初再呈示 実に然り。じぶんを反省できないから、じぶんの解釈を反省できない。



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チャイコフスキーは、ひたすら詩的内面世界没入の本質のひとであり、社会活動や社会にたいする影響への関心には、向かないひとだったようだ。だからこそ世界的に愛される芸術家たりえた。ぼくがあらためてこういうことを言うのは、いま、シベリウスにつづいてチャイコフスキーを弾いているからだが、彼の品格も、一曲でもじぶんで弾いてみてはじめてわかる。シベリウスの自然を前にした孤高の品格もそうであるが、およそ孤高なるものを擁護する者は、みずから孤高の本質をもっている者である。孤高なくして親密はない。そのほかの者たちは執拗に孤高な人間を貶めるために彼を観察し、じぶんたちの水準で解し触れまわろうとする。 

 

孤高は真の人間に本質的なものだ。孤高が特別のように云われるのは、世に真の人間がそれだけ稀だからだ。そして真の人間もまたひとりの人間である。世は真の人間を解するのに余りに雑俗であり、じぶんの解釈をけっして反省しない。じぶんを反省したことがないからである。