コロナウイルスの蔓延で2月下旬から足止め状態である。高齢者が重篤になるケースが多いとのことで、なおさら電車を使っての出かけることを避けるようになり、お彼岸のお寺にも行けなかった。
そうした混乱の中でも、桜だけは例年より早い開花とわいえ綺麗に咲き誇っている。
退職仲間とのお花見も中止となり、私の散歩コースである「中川」河川敷でのお花見を簡単に済ませる。


いつになったら収束宣言が出るのか・・・
コロナウイルスの蔓延で2月下旬から足止め状態である。高齢者が重篤になるケースが多いとのことで、なおさら電車を使っての出かけることを避けるようになり、お彼岸のお寺にも行けなかった。
そうした混乱の中でも、桜だけは例年より早い開花とわいえ綺麗に咲き誇っている。
退職仲間とのお花見も中止となり、私の散歩コースである「中川」河川敷でのお花見を簡単に済ませる。


いつになったら収束宣言が出るのか・・・

内部の見学は、2階中央ホールから始まります。このホールを中心に左右に弓状に建っている、外観は左右対象である。左側は郷土歴史館の展示スペースとして活用している。中央ホールは吹き抜け(2・3階)になっており天井はドーム状で回りが彫刻されている、ホール天井は間接照明でドームの柔らかさを出しています。この建物内部2・3階が一番豪華に造られています。床や壁に石材が使われ床の大理石は見事です。時計は電波時計ですがデザインは開設当初の時計を利用しています。


3階は院長・次長室がありますが2階ホール出入口の上にあたります。院長室は一番豪華に造られていてベニヤ板が使われているがペラペラのベニヤ板ではないと言ってました、厚手の今でいう合板なのでしょうか?当時はベニヤは豪華なんですね。


右奥は現在、図書室ですが旧書庫です。書庫は時代を感じさせません。


※トイレの注意表示が面白い
此の便所は水便所であります
従って各自左記の要項を厳守して故障の為に使用不能にならない様にしたいと思ひます。 (横書きにしてます)
一 紙は柔らかい ちり紙を使用し硬い洋紙や丈夫な日本紙を使はないこと。
二 便器の中に煙草の吸殻・ぼろきれ其他管の曲った所をつまらせる様なものを捨てないこと。
三 用便の后に便器の前方にある把手を手を以て軽く下方に下げて水を出し足でこれをふむ様なことをしないこと。
4階は、中央が4・5階の吹き抜けとなっていますが、2・3階の吹き抜けと比べると装飾が見劣りがします。右奥に旧講堂がありました。ドラマに出てくる傾斜式の講堂で木質感があり梁がアーチ状になっており伝統・重厚な感じを受けます、消防法により講堂としての活用はできないため倉庫というを位置づけです。



6階は、女子寮となっています。公衆衛生を学びに来る保健師のために設計されました。
そのためなのか公衆衛生院の部屋の数は、300室以上あったそうです。


1階に降りると中央部の床が採光用プリズムガラス埋め込まれていました。これは、日の光が届かない地下一階は、当時の電気では明かりが足りず、外光を取り入れる工夫がされていました。右奥には旧食堂で現在はカフェがあります。

2階に上がり、現在はコミュニケーションルームとなっている旧図書室を見学し終了です。

1時間の説明していただいての見学でしたが、スゴイ!へ~!と感嘆することが・・・
以前、訪れたことがある田町駅近くの「港区立郷土歴史館」が「旧公衆衛生院」の中に移転したことを知り建物についての興味もあり訪れた。
最寄り駅である白金台駅で下車する。東京大学医科学研究所付属病院の案内板が大きく目立ったが隣が「旧公衆衛生院」である。前の通りが目黒通りで交通量が多いところであるが、旧公衆衛生院の全体は見えない。通路を下ると建物の全体像が現れる、思わず、まだこんな偉容な建造物があったんだ!!まさに迎賓館や東京駅の建物と同じレベルである。
日曜日2時から1時間程度の説明会があり参加した。
設計者は、建築家・内田祥三氏で専門は建築構造学で防災、都市計画、文化財修復など業績を残し、1943年には東京帝国大学総長に就任、1972年には文化勲章を受章している。安田講堂も内田氏の設計であり、どことなく旧公衆衛生院と似ている。「内田ゴシック」といわれるデザインの建物を造ってきた。

内田ゴシックは、米国で広まったカレッジゴシック様式を基調とし本郷キャンパスに活かされている。
旧公衆衛生院は、昭和13(1938)年、米国ロックフェラー財団の支援・寄附のもと、国民の保健衛生に関する調査研究及び公衆衛生の普及活動を目的に国が設立し建築された建物です。構造は、鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階、地上6階、塔屋4階となっており建設は大倉土木(現・大成建設)でした。

公衆衛生院は、2007年に用途廃止となりましたが、2009年に港区立鞆絵小学校(1991年統合により廃校)敷地と等価交換により港区所有となりました。改修にあたっては、歴史的建造物の意匠を生かし、耐震補強やバリアフリー化等の改修工事をしましたが、改修工事のコンセプトは、「保存と活用」で、どこを改修したかが分かるようにしているそうです。外壁にわざと改修したところのスジを残したり、バリアフリーでカットしたところをわざと残したり、改修ヶ所の見える化をしていました。
2018年に大規模改修が完了し、現在は郷土歴史館他の複合施設として活用している。


【旧公衆衛生院 建物見学のご案内】資料・・・ゆかしの杜

