと思うけど、動けるはずなのに動きたくない
そんなわけがない、68ならまだ若い、でも硬膜下血腫なら確かに…


慌てて片付けて準備をし、出かける前にトイレに寄る
落ち着いて、何が書いてあるのか確かめないと、そう思ってもう一度見る

何度見ても覆らない、すでにこの世に先生がいないという事実
TLを駆けていく、ファンの追悼の言葉
鳥山先生はもうこの世にいないというのがじわじわと伝わってきた
トイレで泣いた


会議があるからと涙を拭いて、車で患者宅へ向かう
ラジオからロバート・ハリスさんの、先生への追悼の言葉が聞こえてくる
車を停めて、駐車場でもう一度泣く



家に帰って風呂で泣く
ベッドの上で、この文章を打ち込んで泣く
多分明日も泣く
来週も泣くし、来月も泣く
来年だっておそらく泣く



先生の描く人物が大好きで
先生の描くメカが大好きで
先生の描くファンションが大好きで
先生の描く恐竜が大好きで
先生の描く物語が大好きで
先生が大好きで
先生に会ってみたくて
先生に沢山救っていただいて
先生のお陰で盛り上がった時間が沢山あった

68歳という若さでこの世を去ってしまった

どうにかならなかったのかとか
どうにもならなかったんだろうなとか



今もどうしていいかわからない
別にどうしなくてもいいんだろうけど



先生がもういらっしゃらないと知るまでの1週間、何も変わらない生活だった
これからもこの世界は回り続けるけれど

私という小さな世界の中ではあまりにも大きい存在で
大げさかもしれないけど、私の人生に大きく関わっている作品たちで

日本で
世界で
宇宙で
銀河で
誰よりも才能をお持ちで
誰よりも努力なさって
誰よりも熱量をかけて作品に向かっていた先生を心の底から尊敬している



大好きな大好きなドラゴンボール
これからもずっと、永遠にドラゴンボールが大好きです

私だけじゃなく、世界中のファンがドラゴンボールもアラレちゃんもドラクエも愛している

70代以降は厳しいけれど
知らない人の方が少ないと思うくらいに大きい存在であると思う

暫くはドラゴンボールは観られないかなぁ
泣けてくるもんな



でも絶対に、映画は観に行く
泣かずに観に行きたいから、今のうちに死ぬほど泣いておく

あのワクワクを感じながら観たいから
ハチャメチャが押し寄せてきて、ないてる場合じゃなくなる映画に絶対になっていると思うから
何が起きてもヘノヘノカッパな悟空とZ戦士たちをワクワクしながら観たいから



大好きなドラゴンボールへ
大好きな鳥山明先生へ
そしてこれからのドラゴンボールへ



期待と追悼の意を込めて



今丁度新学期というか
いじめがテーマの漫画を読んで

ふと、中学の頃を思い出した




中学で入った部活でいじめが流行った

一番最初が彼女だったか、もう一人だったか忘れたけれど

いじめが始まってしまった


何か隠したりとかするわけではなく

キツい言葉をかけたり

鋭い視線を投げたり

相手にしなかったり

そんないじめだった



一人目のAがいじめられて

私は小1の頃に近所の子に意地悪された過去もあって

いじめる側には絶対に回らないと決めていたし

「皆がいじめてる中、庇ってたらかっこよくない?」

「いじめに加担しない私、かっこよくない?」

「いじめ、クソダサくない?」

の精神でいたので

いじめが始まったその日からずーーーーっとAと一緒にいた


どれだけ周りが冷たくしようと

どれだけ周りが相手にしなかろうと

絶対に加担せずにそばにいた


帰りも一緒に帰ったし、遊びもした

お喋りも沢山して、部活も一緒に頑張った

いじめる側とも仲良くしてたから

特別私の生活に変わりはなかった




そしたら今度はBがいじめられて


それならAと3人でいたらいいよと思ったけど

人間そんなに甘くないらしく

Aはいじめる側に回ってしまった


だから今度はBとずっと一緒にいることになった


いじめる側の人間には何も言えなくて

ただ一緒にいるだけ

お喋りして、一緒に片付けて、味方でいられたのかもわからないけど

仲良くしてた




そしたら今度またいじめがAに戻って

今度は3人かな?と思ったらまたBはいじめる側に回ってしまった


ああ、そうか

復讐してるんだ、と思った

馬鹿だなぁ、痛みがわかるなら一緒にいたらいいのに、と

本気で思ってた



そしたらまたBがいじめられて

今度はもう、2人だなぁと思った


人間、何で同じことを繰り返すんだろうかと

馬鹿だなぁこの子たち

ほんとバカ


これが先生とかにバレた時に

あとから後悔するに決まっているのに

いじめをするとか

馬鹿だなぁ、と

思いながらいじめる側ともられる側とも仲良くしてた




ある日

練習試合の日


汚い話だけれど

腹痛が酷くて下着を汚した


どうにもならなくて

でも替えの下着なんてあるわけないから

ナプキンするしかない、と思い

Bに「ごめん、生理来ちゃったからカバンからナプキン取ってきてもらえないかな…」と伝えた


そしたら一言

「はぁ?そんなの自分で取っておいでよ」

「何で私が取ってこなきゃいけないの」


キツい口調で断られた


けれど下着はもう見るも無惨で


「ごめん、ホントに履けないくらいだから申し訳ないけど取ってきてくれないかな」

「ホントにホントに、ごめん。お願いします」


そしたら怒りながら取ってきてくれて

「ちゃんと自分でやりなよね」

とまたキツい口調で返された




そこでわかった

あ、今度は私だ


復習してたんじゃなかったんだ

いじめられる側に回りたくないから行くんだ

それが、いじめてる側たちに気が付かれないような場所であっても

私に順番が回ってきたから

いじめられてる子のそばにいてあげる私がいじめられるわけだから

私は今日から一人か




ただ無視されて

冷たい言葉をかけられて

鋭い視線で黙らされる


いつか終わるから

また誰かに回るから

そしたらまた、その子と一緒にいて過ごせばいいから

今だけだから、と

思ったけれど

それが永遠に感じて




また別の練習試合の日

色んな子の親が車を出し合って練習試合の学校へ行くことになった

乗せてく親たちはもう決まっていた

試合後1年生は自分の中学に戻って体育館の床のライン貼り替えをする予定になっていた


朝は駅から先生が送迎して

帰りは親たちに


先輩たちはもう早々に帰っていて

1年生の私たちは片付けで残って

済んで




乗る車がない



携帯なんて持っていない

公衆電話なんてどこにあるかわからない

今いる学校の場所もよくわからない


誰もが口を揃えて言う

「あっちに乗せてもらえば?」

「先生の車で行きなよ」

「先生の車どこかなぁって?知らんよ」

「自分でなんとかしなよ」



ぽつん と

グランドと校舎の間のコンクリートで佇んで

皆帰ってしまった



乗る車がない

帰れない


親は私がいじめられるのなんて知らない

迎えに来て、って、今からなんとか連絡しても間に合わない

床の貼り替えに間に合わなかったら顧問に叱られる

どうしよう、ここがどこだかもわからない

帰れない


そう思って頭が真っ白で、泣きそうになって

困っていると

Cが「何してるの?」と


乗る車がないと言うと

「じゃあうちの車乗ってきなよ」

「私一人だし」

と声をかけてきた



その時は今思い出しても不思議なくらいいつも通りで

冷たい視線もキツイ言葉もなかった

今思えば彼女はきっと、いじめに乗り気じゃなかったんだろう


すぐ車に乗せてくれて

その子の母親とその子が話をしているのを聞いて一緒に笑った

それが楽しくて楽しくて


コンビニでその子のお母さんがおにぎりを買ってくれた

一緒に食べて笑って

何回も何回も頭を下げてお礼を言った


「もう帰れないかと思った」と呟いた私に

「大丈夫だよ」と彼女が笑った

あの瞬間だけは心が落ち着いたのを覚えてる




それから暫くして

私は怪我をして

いじめも終わらなくて

9月頃に休部するという形で部活を辞めた


成績が下がったら部活を辞めると話をしていた

順位が少し落ちたから、辞めるチャンスだと思った

家に帰って買い物に出かけている母にすぐ電話した

少し待てば帰ってくるのに、電話した


「成績が下がったからやめる」と話をしたら

「馬鹿言うな、いじめられてるわけでもないんだから続けなさい」と叱られた

そこで黙ってしまって

「すぐ辞めるなんてだめ、ちゃんと続けな」と続いて

そこからもう無理で、泣きながら「あんなのいじめと一緒じゃん!!」と初めて伝えたら

その後自分が何を喋ったかなんて覚えてないけど

母はすぐに「部活辞めな」と言った



すぐに母は学校に連絡して

担任と私と母で話をしてくれた

担任は男子の部活の顧問だったから違和感には気が付いていたらしい

「顧問は3年生の担任で、部活に顔を出す機会も少ないから気がついていないんだろう」と言っていたことは覚えている


担任から顧問に話が行って

その後顧問とも話をしたけどあまり覚えていない

「お前は背が高くて上手いから、またいつでも戻ってこい」と言われたことだけ覚えている

あとから母は「気が付かなくてごめんと言っていたけど、」と話してくれたが覚えていなかった

それくらいには下を向いて暗い気持ちで面談した




暫くして

廊下でいきなり部活の子たちに囲まれた

それも全員に

練習試合だったか一年生大会でボロ負けした部活の子たち

大会開催当初から毎年優勝していたのにドベをキメた部活の子たち

その大会がこの囲まれたあとだったか前だったか忘れたけれど、大敗をきした訳で

それくらいチームの力が落ちて



「輝羽!いつ部活戻ってくるの?!」

「輝羽がいないと試合にならないんだよ!」

「先輩も先生も「輝羽がいれば」って」

「私達、いつでも待ってるからさ!」



今でも覚えてる

渡り廊下の、私達のクラスがある校舎側に近いところ

灰色の床で、薄暗くて


あんなに冷たくしてた子たちが私に笑顔を向けてくれている

もう、いじめられてないんだ、と思った


部活をしていたそのスポーツは本当に大好きになったから

本当はやりたかったから

戻ろうかな、なんて

怪我治ったら、またやれるかな、なんて


思ってふと奥を見たら

一人だけ下を向いて、暗い顔をしている

ピクリとも笑わず、青白い暗い顔で

ただ俯いてジッとしている



あ、あの子が順番なんだ



とっさに「まだ怪我治ってないから治ったら考えるよ」と断れば

「早く治してね!」

「待ってるからね!」

と手を振って職員室の方へ向かって歩いていった

新しく順番の来たDは少し後ろを歩いていった



家に帰ってその話をして

「部活、戻らないとかな」と呟いた私に母は

「絶対に戻らなくていい」

「そんな自分勝手な話ムカつく」

「怪我はもちろんあったけど、誰のせいで辞めたと思ってんの」

「絶対に戻らなくていい」とキレた

ちょっと怖かった




その数日後くらいにDからメールが来た


「輝羽ごめん」

「謝って許してもらえることじゃないけど」

「本当にごめん」

「お願い、早く部活戻ってきて」


やっぱり順番が回ってきていた

何も知らない顔して「どうしたの?」と返事をすれば、「いじめられている」と


Dはきっと、私が絶対にいじめをしないとわかっていたから

連絡きてきたんだろうなと思った

「この間皆で来てくれたときに何となく気がついてた、ごめん」と返信した

暫く話しして、時折それからメールをするようになった




それからまた暫く


たまたま近所の幼馴染の家に遊びに行っていた時

そのお母さんに「ちょっと聞きたいんだけど」と声をかけられた

「部活でいじめとか、ある?」と


Cに順番が回ってきていた


Cと幼馴染は同じ習い事をしていて

習い事先で笑顔が消えたからおかしい、と

私に話を聞きに来てくれた

全部話して納得した様子で

その後どうなったかは知らない




2年生に上がって

いじめの主犯だった子に順番が回ってきた


それから仲直りして、いじめがぐるぐる回るのが終わった



3年生の公立高校一般入試の日

3月11日

推薦で学校の決まっていた私は

これまた推薦で学校の決まっていたAに遊ぼうと誘われた


「ずっと輝羽に謝りたかった」

「本当に酷いことをした」

「私も自分がかわいいから、加担してしまった」

「ごめんね」


とストレートに謝られた

今思えば何でいじめをしてきた子に誘われて遊んだんだろうと

自分の能天気さに笑えるけれど

謝ってくれたし

「いいんだよ、過ぎたことだし」

「もう気にしてないよ」と笑い飛ばした

Aはホッとしたような顔をしていた


「引退試合の時ね」

「負けて引退するわけじゃん」

「顧問がさ」

「輝羽がいれば、もっといいチームだったのにって」

「最後の最後まで言ってたよ」

と教えてくれた


私はそれが嬉しかったんだけども

母は「いや、お前がもっと早く気が付いてれば輝羽が部活を辞めることも無かったんだから」

「輝羽がいれば、じゃないんだよ」

とキレてた

ちょっと怖かった




中学3年の時

〇〇ちゃんがいじめられてるらしいと話をきいた時

いじめてる側が仲のいい子だと知った

ホントかどうかもわからなかったし

別の部活だったので耳に挟む程度だった


その子と一緒に帰っていたら

「今、〇〇いじめてるんだよね〜」

「何で今日も部活にいるのかな〜?って大きい声で言ってさ」

「マジキモいんだよね」

と楽しそうにキツイ顔をして笑った


いじめられたバネがあったから

あの時、いじめられる側のそばにいるだけでいじめる側に何も言えなかったから

あれは良くなかったんだ、とバネがあったから


「お前そんなダサいことすんな」

「やめとけ」

「いじめなんてして、進路パァになったらどうするん」

「ダサいからやめとけって」

と声をかけた


進路パァとかどうでもよくて

いじめが無くなればそれで良かったから

学歴とか気にするタイプの親だって知ってたし

本人もエリートみたいなことを誇りに思ってたから

「経歴に傷つくぞ」と脅した


「でも、ムカつくんだもん」

「いるだけで無理」


と返ってきた

だけどそんなのは許せなくて


「だから、ダサいんだって」

「やめとけ」

「つまんないことすんな」

「嫌いなら視界に入れずに話しかけなきゃいいやん」

「向こうだって、話しかけてこないよ」

「ダサいからやめな」



そしたらもう

心底面白くない顔をして、「わかった」と暗い顔をした

きっと「面白い!」と私が笑うと思ったんだろうけど

「ダサい」と言い続けた


その翌週くらいにたまたま一人で帰ってるところに遭遇して

「〇〇!」と呼んだら振り返ってくれて

小3の時に仲良かったし、時々話ししてたから

向こうも満面の笑みで話ししてくれて


「部活、楽しい?」と聞いたら曖昧に笑った

「ちょっと聞いたけど、何かあったら言いなね」

「私は絶対に〇〇の味方だから」

「部活、辞めてもいいし」

「アイツにも言ってやるから」

「だから、死んだりとか、なしね」

「絶対絶対、私が味方になるから」


彼女は笑って帰っていったけど、その後会っていないから

私はその後、いじめがどうなったかも、彼女がどうなったかも知らない



そのいじめてた子は

私がいた部活の先輩を「お姉ちゃん」と慕ってて

その伝で母がいじめてた子の母から聞いた話があって

「輝羽がいじめられてるの、知ってたらしいよ」

「大丈夫かなって、心配してくれてたんだって」


そういえば一度だけ、ポツンと立ってる私に声を掛けてくれて

「怪我で練習できないなら雑用変わってきなよ」と指示をくれて

雑用変わり行ったら案の定同級生に断られて

とぼとぼ戻ったらどうしたの?とまた声をかけてくれて

「怪我人は何もすんなってこと?!へー!!凄いね!!」と聞こえるように言ってくれたことがあった


まあでも 1年と2年も仲悪くて

2年生から1年生もいじめられてたから

心配してたんなら助けてほしかったしいじめんな?!と思ったけども




高校三年生で

部活でやってたスポーツが選択肢に入っていた

二学期も三学期もそれを選んだ

そのスポーツが大好きだったから


三学期

いじめの主犯がそのスポーツを選んで授業が一緒になった


「輝羽いるじゃん!!」

「また一緒にこのスポーツやれるんだ!!」

「めっっっちゃ嬉しい!!」

「また一緒にやれるね!!」


もうびっくりするくらいのキレイな笑顔で喜んでて


え、えぇーーーー…………


あまりのキマりっぷりに呆れてしまって

「そうね、よろしく」だったか何だったか

何とか言葉を絞り出して

「わぁー、なかった事になってらァ…」と思ってたら


高校で同じ部活の同級生が

彼女が去った後だったか

あまりに衝撃だったから同級生に話したからだったか

彼女のいないところで一言




「マジでキモい!!!!」




大爆笑




「どのツラ提げて輝羽にそれ言う?!」

「ヤバくない?!アイツ!!」


私は呆れてしまっていたけれど、こんなに怒ってくれる友達、私にいるんだ…

え、恵まれてるぅ…



そんなことを思ったのを思い出す

意外とポジティブな私

可愛いねぇ




私は嫌な子がいたら

皆でまとまって無視するとかはしないし

自分が嫌なら話しかけなきゃいい

関わらなきゃいいと思って生きてきた


嫌な子でも話しかけられたら返すし

助け求められたら手を貸してたし

人が良すぎると怒られることもあったけど

そうやって過ごしてるけど


けど

私が相手を傷つけていることなんてザラにあるだろうし


口も態度も悪かったから

嫌な気持ちになった子、沢山いただろうなぁと思う




そんな事を思い出しながら

自分の子供がいじめる側に回ったらどうしようと

とても心配



まあ自分の子供どころこ結婚もしていないし

予定もないので心配するだけ無駄なんですけどね




年末に逆ギレしたというか

おとんにやいのやいの言われるから腹も気も立ってて 

「お前タイヤ擦っとるがや」と声をあらげてキツく言われたから頭きて

「そんなん知らん!」と怒って振り返った

そしたらおとん普通に笑顔で

もうなんか

幼少期からのそういうすれ違いって私が悪かったんかなって


私が傷付いたり凹んだりメンタルやらたりしてると

決まって母や祖母が「可愛くてしょうがないんだよ」と言った


今も当初もわかってはいた

私が可愛くて大好きでしかたがない

でもその愛情表現が罵りや蔑みで

私は嬉しくないと何度も何度も母や祖母に伝えた

受け取れない私が悪かったのかもしれないと思ってしまった




ああやってキツい言葉をかけてくる時に父の表情を見る余裕がなかった

夜中に私の頬を撫でる父の手の優しさを知らなかった訳ではなかったけれど、

それでもやっぱりどうしてもキツい言葉をかけられるのが嫌だった

そんなキツい愛情全部受け入れるのは無理なのはわかってるけど

私も悪かったんだろうか




そんな話始めたら

「世の中のストーカーは全て正当化されてるからされる側はそれを受け入れるべきだ」って話になってしまうから違うんだろうけども

 「知らん!」と返して振り返った時の父の笑顔がツラい

ただ茶化したかだたんだろうな、と




年末に実家に帰ったその時に

年賀状が見当たらないのを私のせいにされたのを責めた時もそう

暫く話してたら後ろでマムが倒れる一歩手前だった

目眩で一点を見つめて、流しに手をついて

その後苦しそうに顔を歪めて目をつぶった


たまには私だって文句が言いたい、と勇気だしてやると全部が全部悪い方へ巡る

もう2度と責めないでいようと思ったけど

その分こっちが潰れそうで





どれだけ愛情を注いでもらったかを自覚できないほど雑に育てられたわけではない

中学生の頃、あまりにも辛すぎて夜近所の幼馴染にメールして家に上げてもらったことが数回あった

キツく叱られる度に彼女の家に行って、彼女のおばあちゃんと彼女に「大丈夫だよ」「きっちゃん、悪くないよ」「そういうやつはそういうやつだから、何も悪くないんだよ」と慰めてもらっていた


高校に入ってうつ病になった時だって

周りどれだけ迷惑かけて助けてもらったか



その時の自分の傷を否定しちゃいけない

あの時どれだけ苦しんだか、その時のことだってこのブログを見返したらすぐにわかるくらいには残ってる

だから、私の受け取り方が悪かったなんて、反省しちゃいけない

当時の私の感情を踏みにじってはいけない

自分で自分の敵になってはいけない


敵になってしまったら、その当時「可愛いから構いたくなるんだよ」と傷付けられたのと同じになってしまう

ストーカーや俗言う【ありがた迷惑】がまかり通ってしまう




頭ではわかっていてもだめで



父のあの年末のタイヤの前でしゃがんで見せた笑顔が頭から離れない


コロナ禍突入寸前、私が怒って数ヶ月話しかけられなければ話しかけない状況になった時

私の怒りもやっと落ち着いて雑談を振った後、暫く私の後ろをついて歩いていた父が頭から離れない



2年前の正月に4日間毎日ずっと弟と同じ部屋でゲームしたり話ししたりしてた

あまりにも一人でゲームに対してギャイギャイ騒ぎまくるからうるさいんだけど!笑と言ったことがあった

その後私も一人で喋ってるからお前もうるさいがや!笑と笑って

その次の日から弟は自分の部屋でゲームしてた




私だって悪くないんだよってわかってても

なんて可哀想で酷いことをするやつなんだと

自分で自分を責めてしまう


ならやらなきゃいいのにと思うけど


私だって罵られたら腹がたつし

否定されたら気が立つ




多分でも

父も母も弟も

誰も彼もきっと気にしてない

覚えてすらいない


それなのに一人でずっと頭抱えてる




専門の時

担当の先生から「お前の班のやつらはヘラヘラして危機感がない。ちゃんと注意しろ。引っ張るお前が道をひいてやれ」と言われた

だから何度も何度も間違えてゲラゲラ笑ってる友人に一度だけ「笑ってる場合じゃない」と言ったことがあった

「じゃあもう私、笑わんわ」と言われて落ち込んだ


見かねた別の友人が話を聞いてくれて

「あのねぇ…輝羽はね、向いてないよ」

「そうやって注意するの、向いてないんだよ」

「落ち込むなら無理に注意するのやめなよ」

「そんなことしなくていいんだよ」


今まで言われたことないくらい、私のことをとてつもなくわかってくれた言葉だった

ズバッと言う子で、時にキツい子だけど、私はその時のその言葉がとてつもなく響いて

「向いてないからやめなよ」というその言葉だけ聞いたらぶっきらぼうかもしれないけれど

私にはとてつもなく刺さって


本当は言いたくないことも知ってくれてたし、

私が本気で落ち込んでたのも一瞬で理解してくれて

謝りたいと思ってることも汲んでくれてて


「あと気になるから謝ればいいけどさ」

「確実に輝羽が思ってるようなこと、彼女は思ってないよ」

「謝らなくたって怒ってないし」

「でも、それじゃ輝羽が落ち着かないし落ち込んだままだろうから」

「すっきりするなら言っておいで」


結局謝りに行ったら「何が?」とキョトンとされて

「あのねぇ、そんなこと気にしてるの?」

「笑わないなんて思うわけ無いやん」

「気が小さいなぁ」

と笑われて 心底安心した




その一年前も

フラッシュモブされたあとに

大勢にもみくちゃにされて

フラッシュモブされた他のメンバーは友達に囲まれてて

一人でぽつんといた瞬間があって


私には友達がいないのかしらと思ってたら彼女が「なんか悩んでんの?」って来てくれて

「そばにたまたま仲いい子達がいなかっただけで、その後彼ら二人来てくれてたし、あの子とかあの子とかそばにいたら寄って来てくれてたんだってわかってるんだけど」

「私こんなに友達おらんかったのかなってめっちゃ失礼なこと考えてた」

と伝えたら


「そうね。たまたまおらんかっただけだろうね」

「その後二人来てくれてたのも自分でわかってるじゃん」

「輝羽はほんと、しょーもないことで落ち込むなぁ」

「まあでも1つ言っとくとね、貴女の誕生日にアイツら、めっちゃ悩んでたから」

「私一緒に買いに行ってたからわかるよ」

「何が喜ぶかとか、何なら似合うかとか」

「こっちとこっちの色ならどっちが似合うかとかめっちゃ聞いてきてさ」

「輝羽は白いから、ピンクゴールドじゃない?ってね、私が言ったの」

「買ったのは彼だったけど、あれ選んだの私だから(ドヤ顔」

「馬鹿だね、輝羽は。ホント馬鹿だわ」


めっちゃくちゃ心が軽くなったのを覚えてる




もうちょっと上手に生きたい