みっともない朝日新聞の自画自賛 | 朝鮮問題深掘りすると?

朝鮮問題深掘りすると?

初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。

朝日新聞を読んでいて、「ここまで落ちたか」と、ため息の出る記事を目にした。19日付け朝刊13ページの「紙面モニター⇔編集局」の欄。自画自賛で終わった情けない記事がそれ。

始めに北朝鮮のロケット発射問題に関する朝日の記事を誉めるモニターの声が紹介され、それに答える形で編集局の自画自賛が始まる。

「いたずらに危機感を煽る報道を避けた私たちの姿勢が、モニターのみなさんから高い評価をいただけたことを嬉しいと思う」と書いている。

そうした報道姿勢は、「何が起きたのか、どんな意味を持つのか慎重に見極める報道を心がけた」という自画自賛と結びついているが、そうした努力の集大成のひとつが4月14日の特集「検証・北朝鮮ミサイル発射」だという。

スクラップをしていなかったので(一年前から止めている)、早速、図書館に飛び込んでその紙面を確認した。当人らが自画自賛している記事でもあるので、やはり記憶だけで書くのは失礼かと思ったのだ。

そして紙面を再度見て、ガックリ来た。自画自賛するほどの内容でもなければ、彼らが「心がけた」という、「何が起きたのか、その意味は何か」について、まったく素人の域を脱していなかったのである。

まず北朝鮮がなぜ、周囲の反対を押し切ってまで発射したのか、なぜアメリカはそれを衛星発射用のロケットだと言い(米国家情報局局長)、中国ロシアもロケットだと呼ぶのに、日本と韓国はミサイルだと言い張っているのか。

また、日本の騒ぎ方をヒステリックで、理解にに苦しむという言葉が、なぜ中国やその他の国から出ているのか、日本政府やマスコミがミサイルだといった根拠は示されたことがあるのか、なぜ日本だけが発射時刻を教えられなかったのか、なぜ陸自市ヶ谷基地に配備された迎撃ミサイルは訓練用の模擬弾だったのか、などなど新聞が明らかにすべき動きがたくさんあった。そしてまさにこれらの疑問への答えにこそ、「何が起きたのか、それは何を意味しているのか」を解き明かす鍵があったのではなかったか。

さらにアメリカ、中国、ロシアの態度はそれぞれ自国の利害関係を前提にしたものである以上、その利害関係が日本にどのように及ぶかという点についてもまったく触れていなかった。例えば中国の基本的認識は北朝鮮が核ミサイルを開発すれば、韓国や日本がそれに続くであろうし、とくに日本の核ミサイル開発は中国にとって悪夢だと捉えていることを、応分のスペースを割いて書くべきではなかったか。最終的な終点が日本のそれとは違っているので、当然対応も違ってくるだろうし、それは今後の対応にも影響を及ぼすであろう。この視点を抜きにして、「それの持つ意味」を語ったのでは、無責任、片手落ちであろう。

だが、総力を挙げたという特集記事は、そのような疑問に何一つ答えてはいなかった。だいたい問題意識自体が、日本社会を覆っていた正体不明の雰囲気のなかで、政府や政治家、無責任で煽動的な評論家、マスコミ人らの口から飛び出た問題意識の枠から、抜け出たものではなかった。

つまり記者たちは、すでに客観的立場とは到底言えない、ある種の暗黙の合意のなかでもがいただけであって、従って独自のコンセプトや切り口を持ち合わせていなかったのである。まさに金太郎飴をみんなと同じ角度で切っただけであったので、そこに出てくるのはまさに迎合といわれるようなものでしかなかったのだ。

そのような姿勢は、19日の「紙面モニター⇔編集長」の記事にも見られる。

例えば、記事の中には「人工衛星と説明されても核開発に血眼になっている独裁国家のミサイルが頭上を飛ぶことになれば、日本の国民が不安に刈られるのは当然」といったくだり。

ここでは北朝鮮を「核開発に血眼になっている独裁国家」と罵っているが、北朝鮮の核開発の歴史、それを促している歴史的に蓄積されてきた要因についての知識が微塵もないことを吐露しているのと同じだ。また北朝鮮を「独裁国家」と呼んでいるが、何を根拠に決め付けているのか判然としない。多分理論的に解説する知識など持ち合わせているわけでは無く、ただステロタイプな認識にしがみついて、それを日本の政治やアメリカの政治と比較しているだけであろう。せいぜいのところ、専門家の誰々がどこそこで書いている、議会が正常に機能していない、わけのわからぬ脱北者がそう言っているなどといった類の「証拠」を、持ち出すことで茶を濁すだけではないのか。

だが、一言言っておきたい。ヨーロッパの政治も一律ではなく、日本の政治にいたっては極めて歪であり、世界から「不思議の国」だと思われていることを忘れてはなるまい。日本の政治を基準にして他国を評価すること自体が間違いなのに、基準であるはずの日本の政治、それ自体がまた歪なのである。言論人がその日本の歪な政治に惑わされ、それがあたかも正常なように錯覚し、それを基準にして他国を評価することの愚かしさを、何と言えばよいのか。

朝日新聞の記者で、果たして北朝鮮を真面目に研究した者がいるとは思えない。いや北朝鮮だけでなく例えばベネズエラやボリビアなど中南米で、「死んだはず」の(日本のマスコミはそう言っていた)社会主義が蘇り、「イデオロギーの終焉」を騒いだフランシス・フクヤマがなぜ見解を変えたのか、さらにそうした南米の新たな政権が、なぜ軒並みに反米を掲げるのかについて、深く考えた記者はいないであろう。

日本に見えるのはただただアメリカであり、ヨーロッパや中国であって、その他の国は大事件が起きなければ視野から消えてしまうのだ。

「国際テロ戦争」についても、大体なぜ国際テロが、まずもってアメリカをターゲットにしたのかについてさえ、満足な解説をしたマスコミは無かった。

ただ「対テロ戦争」を騒いだアメリカの口車に乗せられて、アメリカに向けられたテロを、あたかも世界に向けられたテロのように錯覚し、チェチェンやウィグル、クルド、タリバンの動きなどに対しても、抵抗運動なのかテロなのかの判断もしようとせず、アルカイーダのメンバーと見られる人物を証拠も無く拘束し、秘密基地で拷問を加えたことには強く批判するが、アメリカの戦争の本質に迫ることになる、イラクやアフガンで「対テロ」戦争を口実に多数の一般市民を爆撃や銃撃で殺戮していることについては、実に控えめな非難で、「報道の使命を果たしているといった証拠を残すために」記事にするといった程度でお茶を濁そうとする。

北朝鮮報道もまったくこれらと一緒で、情緒的な報道に終始し、冷静に根っこを掘り下げるような記事に出会ったことが無い。あらゆる動きにはすべからく原因があり、その原因を排除しない限り、同じ問題が姿かたちを変えて再発するのは当然であろう。だが、日本のマスコミは決して本質的な面、根っこに当たる問題を真剣に取り扱おうとはしないのだ。朝日が「何が起きたのか、どんな意味を持つのか慎重に見極める報道を心がけた」、集大成のひとつだとした4月14日の特集もまさにそうであった。それを自画自賛するのであるからまさに何をかいわんやの心境になる。