賽銭箱の先にいる方々 | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

テレビのトークショーではまだ角界の話が続いています。国技とか伝統とか神事というなら外国人相撲レスラーを排除して日本国籍のある若者で興行を打てばいいじゃないと思います。

東アジアの半島のテロリスト国家にはかつてない制裁を加えているということですが、有事の前の静けさなのでしょうか、おそらく欧米の武器商人たちがクリスマス休暇中のためかもしれません、静かです。我が国は平和だと思う一方、戦争前夜かもしれないと不安もよぎります。いずれにしても先のことはわかりません。

 

ポタリングで住宅街を走り抜ける時に、戸建て住宅の表札が目にとまることがあります。多くの場合、いままで年賀状をやりとりしていた苗字が目にはいってきます。そのとき、その苗字の知人にまつわる出来事がふと浮かんできます。ほとんどが苦い思い出ですが、なかにはほんのり甘いものもあります。こういう瞬間を大事にしています。昔はよかったと思うわけでも、また会いたいと願うわけでもありません。ただあんなことこんなことがあった、また同じようなことがあるだろうからそれを楽しみに待つことにしようというわけであります。口をあけて待っているわけでありません、どちらかというと待ち伏せです。自分の得意分野に網を張り、ターゲットが掛かるのを待っています。これは個人のやることですから期限もノルマも査定もありません。最近ようやく学習できたのは、平常心で焦らずに穏やかに待っていると、成果があるということです。それと肝心なのは、欲張らないことです。

幸運の女神はだれにでもチャンスを届けてくれているのですが、それに気がつかない人が多いといわれています。来週から神仏に1年分のお願いごとをする行事が始まります。賽銭箱の先にいる方々は願いを聞いてくれているのかもしれません。投げ入れた金額相当分の流しそうめんに箸をつけずに見逃しているようなもったいないことをしているかもしれません。来年は気をつけたいと思います。