「たばこと塩の博物館」で特別展-「ひきつける、カタチとコトバ 看板・引札にみる明治の商い」が開催されていた。

ここでいう「引札」とは、江戸、明治、大正時代に、商店、問屋、仲買、製造販売元などの宣伝用の一枚刷りの紙で、私たちが新聞折込やポスティングでなじみのチラシの原点でもある。なぜ「引札」と呼んだのか、お客を「ひく」や、お客を店に「ひっぱつてくる」という意味があるようです。
引札の最初は、13世紀に一遍上人が「南無阿弥陀仏」の札を出したとあるが、天和3年(1683)に越後屋(現・三越)が呉服の宣伝に「現金安売り掛け値なし」という引札を十里四方に出したのが引札の始まりと言われる。
商いで屋号や銘柄を木版で掲げたり、品物をかたどって吊るしたりする看板のスタイルは江戸時代に確立。引札は、開業の告知や新年の挨拶などで配られた広告用の摺り物で、江戸時代に慣行が定着しました。商業の発展とともに店や商品の宣伝をする必要性が生じ、引札を専門に手がける職人や業者が「引札屋」として発展していきました。
明治時代になると、商店に対する幕府の規制がなくなり、店舗装飾や看板はより豪華なものとなっていきます。

①店の見せ方
店という漢字は、道行く人に売り物を見せるための台「見世棚」に由来するそうです。常設店舗の歴史は見世棚から始まります。江戸時代になると町人の店舗と住宅を兼ねた町家建築が発達し地域の特徴的が造られました。明治時代になると規制が緩和し、勇壮な町家建築が出現しました。看板については、古くから売り物を示す程度の物はあったようですが江戸時代から造形への工夫が見られました。明治時代からは江戸時代から引継ぎ、庇を利用した看板や大型化、軒行灯(のきあんどん)やチラシなど新たな宣材が加わりました。




②客の呼び方
都市化のなかで、常設店舗も暖簾分けなどで増え、店舗の質・規模が求められ、待って売るから、固定客の確保のため引札の配布、客の呼び込みが迫られ「引札」を出す店舗が出てきました。引札も定型的な文面から「引札屋」に依頼したり、宣伝文ではなく「絵びら」や扱い品の能書き、旧暦・新暦のカレンダーを表示した引札も配布されました。
※「絵びら」とは人目につくところに貼った絵入りの広告、いまでいうポスターで江戸時代からありました。浮世絵師が依頼により腕をふるい、極彩色の錦絵で飾られていたのではないか。印刷方法も石版。銅版がとりいれられ。七福神や美人画などが多く用いられた、正月の年賀や夏季の中元として顧客に配られたようです。




③変わる商い
明治後期になると工業や流通の発達に伴って、全国に販路を拡大するため自社製品を流通させるせるメーカーが増えました。繊維品、ビール、たばこなどの業界ではメーカーが特定の販売店と特約店契約を結び、卸先を絞り込むことで、メーカーに有利な販売網を築く囲い込みが広がりました。特約店制度には、商標が認知されなければならないため、各社が自社のの商品看板や引札を特約店に行き渡らせたり、新聞広告を出したりし、認知度や信頼の向上に努めました。
※たばこの販売については、明治37年(1904)前後から「たばこ専売制度」が始まり、順次、買収・統合され政府指定業者にかわり、民間業者の引札はなくなりました。戦後、昭和24年(1949)には、日本専売公社となり昭和60年(1985)には民営化され日本たばこ産業となりました。たばこ・塩の製造権と販売権を継続となり現在にいたっています。。

ホーロー看板は、小さい頃、実家(酒屋)に置いてあり冬に看板を利用して滑った記憶にあります。いまのスノーボード?



【参考資料】
・たばこと塩の博物館
・ウイキペデア
。HAGURUMA
・Japan Luggage Express
・早稲田大学-絵びらの世界-
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