爺の社会科見学 -36ページ目

爺の社会科見学

年金生活14年目を迎えました。
好きな地理と写真を生かしたブログを目指していますが、年々、体力の衰えから投稿回数がすくなくなってきました。

「退職者の会」日帰り散歩、2020年のスタートは、浅草七福神巡りを企画してくれました。1月8日の予定が10日になりました。幹事のMさんの案内ハガキには『浅草名所(などころ)は九社寺あり、「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九となす。九は鳩でありあつまる意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」という古事に由来したことによります。』とあった。勉強不足の小生には???の部分があるが・・・

現在の七福神巡りは江戸時代から定着したようですが、数多くの七福神巡りの中でも浅草の七福神巡りは歴史もあり多くの方々が参拝してきたコースとなっています。

まずは寄り道をしながら浅草七福神(9社寺)巡りに。
スタートは、浅草寺・浅草神社から。浅草寺は、大黒様である。大黒天像は、本堂左手にある影向堂(ようごうどう)にある。中に入ると左手に真っ黒な大黒天が置いてあった、浅草寺はあまり七福神を感じられないお寺でもある。浅草寺の周りには、お堂や記念碑・像が多くあるので見て回るのもよい。

前の「退職者の会」日帰り散歩の際に立ち寄った銭塚地蔵堂は、新しくなっていました。

本堂の裏手から浅草神社に入る。浅草神社は、恵比寿様をお祀りしています、都内最古の神社で江戸三大祭りの一つである三社祭りでも有名です。祭神は浅草寺の本尊となる観音様を引き上げた檜前浜成・竹成兄弟と観音様をお祀りした土師真中知を祭神としています。

浅草寺・浅草神社から大根をお供えすることで有名な待乳山聖天に入る。ここは時代小説「鬼平犯科帳」・「剣客商売」の池波正太郎生誕の地でもある。寺院の部分だけが小高い山となっているが古くはこの辺は泥海で隆起したと伝わっています。宗派は聖観音宗で浅草寺と同じで支院となります。毘沙門天をお祀りしています。

☆寄り道☆   本龍院・・・銅造宝篋印塔(どうぞうほうきょういんとう)
銅造の宝篋印塔は全国的にも珍しいそうです

さらに北に歩くと、若い女性?に人気があり、招き猫発祥の地の神社「今戸神社」に入ります。元は今戸八幡と言われた神社で関東武士の信仰の深い神社で、境内には「沖田総司終焉の地」の碑がありました。七福神は福禄寿をお祀りしています。

☆寄り道☆   出山寺・・・「其角の句碑」・「采女塚」
・其角は、芭蕉に入門し早くから頭角をあらわし、焦門十哲の第一人者とされた。                     

・采女塚は、遊女「采女」と若い僧侶の悲恋の供養塔。 

☆寄り道☆   お化け地蔵・・・高さ3mあまりの笠をかぶった細いお地蔵ですが、お化けと言うのはかぶっている笠が向きをかえたからと言われています。

次は、さらに北にある橋場不動院である。この神社、関東大震災、東京大空襲などの災害で周りが被害に遭うがここだけは免れたことから霊験あらたかということで知られてます。災害の多い近年、何はなくともこれが大事です。

ここまでで5社寺を回ってあと4社寺です、寄り道をして7社寺でなく9社寺を回るのは大変です。

隅田川沿いに歩いてきたが右手に工事中の白髭橋、左手に寿老神が祀られている石浜神社に。新しい感じの神社であるが、724年に鎮座された神社で、源頼朝も戦勝祈願にお参りしたといわれます。祭神は天照大神、豊受大神という伊勢神宮の神様をお祀りしています。ここからは浅草に戻るようなコースとなり吉原神社を目指します。

☆寄り道☆  平賀源内墓・・・江戸中期に本草学者・地質学者・蘭学者・医者・俳人・発明家と多彩な活躍をした平賀源内は、安永8年(1779)に殺傷事件により小伝馬町の牢内で病死した。当初、総泉寺に墓石があったが寺が移転し平賀源内の墓石だけが当地に残った。

☆寄り道☆  春慶院・・・吉原の「高尾大夫墓」仙台の大名とのロマンスのあと惨殺され、仙台候により墓石が建てられたと言われている。 

☆寄り道☆  東禅寺・・・江戸六地蔵の一つがあるお寺である。名称は、「銅造地蔵菩薩坐像」で、深川の地蔵坊正元が病気平癒に感謝し造立を発願し、多くの人々の浄財を江戸市中六ケ所に勧請した。
東禅寺入口左には老夫婦の銅像がありました。このお寺にお墓がある、銀座「木村屋総本店」の創業者、木村安兵衛・ブン夫妻の銅像でした。

 
吉原神社は、吉原遊郭が誕生する前からこの地に鎮座していた稲荷神社5つを合祀した神社である。遊女等の信仰を集め女性の様々な願い叶える神社と言われます。七福神は、唯一女性の神である弁財天を祀っています

吉原神社から少し離れた所に吉原弁財天本宮(吉原神社奥宮)があります。こちらも小さい境内で、ゴツゴツした岩山の上に観音立像が乗ってます。プレートには「大震火災殉死者追悼記念碑」とあります、大震災の火災にて多くの遊女などが池で溺死する出来事がありました。奥に行くと小さい鳥居と社殿があり、社殿はカラフルにペイントされていますが、東京芸術大学の学生の手によるそうです。境内には掲示板があり、吉原の歴史が掲示されており吉原を知ることができる。


吉原神社の近くにあるのが鷲神社です。鷲神社は、寿老人を祀る神社ですが七福神より「酉の市」発祥の神社として有名です。社殿には「なでおかめ」という大きな「おかめ」があり、撫でるとご利益があると伝えられています。

最後の矢先稲荷神社は、福禄寿である。武術興隆の目的で京都三十三間堂と同じものを今の地に建てました。名である「矢先」の由来は、堂の廊下で「通し矢」が行われ、的先にあった神社で「矢先」と呼ばれた。本殿の天井には日本馬術史の100人を描いた絵が天井にある。


10日とはいえまだ「松の内」であり多くの方が参詣していた。七福神巡りをしているとお寺だったり神社だったり日本の宗教が神仏習合であることがわかる。七福神そのものがインドや中国から入ってきたものものあり、あとで祀ったのではないかと思う点もあるが、何はともあれ庶民の願い事を受け止めている。

今回「浅草七福神巡り+寄り道」で単なる七福神巡りでなく、いろんなことを知り、もっと知りたいこともありました。

今年はいいことあるかな・ ・ ・

多く回り、皆さん疲れ、コーヒーブレークしたいがなかなか参加者8人入れるところがないものである、大きい通りに出てハンバーガーショップで一服し帰路に。


【その他のPhoto】

 

~3つの機能があった43代続く豪農屋敷~

柏市は、千葉県北西部(東葛地区)に位置する中核市である。千葉県内では人口5位となっている。隣接自治体は、県内7市、茨城県2市と多くの自治体と隣接している。
江戸時代は、宿場町でなかったため小さい集落であったが、発展したのは鉄道網の整備とともに人口増となった、「JR常磐線」、「東武アーバンパークライン」、「つくばエクスプレス」など、鉄道の結節点や「つくばエクスプレス」の新線による学園や企業誘致、住宅開発などにより農地等が住宅地に転用された。東京から25~35km圏内で高層マンションが林立している。
柏市の市名由来は、河岸(杭の意)場に由来するという説が有力とされている。        
※東葛地区とは、旧東葛飾郡に属した松戸・野田・柏・流山・我孫子・鎌ヶ谷・船橋・市川・浦安市をいい、支庁舎は松戸市にあった)
                                         
「つくばエックスプレス」の「柏の葉キャンパス駅」で下車する。キャンパスという名がつくとおり西側には千葉大学と東京大学の敷地が広がる。

旧吉田家住宅は、駅の東側の花野井地区にあるが分かりにくい、スマホのナビにてどうにか旧吉田家住宅らしき場所に到着る。  途中、近くにある「花野井香取神社」に立ち寄る。鎮守の森的な雰囲気の神社で佐原香取神社の支社として昔から近在から親しまれている神社である。              

重要文化財「旧吉田家住宅」をめざして行ったが、公園の中に「旧吉田家住宅」があった、名称が「旧吉田家住宅歴史公園」となっていた。この一角は平成16年(2004)に柏市に吉田家より寄贈され、平成21年(2009)に歴史公園として整備し開園した。
公園としての整備のため、ゆったり感じを受け道路からの景色が当時の景色もこうなのかと想像される。

入口は、長屋門から入るが、この長屋門立派な建て構えの門である。天保2年(1831)に造られたとされ、旧吉田家住宅の中では一番古い建造物である。長屋門は、本来、武家屋敷の門であるが吉田家は苗字帯刀を許された名主の家で、東葛地区は旧千葉一族、相馬一族の流れをくむ豪農が多い。旧吉田家の長屋門は、長さが25mで左右に米蔵がある、これは雨の日でも作業ができるようになっており、蔵の中は白の漆喰が塗られている。長屋門を抜けた先が主屋である。

-

※長屋門と現在の居住建物の前は、畑だったようです。長屋門前に置いてある三角錘(四角錐?)の石は馬を繋ぎ止める石とのことであるが門の左右に多くの三角錘の石があり来客等が多くあることがわかる。桜の時期になると長屋門前の桜が見事なそうである。

主屋は、桁行20.4m,梁間10.1mあり、渡り廊下で繋がっている主屋の右手に「書院」がある、主屋と書院は同時期の嘉永7年(1854)、主屋の奥にはやはり渡り廊下で繋がっている「新座敷」がある。新座敷はプライベートの居室として使われていた。
この建物の特徴は、吉田家の仕事に関係する。豪農としての吉田家、穀物商・江戸後期からの醤油醸造家としての吉田家、幕府の軍馬を管理する「牧士(もくし)」として士分格を与えられた吉田家。それぞれ豪農、商家、武士同格としての機能を持たせた建物となっている。

帰り、長屋門の米蔵部分を改造し休憩所兼カフェがあり、落ち着いた雰囲気でコーヒーを飲むことができる。

「旧吉田家住宅は」は、8棟が「重要文化財」に指定され、庭園が「国登録記念物」になっているため、見ごたえがある。
映画、TVなどのロケによく使われている、行った日も結婚式の前撮りの予約があるとのこと、いわゆる「インスタ映え」するのでしょう。

【その他のPhoto】

住まいから近い紅葉スポットを検索したら「本土寺」と「清水公園」がヒットした。本土寺については前に行ったので、今回は野田市の清水公園へ。前に野田市のキッコーマン他を訪れた時に、古民家「旧花野井家住宅」も見学したい場所だったが、コースに入れられないため積み残しとなった古民家であった。今回、紅葉と合わせて古民家見学も。

☆紅葉の清水公園
清水公園は、野田醤油(現:キッコーマン)醸造業茂木氏により明治27年(1894)聚楽圓の名で開園した民営公園である。フラワーガーデン・フィールドアスレチック(国内最大級)ポニー牧場・釣り場・キャンプ場など地域住民の安らぎの場となっている。
清水公園の中でも撮影スポットである金乗院へ、清水公園の中に金乗院があるのではなく、金乗院の敷地を借りて庭園を造園したというのが清水公園の始めである。金乗院は、創建が応永5年(1398)の古刹である。
※聚楽館
大正時代に建てられた茂木家の書院であったものを今の場所に移築。当時は、中央・地方の有力者たちの迎賓館的な役割をはたしてきましたが、現在は、一般市民の集会所として利用されています。
 

☆旧花野井家住宅(国重要文化財)
清水公園に近い、住宅街に「旧花野井家住宅」がありました。こんな所にあるのか思ってて、入口の案内書きを読むと隣の流山市より移築した古民家であった。
「旧花野井家住宅」は、代々幕府直轄の小金牧の牧士(馬の管理、捕獲、育成等)の家で、建築年代は江戸時代前期(17世紀後半)木造平屋・寄棟造・茅葺です。昭和46年(1971)に野田市に寄贈されましたが、それまで住まわれていたようです。

※旧上原家住宅 藥医門
同じ敷地内にある門ですが、旧花野井家住宅とは関係なく、これも寄贈移築したものです。昔から「甚五郎一夜造りの門」といわれ、名工・左甚五郎が日光より帰途に上原家に泊まり一夜で造り上げたと言い伝えられています。年代は、推定、江戸時代末期と思われ、藥医門の形式をよく示している門です。
 

【その他のPhoto】