野田総理またも妄言 極右の本性を吐露 | 朝鮮問題深掘りすると?

朝鮮問題深掘りすると?

初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。

野田総理は以前から日本帝国主義の侵略行為を美化してきた極右政治家です。また総理内定直後には「A級戦犯者に分類されていた人々が後になって『公務死』と認定され,総理になるなど日本には戦犯自体が存在しない」とし、「靖国神社参拝議論はA級戦犯といわれる人々の人権侵害であり、人権と国家の名誉に関する問題だ」とまで主張している人物です。


まさしく中国や朝鮮半島、それに日本の侵略を受けた東アジア諸国にとっては「好ましからざる人物」なのです。はっきり言って日本にとっても同様に「好ましからざる人物」なのです。


したがっていわゆるネット右翼が言うような、「反日的」人物ではないことがよくわかります。さらに彼の率いる民主党政権がそうした政権でないことも分かります。と言うことはネット右翼の連中は何も知らずに自分らの気に入らない言動を吐いた者に意味も無く「反日分子」のラベルを貼っている逓脳集団に過ぎないということです。
いやすでにネット右翼の連中は野田総理に対する評価を改めているでしょう。それだけ単純な連中です。


ところでその野田首相、韓国ソウルの日本大使館前に「慰安婦の碑」が建てられた問題をめぐり、26日の参院予算委員会で、碑に「日本軍性的奴隷問題」と記述されたことについて「正確なことが記されているかというと大きく乖離している」と懸念を表明しました。その上で昨年12月の李明博大統領との会談で碑の早期撤去を要請したことまで強調しています。サンケイ新聞が報じています。


自民党の山谷えり子が、米ニュージャージー州パラセイズ・パーク市の公立図書館に設置された慰安婦の碑に「日本帝国政府の軍によって拉致された20万人以上の女性と少女」と記述されていることを指摘したことに対する答弁でのことです。このとき野田首相は「数値や経緯を含め根拠がないのではないか」と「不快感」を表明したとサンケイは描いています。


またこの問題と関連して玄葉氏は、慰安婦募集に日本の官憲が加担したとして「強制連行」を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話を踏襲する考えを表明。強制連行について「証拠は出てないが、否定はできない」と述べたといいます。


管理人は野田総理や玄葉の「証拠は出てない」と言う発言は実に手前勝手な発言だと思っています。日本は敗戦後、こうした戦争犯罪に関する一切の書類や、証拠隠滅に必死だったと考えるのが正当だと思っています。そうした指令を下した文書も残っています。自ら証拠をすべて隠滅しておいて「証拠が無い」とは呆れた開き直りだと言う他ありません。しかし証拠は無いといっても直接の被害者らの証言は有り余るほどあります。ただ見ようとしない、聞こうとしないだけのことです。得意の3猿を決め込んでいるだけのことです。


どうも日本は朝鮮が植民地支配され虐待されたのと同じ目に遭わないと分からないようです。中国や朝鮮半島の人々が日本をどう思っているのか、わからないのです。
日本に伝わってくる友好的発言は、ほんのリップサービスに過ぎません。中国や朝鮮半島の人々の心の深層に何が潜んでいるのかも考えないといけません。


アメリカのCIAは朝鮮半島の統一が2025年には実現するだろうとの予想をだしました。2,3年前の話です。その統一が戦争を伴わない限り連邦制国家の創出と言う形を取ると考えるのが最も現実的でしょう。そのとき日本は考えてもなかった難局に直面するでしょう。日本敗戦が戦犯問題をはっきりと処理できなかったのとは違って、その時にはドイツに対する世界の審判よりも厳しい審判が下されるでしょう。日本が朝鮮半島の分断を助長し植民地支配の歴史を美化しようとしているのも、そのときを考えているからに他なりません。しかし、いくらごまかそうとしても朝鮮民族の「恨」が希薄になると思うのは間違いです。なぜなら今もまたあらたな「恨(ハン)」を生み出しているからです。従軍慰安婦の問題や強制連行の問題、高校無償化から朝鮮高校だけを排除すると言う教育における民族差別の問題などなど、「恨」を生む要因は数え切れません。


植民地統治の時代には被害者である朝鮮民族や中国人などに記録を書き綴る余裕などありませんでしたが、今は違います。被害を受けた人々の記録を被害者らが自ら綴っています。「証拠が無い」とは言わせないと言うことです。朝鮮総連を目の敵にしているのも、それを恐れているからだと部外者の目には映るのですがどうでしょう。


過去の問題をきれいに清算しない限り日本の真の平和と安寧は訪れないと管理人は思っています。日本がアジアの一員として手を取り合っていけるのはそうしたことが全て解決してからのことでしょう。それはまた日本が真の民主主義と人権が保障される国になるためのいわば踏み絵といっても良いでしょう。それは日本人が日本人として生まれ変わるための最低限の条件ではないでしょうか。


なぜ日本はドイツのように徹底して過去を清算し、立派な世界の一員として真のプライドを持って堂々と世界を闊歩することができないのでしょうか。ドイツは自らの反省と謝罪の念を持って堂々と世界に復帰しました。過去のナチスの罪を持ってドイツを非難する国はありません。なぜ日本は未だに過去の呪縛から逃れられないのでしょうか。


それはドイツは過去の犯罪的統治をはっきりと認め心から謝罪し、きれいに賠償もしたのに対し、日本は言い逃れを繰り返し、謝罪してはそれを覆すことばかりを続けてきたからです。そこに真摯な姿は微塵も見出せません。先の野田総理の発言もそうした例の一つです。つまりドイツは潔く男らしいのに反し、日本はいさぎ悪く女々しいということです。日本人の誇る武士道なぞもはや蔵のなかでカビが生えていると言うことでしょうか。