未来に基づいてデザインされた
High-Shared TCZ”に巻き込まれていく。

そうすると、
関係性が変わり、
現実が変容していることに、
否が応でも気づかされていきます。

それは、

自分がすでに別の世界へ移動してしまったことの
フィードバックとして起こります。

これまでと同じ場所にいるはずなのに、

同じ人と会っているはずなのに、

同じ日常を過ごしているはずなのに、

なぜか、観えている世界が違う。



以前なら気にならなかったものが、

どうしても気になってしまう。

以前なら自然に合わせられていたもの。

それに合わせられなくなる。

以前なら安心できていた関係性に、

どこか違和感が生まれる。

それは、

あなたがおかしくなったからではなく、

むしろ、

これまでとは別の場所へ移動し、

そうすることでしか得ることのできない
“新しい世界を観る眼差し”を獲得してしまったということです。


 
まるで、
同じ場所にいるのに、

前とは別の世界に移動したような感覚。

観える風景の変化。

関係性の変化。

視点の変化。

見通せる距離や時間の変化。

未来の視点に何ら違和感のなくなる感覚。

いつの間にか自分の視界の一部になっている。

これは異常なことではなく、

“ある変化” が始まっているというサインです。

ただ──

その変化は、
必ずしも心地良いものとは限りません。

未来へ移動するということは、
ただ楽しいことだけが起こる、
という意味ではないからです。

むしろ、
未来へ移動するほど、
これまでの自分を支えていた関係性や環境との間に、ギャップが生まれてしまったりする。

その差分が、

違和感として現れる。

孤独として感じられる。

あるいは、
体調の揺らぎや、
人間関係の変化や、
居場所の喪失感として現れることがあります。




たとえば、
自分のステージが上がり、
それに見合わなくなった人は、
自然と近い関係から離れていってしまうように感じることもあるでしょう。

それは、
誰かが悪いという話ではありません。

このカラクリは
差分であり、差異です。


 
以前、彼らは私を嘲笑し、私の無知や愚鈍を軽蔑した。そしていまは私に知能や知性がそなわったゆえに私を憎んでいる。なぜだ? いったい彼らは私にどうしろというのか?  
この知性が私と、私の愛していた人々とのあいだに楔を打ちこみ、私を店から追放した。そうして私は前にもまして孤独である。(略)
ストラウスはまたまた、だれにでも理解できるようにもっと易しく、わかりやすく話したり書く必要性を指摘した。彼は言語がときとして心を通わせる道ではなく障壁であることを気づかせてくれる。知能というフェンスのあちら側にいる自分を発見するとは皮肉である。
(ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』)

変化とは、

いつも祝福だけを連れてくるわけではありません。

観える世界が変わったとき、

それまで自然に共有できていたものが、

共有できなくなることがあります。

言葉が通じなくなる。

感覚が合わなくなる。

同じ景色を見ているはずなのに、

まったく違うものを見ているように感じる。

それは、

あなたが冷たくなったからでも、

相手を否定しているからでもありません。



ただ、

観えている世界の抽象度が変わってしまったから。

僕たちの現実は、
TCZに強く依存しています。




この盆地からは
構造的に逃れることはできません。

出会う人、起こるイベント、
入ってくるお金、知力、運、不運──


そのすべては「どのShared TCZにアトラクトしているか」で変わってしまう。



Lowではなく、Highへ。

パーソナルセッションを含めた、
一連の企画に参加するようになって、

身体はもちろんのこと、
環境や人間関係までも大きく変わってしまったと感じている方も結構いらっしゃると思います。

仕事の評価も、
年収も、
加速度的に抽象度方向に移動してしまった。

関わる人が変わる。

相談される内容が変わる。

自分が自然に選ぶものが変わる。

以前なら悩んでいたことが、

なぜ悩んでいたのかわからなくなる。

一瞬で解決する方法がわかってしまう。

その一方で、

あまりに大きな変化によって、

一時的に自分の居場所がなくなったように感じることもあるかもしれません。

上がっている感覚とは逆に、

自分は落ちているのではないかと感じるような出来事が起きることもあるでしょう。

体調を崩すこともあるでしょう。

すごく眠くなることもあります。

もしかしたら、
人と会うのが億劫になることも。

今まで楽しめていた場所に、

なぜか身体が向かなくなることもあるかもしれません。

けれど、

それは必ずしも悪いサインではありません。

未来に向かって大きく移動しているからこそ起こる、調整のプロセスであることがあります。
こういうとき、僕たちはつい、

一人だけで重さを背負っているように感じてしまいます。

自分だけが変なのではないか。

自分だけがズレているのではないか。

自分だけが置いていかれているのではないか。

そう感じてしまう。



そうなると、
今起きていることを、
正しく物事を捉えることが難しくなります。

本当は未来へ移動している最中なのに、
現状の基準で観てしまう。

新しい世界に馴染んでいく過程なのに、
「前のように戻らなければ」と考えてしまう。

そうやって、

せっかく開き始めた可能性を、

自分で閉じる方向へ向かってしまうことがあります。

だからこそ、

一人で頑張ろうとしないことが大切です。
未来へ移動しているときほど、

自分一人の判断は、
あてにならないことがあります。

なぜなら、

自分が立っている場所そのものが変わっている最中だからです。

だからこそ、
High-Shared TCZに巻き込まれること。

適切な「」に身を委ねること。

同じ未来を共有する仲間と、

時間と空間を共有すること。



これが、
とても大切になります。

そして、
悦楽のWorkshop”で扱っていることも繋がってきます。


気持ちよさを通して、
能力そのものが解放されていく。


それは、

未来のキツい風圧が来た時に、
耐えられる身体を創る、

ということでもあります。


その変化は、
未来のためであり、
現状のためではありません。

だから、
これまで一緒にみてきていることが
とても大切になってきます。

物語という構造。

仲間という繋がり。

流れに乗る、という選択。


 
それらはすべて、
関係の中で、生じる現象です。

関係の中に生じる。

もう少しいうなら、
僕もあなたも厳密には存在しないのです。

だからこそ、
固定された“個人”というものを前提にすると、
現実を正しく理解できなくなります。

それゆえ、
僕らの人生はランダムの連続であって、
それが後から(未来から)観ると一つの連なりのように物語をみます。

けど、
一つひとつの結節点は信じるしかない程度にランダムに支配されているのだということが、T理論から考えれば自然なことでした。

この感覚を端的に表現しているのが、次の言葉です。
 
我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。
(スティーブ・ジョブズ米スタンフォード大卒業式 2005年6月)


関係そのもの”しか存在しないのです。



この感覚は、
新しいT理論を学んでいくほど、
よりリアルになっていきます。




この数式に
ベイトソンの木こりの魂や、
ホッブスのリヴァイアサンを感じます。

結局のところ、

大切なのは、


そこにどんな未来を共有しているのか、

ということです。

それは、

承認欲求による個人崇拝のようなものではありません。

誰か一人を中心にして、

周囲が羨望して従うという構造でもありません。

理念であり、
物語です。

共有された未来であり、

そこへ向かって、
自然に巻き込まれていく
High-Shared TCZ です。

一人で耐えようとしなくていい。

一人で全部を理解しようとしなくていい。

一人で正しく変化しようとしなくていい。

未来へ移動しているときほど、
一人で抱え込まないことです。

そして、

自分に起きていることを、

現状の基準で裁かないこと。

それが、

未来へ移動しているときの処方箋です。

未来へ移動している最中こそ、

一人で頑張らなくていいのです。

むしろ、

そのために場があり、

仲間があり、
物語があるのだと思います。

一緒に移動していきましょう。

ではでは、今回はこの辺で。

Khronos / The salone|Hiro