高田先生とも親交があったひとと記憶している。
この本の言葉:
『「この窓だよ、佐伯祐三君が描いていたモデルのガラスのコップを、ヴラマンクが取り上げて、やにわに窓の外にほうり投げたのは」・・・
そのときヴラマンクは、こう言ったという。「佐伯君、君の描いているコップは外観でしかない。ガラスが割れる音を聞きなさい、コップはあの音だよ。」この話・・・私は、物を見ることと、物を眺めることの相違を知らされた』 19頁
『・・・建築家はこの機械文明の急速な発展と、それによる新たな人間生成と共に歩み、常に他の協力を求めて進んでいるのに対して、彫刻家はただ一人孤独のまま、最もプリミティブな時代と同じように、同じ方法で歩むものなのである。この孤独が自由の精神とつながり、今日の彫刻芸術を生みださせている。』 177頁
人間ひとりひとりが、手づくり的、プリミティヴな、彫刻的空間をみずからのうちに蔵して生きるべきだとおもう。リルケにもそういう思想があった。
高田先生の「自由」の思想をしっかり会得しておられる。
『日々の行為のなかで「なんとなく」が持続しているのでは、よい仕事は出来ない』
『個性は孤独から産まれ、孤独な考えが芸術に美をあたえると、僕は自分に言って聞かせるのだが 〔言って聞かせなければならない〕このような僕の性格は情ないかぎりである。このような性格は僕が日本人だからだ、と言っては他の日本人に失礼だろうか。』
同著43頁
『ブラマンクは、土人の根源的な制作の態度をみて、形骸は模倣しなかった。ブラマンクは口をきわめてピカソを攻撃し、あれは泥棒だとすら言われたのだが、ピカソにそのような要素のあることは、僕にも何かその真意がうかがえるのだった。』
『ブラマンクの強い自信とその主張は、晩年彼をして愛するパリに足を踏み入れさせなかった。それは、彼の言葉をかりれば、「アメリカのパリ」になってしまったのだから――と。そのような頑固さはドゴールにも見かけられるが、とにかくパリの郊外に住み、亡くなられるまで、ついに戦後のパリに足を入れられないという自我の強さは、我を通すという理不尽からではなく、自分の足場をよく知っての上でのことであろう。
ブラマンクやジャコメッティのように、自分の考えをしっかり持っている人が本当の芸術家なのではないだろうか。』
44頁
さいごに「自分の考え…」と柳原氏は言っているが、これは自分の根源的なイデーへの忠実さであろう。「自分」と同一であるような創造的に駆るイデー。「思想」は「忠実」を要求し、「忠実」なくして「思想」は実現しない。マルセルは「創造的忠実」を言い、ヤスパースの言う「一なるもの」とはこれである。
ぼくのために言う必要はないが、このイデーとイデオロギーとの区別を各々見極められたらよい。生かすものと殺すものの区別を
ぼくは自分の文章「余白と形 」を思い出している。
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最後に、シュヴァイツァーの一言。これは如何様にでも真意が汲める普遍的な言葉である:
「奇妙に聞こえるかも知れないが、知識人は無教育な者とくらべて、密林での生活により耐えやすい。というのも、教育を受けなかった人には味わうことのできない気晴らしが彼にはあるからである。」