最良を願い、最悪に備える | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

日本経済が右肩上がりで、何をやっても儲かるという勘違いがまかり通っていた当時は、現在一般化している危機管理意識といったものは存在していませんでした。

引き潮のときに波打ち際に砂山を作っているようなものでした。沖を大型船が通ったときには、一時的に大きな波がきて砂山が崩れそうになることはあります。しかしトレンドは引き潮ですから、波打ち際の砂山は常に波をかぶることはありませんでした。


勢いといいましょうか、守りよりも攻撃だけでビジネスが成り立っていました。当時勤務していた会社へは、当時の三和銀行が、無担保で3億円の融資枠を提供してくれました。勤務先親会社のブランド力が担保でしたが、支店長代理もこの担保は紙きれにすぎないといいながら、融資枠3億円を2年継続してくれました。期間中1億程度は借入りしましたが3億は使えませんでした。

そして、1991年でしたか潮がとまり、次に上げ潮にかわりました。波打ち際に作ってきたバブリーな砂山が次々と波に洗われ壊れていきました。あれから20年以上たちました。


今は「最良を願い、最悪に備える」毎日です。

「含み損が解消されることを願い、年安更新で待ち伏せ買い」という懲りない部分は温存です。