昨年から大騒ぎになっているマンション建築構造の耐震偽装の問題や、ミートホープ・不二家・赤福やニチアス等の賞味期限および品質に対しての偽装が続くのかについて、小さな会社ではあるが経営者の末席に居るものとして自分への戒めを含めて思ったことを一言。
なぜこれだけ報道等で大騒ぎになって居るのに繰り返されるのか?
「自分の会社だけは大丈夫」と思っている?
「効率化の追求や原価抑制」の方向性の間違い(勘違い)?
「ものが言えない」特に創業者(や一族)の絶対権限にたいして?
「やってはいけないことに対しての内部告発」は裏切り者の風潮?
などなど考えられる。
経営者として末端の作業現場の状況や製品・商品の品質保証について把握できないのは会社規模の大小の問題ではないと思われる、
確かに会社の規模が大きくなると組織上権限の委譲や責任の分散化が行われないと会社が廻らないと思うが、
企業の社会責任(CSR)からみても、社会的ルールが全社員(無論管理者や経営責任者も含めて)で遵守されていない。
会社内部ルールが優先し、社会的常識や「これだけはやってはいけない」のルールについて無視されている。
今までやってきた手法(誤った方向性)が、これだけ報道等であらわになっていていることが他人事(他社だけで)で自分の会社だけはやっていない(正しい)と思っているのであろうか?
そうだとしたら経営者としての経営感覚(社会に対しての責任やまじめにやっている社員、取引先も含めての責任)があまりにも粗末に見える。
ニュースなどの謝罪会見を見ても「現場レベルでの指示」、「知らなかった」等々の言い訳ばかりに思えてならない。
どうも最近の風潮として「効率追求」「成果主義」の経営手法や評価基準によって「なにか大切なもの」が失われている気がする。
自分も気を引き締めて会社や仕事に対して、真摯な気持ちで向き会わなければと思う。
こんなことを書いていたら、なぜか幕末から明治への変革時の偉人たちの小説を、又読み返したくなってきた。
特に「小栗上野介」、もちろん米百表の逸話や他のたくさんの偉人たちの話もある。
今週末は私用で群馬県高崎に行くので烏川沿いの小栗上野介の斬首の碑(「罪無くして切らる」と刻んである)と墓所に行って考えてみよう。