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爺の社会科見学

年金生活14年目を迎えました。
好きな地理と写真を生かしたブログを目指していますが、年々、体力の衰えから投稿回数がすくなくなってきました。

今回は、東京23区にある都立公園92ヶ所の一つ石神井公園を訪れました。石神井公園は、東京都練馬区石神井に位置していますが、ここであまり知らなかった練馬区と石神井の基礎知識を。

♦練馬区♦

練馬区は、東京都の北西部に位置する区で、特別区施行後に板橋区から分区した練馬区である。区内全域が武蔵野台地上にあり高低差は小さく、今なお23区の中ではのどかな風景を残している。地名の由来は、練馬城から、関東ローム層の赤土をねったところを「ねり場」といった、など諸説は多くあるようです。
 

♦石神井♦
石神井は、練馬区の南西部に位置しています。石神井の地名は古く鎌倉時代弘安5年(1282年)の書付が存在します。地名の由来は、「石神」(しゃくじ、いしがみ)に由来すると伝えられている。昔、井戸を掘った折、石棒が出て。石棒には奇端(きずい=めでたいことの前兆)があり、それを霊石、石神様として祭った。これが通称「石神神社」、今の石神井神社の始まりで、いつか、村の名も石神井となったと言われている。

西武鉄道池袋線・石神井公園駅に到着し15分程歩くとスワンのボートが見えてきた、とりあえす「石神井公園ふるさと文化館」に向かう。前回の洗足池に比べると大きい、北側の外周には高級住宅が並んでいる、外周路をジョギングや散歩をしている人が多くいる。環境はいい。


 

 

 

都立石神井公園は、三宝寺池と石神井池からなる都立公園である。(開園は、1959年・S34年)沼沢植物群落(国の天然記念物)や水辺の植物・昆虫・野鳥等が観察できる。



 

「石神井公園ふるさと文化館」は、モダンな建物である。名前の「ふるさと」は、故郷の意味かと思っていたが、
        ふ・・・(ふれあい)
                る・・・(ルーツをさぐる)
                さ・・・(さわれる)
                と・・・(とりかえられる)
をテーマにしているようです。練馬区の歴史や伝統文化、自然、観光情報を発信している。展示は、昭和の街並み再現、水車、農機具、練馬大根の関連展示が見られる。

〇練馬といえば大根、江戸を支えた大根〇
えど・東京近郊農村では、土地条件に適応したさまざまな野菜が作られ、生産地の地名をつけた特産物が誕生しました。練馬区域でも「練馬大根」や「中の宮牛蒡」が誕生しました。中の宮牛蒡は、早生牛蒡として市場で歓迎されました。沢庵漬けは、明治10年第一回内国勧業博覧会で褒章されました。



【参考資料】
・ウイキペデア
・練馬区
・石神井公園ふるさと文化館

 

洗足池の散策を終え、 東急池上線洗足池駅から大井町線・目黒線と乗り換えせ「洗足駅」に到着する。

目的の「宮野古民家自然園」は、駅から5分ほどの住宅街にありました。宮野古民家は、平成7年に財団法人の認可を受け同年に開園しました。およそ230年前の建築です。移築保存している古民家が多い中、宮野古民家は230年移築しないで現存する貴重な古民家といえます。公開前まで住まわれており、所々、改築している点はありますが、都心にこうした古民家がいまだに残っているのは珍しい。
この地域は、宮野姓が多くあり、公開古民家も分家にあたるが、当主が商才に長けているようで、このような豪農といわれる庭や建物が現存しているのでしょう。主屋は、入母屋造りで間取りは、日本住宅の原点とも言われている「田の字型」で、板の間を畳敷きにしたり、広い土間を板敷に変更している。外観の屋根の茅葺を銅板葺きに変更している。銅板葺きは家一軒建つほどの高額との事。内部の躯体は昔のままで、大黒柱のような柱材も数本使用するなど所々に豪農と思われる建屋となっています。屋敷林は、コンパクトながら離れ・茶室・祠があるなど武蔵野の原風景を残しています。併設する民具展示室には、この地域で日常的に使われていた農具や生活用品が展示されています。















【参考資料】
・目黒区
・宮野古民家自然園
・めぐろ観光まちづくり協会

《その他のPhoto》

目的地の一帯の大田区と目黒区には、「せんぞく」と呼ぶ地名が混在している、大田区では、「千束」目黒区では「洗足」と言い、最寄り駅も大田区は東急池上線「洗足池」目黒区は、東急目黒線「洗足」と何とも紛らわしい。中世の頃この辺りは、「荏原郡千束郷」と言い、郷名の「千束」は、千束分の稲が貢租から免ぜられていたころから名付けられたのが定説のようです。免租の理由は、この地にある大池(現在の洗足池)が水源地として灌漑に利用されていた。あるいは、千人の僧を招いて営む法会(ほうえ)「千僧供養」の費用に充てる免田であった、などの説がある。なお、「千束」の一部の地域が「洗足」と書き換えられるようになったのは、日蓮がここの大池で足を洗ったという伝説によるもの。池畔にある御松庵の「袈裟掛けの松」(けさかけのまつ)の伝説とともに、広く流布し、いつのころからか、「千束の大池」が「洗足池」と呼ばれるようになったといわれる。
・・・・これで疑問が解けた。
JR山手線五反田駅で東急池上線に乗り換え「洗足池駅」で下車。

駅の目の前が「洗足池」である。思わずここに住みたいと思うほど良い環境である。とりあえず池をの外周を散歩。この池は、流れ込む川はなく、湧水池である。付近一帯には、農家が作物の洗い場として利用していた大象の湧水が多くあり、用水路を通して池に流れ込んでいた、現在は一つ残っているが、水量が豊富なようである。外周の見所は、桜・紅葉・水性植物・ホタル・神社・お寺・勝海舟記念館など見所が多く、ボードで遊べる。これ以上の憩いの場所があるだろうか。令和7年度「都市景観大賞(特別賞)」を受賞するのも納得である。


 

~池畔の見所~
(1)池月橋
木製の三連太鼓橋、5月には「春宵の響」が行われます。


(2)千束八幡神社
旗挙げ八幡」とも呼ばれ、860年(貞観2年)に千束郷の総鎮守として宇佐八幡から勧請された。1180年(治承4年)、安房国から鎌倉へ向かう途中の源頼朝がこの地に宿営したところ、池に映える月のような姿のたくましい野生馬が現れ、これを捕らえたとの伝承が残る、これが名馬「池月」であり、頼朝軍は吉兆とし旗を差し上げ大いに喜んだという。境内には、名馬池月の像が置かれている。

(3)弁天島(弁財天社)池に小島があり、朱色の社がありました。創建年代は不明で、古くから洗足池の守護神として小島に祀られています。

(4)八つ橋(水生植物園)

(5)記念碑(西郷隆盛・徳富蘇峰)
〇西郷隆盛留魂詩碑ー西郷の三回忌にあたる明治12年(1879)、戦死した西郷隆盛をいたみ、勝海舟が私費で建てた碑。大正2年(1913)に現在地に移設された。
〇徳富蘇峰の詩碑ー徳富蘇峰は、明治から昭和戦後に活躍したジャーナリストで勝海舟を師と仰ぎ明治維新の関係者と交流があった。昭和12年(1937) に勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城の偉業をたたえた詩歌を作り仲間により建立された。なお、小説家の徳富蘆花は弟である。

(6)勝海舟夫妻墓所
海舟とその妻「民」のお墓がありました。勝海舟は、生前より墓は池畔ときめており、「富士を見ながら土に入りたい」と遺言を残しています。

(7)勝海舟記念館    ※詳細は下記に

(8)御松庵妙福寺
御松庵は、日蓮聖人の道中を守った七面天女を安置し、袈裟懸松を護るお堂が始まりと伝えられており、境内には初代の松の切株が保存されています。昭和2年(1927)に妙福寺と合併しています。「洗足」の名は、日蓮が池上に向かう途中にここの「大池」で足を洗ったという伝説よるものです。

(9)(洗足軒)跡勝海舟は、西郷隆盛との交渉で池上本門寺へ行く途中、通りかかった洗足池の景色ににひかれ、明治24年(1891)に別邸を建てたのが「洗足軒」である。茅葺風の民家であったが、太平洋戦争後に焼失し、跡地は大田区立大森第六中学校になっている。

♦勝海舟記念館♦
記念館は、旧財団法人清明会が創設した旧・清明文庫の建物である。海舟没後に、①勝海舟関係史跡の維持管理②幕末・維新期の資料の収集・閲覧③東洋文明に関する講義等の啓蒙活動等を目的の図書館公会堂の機能を有した施設です。(昭和8年開館、平成24年に大田区の所有となった)勝海舟に関わる展示品もさることながら、建物も国の登録有形文化財に登録され見るべき価値がある。
~建物の特徴~

外観正面中央部の4本の柱型は、イギリス発祥で世界に流行した建築様式「ネオ・ゴジック」(ゴシック・リバイバル)特徴を反映したものとのこと。また、モダニズムの影響が見られる外観、建物の細部にはアール・デコ調の文様なども施され、当時としては先端の造りで、昭和初期に見られた洋風建築物の特徴を今に残している。昭和初期の建物を耐震補強、防火対策、空調整備、バリアフリー化を実施している。収蔵品は、勝直筆の手紙や日記、使い分けていた印章、袴や大礼服、咸臨丸航海日誌、そのた映像で勝海舟を紹介している。



 

洗足池の散策は、ここまでにして「宮野古民家自然園」に向かう。
                            
【参考資料】
・ウイキペデア
・大田区
・目黒区
・洗足池公園
・勝海舟記念館
・ainiファミリー
・白鳥みちこ

《その他のPhoto》