初めて ドラゴンボールに出会ったのは小学1年の頃だったと思う



当時私は仲の良い男の子が2人いて、その子たちは名探偵コナンが大好きだった
私は観たことがなくて、「何それ?」と聞くと月曜日の7時半からやっていると教えてくれた
その日から初めて「意識してアニメを観る」という生活が始まった

その後にやる世界まる見えの番組が、当時小学1年生の私にはよくわからなくて
適当にチャンネルを回すと、当時36番で観られたアニマックスに辿り着く
確か天津飯や餃子も出てくる回の天下一武道会だったと思う

「何のアニメかな?」とテレビの前に座る私に母親が、「ドラゴンボールだ、懐かしいなぁ。面白いよ、それ」と勧めてくれた


それがドラゴンボールとの出会いだった


途中からではあったけどもとても惹かれるものがあった
エンディングまでしっかり観て、そうすると2話連続放送だったようで、引き続きドラゴンボールをお楽しみくださいとCMが入った

その次の話も観て、母に「ねぇ、これ明日も観られるのかな?」と聞いたのを覚えている
「普通は週に1回だけど2話やったし、アニメのチャンネルだから明日も8時に36番つけてみたら?」と母に言われ、翌日を楽しみにその日を終える

翌日の8時に再びテレビの前に座り、36番をつけると母の言った通り続きが観られた
そこからもうどんどんドラゴンボールにハマっていった



元々朝7時からはアニマックスでアニメをつけて朝の支度をしていた私は、36番をつければアニメが観られることは知っていたのかもしれない
だからきっと、ドラゴンボールにハマっていなくたって色んなアニメを見ていたと思う
朝の7時はちびまる子ちゃん、HUNTER×HUNTER、こち亀、アラレちゃん様々なアニメをやっていた
キテレツ大百科にキン肉マンもその時間だ
そこのその枠でREBORN!や幽遊白書にも出会った

だからきっと、ドラゴンボールにハマっていなくてもきっとどこかで何かに出会ってオタクしてたんだろうなとは思う
アニメを観るきっかけはコナンだったし

そんな中でひょんな巡り合わせでドラゴンボールに出会った



どういう風だったか覚えていないけれど、それから弟も父親もドラゴンボールにハマって
弟はドラゴンボールのゲームもやるようになった
まだPS2の時代、ドラゴンボールZの無印のゲームだ

家の警備会社だったか何かのお兄さんが家に来てくれた時も、弟はドラゴンボールのゲームをしていて
そのお兄さんが「あ、俺もそれ持ってる」と言ったのが衝撃だった
大人もこのゲームやるの?!と

ドラゴンボールってそんなに人気があるんだ、と改めて胸が踊った



小学4年生になり、新しく仲良くなった男子もドラゴンボールが好きだった
しょっちゅうその話をしたし、あの話がどうだ、この話がこうだと語り合った

給食で出たみかんを剥き、下を取らずにそのまま向いた部分をぶら下げて机に置く
「輝羽、見て。GTのオープニング」
そう言って歌いながらあの宇宙船が飛び立つシーンを再現して大爆笑をした



中1になった
ドラゴンボールが好きな友人が更に増えた
「ドラゴンボールってやっぱすごい」と思った

当時部活で一緒だった子がベジータが大好きで、「将来の夢はブルマ様になってベジータと結婚したい」が口癖だった
初めて自分以外の夢女子と出会った

私はトランクスが大好きで大好きで
当時夢女子なんてものも夢も何も知らない私は自分の頭がおかしいのかと思っていたが仲間がいた

実際に夢を知ったのはそれよりもまた先で
REBORN!にハマった後だったので、頭がおかしい仲間が世の中には沢山いるのだとその後に知ることになる

ブルマ様になってベジータと結婚したいと豪語する友人に「こんなかっこいい動画がある」と英雄のMADを教えてもらった
私がdoaに出会ったのはドラゴンボールがきっかけだった


そして丁度今日思い出した
私が今のようにイラストを書き始めるよりも前に、恐らく私はドラゴンボールの模写をしていた気がする
もしかしたら絵を書き始めてからだったかもしれないけれど
ひたすらに模写をしてドラゴンボール好きの友人と見せ合いっ子したり、当時教育実習に来ていた先生に2人で餃子を各々描いてプレゼントしたのを思い出した

弟のゲームの攻略本の紹介ページを真似て書き、紹介文まで真似て書いた



高校に入り、またさらにドラゴンボールが好きな友人が増えた
彼女も、また違う彼女もベジータが好きだった

高3の頃、ドラゴンボールの原画展へ親が連れて行ってくれた
今でもその時の感動や原画の飾り方に不満があったこと、自分のお金があったらここにあるもので欲しいものはいくらでも買えるのにと思ったこと
沢山覚えている
今ブログ観に行ったら「キーホルダー欲しかったけど欲しいタイプのものがなかった」とも書いてるから美化されてんのかなとも思うけど
足早に観終わった両親が「遅いわ笑」というくらいには真剣に原画を見た


きっと両親に言えばいくらか買ってもらえただろうに、遠慮して一番好きな悟空のイラストの栞を買ってもらった
Vジャンプの表紙か何かの、かめはめ波をしている悟空の栞
ベジータが大好きな友人にはベジータの写った栞を買って
大好きなドラゴンボールの原画が見られたことが嬉しかった

鳥山先生の描く絵の線が本当に本当に大好きで
「大人になったら絶対に新品で漫画を全部揃えるんだ」と気合が入っていた
しかしその後、背表紙も表紙もデザインが変えられてしまい、私が恋い焦がれたあの背表紙の漫画は書店から消えてしまった
今でもその面影を私は追っている
どこでも出会うことができなくなってしまった、あの背表紙が大好きだった

あれがズラリと並ぶことに、とても憧れた



大人になり、今の職場に就職した
飲み会なんてものにも参加して、2次会のカラオケにも参加した

おじさんばかりのカラオケで、「何か歌いなよ!」もデンモクを渡されても何を歌えば良いのかわからない
ボカロなんて絶対に無理だし、流行りのJ-popは星野源の恋しか知らない
もういっそ残酷な天使のテーゼにしようか
でも「エヴァ好きなの?!」とエヴァ好きに声かけられたら困る、見たことがない

困った、さてさてさぁさぁ困ったぞ、と

あ、そうだ、
ドラゴンボールなら、おじさんたちでもわかるかもしれない
どの世代にだって、ドラゴンボールが好きな人たちはいるんだ
大丈夫、ドラゴンボールならきっと「何の歌?」なんてならない

助けてくれ悟空

そう思って“DANDAN心惹かれてく”を入れた
GTをチョイスするあたりコアだとは思うが、これなら映像みたらドラゴンボールだとわかるし、GT知らなくったって無印やZ観てたら悟空やトランクスがわかるだろうし
映像も曲調も雰囲気が壊れないし、行けるやろ、と

そうするとどうだ

「え!!誰?!ドラゴンボール入れたの!!」
「ぇえ?!知ってるの?!世代じゃないよね?!」
「最高じゃん!!」

大盛りあがりだった

「懐かしい!」
「これこれ、このオープニング!」

調子に乗った私は次に“微笑みの爆弾”を入れる

「え!!!!誰!??!?輝羽さん!!?!」
「世代じゃないよね?!!?!」
「懐かしい!!!!」

それ以降私はそのカラオケに行く度にそれを歌うのでデンモクが回ってくる度に「はい、ドラゴンボールどうぞ」と言われる
完全におじさんたちから「ドラゴンボールと幽遊白書の子」という印象を持っていただけた



最後の映画公開から遥か十数年後
まさかまさかのドラゴンボール新作映画

まさかそんな、ドラゴンボールの新作の映画が観られるだなんて
そんな幸せなことがあるのか!と
まだ学生だったから映画を観に行くこともなく、結局神と神も、復活のFも家で見たのだけれど

ブロリーは弟と観に行こうと思ったら先に行ってしまい
一人で観に行くという選択肢がなかったので行かず
家で観て「行けばよかったなぁ」なんて

そしてそれからスーパーヒーローが公開になり
これはもう絶対だ、絶対に行くんだと決めてワクワク待った4月
ファンタビとコナンとドラゴンボールと、忙しいぞとワクワクした4月

まさかの公開延期で6月に持ち越し

でも、待った6月のドラゴンボールは最高だった
前3作品とは違い、メインの敵が倒されて終わる
最高にワクワクして、これは伏線だろうか?次があるのかな?なんて
絶対に次回作があるはずだから何があっても見るぞと意気込んだ6月だった

去年の年末に暇だったのでスーパーヒーローをもう一回Amazonプライムで観た
やっぱり最高だった

先月、ひょんなことでアラレちゃんの曲を聞いて、アレアレアラレちゃんをぐるぐる聞いた
その後ワイワイワールドと顔でかーいを聞いて
顔でかーいに至っては高校だが専門の時にカラオケで歌ってたなと思い出して
アラレちゃん、また観たいなぁ何かで観られないかなぁなんて
私、つい先週まで思ってた



今日のお昼
昼食を取り終えて、何の気なしにTwitterもといXを見ていて
「ファン、関係者の皆さまへのお知らせ」が目に入り

あ!ドラゴンボールのアカウントや!なんやろ!
とワクワクして
左下に腕を組む鳥山先生の絵を横目に
文章に目を通す
突然のご報告になりますが、までワクワクして読んでいた



急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした。



意味がわからなかった
68歳でした、まで読んでから息が止まった
その後の文章は目で追ったけど何が書いてあるのか本当にわからなかった
空の弁当箱の前で口元を覆って動けなくなった
職員のいる部屋で涙が滲み出す

1時からの会議に向けて準備をしなくてはと思うけど、動けるはずなのに動きたくない
そんなわけがない、68ならまだ若い、でも硬膜下血腫なら確かに…


慌てて片付けて準備をし、出かける前にトイレに寄る
落ち着いて、何が書いてあるのか確かめないと、そう思ってもう一度見る

何度見ても覆らない、すでにこの世に先生がいないという事実
TLを駆けていく、ファンの追悼の言葉
鳥山先生はもうこの世にいないというのがじわじわと伝わってきた
トイレで泣いた


会議があるからと涙を拭いて、車で患者宅へ向かう
ラジオからロバート・ハリスさんの、先生への追悼の言葉が聞こえてくる
車を停めて、駐車場でもう一度泣く



家に帰って風呂で泣く
ベッドの上で、この文章を打ち込んで泣く
多分明日も泣く
来週も泣くし、来月も泣く
来年だっておそらく泣く



先生の描く人物が大好きで
先生の描くメカが大好きで
先生の描くファンションが大好きで
先生の描く恐竜が大好きで
先生の描く物語が大好きで
先生が大好きで
先生に会ってみたくて
先生に沢山救っていただいて
先生のお陰で盛り上がった時間が沢山あった

68歳という若さでこの世を去ってしまった

どうにかならなかったのかとか
どうにもならなかったんだろうなとか



今もどうしていいかわからない
別にどうしなくてもいいんだろうけど



先生がもういらっしゃらないと知るまでの1週間、何も変わらない生活だった
これからもこの世界は回り続けるけれど

私という小さな世界の中ではあまりにも大きい存在で
大げさかもしれないけど、私の人生に大きく関わっている作品たちで

日本で
世界で
宇宙で
銀河で
誰よりも才能をお持ちで
誰よりも努力なさって
誰よりも熱量をかけて作品に向かっていた先生を心の底から尊敬している



大好きな大好きなドラゴンボール
これからもずっと、永遠にドラゴンボールが大好きです

私だけじゃなく、世界中のファンがドラゴンボールもアラレちゃんもドラクエも愛している

70代以降は厳しいけれど
知らない人の方が少ないと思うくらいに大きい存在であると思う

暫くはドラゴンボールは観られないかなぁ
泣けてくるもんな



でも絶対に、映画は観に行く
泣かずに観に行きたいから、今のうちに死ぬほど泣いておく

あのワクワクを感じながら観たいから
ハチャメチャが押し寄せてきて、ないてる場合じゃなくなる映画に絶対になっていると思うから
何が起きてもヘノヘノカッパな悟空とZ戦士たちをワクワクしながら観たいから



大好きなドラゴンボールへ
大好きな鳥山明先生へ
そしてこれからのドラゴンボールへ



期待と追悼の意を込めて