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爺の社会科見学

年金生活14年目を迎えました。
好きな地理と写真を生かしたブログを目指していますが、年々、体力の衰えから投稿回数がすくなくなってきました。

久々の墨田区押上である。スカイツリーが完成(2012)して10年たったとのことである、私もその年に見学し翌年再雇用退職となったので、私のことと結びつけて10年たったのかと感慨深い。今回は、スカイツリーではなく、目的は「郵政博物館」である。
「郵政博物館」は最寄り駅である押上駅で下車し東京スカイツリータウン・ソラマチ9階にある、前は「郵政博物館」ではなく「逓信総合博物館」の名称であった。大手町を通る度にいつか見学をと思っていたがやっとのことで実現した。大手町にあった博物館は2013年に閉館し、ここ東京スカイツリータウン・ソラマチ9階にリニューアルオープンした。入館してみるとワンフロアーでコンパクトな印象を受けたが、NTTに関わる展示物は一部、NTTに寄贈したようです。
「郵政博物館」のコンセプは「心ヲツナグ 世界ヲツナグ」で、郵便や通信がもたらす人と人の心のつながり感じるようにとしている。

入口には「赤いポスト」がお出迎え。この赤いポストは、時々、見かけるがデコレートされたポストもあったようです。中には前島密氏(1835~1919)の胸像が、明治のはじめ日本に郵便の仕組みを築いた人物で、我が国の「日本近代郵便の父」と呼ばれ、1円切手の肖像にもなっています。 前島氏の信条は、「縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ」で、その信条どおり郵便事業の他に、江戸遷都、国字の改良、海運・陸運、新聞、電信・電話、鉄道、教育、保険など多くの功績を残しました。
我が国の通信制度は、律令制のなかで駅制(16kmごとに駅馬)を配置し公用通信に供した、その後、飛脚にかわり明治に入り飛脚が郵便に移行していく。
ここ郵政博物館は、近代郵便制度に関わる物が多く展示されている。

 

次は「立花大正民家園」(旧小山家住宅)へ。押上駅から曳舟駅で亀戸線に乗り換え「東あずま駅」で下車。
駅から歩いていると町工場が残る立花地区であると感じる、細い道を歩いていると旧中川が目の前に、「立花大正民家園」(旧小山家住宅)は旧中川沿いの道路から下がった所にあった。

昔は洪水の時に近隣の方の家財が持ち込まれたとのことで、旧小山家住宅は若干高い場所だったようですが、現在は防災によるかさあげで道路より低い位置にある。住居までの小道の両脇に多種多様な草木が植えられている。所々に七福神の像が置かれている、自分の庭で七福神巡りができる。住居は、格子戸の細い木割りと黒漆喰壁から構成される正面、玄関と土間口、奥座敷,上手の縁側は、この地域の住宅の特徴を受け継ぐとともに、変わりゆく町並みに江戸時代からの農家と町家の雰囲気を今に伝えられていると言われています。農村の名主の家とは異なる。関東大震災、東京大空襲の災害もまぬがれた墨田区唯一の古民家で都市近郊農村文化のぬくもりが残り、墨田区の指定文化財となっています。

「立花大正民家園見学のしおり」より抜粋
♢建築年♢
大正6年(1917)2代前の当主が寄棟造茅葺の住宅として創建しました。住宅は、何度か改造されていますが、大規模なものとしては、昭和10年代前半に屋根が茅葺から瓦葺に葺き替えられました。昭和43年(1968)には家族構成の変化により、便所、押入、廊下等を改造、台所東側に2階建ての住宅が増築されました。
♢小山家住宅の寄贈♢
小山家住宅は、典型的な整形四間取平面を受け継ぐ農家としては土間部分が狭いこと、柱梁組における素材・意匠とも充実しており、江戸の町屋的な性質を持つことが特徴です。都市近郊の農村住宅において、近世からの伝統を踏まえつつ接客空間・詩的空間を充実させる近代住宅の一つの方向を完成させた貴重な遺構です。墨田区の地域の風土性や生活文化を具体的に物語るものとして文化的、歴史的な価値があります。このようなことから平成10年に墨田区が購入しました。
♢特徴♢
〇柱ー全体的に柱が太く、構造的に丈夫な造りとなっています。
〇天井ー座敷・台所・土間の天井を根太天井として丈夫にし、浸水時に貴重品や生活用具を屋根裏に引き上げ、一定期間そこで生活が可能です。玄関南東隅に天井裏への上り口があり使用時はハシゴが掛けられます。
〇玄関・居間ー創建当時は土間であり、カマド・米蔵があったようです。昭和10年代の改築により床が張られました。
〇台所・風呂ー創建当時より改造の痕跡が多く見られる場所です。現在の風呂場は屋根の葺き替えを行った昭和10年代前半に造られ、その前は現在のボイラーのある位置に五右衛門風呂があった。
〇旧玄関・大戸(現玄関)ー正面に玄関を二つ設けるのは、墨田区周辺地域の民家の特徴。正式な玄関は座敷のオモテに設け、主人・客人用とし、土間の入り口は大戸(通用口)として使い分けた。実際にはほとんど活用されなかったようです。江戸時代の伝統が色濃く出た出格子窓、竪格子戸、引き違い格子戸は町家的な装飾効果となり建物に独特な味わいを生みだしています。
〇入側縁・便所ー座敷のカミテに入り側縁を設ける形式は、墨田区周辺地域の民家に多く見られる形式です。両端に押し入れと便所を設けることも共通しています。彩光と便所への動線の確保を求めたものと考えられます。

立花大正民家園の名の通り、大正時代の特色が出ている民家と言われています。15年という短い期間ですが激動の時代を感じさせます。ある意味、昭和時代の高度成長期と同じ大正時代の高度成長期と言えます。生活や文化の変化、建築も同じで鉄筋コンクリート造や鉄骨、硝子など技術や工法、材料など飛躍的に進歩を遂げた時代です。こうした大正時代の特色を感じさせる立花大正民家園でした。

 

【その他のPhoto】

「退職者の会」の日帰り散歩も久しぶりの参加である。
向島については前にも訪れたことがあるので、そちらのブログも参考にしてほしい。「向島百花園・長命寺・三囲神社を散策 2017.10.18」「堀切菖蒲園から向島百花園を散策 2014.6.21」
東向島駅から向島百花園に向かうが今日も天気にはめぐまれない、晴れた日に訪れた事がない。知人は、「百花園はいつ行っても良い」と言っていたが、都内ではこんなに種類の花は見られない。江戸の町人文化が栄えた文化・文政期(1804~1830)に、骨董商の佐原鞠塢(さわらきくう)が文人たちの協力を得て開いた庭園だそうで、開園当初から名高い早春の梅、春・秋の七草などを中心とした草花がみられる。その他、文人たちの足跡を刻む石碑などもあり、さまざまな景色を楽しめる。

百花園の近くにある神社が「白鬚神社」である。近江の白鬚神社の分霊をまつる、主祭神は猿田彦大神。交通安全や方位除の神として信仰されている。社名から祭神はヒゲを生やした老人だろうと江戸時代に隅田川七福神の寿老神とされた。祭神が神様なので寿老「人」ではなく寿老「神」なそうです。なお、「隅田川七福神巡り」は、江戸時代の文化年間に始められ200年続く歴史があり、最古の七福神めぐりの場所の一つとのことです。

白鬚神社から墨堤通りを歩くと隅田公園内に「隅田公園少年野球場」があった、日本で最初の少年野球場で王貞治もこの野球場で育ったようです。

  
「墨堤通り」から「見番通り」に入った所のお寺が、「弘福寺」である。
山門から本堂まで立派なお寺である。本尊は釈迦如来、積田川七福神のうち布袋尊を祀る。江戸時代前期(1673)に開山。境内の祠には爺像と婆像からなる「咳の爺婆尊」が祀られており、風邪やインフルエンザ予防に御利益があるそうです。制作した江戸時代の禅僧の名が「風外(ふうがい)」で「風(邪)の外」に通じるとし、風邪除けに御利益があると信じられているようです。


弘福寺の隣のお寺が、「長命寺桜もち」で「長命寺」であるが、この辺は「桜もち」と「言問団子」で有名な和菓子店が2軒ある。(言問団子のお店は当日お休みでした)「長命寺の桜もち」(山本や)、桜餅の元祖でもある。


長命寺は、「山本や」の裏手にあります。境内に井戸がありましたが、将軍家光が鷹狩の際に腹痛に見舞われた時に、薬をこの井戸水で飲んだところ痛みが快癒。家光は、その水を長命水と名付けたが、これが寺名の由来である。境内の石碑のなかに女優。歌手である「木の実ナナ」の小さな碑がありました、彼女は、ここ向島の生まれで長命寺に縁があるのでしょう、碑には「風のように踊り 花のように恋し 水のように流れる」と刻まれていました、ミュージカル女優らしい碑でした。

昼食については、幹事Mさんが予約してくれた「向島七福 すずめの御宿」に。黒塀が囲む蕎麦屋さんへ、向島の江戸の佇まいを残した趣のあるお店です。そば粉、食材へのこだわり、アルコール類も充実しています。

昼食後は、見番道りに戻り三囲神社へ。何度か訪れたことがあるが三越百貨店と関係ある神社であり、三井家・三越百貨店に関連する物が境内にある。

※ライオン像は、三越の旧池袋店から移した。

※〇に越は、三越の商標。客に出す茶の湯を沸かす銅壷(どうこ)の台石に彫られ〇に三越の範形といわれる。

 三角石鳥居は、三井邸より移す。

次の神社は、隅田公園内にある牛嶋神社。貞観年間(859~879)に創建されたと言われてます。境内には「撫牛」と呼ばれる牛の像がり、自分の体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられている。本殿前の鳥居は三ッ鳥居と呼ばれる珍しい鳥居である。神社には、葛飾北斎の大絵馬があったが関東大震災で消失し現在は写真が掲げられている。

隅田公園は、徳川吉宗が民衆にも花見が出来るようにと開放した地。都内屈指の桜の名所、夏には隅田川花火大会が行われる。


最後は、スカイツリー駅に近い屏風博物館である。博物館と言っても片岡屏風店の店内が博物館である、入口には「小さな博物館」(すみだ3M運動)とあった。「すみだ3M運動」とは、昭和60年(1985)にスタートした墨田区産業PRとイメージアップ、地域活性化を図る事業。「小さな博物館」は、先細りの日本の伝統産業を、製造・販売・技術の育成などの運動の一環である。大中小、現代風、からくり屏風などが展示されています。我家も屏風を飾れる部屋があるといいのだが・・・。

一時、小雨が降る散歩であった。向島は花柳界のイメージが強いが。向島など東京東部地域は、古くから陸地化し、古代の頃から村が生まれた地域で、江戸より古い創建年代の寺社が多くある。また、百花園や隅田川堤の桜並木など江戸の行楽地となりました。江戸随一の信仰と行楽の地となりました。古き時代の人々も寺社を巡り祖先を偲び、隅田川の流れ、花(桜)を鑑賞するのが庶民の生活の一部であり、楽しみでもあるのでしょう。

【その他のPhoto】

(百花園)

(三囲神社)

(牛嶋神社)

※スカイツリーは、路地からよく見える。

NHK連続ドラマの「カムカムエヴリバディ」  で使われている「証城寺の狸囃子」を懐かしく聞いて、木更津の証誠寺に行ってみたいと思っていたら、JR「駅からハイキング」で木更津のコースを開催中とのことで参加した。

総武線千葉駅で内房線に乗り換え木更津で下車する。木更津市は人口13.6万人の港湾都市であるが、内房線に乗っても海の感じは受けないが、遠くに工業地帯の紅白の煙突が多く見られる、この風景は埼玉には「ないな~」と、海に近い事を感じる。
木更津の地名の由来は、諸説があるようだが伝承の一説「君不去」(きみさらず)が元になっているのが通説との事、市の西側は関東平野の平地、東側は木更津台地、上総丘陵である。


駅前の「木更津市観光案内所」で地図を頂き出発する。駅付近に寺社が多くあり、周りやすい。駅前の通りを歩いているとコースにはない「光明寺」というお寺があり立ち寄る。境内に「与三郎の墓」(供養墓のようです)の矢印があった。「切られ与三郎」「お富さん」と言えば分る。小さいころ、♫ 「・・・死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも・・・」と口ずさんだ記憶がある。歌舞伎の「与話情浮名の横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)演目で。物語は、赤間源左衛門(成就寺に墓石が)の愛人(お富)と与三郎の関係が知る所となり、与三郎は切られ木更津の海に投げ込まれました。その後、偶然江戸で再会した二人を描いた作品。

予定のコースに戻り「八剱八幡神社」(やつるぎはちまんじんじゃ)に。八剱八幡神社は、木更津の中心部に鎮座する地域最大の神社です。地元からは「八幡さま」の呼び名でしたしまれています。お正月などは参詣者で行列できるほどです。毎年、7月に行われる例祭には関東三大神輿の一つとされる、大神輿が渡御します。

※「水引飾り」がありました。水引には物事を浄化し清めて、悪いものを払う力があると言われています。

隣のお寺が成就寺です。本堂を見ると変わっている本堂だと思いましたが、さやどうのようです。波の伊八の狛犬と針供養で有名です、また有名な「木更津甚句」の普及功労者である芸者「若福」の墓石があります。

次が訪れたかった證誠寺です。寺に伝わる伝説「狸ばやし」は日本三大狸伝説の一つとして数えられ、この伝説をもとに童謡「証城寺の狸ばやし」は、作詞・野口雨情として大正14年に「金の星」という雑誌に発表され、作曲・中山晋平により完成しました。境内には雨情の歌の筆跡、晋平の五線譜の刻まれた童謡碑、狸の姿の石像があります。今でも木更津市内のマンホールには歌詞と共に狸の絵が描かれています。その他、市内には狸のオブジェが多く飾られています、木更津市のマスコットキャラクターは「きさポン」です。
※日本三大狸伝説
 〇上州舘林市(群馬県)の「分福茶釜」
      以前、訪れブログにUPしました「猛暑の中、館林を歩く」2016.08.09
   〇伊予松山(愛媛県)の「八百八狸物語」
   〇木更津の「證誠寺の狸ばやし」

♢證誠寺の狸ばやし♢

                                                          Sho-jo-ji/The Hungry Raccoon 
日本語歌詞                                                            英語歌詞
証 証 証誠寺                                 Sho,Sho,Sho-jo-ji
証誠寺の庭は                                     Sho-jo-ji is a raccoon
ツ ツ 月夜だ                                 He is always hungry
みんな出て 来い来い来い                      So he sings of koi koi koi
おい等(ら)の友達ア                           He will rub his head and tummy
ぽんぽこ ぽんの ぽん                       Rub headand rub tum-tum
                                                  Macaroons and macaroni
負けるな 負けるな                            Jellybeans and pink spumoni
和尚(おしょう)さんに 負けるな             koi koi koi,koi koi koi
来い 来い 来い                               All he says is koi koi koi
来い 来い 来い                               Sho,Sho,,Sho-jo-ji
みんな出て 来い来い来い                      Sho-jo*ji is a raccoon
                                                  He is allways hungry
証 証 証誠寺                                   So he sings of koi koi koi
証誠寺の萩(はぎ)は                                  Always a-hungry, very hungry
ツ ツ 月夜に 花盛り                              That's why he sings of koi
おい等(ら)は浮かれて                              Sho,Sho,Sho-jo-ji
ぽんぽこ ぽんの ぽん                              Sho-jo-ji is a raccoon
                                                                      He is always hungry
                                                   So he sings of koi koi koi
                                                   He will rub his head and tummy
                                                   Rub head and rub tum tum
                                                     Makeruna makeruna    ローマ字
                                                  Oshosan ni makeruna   ローマ字
                                                  koi,koi koi,koi koi koi   ローマ字
                                                  minna dete koi koi koi   ローマ字
                                                  Sho,Sho,Sho-jo-ji
                                                  Sho-jo-ji is a raccoon
                                                     He is alwayas hungry
                                                   So he sings of koi koi koi
                                                   Always a-hungry,very hungry
                                                     That's why he sings of koi
小さいころ、外国人が日本の歌を歌っている印象に残っているのが 「Sho-jo-ji」(アーサー・キット)と歌う大使と言われたカテリーナ・ヴァレンテである。特に、Sho-jo-jiは印象深い、後で知ったが野口雨情の作詞を訳したものでなく、タヌキは欧米には生息してなくて英語歌詞Laccoonはアライグマであることをしり「エー」と思った、中国的なメロディーが混じったような曲で外国人は区別出来ないだろうなあと感じた。朝の連続ドラマで使われたNHK英語講座も歌詞はもちろん違い、「證誠寺の狸ばやし」の曲がいかにすばらしく親しみやすい曲であることが理解できる。境内には、童謡の碑と狸塚、狸の置物が。

次は、鳥居崎海浜公園である。證誠寺から富士見通り(駅前のとおり)に入ると海に近づいているのが分る道路が整備されモニュメントが置かれ、ヤシの木が異国を感じさせる。富士見通りを右折し「鳥居崎海浜公園」へ公園というより駐車場がやに目立つ公園で洒落たレストランがあったが、この一帯「恋人の聖地」なそうである。

大きな橋があったが「中の島大橋」で、鳥居崎海浜公園と人工島で木更津港に浮かぶ「中の島」とを結ぶ歩道橋で車が通る構造にはなってない。全長236m、高さ27.125m、幅4.5mで日本一高い歩道橋となっている。「中の島公園」まで通ったが歩きでがあり疲れる歩道橋である(恋人同士は関係ないか!)。中の島公園は、滑り台はあったものの広いだけで他には潮干狩りの建物があった。この辺は潮干狩りで訪れる方が多いようです、入場料は1800円で高いのか安いのかわかりません。

※中の島公園から陸上自衛隊が見え、航空機やヘリコプターが上空を飛んでいます

来た道を市内の方に戻り、選擇寺(せんちゃくじ)に。選擇寺の本堂は、国登録有形文化財となっています。前の本堂は大正12年(1923)の関東大震災で被害を受けた。今の本堂は、昭和5年(1930)に鉄筋コンクリート造りで建築したものは屋根の垂木、斗棋などの意匠は、細部にわたって木造建築の手法を忠実に模しています。当初、屋根は瓦葺でしたが昭和62年(1987)の地震によって現在の銅板本瓦棒葺に改修されました、昭和初期の特徴が出ていると言われています。
このお寺でも「切られ与三郎」に関係する墓石がありました。 与三郎の相棒で「蝙蝠(こうもり)安」と呼ばれた。木更津の大きな鬢付け油屋「紀の国屋」の次男として生まれ、美声の持ち主で常磐津が上手く、花柳界の寵児と言われるほどの男ぶりだったそうです。夕方になるとふらふら出歩くことから蝙蝠(こうもり)安と呼ばれました。芝居の登場人物のようなゆすりを働く人柄ではなく顔の蝙蝠の刺青も実際は足に蟹の刺青があったようです。

木更津駅東側(海側)が終わりました。観光案内所の話では海側だけで終わる人もいると話てましたが、気分的には帰りたいところですが、あまり来ることもないので東側も散策。
あけぼの通りから太田山公園へ。駅から歩いていると小高い森が見えてきた台地状の地形である。日本武尊(やまとたけるのみこと)の悲恋伝説から「恋の森」と呼ばれている。鳥居崎海浜公園の「恋人の聖地」、太田山公園の「恋の森」と、木更津は恋の街なのか・・・?

標高44mで山頂に着くころにはグッタリだ。「郷土博物館 金のすず」に入館する。博物館名の「金のすず」は、市内の前方の出土品から金色に輝く直径1cm程度の鈴が見つかり古墳を金鈴塚と変更されました。博物館は、二つの重要文化財、「千葉県金鈴塚古墳出土品」と「上総掘りの用具」等を展示しています。この博物館は、千葉県の県立博物館1号で後に木更津市に移管されました。

博物館の近くに移築展示しているのが「旧安西家住宅」です。ボランティアガイドの説明では、旧草敷村より昭和57年に移築した住宅で、名主の下の組頭を務めた農家の住まいとの事。名主の家は少なからず見てきたが、組頭の家と言うのは初めてである。およそ江戸中期頃の建物で、建築当初は、土間と居住部分が分れていたのを後にくっつけた型に改築した。

この後、矢那川沿いの桜の花見をして駅へとのコースであったが、桜が散りかけていたので、そのまま駅へ直行する。約8kmで約3時間30分のコースで良いコース設定と感じるが、中の島大橋と太田山公園の上り下りで疲れました。
                         

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