今回の妊娠までの経緯~その1~ | ☆また会える日まで☆

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2人の天使ママです。色んな気持ちや日常のことを綴りたいと思います。

娘が亡くなってから約2年の間のことを書いてます。

私は緊急帝王切開で娘を出産したためベビ待ちは1年以上空けること、次に子供を授かっても帝王切開での出産になると主治医から言われていました。

1年空けなければいけないことについては、理解していながらも正直焦りました。また、帝王切開による出産の回数も限られてしまうことにも不安がありました。でも、今では1年空けることに意味があったと思っています。

娘を亡くしてから人と会うことを避け、家にこもりがちになっていた頃、元々娘を妊娠している頃から計画中だったマイホーム建設を一時的に中断していたのを再開することにしました。良い意味で気分転換になりました。でも、当時の私は、人と会うことにかなりのエネルギーを要し、産後の体調はどっと疲れやすく身体に無理をしてしまったかなと感じていました。精神的なものなのか帝王切開による後遺症なのか明確ではありませんが、私の体調は出産前とは明らかに悪くなりました。また、自律神経失調症の症状も妊娠前より酷くなりました。

娘を授かる前にも一度妊娠しましたが心拍確認後の稽留流産。そして、体調が悪いことに滑車をかけるように、娘も病気で亡くしてしまい自分に何か原因があるのではないかという想いと自身の健康状態に強く不安を感じはじめました。

また奇跡的に妊娠したとしても元気な子を産んであげることが出来ないのでは...と自問自答の日々。将来に対してとても不安になりました。

よくアメンバー記事には書いていたのですが、主に体調不良の悩みの種だった動悸、過換気、時々眩暈があり、これらの原因がハッキリわかるまではベビ待ちは出来ないと思い、何もせずベビ待ちするなんて納得がいかなかったので、娘を亡くして1年は気のままに過ごし、1年明けてすぐベビ待ちだー!!と思っていたけど、もう1年は身体のメンテナンスに時間をかけることにしました。

まずはすぐ採血から始めて定期的に行いました。それと平行で子宮の状態やホルモンバランスには問題ないか調べてもらうと甲状腺に問題が見つかりました。

丁度調べてもらった頃、動悸、胸部圧迫感、過換気、眩暈、手の振戦、不眠、痩せ、多汗、若干ハイテンション?の症状がありました。同時に自律神経も乱れており、決まって大型のショピングセンターに行くと眩暈、動悸、過換気になり外出が怖くなった時期もありました(パニック?)。生理だけは順調でした。

きつい時は安定剤に頼ることもあり、妊娠した時のことを考えると、ずっと服用したくなかったので、どうしてもきつくて苦しい時や眠れない時だけ服用するようにしました。

甲状腺についてはエコーを行いましたが異常なし。甲状腺に痛みもなく、無痛性甲状腺炎という診断のもと定期的に採血でフォローしながら甲状腺の数値が戻るのを待つしかなかったので、ベビ待ちはしばらくお預けとなり、毎日行っていたウォーキングを週2回に減らし、ストレスを溜め込まないよう外になるべく出ていくようにし向けたり、なるべくPCから離れるなどしていきました。それでも出先で過換気になったり、眩暈が起こったりという症状が度々起こり、常に不安でしたが安定剤をお守りにして、とにかく外に出ることで自律神経を整えようと思い慣れさせていきました。

甲状腺は日を追うごとに下がっていきました。今度は下がってくると、反動で下がりすぎることもあるようだったので2~3ヶ月おきにデータフォローしていき、半年ぐらいで自然に正常に戻りました。眩暈や動悸などの症状も完全ではないけど改善しました。自然と安定剤を飲む量も減り、飲まなくても平気になりました。

あと、ずっと気になっていた胸の下のホクロが大きくなりつつあったので皮膚科を受診しましたが異常なし。

また、胸にしこりがあるような?排卵時にいつも同じ場所のしこりのところに痛みが走るので、乳癌健診をしましたがこれも異常なし。

娘の病気は原因不明で恐らく悪性リンパ腫?、私にも癌になるような原因があったのではという不安があったため、とことん気になるところは検査しました。結局、娘の病気の原因となる病気や異常はなく、流産した子も娘もたまたま起こったことだったのか…という結論に至ったのですが、怖いけど私に何か直接的な原因となるものが見つかってくれた方が救われたような気もしました。こればかりは、いくら調べてもわかりません。何で娘が...という思いは今も消えません。。



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