団塊の世代は子どもの躾に時間を割く余裕がありませんでした | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

年末は宅配便は大変忙しいことと思います。

年内に配布しきれないと占うコメント屋さんもでてきています。

昨日の宅配便のスタッフは、目の前で割れ物注意の荷物を落としてくれました。

しかも、ごめんがありませんでした。

こちらもノーコメントで受取の押印をして落としてくれた荷物を受け取りました。

 

文句をいっても、宅配便のスタッフの気分を害するだけですし、昨日は気持ちに余裕がありましたので勘弁してやりました。というよりも、こういう些細なことにかかわりたくなかったというのが本音です。

送り主はamazonなので、きちっと梱包されているはずなので、踏みつけてパッケージが破損していない限り中身に影響はないと高を括っています。開梱して問題ないことが確認できました。結局、気分の問題、常識、サービス、やはり常識の問題です。お客様に届ける荷物を目の前で落としてしまった場合に取るべき行動はまずごめんなさいです。

先日、非常識で無礼な30代40代の従業員のことが話題になりました。

団塊の世代が悪いという結論になりました、子どもたちの躾を怠ったつけがまわってきています。

しかしながら、団塊の世代は子どもの躾に時間を割く余裕がありませんでした。小学校の頃は脱脂粉乳と臭いのする食器、その後は受験戦争、いろいろな節目で競争をして生き残ってきました。こどもたちには、自分がやってきたのだから当然できるはずだとスパルタ教育をする親、一方では苦労は自分たちだけで充分だからといってこどもには楽をさせてやりたいと過保護の親、そういう中で、親世代より豊かな衣食住が供給されて育った世代が今社会で、リスペクトも思いやりも礼儀も知らずに暮らしています。そういう日本人に迷惑している団塊の世代は、実は自分たちがやるべきことをやらなかったからだと反省しているわけであります。