勝てるゲームは、圧勝すべきです | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

「そこそこ」とは、広辞苑によると、少ないが満足できる程度、辛うじてそれくらいの意を表します。この言葉を能力などの評価に使うと、否定的なひびきを感じます。

まもなく、子どもたちの新学期が始まります。
某公立小学校の教師が、担任児童の父兄との面談で、その児童の評価を「成績は、そこそこ」との評価を父兄に伝えました。その言葉を聞いた母親は、こんな教師が担任かと思うとがっかりしました。


親は、「そこそこ」の自分の子より成績が上の子が同級生の半数程度いるのかと思います。公立小学校では、一番理解の遅い子のレベルに合わせたゆとり教育をしているようなので、もしかしたら、今の「あゆみ」という通信簿は、全員「よくできました」の評価になるのかもしれません。私立小学校に比較すると、公立の児童の成績は全員そこそこという、厳しい現実を、この公立小学校の教師は伝えたかったのかもしれません。

父親は、「そこそこ」などという不適切な言葉を無神経に口にする教師に、なめられてはいけないと、子どもに教えます。格下の輩になめられるのは、すきがあるからで、実社会では、不利益をこうむるリスクが生じます。


スポーツの試合で、格下の相手に苦戦したり、手加減を加えたりするのは、選手としての寿命を縮めるおそれがあります。勝てるゲームは、圧勝すべきです。常勝を期待される有力選手でも、格下選手と接戦で勝ったときは、疲れが残ってしまい、次の試合では、より厳しいゲーム展開になることを覚悟しなければいけません


今でも折に触れて思い出すのは、東洋の魔女たちが高校生相手に手を抜かずに圧勝した試合です。