東武スカイツリーラインの牛田駅で京成本線の京成関屋駅に乗り換える、両駅間は一旦外に出て乗り換えるが下町感がある。京成本線の「お花茶屋駅」で下車し、目的の「葛飾区郷土と天文の博物館」に向かう。最寄り駅である「お花茶屋」とは何とも魅力的な名の駅であるが、言い伝えによれば八代将軍の徳川吉宗が鷹狩の際に腹痛を起こし、その際「お花」という名前の茶屋の娘に看病され快方に向かったとのことです。博
物館に向かって歩いていると「曳舟川親水公園」の表示があり、歩いている道路は「曳舟川通り」といい、かつては曳舟川が流れていたとのことです。曳舟川親水公園*1が道路の真ん中を通っている、早い話が川を埋め立てて出来た「曳舟川通り」で、昔の土手が道路と歩道という感じで情緒のある道路である。駅から8分ほどで「葛飾区郷土と天文の博物館」に到着します。


*1-曳舟川親水公園は、曳舟川(葛西用水)の旧流路に沿った約3kmの都市緑地公園です。曳舟川は、江戸時代に整備された本所上水を発祥とし、上水道としての役割は1722年に供用が停止されたあと農業用水として利用。この時代に、船に結んだ紐を岸にいる人間が牽引する「曳舟」がおこなわれことから「曳舟川」の名がつきました。一種の水上交通機関も太平洋戦争後に下水道が整備されると曳舟川は埋め立てられ公園として整備されました。曳舟は、行政上の地名はありませんが、駅名、通り名、地域名として残ってます。



$葛飾区の基礎知識$
葛飾区は、東京都の北東部に位置し、荒川の外側にある唯一の区で、都内では埼玉県(三郷市・八潮市)と千葉県(松戸市)の両方に隣接する唯一の区でもあります。区の西部は海抜0m地帯(1m以下)東部は海抜1~2.5m)となっています。
「葛飾区」の名称である葛飾は、葛飾区由来の名称ではなく、もともと下総国(現・千葉県市川市付近)葛飾郡一帯の広大な地の総称で「葛飾」の名は、北は埼玉県北葛飾郡、西を葛飾区、墨田区、江東区の東部、東を茨城県古河市、南を江戸川区や千葉県浦安市付近の広大な一帯でした。現在の葛飾区一帯、江戸川区付近は近世まで「葛西(葛飾区の西部の意味)」の名称で呼ばれ、青戸には「葛西城」があった。いまでは、東京メトロの「葛西駅」、住居表示の「西葛西」、「葛西臨海公園」などの名が残っています。
葛飾区は、かつて工業が盛んな地域で、住宅地の中に小さな町工場が点在、無数の煙突が黒い煙を吐き出しているのが見える典型的な下町の風景で、「ものづくり」街の姿をみることができます。現在では、工場跡地が集合住宅や商業施設に変わるなど、再開発が行われています。夜間人口と昼間人口の状況をみると区内から区外へ出る通勤者・通学者の人が多いようです。
区内には、映画「男はつらいよ」で知られる柴又帝釈天や、漫画「こちら葛飾区亀有公園派出所(こち亀)」、江戸時代の菖蒲文化を伝える堀切菖蒲園、水元公園など葛飾区ならではの場所がある。


「葛飾区郷土と天文の博物館」は、1991年(H3)に開館した博物館である。35年前に開館したがきれいな博物館である。郷土にかかわる歴史・民俗・考古学・文化財、そして天文にかかわることを展示、観察ができる。訪れたときは、「葛飾区大菖蒲展」が開催されていた。菖蒲といえば「堀切菖蒲園」である、日本初の観光菖蒲園である。江戸時代に堀切村で花農家を営んでいた小高伊左衛門が「小高園」を開いたのが堀切菖蒲園の始まりです。明治・大正時代に多くの花農家が進出し、多くの人々が訪れ花名所になり、輸出もされるようになりました。19世紀後期から20世紀半ばにかけて活躍したセオドア・ウォレスは、堀切の菖蒲を世界に紹介しました。



 

「葛飾区郷土と天文の博物館」の見学を済ませ、「郷倉」があると言う「堀切菖蒲園駅」で下車する。向かう途中「堀切天祖神社」がありました。平安時代後期、伊勢神宮より勧請して創建。旧堀切村の鎮守です、鳥居の隣の歩道には「菖蒲七福神」が祀られており、社殿より目を引く大きさでした。神社の近くに「毛無池橋」という表示の小さい石が置かれてました。川がないので暗渠にしているのでしょう。堀切辺りは湿地帯で水路が巡っていたようです。堀切菖蒲園もこうした環境に立地したのでしょう。「郷倉」(区文化財)は、堀切小学校の敷地内にありますが、地図を見ないと辿りつかない場所です。消防車が通れないような路地を通り到着。「郷倉」とは、江戸時代に年貢米を村で一時貯蔵しておく地方倉庫で都内では唯一現存する建物で、かやぶき屋根は区内では、この建物だけで珍しい。間口554cm・奥行455cm・高さ303cm、下見板張りという横長の板をすこしずつ上下で重ね合わせながら張る施行工法をとられています。一時保管の「郷倉」も江戸中期以降は、凶作や災害時の食料備蓄にも使われた。


久々の散策で疲れも出て、堀切菖蒲園にも寄る予定でしたがここで終了。
堀切菖蒲園については、以前に「退職者の会」で訪れブログにUPしましたので参考に。(2014.6.21 堀切菖蒲園から向島百花園を散策)


【参考資料】
・葛飾区観光課
・ウイキペデア
・葛飾区郷土と天文の博物館
・Tripadvisor
・なごりすとのwebblog
・ジャパン ヨンナナ ゴー
・東京新聞

 

7月に私の実家の熊騒動を心配して電話を頂いた友人M君が、今度は「令和8年熊本地震」に遭ったため、お見舞いのメールを送った所、余震が続く中、M君から球磨焼酎「九代目」が贈られてきた。大変な時期に何とも恐縮である。


私の実家は数年前まで酒の小売店を営んでおりましたが、清酒がメインで焼酎の売り上げは、さほどでもなく、贈られた「球磨焼酎」は珍しい。私は、M君と知り合うまで球磨川は知っていたが、「球磨焼酎」を知らなかった。
皆さんは、「球磨焼酎」をご存じだろうか??

♦ここで「球磨焼酎」を紹介♦
球磨焼酎は、熊本県球磨郡および人吉市で製造される米焼酎である。九州山地の懐深く清洌な水と豊穣な大地の恵みを受けた焼酎である。盆地特有の寒暖差の大きい風土、さらに日本三大急流の一つである球磨川
*1が本格的焼酎である「球磨焼酎」を誕生させました、まさに球磨郡と人吉市は焼酎としては、地理的な好立地の場所だった。
その歴史は、戦国時代にさかのぼり大陸から人吉へと伝わった焼酎とその製法。以来五百年最も古い由緒と伝統を誇り、味と香りが杜氏たちに守られてきた。
*1-
球磨川(熊本県内最大級の河川)は、球磨郡水上村を源流とし、人吉盆地の田園地帯を流れ、八代平野に出て分流し三角州を形成し八代海に注ぐ。球磨村あたりで日本有数の急流となる。人吉盆地では球磨川の影響で朝霧が発生し発生頻度は日本1、2位を争う。人吉盆地は、第四紀の地殻変動で山地の一部が陥没して形成された。球磨川は、耕地の農業用水や八代平野の臨海工業地帯における製紙・パルブや金属加工製造業などの工業用水、水力発電などに利用されている。数年前には、水害で大きな被害を受けたとM君が話していた。



♦1995年に酒類の地理的表示に登録♦
世界には、ウイスキーのスコッチ、ワインのボルドー、ブランデーのコニャックのように地名を言うと酒類が出てくる有名な酒があるが、球磨焼酎も、酒類の地理的表示に登録され地名を冠とする不動のブランドになった。地理的表示の対象となるためには、いろいろ要件があるようです。
〇原料-国内産米、麹、球磨郡・人吉市で採水した水。
〇製法ー米・米麹・、水を原料とした醪(もろみ)を蒸留したもので、すべての作業が球磨郡・人吉市内で行われている。



ここ10年、熊本県は2度の地震・水害に遭うなど、心よりお見舞いを申し上げます。県民の皆様が一日も早く元の生活に戻れるように祈念いたします。


さて、頂いた球磨焼酎どうやって飲もうか? ストレート、ロック、水割り、ソーダ割りか? いろいろ試してみよう!!



 【参考資料】
・合資会社 宮元酒造場
・球磨焼酎酒造組合
。ウイキペデア
・国土交通省 
 

本所に行く用事があり本所を歩く。
東京の下町というと下谷・浅草・深川そして本所である。本所地域は、悲惨な出来事があった、一つは関東大震災で避難場所(陸軍被服本廠)で火災旋風が発生し約3万8千人が亡くなる、もう一つは太平洋戦争で本所区(当時の区)の約96%が焼失した。
本所の発展の契機は、明暦の大火で、大火以降に幕府の政策により隅田川以東が市街化され深川と並んで拡大し、大都市江戸の新興居住区域となったが商人町というよりも武家屋敷の性格が強かった。江戸時代後期には商業地として発展。本所から向島にかけ料亭や隅田川の桜で行楽地となった。
鉄道の整備で商業の中心が錦糸町に移ったが、2012年に本所の北に当たる押上に「東京スカイツリー」が完成し東京を代表する観光名所となり賑わっている。

本所の地名の由来は、中世の荘園制度*1によるらしく、
明治頃までは一般的には「ほんじょう」と呼び、「本所」の字面通り「ほんじょ」と定められたのは明治初期のことであるが、一般的に浸透したのは昭和になってからのことらしい。

*1-「ほんじょう」とは荘園の実効支配権(荘務権)をもっていた最上級の荘園領主のこと。

用事を済ませ、最初に訪れたのは「榎戸稲荷神社」である「四ツ目通り」から脇に入った小さい神社である。創建年代は不明であるが、旧別当榎土山常照寺が慶長年間(1596-1615)に勧請といわれている。境内に御神輿の小屋が3棟ほどあり、そsれなりに地元に慕われている神社であろう。


次に訪れたのは「本所防災館」。東京消防庁管内には本所の他に池袋・立川に防災館という都民防災教育センターが設置されている。安全な暮らしを目指し、楽しみながら地震の揺れの体験、初期消火や応急救護、火災の煙からの避難要領など、防災に関する知識や技術を学ぶ体験施設である。町会・自治会の防火防災訓練や学校や企業の防災教育に活用されています。当日も中学生、民生委員、企業社員の方が研修をうけていました。いろいろな防災体験ができますので、予約し来館することをお勧めします。



 

 

本所は、高層ビルが少なく、まだまだ下町の雰囲気が残る地域であり、歩いていて圧迫感がない本所です。

【参考資料】
・ウイキペデア
・榎戸稲荷神社
・東京消防庁
・本所防災館

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