従業員が望みを叶えるにはサポータを卒業しなければいけない | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

西武有楽町店を閉鎖するというニュースが流れました。
他はあってもここにはまさか落日はないと安心していたに違いない大きな会社が次々にマーケットから退場しています。

例によって、評論家は結果についてコメントし身の程知らずにも敗れた経営者の市場動向の判断ミスとかあの時こうしていれば事業崩壊はなかったとか私見を述べます。
経営者が誤った経営判断をしているまさにそのとき、その経営会議のメンバーとして意思決定に違和感をもったとか、従業員の立場で改善の提案をしたとかいう人物なら話は別です。IFの世界で、あのとき歴史が動いたといえるかもしれません。

従業員はサポータです。経営者という既存プレーヤの活躍を期待し、勝てばおこぼれをもらえることを信じ、負ければ仕方ないと納得します。しがない勤め人は入社したい会社を選ぶことはできますが、採用後は、辞令を受け課せられた職務にそれなりに励むことになります。中には成果をあげて自分自身が経営者に抜擢される人もいますが、ほとんどの勤め人は退職する日までだれかのサポータという限界を超えることはありません。


特に創業者一族が健在のファミリー企業では、入社したときから従業員は経営幹部のサポータ以外の何者でもありません。(非上場の某飲料会社社長は、『ファミリー以外の幹部は安心して仕事ができる。なぜなら絶対に彼らは社長にはならないからだ。』と社外の管理職向け有料セミナーで漏らしました。)

販売管理費削減というとスタッフ部門にいるサポータは不安になります。業績下方修正とか事業再構築とかが話題になると上級管理職は給与と人員の削減が気になります。事業に失敗したときのリスクをプレーヤが負うのは当然ですが、サポータもノーリスクといえるほど甘くはありません。一方、成功したときのリターンの大半はプレーヤのものです。山分けはしません。いままでローリターンで実はリスクは山分けという雇用条件で働いてきた人が多いと思います。そしてこの人たちのほとんどが、山分けにに与るリスクは、支給されるリターンとは比較にならないほど低いと思い込んできました。それが、有名な上場企業が市場からいなくなるといういままでなかった環境が身近に出現し、レアケースとはいえないほど増えてきました。ノーリスクといわれていたからサポータをやってきたのですが、ローリターンでさらにリスクもそれなりにありでは、あまり美味しい立場ではなさそうな気がします。

「電車男」というドラマで、主人公の電車男さんが目標達成と書き込みをしたとき、それ(スレ)を読んだヲタク(おまいら)のひとりが「望みを叶えるにはサポータを卒業しなければいけない」と叫ぶシーンがあります。それを見て、「そうだ京都 行こう」と同じような感動(思いつき)を覚えました。