母の日に思う事② | 鴇色は永遠に!

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きものの師匠清水ときの教え、自分の好きなきもの、そしてきもの好きな友達の事や田舎の古民家の日常をつらつらと綴っています。



トキ孫の実家の母は仕事が早く、記憶力が良く、背が高くて痩せていて、子供の時は妹と「地獄からの使者」ってな具合に呼んで恐れていた。国語の宿題で分からない言葉は母に尋ねると全て正確な答えが返って来た辞書の様な人だったし、何より仕事が早いからノロノロやっていようものなら叱責が飛んできた。オマケにその当時162cmの身長で40キロの体重だから頬がこけていて目が大きく、額の縦皺もあって怖かったなぁ〜😱


高校生になって母の実家に行った時に、母がスポーツも頑張っていた事を知った。高校の時テニスで全国大会に行っていた事、卒業式の時成績優秀で代表だった事等、トキ孫の知らない母を祖母や伯母が話してくれた。


そんな母だから、合理的で、「〜するべき」は彼女の尺度で測り語られ、論理が通らない芸術的な事には全く理解を示さなかった。叔母が習っていた茶道華道はやらなくて良いって笑い、必要になったらササッと習えば良いのよって。理系に進んだのもこの母ありてこそ。何で?どうして?は今でもトキ孫の行動のエネルギー!


だからトキ孫がきものの勉強をしてきもの文化検定1級に合格し、着付けを学んで国家資格着付技能士1級に一発合格し、現在進行形で和裁も学んでいる事を、母は驚きをもって見ている。理系のトキ孫が服飾系??でも、「貴女が楽しそうな事が1番よ」って言ってくれる母はやっと可愛げが出て来た。⬅️昔の母からはこんな言葉は出やしない😖


人生は長い。一つのことを突き詰めるのも良い。でも、全く違う事柄に出会ってそこに面白味を見出せばそれも良い。そして、こうでなければいけないって自分で決めつける事は止めよう。何より笑って居られる心の余裕を持とう。これはトキ孫の人生訓だ🍀