韓国総選挙で野党は負けたのか?(下) | 朝鮮問題深掘りすると?

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見てきたように前回の総選挙での野党連合の敗北は、敗北と言うよりも与党に勝利を捧げたと言った方が良いようです。


それにしても野党連合にはあきれました。社会的雰囲気は紛れもなく野党連合に有利であったにもかかわらず,野党の見せた姿は情けないと言っても良いほどです。


だが、だからといって与党は安泰でもなく、わけても大統領選挙での勝利が保障されたと言うにはほど遠い常態だと管理人は判断しています。野党連合が大統領選挙で勝利する可能性はまだまだ十分にあるからです。


まず第一に、「李明博政権審判」論はまだ生きており、事実PK地域以外では野党連合が優勢か、やや劣勢と言う構図は動いておりません。なかでもつづく国会では「四大江問題」や福祉問題、民間人査察問題などが俎上に上り、厳しく追及されるなかでセヌリ党が何処までハンナラ党の陰を打ち消すことが出来るのか大いに疑問です。しかもセヌリ党、特に代表のパク・クネが李明博政権との差別化を李政権中枢との軋轢無く行うことが出来るのかは、セヌリ党自身も自信を持てないでいるでしょう。


選挙を前にして野党連合によって「リ・ミョンパク・クネ」という造語が作られました。李明博とパク・クネは一卵性ソーセージだと言う事ですが、民衆の認識に基づいているだけに、これをかき消すのは難しいでしょう。しかし、パク・クネは総選挙で見事にこれを成し遂げました。


民主統合党の政策的不手際を突いた「李明博政権も悪いが野党も悪い」、つまりどっちも五十歩百歩だと言う方向に民衆の意識を向けさせたのです。韓米FTA問題や民間人査察問題でそれは威力を発揮し、有権者の判断を混乱させるのに成功しました。


従って大統領選挙に向けて野党連合が「リ・ミョンパク・クネ」と言う認識を民衆の中にしっかりと根付かせるのに成功するかどうかが、最も重要な課題となるでしょう。


つぎに野党連合が報道の公正性確保を唱えるTVメディア放送労組のPDや記者、カメラマンらの闘いにはっきりと連帯を示し、共闘する形で与党のTVメディア独占状態を打破することが大事です。これまでのように無関心でいるのではなく、彼らの闘いをしっかりと弘報し、彼らの闘いに対する民衆の支持と連帯を強化することです。


第3に、様々な形で噴出する民衆の闘いに積極的に呼応し、彼らの主張の正しさ、その当然さをしっかりと政策的に固めさせる積極的な対応が必要です。民衆の要求一つ一つに対する野党連合の見解を政策的にまとめそれを民衆に訴えかけることが必要です。


第4に、総選挙で勝利した事から、セヌリ党はこれまで控えてきた様々な非民衆的政策を実行に移して行く構えを見せていますが、そのことごとくに対して積極的に政策的代案を出し、民衆に訴えかけることです。併せてこれまで民衆の掲げた要求について再度スポットを当て、再び大きな民衆運動のうねりを醸し出す必要があります。


大学登録金半額問題はまだ現実的急務の課題として残っており、与党の政策的解雇政策(双龍自動車問題)、非正規労働問題(現代重工業現代自動車問題)など雇用、失業問題を正面に掲げて、与党には決して解決できるものではないという事実を明々白々と暴き出すことです。そして民間人査察問題では「自分も査察された」というパク・クネの姿勢が本質的問題を棚に上げた言い逃れに過ぎないという事を明白にしていくことが大切です。


総じて「リ・メイパク・クネ」という造語が単なる選挙用のものではなく、パク・クネセヌリ党の本質を暴いた言葉である事をいちいち明白にする必要があります。こうしてパク・クネの差別化政策を打ち破り、「李明博政権退陣」論を、生き生きとした大衆運動の総戦略,大統領選挙の総戦略として打ち出す事です。もちろんそれは「リ・ミョンパク・クネ」の造語に命を吹き込むことです。


総選挙での総得票数が物語っているのは、大勢は「李明博政権退陣」論にあると言うことです。この大勢はまだ崩れてはいません。民主統合党はハン・ミョンスク代表の代表職辞退を冷静に受け止め、それが総選挙敗退の責任論に拡大し内部抗争を醸し出すのを避け、眼を大衆闘争に向け民衆と共に歩む決意を固めることが先決です。


統合進歩党は進歩勢力を標榜しながら労働者大衆が最も集結している鬱山、昌原で当選者を出せなかった原因を深くかみしめ、なによりも基層民衆の闘いに身を沈める覚悟をいっそうはっきりと示す必要がありそうです。


李明博政権退陣闘争はまだ始まったばかりです。まだ時間はあります。管理人は野党連合が大統領選挙では再び総選挙での失敗を繰り返すのでは無く、今度こそは自らに与えられた使命に忠実に闘うであろうことを確信するものです。(おわり)