【マジですか??】731部隊にかんでた、竹田祖父( ̄□ ̄;) | 優しい世界・還暦の逆襲

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コロワクのせいで死にかけました。生きてるうちに、言いたいことを言わせていただく!

いや~~~~~~~~~~、ぶったまげた(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)

まあ、以下の記事をご覧ください。

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http://blogs.yahoo.co.jp/nobuharu51/16688200.html より

◆関東軍参謀で天皇の従兄弟
 戦争直後竹田宮恒徳(つねよし)は千葉県で牧場を経営した。竹田は宮田という変名で関東軍司令部と731部隊をつなぐ要の役割を果たしていた。占領軍の命令により、明治天皇の孫に当たる竹田は皇族の身分を剥奪された。1951(昭和26)年、日本政府は竹田を含む2000名にのぼる大佐以下の旧軍将校の公職追放を正式に解除した。

(中略)

竹田は、戦時中何をやっていたかは以前のブログに書いた。もう一度紹介すると、

『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より
10章「誰が知っていたのか?」

竹田宮は20数年前、日本占領下の満州で任務に従事した。そこで彼は、主席主計官として、関東軍において戦時に設置された重要なポジションに就いた。そういう地位の人間として、彼は満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。彼は平房を頻繁に訪れたが、その際は、宮田武中佐と名乗っている。おそらく竹田宮・宮田中佐は、自らの任務を果たすために、満州にある他の死の工場も視察したはずである。

 竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は、関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍における医療行政官のチーフのように権力のある個人すら、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。


http://homepage3.nifty.com/time-trek/war/731-royal.html より

皇族が関係していたというのは本当か?

結論から言えば本当です。でもこれは何も特別のことではなく、戦時には多くの皇族が何らかに関係がありました。

外国の例では、フォークランド戦争のときに英国皇太子が最も危険な任務に就きました。ヘリコプターで自らを敵のミサイルの標的として誘導し、飛来したミサイルを直前にかわして艦船の被害を防ぐというものです。      

日本の例では南京攻略の指揮をとった「朝香宮鳩彦中将」が挙げられます。                  

七三一部隊関連では「竹田宮恒徳王」です。      
七三一部隊を担当した関東軍の「宮田参謀」とは竹田宮のことです。ピンファン(平房)の部隊本部を巡視し、細菌爆弾の製造にも関わった、ということです。 
 

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そうです、ここに出てくる「竹田宮」とは、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%94%B0%E5%AE%AE ↓


↑この人「竹田宮恒徳王」であり、その息子が、



↑「竹田恒和」JOC委員長であり、その息子が、



↑ズッキュ~~~~~~~~
~~~~~~~~ンンン(・∀・)


こいつのおじいさんって、あの、犠牲者にペスト菌打ち込んで、黒くなったら、生きたまま解剖しまくったので有名な、731部隊↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A
(↑食前に読むと気分が悪くなるので注意( ̄□ ̄;)!!)

の関係者、なのね!!!!!!!!!!

ズッキュ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!!!!!!!!!

っていうか、「宮田参謀(竹田宮の変名) 731部隊」でググると、もう山のように…。(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)\(゜□゜)/( ̄□ ̄;)!!о(ж>▽<)y ☆(  ゚ ▽ ゚ ;)( ̄□ ̄;)

もうだめだ…。
つか、よく毎週TVに出れるな( ̄□ ̄;)
あと、おじいさんのWikiでは、このことは一切触れられてないのがブキミ(((゜д゜;)))