東武鉄道各駅に置いてある「マンスリーとーぶ」(東武鉄道広報誌)は、沿線を紹介しているが、2022.9月号の「みちくさ写真帖」のコーナーに新河岸川舟運(旧福田屋邸特別公開)について掲載されていたので、興味がわき行くことに。
特別公開の日に、最寄り駅の東上線上福岡駅で下車する。

ふじみ野市は、川越市、富士見市、三芳町と隣接している。埼玉県から東京へ向かう沿線(通勤圏)は、武蔵野台地、関東ローム層上にあり平坦地が多く、高低差が少なく山が見られない。
ふじみ野市は、2005年(平成17)10月1日、所謂、平成の大合併で成立した市である。私が退職する数年前までは、上福岡市、入間郡大井町であった。隣に富士見市があるのに、何故、ふじみ野市になったのか不思議であるが、当初二市二町の合併案であったが、色々、事情があるようだ。ちなみに、ふじみ野駅はふじみ野市ではなく隣の市である富士見市にある。

駅から歩いて20分ぐらいの所に、「ふじみ野市立福岡河岸記念館」があった。そばには、新河岸川と養老橋があったが、舟運の面影はない。
新河岸川は、武蔵野台地北部の雨や伏流水などを集めた川が、川越にて新河岸川と名前を変え東京北区の岩淵水門の隅田川に合流する荒川水系である。


江戸時代の川越藩主が、流路を「九十九曲り」と言われる屈曲持たせ流路を安定化させる河川工事で舟運の流路を完成させた。沿岸には河岸場が設けられた。福岡河岸もその一つである。


福岡河岸には舟問屋などの商家が多くあり賑わったようだが、現在は、記念館として保存している市指定文化財・回漕問屋「福田屋」(星野家)のみである。記念館は福岡河岸が新河岸川の舟運で栄えた明治中頃の様子を再現している。
訪れた日は、月1回の特別公開の日で木造3階建ての建物が公開された。
福田屋は、建物が4つの部分に分かれている、帳場(兼住居)、離れ(客人用)、文庫蔵、土間である。

〇帳場
回漕問屋にふさわしい帳場・土間となっている。帳場の奥の部屋は田の字型の座敷となっている。(2階部分は非公開)帳場の横には4畳の金庫室があり、いかに栄ていたかがわかる。



〇離れ
明治時代の建築としては珍しい3階建ての木造建築である。接客用として使用され、3階からは新河岸川や筑波山、富士山を眺められたとの事。(2・3階が特別公開)木造の3階建ての建物は数少ないようです。







〇文庫蔵
文庫蔵内部の展示室では、舟運と問屋の暮らし、十代目当主・星野仙蔵氏の功績等を展示しています。




〇土間
台所は、多くの使用人をかかえた福田屋にふさわしい台所で、2階には下男部屋などがある。(非公開)

星野仙蔵氏は、経営者として先見性のある方で、川越街道での荷馬車輸送から、新河岸川での舟運、そして鉄道輸送と物流に関しては功績があった。
蛇足であるが、この星野家は、女優・星野真里さんの実家で実業家でもある星野仙蔵氏は曾祖父にあたる。
ふじみ野市には、もう一つ近くに「ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館」があり、帰りに立ち寄った。ふじみ野市には、その他に大井郷土資料館があり、人口11.3万人の市では恵まれている。


資料館に入ると正面に「陸軍造兵廠川越製造所」と「三福学校」模型展示があった。上福岡駅から約10分の所に、現在のUR都市機構の団地付近一帯が「陸軍造兵廠川越製造所」があったところです。建物の総数は、大小600棟以上、働いていた人は学徒動員・女子挺身隊など勤労動員を含めて数千人にも及んだと言われています。昭和初期には2千人だった福岡村の人口は終戦時には7千人を超えていました。

もう一つ正面に展示されていた模型は、「三福学校」で、120年前の明治15(1882)年、上福岡に初めて開校した小学校が「三福学校」です。三福学校は、福岡村・中福岡村・福田新田の3か村の村民の寄附により設立された学校です。その後、町村合併によって福岡村立福岡尋常小学校となり、現在の小・中学校に変遷してきました。

その他、資料館には上福岡の原始・古代、中世、近世までの歴史の流れと新河岸川舟運、機織り、手づくりほうき、民家、民俗芸能などを展示していた。



※1. 画像については、一部、ふじみ野市役所(記念館・資料館)等の資料を利用しました。
※2. 新河岸川については、2018.06.08にUPした「小江戸川越 新河岸川舟運めぐり」もご覧ください。
【その他のPhoto】
































