技術を継承していくとは、一体どういうことなのか、あまり深く考えたことはないのですが、『工藝とは何か』のなかで出てくる「衣鉢を継ぐ」という言葉に考えさせられた。
「衣鉢を継ぐ」「法灯を継ぐ」「傳衣」は同じ意味らしい。
師が修業僧へ法を伝えた証として師の袈裟と鉢を弟子に授けることから、伝法をすることを「衣鉢を伝える」あるいは「衣鉢を継ぐ」というらしい。
それにより、お釈迦様から連綿と伝わる教えが師により修行僧に伝わる。
けっかとして仏教の教えが世界に広まっていくということです。
着ている衣と食べる食器を伝えるということは、日常を伝えるということです。
赤木先生は「日常、人格、性格、そういうものを伝える」とおっしゃっている。
我々の印章の技術継承は、何を伝えたのか?
彫刻技術?文字?書道?
そういう区分ではなく、
印章とは何か
何故、唯一無二なのか
そのためには、何をしてはいけないか
職人道徳とは・・・
そういったことが、きちんと伝わったのだろうか
私もそういうところを先生、先輩からきちんと盗めたのだろうか
印刀が、仕上げ刀が・・・
墨打ちがどうのこうの
印影の取り方が・・・
朱肉の扱いが・・・
それらの中にある本質をきちんと見ることができたのか
また、後進にそれをきちんと伝えられたのか
それは日常であり、人格、性格を持つ人から共鳴できる人への教えであります。
印章も普段使いの美であります。
禅の言葉も普段何気なく暮らしらしている日常生活のなかに潜む本質であり、人の心の深さや、閑けさであります。
印章の美も意識しないと気づきません。
自分の実印の書体や文字の形をきちんと話せる使用者がどのくらいおられることでしょう。
しかし、それも日常です。
日常に使われてきた道具だったのです。
今みたいな乱れた印章ではなく、熟練の職人がきちんとした想いを持ち魂を込めてつくった印章のなかには美があり、それを大切に使うと魂の共有をはたしてくれます。
「今、それが要らない!」としたら、その美をきちんと「衣鉢を継ぐ」ことが出来てきたのかということが、今の我々に後世から問われることだろう。
だから今の生き方が大切になる。
きちんと「衣鉢を継ぐ」ために何をどう努力をしているのかということ。
継ぐ側も継がれる側も
何かの組織にいるという安心ではなく
政治に媚びをうるという忖度でもないと
私は思います。
その一助になるかどうかはわかりませんが、5月に東京で個展をします。
ご高覧よろしくお願い申し上げます。