東京の私立中高等学校地理教育研究会(私地研)が平成26年に企画した、『新大久保界隈の地理巡検』のコースを参考に回ってみた。なにぶん十数年前の企画のため変わっている事や小生の体力を考慮し下記のコースを変更したり、カットしている。
「コース概要」
東新宿駅→島崎藤村旧居跡→稲荷鬼王神社→”イケメン通り”→皆中稲荷神社→つつじの里児童公園→東京媽祖廟→西大久保公園→高麗博物館→キムチ博物館→小泉八雲終焉の地・小泉八雲公園→大久保地域センター→東新宿駅
この巡検、徒歩にて新宿区大久保・百人町を回ります。コリアンタウンとして有名なところで三大コリアンタウンの一つ*1この地区の「多文化共生」を考える巡検企画のようです。
*1ー〇東京・新大久保、〇大阪・鶴橋商店街大阪コリアタウン、〇山口・下関コリアンタウン。その他にも日本にコリアンタウンが多くあります。
□最大のコリアンタウン新大久保□

新宿区の「大久保通り」と「職安通り」の地区である大久保・百人町にはコリアンの他にもイスラム系住人も増えています。新大久保コリアンタウン外国人居住者数は、2023年4月現在で約39,829人新宿区民の11.5%。外国人世帯は、子どもの数が多いことも特徴。かつてこの地域は、終戦まで華族や実業家の邸宅が多くあり、著名人も小泉八雲、西條八十、国木田独歩、島崎藤村、下村湖人などが住む「大久保文士村」とも呼ばれた。
しかし、東京大空襲で街が罹災し家を失い離れた。その後、朝鮮戦争の米軍人のための連れ込み宿が乱立した。これがコリアンタウンになる前段なのだろう。
「大久保」の地名の由来は、かつてこの地は、川が流れ相対的に周りより大きな低地(窪地)であったことから、大久保と呼ばれた。江戸時代までは農村で、明治時代にはツツジの景勝地として知られ、多くの人が訪れた。

百人町は、内藤清成が率いていた伊賀組百人鉄砲隊のあったことに地名が由来する。鉄砲隊の組屋敷は狭い間口で奥行きを長くして造られため、現在でも細長い区画と狭くて道が残っています。居住していた鉄砲隊の副業としてツツジの栽培がおこなわれた。
私の巡検コース
東京メトロ副都心線「東新宿駅」下車し巡検の始まりです。
〇島崎藤村旧居跡
駅から近いのですが、分かりにくく歩道の植え込みの一画にあります。小説家島崎藤村(1872~1943)が明治38年5月より翌39年5月までの時期に住んだところです。信州小諸で執筆生活を送っていた藤村は、明治38年5月、執筆中の小説「破壊」を完成させるため、家族を連れて上京した西大久保の地です。

〇稲荷鬼王神社
鬼王権現を祀る全国で唯一の神社です。江戸時代から豆腐を備えれば、湿疹・腫れ物に特効があるとされました。邪気の頭上に手水鉢をのせた珍しい水鉢は新宿区の指定文化財となっています。昭和初期に造られた富士塚は二つに分かれていますが大きなものではありません。境内には魚業の守護と商売繁盛・開運の神様、恵比寿神を祀っています鳥居の上には船が置いてありました。
〇小泉八雲終焉の地・小泉八雲公園
NHKの連続ドラマで放送された「げばげば」の主人公「小泉八雲」の終焉の地が西大久保にあります。
小説家・随筆家小泉八雲(1850~1904)は、1890年来日し松江の英語教師となりました。1896年には東京帝国大学の英語講師に就職、同年、日本に帰化し「小泉八雲」と名乗りました。1902年に西大久保の家に転居。1903年東京帝国大学を退職(後任・夏目漱石)1904年早稲田大学の講師となったが、同年9月26日に狭心症により死亡(満54歳)。日本での生活は約14年の人生で日本の文化芸術を愛し、海外に日本を紹介した一生であった。
「小泉八雲記念公園」は、終焉の地である大久保に開園した記念公園です。出身地であるギリシャをイメージし、石柱など白を基調にに作られています。園内には、小泉八雲の生涯を紹介する碑や胸像が設置されています。ギリシャ・レフカダ島(小泉八雲の出身地)を描いたタイル舗装があります。新宿区はギリシャ・レフカダ市と友好都市提携を結んでいます。
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〇イケメン通り
「大久保通り」と「職安通り」の間の南北の通りであるが、起源や誰が名付けたのかもわからない。もちろん行政上の通り名ではない。推測ですが、2000年頃より韓国料理、コスメショップ等の店員に容姿端麗な男性が採用する戦略が広まり、口コミやマスコミの紹介で広まったと考えられます。いまでも通りは、若い女性が多く通る場所となっています。
〇西大久保公園
混み合うコリアンタウンの中に公園がありました。こんなゴチャゴチャ場所に公園があるのが意外でした。何やら戦時中に、東京都が火災の延焼防止のために計画し、その後新宿区に移管された公園でした。大久保の繁華街に位置していることから、日中は多くの観光客で賑わう公園です。
〇高麗(こうらい)博物館
もちろん高麗という名は知っていたが、成り立ちや歴史は知らなかった。高麗は、朝鮮半島の王朝(918~1392)で都は開城。地方豪族の王建(おうけん))が各地の豪族をしだいに統合し朝鮮半島を統一し集権的官僚国家の建設を目指した。高麗の特徴は、仏教や儒教の発展、独自の陶磁器、金属活字の発明、特に仏教美術の発展、高麗青磁器は技術と美しさが世界に知られました。この時代、国の形成、文化発展に影響を与えました。しかし、しだいに、他国の度重なる侵入など、まさに内憂外患となり最後は反乱により滅ぼざれました。高麗博物館は、こうした高麗の歴史や文化を紹介する市民団体の博物館です。蛇足ですが、現在の朝鮮のことを英語でKOREAというのは高麗(コリヨ)から来ているそうです。

日本と朝鮮半島の歴史も展示
チマチョゴリや男性用のパジチョゴリの試着もできます
〇東京媽祖廟(とうきょうまそびょう)
JR大久保駅南口近くで新大久保エリアの西にあります。路地に入ると派手な建物がありココだとすぐわかります。
東京媽祖廟は、日本媽祖会が中心になって計画し、台湾人が比較的多く住む新宿区大久保に近い土地を決めて建設(4階建て)した。装飾は、すべて台湾から持ち込んで組み立てたという本格的な建物。台湾の宗教は仏教、道教、儒教、それらが融合した「民間信仰」が主流で、人口の約半数以上がこれらを抱合する伝統信仰をしています。生活に密着した多神教的文化があり、台湾は、「宗教の博物館」と言われています。

〇皆中稲荷神社(かいちゅういなりじんじゃ)
天文2年(1533)に鎮座し大久保の鎮守となりました。幕府が「鉄砲組百人隊」をこの付近に住まわせたことから「皆中」を「みなあたる」と読むことで縁起が良いとされています。言い伝えによると百人組の一人が参拝したところ射撃が上達し、百発百中の腕前になったことで現在でも金運アップ、宝くじ、賭け事などのパワースポットになっています。訪れた日も平日にもかかわらず若い女性が何人も絵馬に願い事を書いてました。

グローバル社会となり、人と人の繋がりが益々必要とする時代である。インバウンド、留学生、外国人労働者の増加を考える時、「多文化共生」のため、言語能力や異文化理解を進め、多様性を受け入れる姿勢が我々には必要ではないだろうか。
【参考資料】
・東京私立中学高等学校地理教育研究会(私地研)
・ウイキペデア
・鬼王稲荷神社
・MASHUPI
・EDO→TOKYO
・ワンジョン
・新宿観光-新宿観光振興協会
・新宿区
・小泉八雲記念館
・HISTOL(R)IST-山川出版
・高麗博物館
・東京媽祖廟
・さんたつ
・国立情報学研究所
・皆中稲荷神社

























































