泥縄でもいいじゃない | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

最近の若い人は泥縄という言葉、方法論を知らないようです。

 

明日から2週間ほどオンサイトサポートで出張です。

そのための準備をしていますが、自分なりにまさに泥縄です。

ふりむけば、中学の頃からそうやって課題をクリアしてきました。

締め切り間際まで、最善を尽くし、結局次善策で乗り切るという手口です。

 

高校の夏休みに文庫本40冊分の読書感想文を書くという宣言した同級生がいました。

成績優秀で、常に学年で6位以内にいました。どこの大学に行ってその後どうなったかは互いに同窓会に顔を出さないのでわかりません。それに、近況を知ったところでどうなるものでもありません。記憶に残っているのは、40冊の宿題を提出したことです。

でも、クラスで話題にはなりませんでした。あいつならやる、やはりやったという感想です。

そして、級友たちはそれぞれの目標必達に注力していました。

 

計画を立てて、予定どおりに着実にこなしていくという手法が重要であると会社勤めで最初に学習します。次に目標を達成すると収入が増えることを知ります。

そして最後に、品行方正に一歩一歩着実に実績を積み上げていく人はレアケースで、ほとんどが幹部社員の思い付きに振り回されることに気がつきます。

 

いい加減で素行が悪くても利益に貢献する限りは、会社はわがままを黙認することもあるという事例を見ることもあります。一匹オオカミの美学にも触れることがあります。

 

そして、そういう美学はカネにならないことを、従業員の多数決と経営陣の意思決定で決まる私企業のしくみのなかで学習します。