冬に逆戻りしたように、午前中は霙が降っていた。

春は、まだ足踏みしているようだ。

お昼ごろから日が差してきたので、少しホッとした。

 

ネットで、ジョン・アーヴィングの本を注文した。

先日、郊外の大型書店に行ったのだが、置いてなかったのだ。

 

町の電器屋さんの閉店を知らせるチラシが新聞に入っていた。

「当店は㋂31日をもちまして閉店することになりました。

これまでの皆様のご支援に心より感謝申し上げます。」

 

テレビや電子レンジを買ったり、ちょっとした工事を頼んだりした店だ。

個人の店では、経営が成り立たなくなったのか。

跡継ぎがいなかったのか。

こうして、小回りの利く個人の店はどんどんなくなり、大型のチェーン店が残る。

 

本もなるべく本屋で買うようにしていたのだが、やはりネットは便利である。

しかし、便利なものは生活を無機質にする。

 

スーパーでは、有人レジがあればそちらを使うようにしている。

自分でバーコードを読み取り清算するのは便利だが、なんとも味気ない。

 

人が人と喋る機会が減り、AIを相手にしている生活はあまりにも侘しい。

春の淡雪のように、降るそばから消えていく人間関係が増えてきた。

 

マックス・ピカートの言うように、「連関性の喪失」の時代なのであろう。

 

洗濯物が、風ではためいている。

この強い風で、梅の花もほとんど散ってしまっただろう。

 

今度は、ソメイヨシノが咲き始める。

やがて満開になり、そして花吹雪になったり花筏になって水面を覆うようになる。

念じなくても花は咲き、念じても花は散る。

 

年年歳歳花相似たり

歳歳年年人同じからず

 

政府は、防衛装備三原則を緩和する方針だ。

来春には、「救難、輸送、警護、監視、掃海」の足かせを外すらしい。

 

装備品という武器や艦船などをつくる企業には、収益をもたらすだろう。

そして、日本も「死の商人」の仲間入りをするわけだ。

 

他国で人が死んだり苦しんだりした金で、果たして幸せになれるのだろうか?

「悪貨は良貨を駆逐する」世の中で、人は金さえあれば幸せになれるのだろうか?

 

「もののふの屍をさむる人もなし菫花さく春の山蔭」 正岡子規

 

夕方になったら、風が静まってきた。

ざわざわしていた私の気持ちも、少し鎮まった。

 

満開の梅の花を吹き飛ばすように、風が強かった。

 

午前中、いつもの珈琲店に行く。

斜め前のテーブルで、若い女性がひとりでクリームソーダのクリームをスプーンで掬っている。

 

コーヒーを飲みながら新聞を読んでいたら、戦争中に防空壕に入らなくて命拾いした人の投稿が載っていた。

そういえば、私が子どものころには、まだいくつかの防空壕が残っていた。

 

岸田劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」という作品がある。

あの絵のような切通しの斜面に、防空壕が掘ってあった。

私たち子どもは、かくれんぼの場所として防空壕の跡で遊んだ。

 

遠い日の光景を思い出していると、斜め前の女性がサンドイッチを食べはじめた。

絞った音量で流れる音楽、静穏とした安心・・・平和。

 

不意に、テレビに映る爆撃された瓦礫の街が脳裏をよぎった。