次善策では納得しない変化のうねり | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

1960年から70年代にかけて、新興宗教と呼ばれた宗教団体が今までの日本人の心を否定する手口で勢力をのばしていました。古来、わが国では「和を尊ぶ」といって、公の場では、競合する他者を非難中傷したり否定したりして自らの優位性を主張することを嫌いました。


ところが、この集団は徹底的に既成宗教を否定し、かつ、既成宗教がお約束できなかった「現世利益」(信仰した結果がこの世において実り、欲望が達せられるということ)を約束しました。このマニフェストが多くの欲深い日本人に希望と利益をもたらしました。

「儲ける」という字は「信じる者」と書きます。文字どおりこの集団に加わって必死に現世利益を願いその約束を信じることで、願いが叶う人が増えました。日本経済が右肩上がりの高度成長をしていた時期と重なったことも勝因でした。もちろん、叶わない人は、信心が足りないと内部で総括されます。願いが叶うまで辞めないことが祈願成就の定石です。

先日街宣車を見ました。なんと、この宗教団体を信じたことで損害を被り離脱した人たちに向けたNPOまがいの救援活動を宣伝していました。そういえば、国会議員選挙でも不敗の強さは色あせていますし、一家そろって信心していたはずの知人は、そもそもこの宗教を親族に持ち込み熱狂的な信者であった実母の葬儀で、声高に題目を際限なく唱える集団から距離を置いていました。この教団の信徒は、政界進出を果たしても、私企業経営幹部には敬遠されていることを知人は口にしました。

100年に1度、1000年に一度の人災天災をきっかけに「何か」が変わっているのかも知れません。民主党から自民党に政権が戻るというような次善策では納得しない変化のうねです。