NIKON | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

初めて就職した年に、近所の写真館でカメラを買いました。


写真館の店主は、アサペンよりニコンだといって当時の新製品F2を勧めてくれました。当時の月給と同じぐらいの高価なカメラでしたが、ボーナスをもらったときに買いました。


ご主人は、大事に扱えば、多分持ち主より寿命が長いといいました。以来広角や望遠ズームなどの交換レンズを増やしながら、人生の節目節目を記録してきました。重くて頑丈なことが品質の証と実感して、重いカメラバッグを持ち歩きました。


確かバブルが始まろうとしていた頃です。テレビコマーシャルで、団塊の世代の父親の年代の役者がニコンを処分するシーンを見ました。もう必要がなくなったから処分したというセリフだけ覚えています。これからバブル経済が始まるタイミングで、世の中は右肩上がりの成長を疑う指標もコメント屋も見当たらなかった時代です。高価で宝物のようなニコンをなんで処分するのか理解できず違和感を覚えました。


携帯電話にカメラ機能が付加され、画素数が銀塩カメラに近づいた昨今、軽量小型なデジタルカメラが主流となりました。持ち主の寿命より長いはずのニコンは、デジタルカメラの登場により産業革命時の馬車のような運命に直面することになりました。


「もう使うことがなくなったから」という理由で、NIKONの時価が消滅しました。いずれ燃えないゴミになることがないようにと願い、ニコン愛好家に譲りました。


父は老いてカメラを処分、子はデジタル化で処分。モノに愛着を感じることから距離を置き始めました。