自然と人間との調和としての文化、文化と文明の分裂、の意味 '17.7.1

”アランとその師ラニョーの言葉 ”  '18.5.13 21:01

課題
 
高田先生の意義をじっくりかんがえてみなければならない。 

 

そして、自分の境涯は(ぼくにとっては)これでよかったのだと思うこと。

 

ぼくの本望は愛と魂のみなのだから。 ぼくが自分でこの境涯に入ったと見做せると納得することは、ぼくが内部の世界に集中するかぎりでできる。 

 

これはぼくが自分の自由でするのであって、他に説くためでも、他の教説に合わせることでもない。 さしでがましいことも、園児を相手にすることも、ぼくは今後ともしない。これは「整理」のなかに入っている。

 

 

”高田先生の言葉”

《 彫刻と私
 高田博厚

 私にとって、芸術創作とは自我が未知の「自我」に「行動」することであり、他のなにものをも期待しない。社会が芸術に求めることとかならずしも一致しないから、報償も求めない。一般には、芸術行為は「自我表現」だと簡単に考えられており、ことにこの頃では「個性」が意義あるように考えられ、「だから、新しいものを見出さなければ……」と飛躍した結論を主張する者が多いようだが、ヴァレリーが「永遠のスファンクスなる自我」と言っているように、「純粋自我」なるものはそれほど安易に「実存」させ得るものではない。「自我に行動する」ということは未知の自分を発掘するというよりも、一見なんでもない、ありふれた自分を真に「存在」させること、安らかに存在するというよりも、「存在すること」の安らかさを実証することである。言いかえれば、漠然とした自我が「もの」として存在し得る、その「不動」の状態に在り得ることである。つまり、「個性」が真の「普辺」〔「普遍」〕の上に成ることであり、芸術行為はこのためにのみ意味がある。「芸術は長し(アルス・ロンガ)」の真意は、「芸術は永遠に未完である」を指している。そしてこの意味での「自我が自我に行動すること」は不可避的に自分を一元化させてゆく。造形の道に踏みこめば踏みこむほど、単純簡潔の「形」を求めるのはこれであり、そこでは「自我」と「形」は同一の「もの」となる。マイヨルが「私は自分の思念(イデエ)を形に現わそうとする」と言っているのは、形によって説明し表現するのではなく、「存在する自我そのもの」が「形」となることであり、そして、これの見本は「人間」を創った「自然」であり、人間の思想も観念も窮極には「形」を得なければならぬことを示している〔この「自然」の意味に迷う読者はいないであろう〕。そこで「人間」は「形」とは法則と調和によって成ることを理解するだろう。飛翔しがちな「観念(コンセプシオン)」を規定する精神態度、つまり「ものなしには考えない」という人間の基本的、実証的態度の意味はここにある。造形芸術はこの上に立っている。この頃「空間(エスパース)」という言葉が濫用されているようだが、真の「空間」は「もの」なしには生れない。空間はものが生む。更に厳密には真に「存在」する「もの」だけが「空間」を創る。一世界を創り支配する。芸術の存在理由はこれのみにあり、この「存在」は漠然とした「現実」よりも真に確かに実存する。芸術作品、彫刻の傑作はすべてこれであり、そこには時代や傾向、感覚による差別はない。「常に新しい古いもの」である。

 私は大正初期、20歳以前にロダンによって「彫刻とはなにか」をはじめて知った。そしてその後30年のフランス生活で、常にブールデル、マイヨルが啓示であり、その一条を歩んできた。絶望をくりかえしながら。世間に出る意欲が全くなかったから、戦前戦後の芸術新理論、新傾向、新流行と離れていたことを、今にして幸いに思う。フランスで得た先輩友人たちが、若い時には当時唱えられていた新主義から出発し、仕事を深めるにつれ、自分のもの、「純粋自我」を生んでゆくのを見て、私は「美の道」を理解した。これが真の「抽象美(アブストレ)」であり、私もそこに到達しなければならぬ。
 50年の間、常に自分を未熟と思い、70歳をとくに過ぎても、自分を小僧としている。そして歩めば歩むだけ、北斎の「百歳になったら、ものを画けるかもしれない」との態度が解ってくる。私もこの精神態度を持ちつづけるだろう。私にとって「造型」は姿態の面白さでも、記念碑的誇示でも、また技巧の「興味」でもない。「在ること」の不動の安らかさ。「もの」に即する落ちつき。たとえば、優れた陶器が持つ美しさ。エジプトのピラミッドの、灼熱の太陽の下の、なんにもない荒涼とした砂漠と紺碧の天空の中に、二つの直線に切りたてられた「量」、これが与えられた「自然条件」に即した抽象感覚なのである。この「法則」は「もの」が持っている。単純素朴に見える人間の胴体(トルソ)一つにもこの「無量」の豊かさがある。私は一生胴体を作って学ぶだろう。「法則」とは内部から来る力、その局限に「形」がある。》

 

 

 

 

 

高田博厚先生の自由論について。 じぶんのためにつねに呈示する。 


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I.328(25日)で、先生の《「自我の内的自由」》について述べる(『経路』1949.8で言表)ことを予告しておいた。このことを果たそう。この間しかしこの方向に自ずと前進・蓄積があったように思う。
 現在、却って爽快な感じがする程の劣悪な状態であるが、この総てを放擲したような何も見えない霧のなかから何が見えてくるかを試みるのも冒険である。ここでもぼくも先ず手を動かすことから始めよう。先生の文章という対象が何よりすばらしいので、これを紹介するだけでも「本意」は伝わる。『経路』から。ここで、《象徴(サンボル)》の意味が、そして、フランスに沐浴みした先生が「神」とどう関わっているかが、最初から雄弁に語られる。何の拘束も無く写経する。

 《先日ある友人がポール・クローデルと会って、「この頃の社会や政治に関連しての文学傾向についてどう考えるか?」と訊ねたら彼は微笑して、
 「もうこの年齢(とし)になると、神秘の中で神と遊ぶ方がたのしい……」と言って、直接の返事はしなかった。
 質問がこの頃の「実存主義(エギジスタンシアリスム)」などを指したのだろうとは察しられるが、クローデルの言葉は、皮肉としなくとも、私には中々意味深く思われた。私は個人的にはこの詩人思想家を決して好きではないのだが、彼が「神」を訪ねて行った長い経路は、鬱蒼とした街路樹を持った大街道を思わせる。私達もまたかつて「神」を求めて人生を出発したのであった。私達の観念の領域内で「神」が哲学的にどのような位置や意味を占めているかということよりもっと以前な、だから逆説的だが私達の思索経験の果てに感じられる精神状態のように思われる。方式では示されない魂と感覚との関連に潜む美、純粋感情であり、たとえば哲学的には「内在する観念(イデー)」と考えられるものを、「現前」に感じる感情のようである。》・・・

 すばらしい箇所を着色で強調した。先生の用語法は時と場合に応じて自由であるので、「観念」という語にしても指す内容が強調箇所の中では、先生が他所でこの語に持たせる積極的意味からは[、]ずれがある。ここでは観念的・概念的という、経験や感覚から離れた抽象性の意味合いで使われている。それはこのくらいにして、この文章で思念されている積極的内実ははっきりしている。何という密度だろう! いっぺんで精神が目醒めるようだ。一挙に一掴みに核心をこのように言表出来る人は学者のなかにもそういない、いや、殆ど他に誰も。われわれが図らずもChoseとして一歩一歩詰めてきたものがここで顕わになっているときみは感じないだろうか。鋭く、通常の哲学的・体系的抽象思索と対比させて、違う〈経路〉の思索探求の道の存在が示されている。ぼくたちが開き示そうとしてきているその道が。きみにここで瞑想の閑暇を与えよう。よい夜を。
 抽象的に内的に思惟されるものをむしろ自らの現前に「感覚」する、〈体系〉以前に根源的に存する「もの」に遂に遡り至るという逆説・・

II.・・・《「樹木や草花と愛し戯れるように神と戯れる」。多分若い魂には承服できないものであろう。しかし私達は立派な音楽や美術作品でこの「現前」するものを屡々〔しばしば〕感じるのであった。一般の人々にとって寺院がこの「現前」の場所であるならば……。これは抽象(アブストレエ)された意味ではなくて、むしろ象徴(サンボル)というものが私達の感情の中にあることを示している。》

「神」を感覚として具体的な「もの」(有形無形の対象)において、したがって己れが面する「現前するもの」として感じる。ここでの「感情」という語にはたぶん注意が必要である。なぜならこの語によってしばしばわれわれは混乱した忘我的状態を思うから。だから、〈客観的知覚〉にかぎりなく近い「感覚」という表現がより適切であるとわたしは思う。対象が「神」の「象徴(サンボル)」となるのはそこに掛っている。「もの」の本質知覚なのだから。「純粋感覚」という表現に先生の真意は結晶するであろう。多様な表象に共通する一般的なもの(概念)の呈示である「抽象」とは真逆の、その対極にあるものである。


III.《私の友レオン・ウェルト〔サン=テグジュぺリが『星の王子さま』を献(ささ)げた彼であろう〕が先頃ルノワールについて美しい文章を書いた中で、彼の晩年の絵を、「あなた達が風景の中で知り教わったものはあのルノワールの風景の中にはもうなかった。何にもない。ただ天に懸ったような和められた優美。若い時のそれとは全くちがう優美。絵画を超えてあるかに思えるこの優美のみがある」「神が古い外見の世界と戯れている……自然は、ある日そこに宝玉や花々を見得るために創られたのであった……」と言っている。このように享けとる「自分」の状態とは何なのであろうか?》

レオン・ウェルトのこの文章を先生は数年後の「ルオー論」でも繰りかえしている。ルオーの晩年の画境と重なるものをルノワールの最後の風景画の中に、ウェルトとともに先生は見ているのである。これについてもわたしのこれまでの唯一の出版された本を参照していただければ幸いである。外界の「印象」を描くことを通して遂に自己の内なる魂のヴィジオン、あの自己の証なる固有な「夢」の世界に至り着き、画家はいまやそれのみをみつめて、描かれる絵画はもはやその夢の痕跡を「古い外見の世界」としての自然の形に留めるのみとなった。内なる自然、自己照応の自然がいまや純粋にそれ自体として観照されているのであろう・・・


IV.《カトリック的「神」の哲学や理論には私はまだ大変遠いかもしれない。またシェリング的な「見神論(テオゾフィー)」が思索の要素となるにしては、私の意識はもっと近代的な分析や認識方法を教わっているのであろう。けれども賜物なのは、合理的であろうとする意識の領域から「神」に関わるものを排除してゆけばゆくほど、「神」がカトリック的に近づいてくることである。》

先生はここで随分「カトリック」に腰が低いように見えるが、他所では、自らの境位を意識してキリスト信徒一般のそれから隔て、単純に〈混同〉されることに釘を刺している。思弁的な「神」への接近にも批判的なのは、観念論後の科学主義を経たヤスパースの実存的観点に近いのであろう。しかしそこで「神」への直面をヤスパースのように決定的な状況での〈決断〉に一挙に賭けるよりも、持続的な日々の労働を通して徐々に「近づいて」ゆくことのほうに手堅い〈神秘への具体的接近〉の道を感得した(「ルオー論」参照)。この点においてまたフランス人哲学者マルセルの「存在」会得のほうに本質的に親和的であると感ずる。「神秘をプロテスタンティズムにも探したが見出せなかった」として最終的にカトリックに〈帰依〉したベルクソンの場合を想起しつつ、ここでの先生が「カトリック」に持たせた意味合いを忖度できるように思う。(ベルクソンの帰依についても先生は独自の境位から捉えているのは注意を要する。これについても拙著で論じた。)

V. 《ウォルター・ペーターも気づいていたことだが、ルネッサンス以前の民衆詩や彩色画の美、あるいはロマン〔ロマネスク〕、初期ゴティックの彫刻、または原始民族の美術品の美の不思議さを、私は久しい間考えていた。社会や意識の進歩という点から見れば今日よりも矛盾や不合理の不幸がはるかに多かったその頃の社会条件とはどうしても関連しない事柄である。当時の人間はまだ「自我」意識などなく、素朴で信心深かった、と解釈すれば正しいのであろうが、問題はそういう時代の人間の精神と現代の私達の意識の対比である。私達にはたしかに「失われたもの」がある。あるいは「自我意識」に運命づけられている今日の私達は、「自分ひとり」で曲折した路をたどったあげくでなくては、再び見出せないものがあるようである。たとえば私達は「直感」を即座に認容出来ない。「内面に接する神」を感じ得る者も、そのままには「現前」する神には行けない。「祭られた神、あそこへ行けば神がある、唯一の神」。この感情を私達は無知な民衆の信心のように考えがちである。けれどもそこへ行くまでの距離は私達の方にあるようである。》

「内面に接する神」と「現前する神」との間の「距離」とは、痛切な言表である。〈東洋的無〉を掲げる〈禅者〉達は、勿論、「内面に接する神」を「感じ」得る者達だが、同時にそこで直ちに鋭敏にこの「神」の〈観念性〉を〈見破り〉、これを〈超脱〉して〈無の境地〉へ至ることは出来ても、むしろ其処から初めて真に「神の探求」が始まるのではないかという思いを生じ得るか? ぼくのいまにいたる意識の、魂の道はこの「逆看破」から始まったのであることをここで告白しよう。それ以来、禅者達との距離は拡大するばかりである。彼等の〈悟り〉などじつはぼくには手に取るようにわかる。全部自分の中で経験し思惟してきたと思っている。もはや振り返る興味も無い。彼等の人間性への経験的幻滅もすでに言った。「人間性」の防波堤はそこからは出て来ないと判断しきっている。むしろ迷信的で素朴な「民衆的」信仰感情のなかに、それが生み出した否定しようのない「美」のゆえに、「魂」の、「人間」の証が蔵されている。「歴史」はそれを示す。現在のわれわれの高度に反省された意識のほうがそこ(人間の魂)から離れており、せいぜい、対象を欠いた単に「内面」的な自己超脱経験を、神の経験であると同時に神の観念性の看破であると観じているにすぎない。其処からの、「現前する神との対面」の感覚へ至る路の、遠さを気づく者は少ない。先生がこの箇所で告げているのはこのようなことであると、ぼくは自分の全重量をかけて解する。 

VI. 写経をつづける。ピカソにたいしてと同様、親和感はないが、世に行われる余りにたやすい紋切り型のサルトル批評をぼく自身は繰り返すことなく、先生の思索の本質に耳を澄ますために。
 
 《サルトルのきわめて野心的なそして反抗的な考え方について、それに与(くみ)する与しないは別として、深刻な絶望的な根拠は私は充分理解することができる。私達はいずれも思索の出発に於て、「自由」を疑い「与えられた自由」に謀反する権利を持っているのであるから。サルトルは形而上学と唯物弁証法を結びつけようとする、今日の哲学者のいずれもが導かれる課題の上に図(シェーマ)を引こうとしている彼は大変大きな「企画(プロジェ)」を持っている。けれどもその複雑化された理論の奥に潜む動機は、真剣にものを考える者に共通な、明白で簡単な怒りに在る。「プロレタリア・デモクラシー」の名による専政と圧迫の嘘と、「神の愛」による歴史的な「大穴(アンドュルジャンス)」〔免罪符・悪を神学的に大目に見ることであろう、神のにせよ人のにせよ〕の偽りに反抗している。そのいずれにしても私達はこの衣裳を一旦脱ぎ棄てなければならない。ここでは誰もサルトルの誠意を疑わないであろう。規定されたあらゆる「秩序」を、一応破壊しないでは、真の「自我」は求められないであろう。》

何の註釈が要るとも思われない。ぼくもこの点完全に同意する。この〈形而下・形而上〉二面の「嘘と偽り」は、いまも大手を振って歩いている。
愛と同様、明白単純で深い「怒り」(反抗)が真剣な思索の「動機」(根源)であることをここで確認できたことは率直、収穫である。
 

VII. サルトルの話の続きである。観念として自存化しうる内的自由に彼は反対する。 

 《この熱〔怒りからの真剣な思索熱(引用者)は彼に「観念」という概念を嫌わせて、神秘や宗教的なものを現象学的思考から追い出し、ケェルケゴールにも与せず、またヤスパースやマルセルにも反対している。ストアの自由とか、キリスト教の自由とか、ベルグソン的自由さえも、「内面的自由」であるから「観念の神秘化」であるとする。それから彼は自分を厳正な唯物論者として、マルクス的革命者の唯物史観と革命理論とは二つのものの結婚であって、結局唯物論者の「観念的神秘」にすぎないことを発見する。これは人間的神話であって、これがなければ唯物論は唯物論として在るだけで、革命者の「行動」は少しも出て来ない。ベルグソンが巧みに示した一片の砂糖の例と同じである。砂糖は「人間」がいなければ、あるいは「人間が法則を作り出す神話」を持っていなければ「早くも遅くも溶けはしない」。自然の法則に応じて無関心に冷酷に溶けるだけである。「人間」が在ることが問題で、そこにユマニスムや社会主義の根底がある。》

サルトルが最も嫌い怒るのは、「人間」にたいするあらゆる種類の暴力と、この暴力を神学的および革命神話的な諸観念によって容認・正当化することであろう。曰く、〈魂の浄化〉のため、〈理想社会の実現〉のため。これら暴力行為はすべて、理想・理念・観念(イデー)を、それ自体として、内面に向ってにせよ外界に向ってにせよ、神秘的(神話的)に権威化することによって生じる。ところで、純粋な唯物論は「人間」に無関心であり、「人間」を俟ってはじめて革命思想とそのための行動が生まれる。それなら、この社会理想もまた観念論(観念の神話・幻影)であるとするとき、欺瞞無き「自由」の探求と実現は、内にも外にも何処へ向えばよいのか。
 

VIII.《そこでサルトルは有名な結論の「前に投げ出される」とか「企て」とか「唯一の投企」とかの根拠を「観念的遊戯」でもないまた「唯物論的神話」でもない、「世界に対する人間の関係をこれらの二つとは異なった方法で考える新しい哲学」「実践的能力を持った、ストア的に自己の中に逃避するような消極的な運動とは共通しない」「人間全体の一致」のために「知性的天上にア・プリオリに宿っている権利や義務によって自らを神秘化することなく、むしろそれに反抗する行動そのもの、中に人間の全的形而上学的自由さ」、「その哲学は人間に関して真理を述べるものでなければならない……」。
 よく考えてみるとこの結論はそれまで彼が厳密に規定して来た言葉の枠を飛び出してしまっている。そして簒奪者や、獲ち得た地位や名誉の上に無精に眠る「過去の者」への彼の怒り以外の、これらの言葉はあらゆる理想主義者が「自らが出発する」時に誓った願掛の文句であり、「彼に於て新しい」のみである。私達はこれを軽蔑しはしないであろう。彼の「哲学」にあるぺダンティズムをも嘲わないであろう。ただ彼が「古いもの」への反抗のあまり、彼の哲学の中から「観念的」なものを唯物論者なみにしりぞけたが故に、彼の求める「実践的自我」は嫌でも現実的な、社会的政治領域でより他に存在のしようがなくなり、そのメカニズムが持つ「力」はあらゆる「神話」、唯物論者の神話をさえも圧し消してしまう矛盾を、彼自身が経験するであろうことを見るのみである。彼も、「自我」を絶対の高さにまで導くことを求めたが、その「自我」になにものをも「予定」することは出来なかった。不幸にも私達の「存在」自体が含んでいる「限界」を踏み越えたが故に、彼の「哲学」に基いて現実社会が「政党」を組織しようとしたが動きはしなかった。なぜなら彼が哲学を抱懐することそのものが、現実の「力」とは矛盾するものであるから、そして彼が嫌う観念的な「自我の内的自由」は思いもかけぬところに存在しているであろう。「神と戯れる」ことが何ものであるかは、神は私達の人生の出発の時には予告してくれないであろう……》

われわれの「人間の理念」も観念としてひとまず彼(サルトル)は否定するであろう。「自由」、「存在する自由」は、この理念との一致でありこの理念の具現としての「魂」の想起・実現であると感得するのがわれわれの立場であった。それにしても、あらゆる真剣な理想主義者は自ら意識するにせよしないにせよ少なくとも一度はデカルト的二元論に与し、「自然」と「人間」の対決を自らにおいて生ききらなければならないのが、近代以降の知性的宿命のようである。この意味でサルトルも無自覚的なこの二元論者であると言い得る。メーヌ・ド・ビランを淵源とするデカルトの主意主義的解釈の流れを汲むアランの弟子であると言って間違いない。また、先生が、「私はかつて〈神〉を予定はしなかった」とくりかえし述べていることを思い起す。くどくど解析しなくとも、これが「創造」の条件である。いかにして神が創造の根源となり、われわれは神と真に出会い得るか。「出発する」ことはそのために離れることなのだろう。少しでも高度に分化した生命体がなぜ執拗ともみえるほどに雌雄分極を生物学的創造(増殖)の原理としているかの秘密もそこに垣間見えるのかも知れない。とまれ、サルトルにおいては、「怒り」を放棄することなく止揚する方向を何処に正当に求めるかが問題だろう。有名な想像力論の中なのだろうか。 

IX.「難解」と思えた先生の文章も、こうして「写経」しながら少しずつ読み進んでゆくと、内容が明晰判明に理解されてくる。石を一つ一つ積み上げていったもののように。

 《「絶対な自我」の誇りは尊大であると共に美しい。もしそれが精神の昂揚した自覚状態を意味するならば……。空間の至るところに自我を感じるすばらしさ。しかし時は私が法則を一歩も超脱出来ない生物であることを徐々に教えてくれる。それでもその中にも私に許された「自我」の領域が残っていることを、歩むにつれて会得する。それは私が触知し証(あかし)し得、責任を負える「自我」であることを知る。そのときは絶対唯一の「自我」ではなくて、なにものかと照応している状態である。多分私とであろう……ルノワールが絵画を始めた時、あの晩年の傑作は予想だにされなかった状態である。しかし私達はこの晩年の傑作を知っている。そしてこの結末の故に、ルノワールの「自我」は彼が絵画を始めたその時から私達に「全体」としての意味を持つ。「ア・プリオリの権利や義務での自らの神秘化」は私が予定したのでも、私自身に持っているものでもなかった。現前するものに感じる経験であった。サルトルは「自我」をどこに求めて行くのであろうか? おそらく彼は「自分に於ける新しさ」と「出発」を混同しているのであろう。けれども彼も「音楽だけが残っている……」と言った。この感動の感情を彼もどうにも否定出来ない。この時彼も「人間が経験したもの」を現前にしている。そして触知している。この人間の経験の集積、それの継承と連続が営まれる「私達にまだ残されている」場を私達は「観念(イデー)」と呼び、「内在的自由」と言ったのであった。なぜなら唯物世界にはこの連続は存在し得ないから。》・・・

文章の途中ではあるが、ここで、その真髄を現わしてきているこの唯一無二の人の思想の恩恵と幸福を読者と共にあじわいたい。この透徹した人の精神を、わたしの欄の丹念な読者であるならば、わたしの註釈に先んじて既にわたしとともにいま感得しているであろう。

・・・《ルノワールの一枚の絵も破るか焼けば失くなるのが「力」の法則である。サルトルが誇らしく企てる「自我」に、しかし彼もまた人間の全的形而上学的自由を求めるのであるならば、私は優れた数学者アンリ・ポアンカレの実に謙遜な言葉を附け加えよう。「人間に関係あるもの、私達の科学の要求と選択とに関係あるものは、宇宙に向って私達が張り巡らしている思念(イデー)の網の中に存在している……」。》

デカルトの形而上学的自我、カントの超越論的観念論。しかし真の超越、真の自由は、内面的・内在的な方向へ、この自我さえ或る意味で相対化するような、《私》と先生が上で言っているものとの《照応》関係の方向へと、謙虚に内的に超越するいとなみの中に見出されることをわれわれはいま知っている。
〔上で、「なにものかと照応している状態・・多分私とであろう」と先生が敢えて表現していることの意味合いは深長であると思う。〕
 

X.《近代的意識の中に育ってきた私達には、たしかに「神」は久しい間禁断の言葉であるだろう。ティボーデェが神秘主義の近代性はパスカルから始まったと言っているのは、この近代意識の位置を示す意味では正しく思える。ベルグソンが言っているように、デカルトとパスカルは近世のきわめて大きな思想の二つの量形(フォルム)、二つの環であるが、これを結びつけるもう一つの環は推理の面では求められない。パスカル自身が幾何学的な推理能力に対して、そこで「敏感な精神(エスプリ・ド・フィネッス)」を感じ、「熱情(パッシオン)における素晴らしき成就」として「神」に結ばれた。私達は「神」を考えざるを得ない。けれども分析することは出来ない。そして「神」を考えている時、私達は自分の中の知性的自覚の劇(ドラム)を経験しているのである。今日の私達にはそれが益々激しい。これは「理性」と「神」との対立する相剋のように見える。しかし「神」は少しも変っていないのである。今日の社会にある意識がむしろ私達を、若いカミュが言っているように、「背理的なものへの痛ましいほどの熱情」に追っている。その絶望的な状態は、パスカルのそれとは質が異うように見えながら、結局同じであろう。》・・・

実存弁証法的な近現代的な神への跳躍は、われわれの意識にとって神への関係の仕方の宿命であろうが、中世的宇宙・世界観への復帰もまた問題となるということではなく、「神は少しも変っていない」ということの意味をわれわれはいま忖度することができる。われわれの意識はこの変らぬ神にいかにして純粋に接近できるかを突き詰めようとするとき、われわれは意識(思い)の危機的・絶望的な紛糾状態をもってこれを性急に神の感覚と取り違えてはならないだろう(実存哲学の〈決断としての信仰〉にもこの落し穴があるのではないか)。

・・・《紛糾しているから思うように感じられる。チャールズ・モーガンの例が注意を惹く。彼は人生のイデーを「愛」―「芸術」―「死」と一連に結びつけて感じて、まだ「神」とは言っていない。聖オーギュスタン的「神」に大変接近していながら、まだ「死」と言って「神」とは言わない。これを理屈で見たら、「結局同じだ」と言えるであろうが、しかしこれはむしろ今日の私達の魂と感覚の照応状態を示しているものであろう。魂が是認し、感覚的に感じ得るところ以外に「神」は来ないであろう。

感覚と思惟(意識)の区別に厳密なこの人らしい。この厳密な区別、魂の明晰さへの希求は、この人の一大特徴と言える。わたしは敢えてもう他と比較しない。 

XI.《ベルグソンが晩年に「実証的(ポジティヴ)メタフィジック」を求めて、「純粋な神秘主義」を感じようとし、死ぬ時にカトリックに帰依したことを知って、私は大変打たれたことは以前にも書いたが、私はそこにそういう状態の一つの証(あかし)を感じたのである。私はまだ経験しないものであるが、経験する可能性を感じた。そして私にとっては、この「神」へのカトリック的帰依の是非は、ドグマを吟味したり、クレドを是認したりすることではなくて、「神」以前に、「観念(イデー)」を触知し得るものとして経験することにあると感じられた。「神秘」への会得はそこから生れ、それが「神」へ導くのではないか? 時間的に私の一生はきわめて短いものであり、人生の一切を経験することは出来ないが、もしそこでイデーを真に感覚できるならば、私はその中でのみ人類経験の全部の証を得られるのであろう。「神」はそこに在る。モーガンの三つのイデーの一連と等しく、既にカトリック信条に(Tracia―Misericordia―Pax =美―愛―平和)の一連があったことを言っても、意味は軽くも重くもならない。ただそこに人類と「神」の縁(アフィニテ)を感じる。》(『経路』の節終り)

最高の意味において、「イデアリスト高田」の真意がここに顕れた。「真に所有する」ことの意味と共に。(森有正氏も全く同じ思想を自らの「経験」の思想の真意として告白していたことを想起する。)「神」は「人間」の、記憶(経験)と意志をもった人間のものでこそあるのだ。