敗戦処理は従業員のやる仕事ではない | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

希望退職という誘いを従業員にかけると、会社の募集者数を上まわる応募が出たと公表する大企業をよく耳にします。

景況感がいまだ改善しないので、「とりあえずドロ船からは降りる」という気持ちになっている勤め人が増えていると思います。会社と運命共同体という愛社精神をもって減給などを受け入れるのは、ゴーイングコンサーンの注記がない限り(会社の継続に黄色信号が点滅していないこと)という前提条件があります。


退職金の規定があっても倒産してしまえば、給付されないかもしれません。危険信号が点滅したら、会社に支払い能力がある間にもらえるものはもらっておこうという選択になります。先行き不透明な昨今、勤務先がドロ船となったと感じても、自分の定年まではなんとか沈まないで持ちこたえるだろうという期待は、今ではかなりハイリスクなものになってしまいました。

一度だけ勤務先の事務所閉鎖の際、最後の後始末まで付き合ったことがあります。
当時は、業績不振ではなく親会社の事業再編が理由であったので、現在のような悲壮感はありませんでした。転職先はまだあるという希望が持てる好景気という環境下であったので、今まで経験したことがない清算業務をやってみようかという余裕がありました。ドロ船と一緒に沈んでも、自力で浮上できると確信し、船を沈める手伝いをしました。さらには閉鎖から2ヵ月後に行われた監査法人の監査にも無給で対応しました。


あのとき学んだことは、敗戦処理は従業員のやる仕事ではないということでした。

経営者がやるべきことを、使用人がやってはいけません。

達成感のない、楽しくないことには、可能な限り近寄らないほうがいいと学習しました。