そのなかでも、スパイダースと共に好きだったのがゴールデン・カップス。
左から、
ケネス伊東(rg)
デイヴ平尾=平尾時宗(vo)
エディ藩=潘廣源(lg)
ミッキー吉野=吉野光義(key)
マモル・マヌー=三枝守(ds)
ルイズルイス加部=加部正義(b)
混血グループという触れ込みで売り出すために、
東芝音楽工業が各自の名前にカタカナを冠した。
東芝音楽工業が各自の名前にカタカナを冠した。
本牧の外人専門クラブ「ゴールデンカップ」の専属バンド。
ケネス伊東は、日系アメリカ人2世。
後にゴダイゴを結成するミッキー吉野は、弱冠16歳で1968年7月8日から加入。
ケネス伊東は、日系アメリカ人2世。
後にゴダイゴを結成するミッキー吉野は、弱冠16歳で1968年7月8日から加入。
タイガース、テンプターズのアイドル系、
スパイダースのガレージ系とも異なり、
横浜・本牧の不良イメージも兼ね備えて独特の雰囲気があった。
当時のGSのなかでは演奏テクニックもあり、
女性ファンよりも男性ファンが多かったように記憶している。
シングル盤は持っていないのですが、東芝から発売されたこのLP盤を持っています。
当時、東芝に所属していたGSの面々の、
ザ・ワイルド・ワンズ、
ザ・ランチャーズ、
モップス、
ザ・ゴールフェン・カップス、
ザ・ハプニングス・フォー、
彼らの代表曲を集めた、
『タイムトラベル/バック・トゥ・1966~9』
記念すべきデビュー・シングルの、
♪いとしのジザベル♪(1967年6月15日)
ルイズルイス加部の超絶ベースが唸る、
♪銀色のグラス♪(1967年11月15日)
ミッキー・吉野のキーボードが冴える、
♪愛する君に♪(1968年9月1日)
私、1966年のビートルズ来日からビートルズやストーンズを聴くようになり、
その後にGSが次々に誕生し、1967年~1968年がGS全盛期となりました。
その後にGSが次々に誕生し、1967年~1968年がGS全盛期となりました。
当時のレコード会社には、専属とも云える作詞・作曲家がいて、
殆どのGSが専属の作詞・作曲家の作品をシングル・レコードとして発表していた時代。
その反動なのか、
ステージではオリジナルや自分たちが憧れていた英米の洋楽をカヴァーしたり、シングル曲はステージでは演奏しない、というグループも出てきました。
ビートルズやストーンズ以外の英米のいろいろな音楽を知り、興味を持ち始めたのもGSのフィルターを通してでした。
こんなのを、ホームグラウンドの本牧「ゴールデンカップ」で演奏していたんですね。
wikiゴルデン・カップス
お付き合い、ありがとうございました。