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哲学者の正統な課題の一つは、「人間」としての自分が この世の人間の愚昧さにどこまで耐えられるかを測ることである。(それはディオゲネス以来そうだろう。)

 ここにも 哲学者はこの世の王であることの意味が証示されている。ぼくは哲学者ではなく「人間」たらんとするが、それでも「人間」は哲学者であることをふくむかぎり、ぼくはもともとこの世の王であり王たらんとする志と自己確信で生きてきたといえる。

 

 王であることは ぼくの一部にすぎない。 「人間」こそは包括者である。

 王であることなど何とも思っていないが、時々思い出す必要はある。 

 

 

 

 

 国に、集合容喙を追及解決するよう常に命じている。王の自覚をもって要請している。そういう自覚がなければこういう腹の据わったことはしない。「国家」は、哲学者が治めるべきであり、哲学者はその自覚をもってはじめて哲学者であることは、プラトン以来通念である。  

 

 

 

 

 

「人間」の逆説は、「人間」たらんとするまさにそのために周囲の者たちとの間に高貴なる距離をつくることである。王の距離を。(人間の愚昧さに耐えるということはこのことにほかならない。)これは健全な逆説であることをあらためて知る。