話が飛びますが | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

戸建て住宅街では早朝ペット犬と散歩している年寄りをよく見かけます。ふと気になったのですが、飼い主はペットの顔を見分けることができるのでしょうか。競馬ファンに情報を提供するコメント屋さんたちは、きっと飯のタネの馬の見分けがつくにちがいありませんが。


欧米人は、東アジアの半島の人たちと日本人の見分けはつかないと思います。国籍が違っても先祖が同じ人たちがたくさんいますから。同様に多くの日本人には欧州の白人の違いがわかりません。欧州で暮らすと、街で売っている衣料のサイズで少しわかります。イタリア・フランスは小柄、オランダ・ドイツは大柄。鷲と鷹のちがいのようなものです。


ドイツ企業で働いていた頃、酒席でよく耳にして何となくわかったのは、いじめや村八分に遭う同僚は「ユダヤ人」とか「ホモ」とかいうレッテルを貼られる場合が多いということでした。日本人にとっては、たくさんいる正統な柴犬のなかに飼い主がユダヤ系の正統な柴犬がいるようなもので見分けがつきません。一つわかったのは、旧約聖書にでてくるような名前の人がいたことでした。日本では少し違う苗字は琉球の人たちですが、全く差別の対象とはなりません。


話が飛びますが、

自分は何も悪いことをしていないのに、阪神大震災や東日本大震災でひどい目に遭うようなもので、いじめや差別は理不尽です。知っているのを隠しきれないにもかかわらず隠そうとする某教育委員のような人たちは暴れん坊将軍の「成敗」の対象です。