元気で行儀のよい野球少年たち | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

長野出張9日目の朝、ようやく陽がでてきました。

横須賀から神奈中の貸し切りバスで合宿に来ていた小学生野球少年たちは、

3泊4日の最終日のブログラムを長野の陽を浴びて、こなすことができます。

 

監督やコーチの指導が行き届き、行儀のいい少年たちです。

ホテルの館内を走り回ったり、大声でふざけたりはしません。

ほったらかしに育った親のそのまた子供たちのように、他人の迷惑かえりみずという

ことはありません。教育的指導が行き届いています。

これなら、このまま礼儀正しく、周囲に感謝の言葉を発するしつけの効果が続いていけば、

やがて大人になり、勤め人になったとき、監督やコーチの厳しい指導の賜物としてカネで買えない素晴らしい恩恵を享受することになるでしょう。

 

これも格差社会のひとコマかもしれません。

親は子どもの近未来に投資します。

その結果、貸し切りバスで長野で合宿、恵まれた環境で期待される人間として修養の機会を与えられる子どもとそうでない子どもができます。

この違いが大人になったとき、営利企業で働けば待遇面でも格差が必ず生じます。

 

昔は年功序列やエイジグループ制度が勤め人のモラルを形成していました。

その仕組みは、著しい格差を生まない防波堤の役目をはたしていました。

昨今、その仕組みは成果主義にかわり、下剋上は歓迎されるべきチャレンジとなっています。

その結果、格差が生じ、勝ち組はさらに先行投資を重ね、逃げ切りの態勢を固めています。

 

元気で行儀のよい野球少年たちの多くは、親の期待に応えて勝ち組の集団の仲間入りをしていくことでしょう。