こんにちは!代表のき~です。
もう受験シーズンですね!
受験生を抱える親御さんにとっては、ハラハラドキドキな今日この頃を過ごされているのではないでしょうか。
(私の甥も受験生…なぜか叔母までハラハラドキドキです…)
受験生に限らず、親には頑張る我が子をサポートしてあげたい気持ちがあると思います。
そこで今回は、親の「愛」について書きたいと思います。
私は、大学卒業と同時に実家を離れ、一人暮らしを始めました。
それから数年が経ち、仕事で出会った方からこんな話を紹介されました。
少し長くなりますが、その内容を引用します。
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『蟹工船』という小説を書いた小林多喜二という作家がいます。この人は戦前、思想・社会運動を取り締まる特高警察に検挙されました。
取り調べといっても実際には、竹刀やムチで打たれたり、投げられたりする毎日で、目は腫れ、口は裂け、髪の毛もずぼっと抜けるなどのひどい拷問でした。
多喜二はやがて東京・多摩の刑務所に入れられますが、北海道の小樽にいる多喜二のお母さんに、5分間だけ面会が許されることになりました。
字の読めないお母さんは、刑務所からの手紙を読んでくれた人に、
「5分もいらない。1秒でも2秒でもいい。生きているうちに多喜二に会いたい」
と訴えました。
貧乏のどん底だったので、近所の人になんとか往復の汽車賃だけを借りて雪が舞う小樽を発ち、汽車を乗り継いで指定時間の30分前に刑務所に着きました。
看守がその姿を見て、あまりにも寒そうなので火鉢を持ってきました。
するとお母さんは、
「多喜二も火にあたっていないんだから、私もいいです」
と、火鉢をよたよたと抱えて面会室の端に置きました。
今度は別の看守が朝に食い残したうどんを温め直して差し出しました。お母さんは車中、ほとんど食べていません。それでも、
「多喜二だって食べてないからいいです」
と、これも火鉢のそばに置きました。
時間ぴったりに看守に連れられて面会室に現れた多喜二は、お母さんを一目見るなりコンクリートの床に頭をつけ、
「お母さん、ごめんなさい!」
と言ったきり、顔が上げられません。両目から滝のような涙を流してひれ伏してしまいました。
わずか5分の面会時間です。言葉に詰まったお母さんを見かねた看守が、
「お母さん、しっかりしてください。あと2分ですよ、何か言ってやってください」
と言いました。ハッと我に返ったお母さんは、多喜二に向かって、この言葉だけを残り2分間繰り返したそうです。
「多喜二よ、おまえの書いたものは一つも間違っておらんぞ。お母ちゃんはね、おまえを信じとるぞよ」
その言葉だけを残し、お母さんは再び小樽に帰りました。
やがて出獄した多喜二は、今度は築地警察署の特高に逮捕され、拷問によりその日のうちに絶命しました。太いステッキで全身を殴打され、体に何か所も釘か何かを打ち込まれ、亡くなったのです。
もはや最期の時、特高がまだステッキを振り上げようとすると、多喜二が右手を挙げて、しきりと何かを言っているようです。
「言いたいことがあるなら言え」
と特高が水をコップ一杯与えました。すると、多喜二は肺腑から絞り出すような声で言いました。
「あなた方は寄ってたかって私を地獄へ落とそうとしますが、私は地獄には落ちません。なぜなら、どんな大罪を犯しても、母親に信じてもらった人間は必ず天国に行くという昔からの言い伝えがあるからです。母は私の小説は間違っていないと信じてくれました。母は私の太陽です。母が私を信じてくれたから、必ず私は天国に行きます」
そう言って、彼はにっこり笑ってこの世を去ったのでした。
お母さんは、字はひらがなぐらいしか読めません。したがって、多喜二の小説は一行も読んではいないのです。しかし、自分の産んだ子は間違ったことはしていない。かあさんはおまえを信じている、と言ってくれました。そういうお母さんに対し、多喜二は「母はオレの太陽だ」と言ったのです。
『日本の心』境野勝悟より
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この話を聞いたときは「へーそうなんだ」としか思いませんでしたが、数年後にスクーリングで心理学を学び始めた時、もう一度この話を読み返し、私は恥を知りました。
心理を勉強する際には自己分析を行うことが多く、その理由は「自分自身を知ること」と「分析方法を覚えるため」です。
そのため私も自己分析を行い、先生に確認してもらったのです。
先生から言われた一言は…
「き~さんは、愛を知らないんだね。」
どういうことか先生に問いただしてみると、
「親に愛されていると思ったこと、ある?」
と聞かれたのです。
私の両親は共働きで、幼い頃から私は鍵っ子でした。近所に同年代の子どもがいなかったことや、当時は放課後児童クラブ等もなかったので、いつも一人で過ごしていました。
さらに学校ではいじめられっ子だったため、子どもの頃の私は一人で殻に閉じこもり、笑顔を見せることもなく、誰にも相談しない、誰にも頼らない、何をやるにも一人で行うようになっていったのです。
当時はそれが当たり前で、問題視していませんでした。
でも今思えば、寂しかったのかもしれません。
親に限らず、誰からも愛されていないんだと思っていたからです。
ところが、先程の小林多喜二の話を思い出し、話を読み返した時に気付いたのです。
「私は、親に愛されていたんだ。ただ単に、親の愛情表現が下手だっただけなのかも…」
そう思った私は、親の気持ちを知りたくなり、両親に「飲みに行こう」と誘ってみました。
その席で、母がポロっと言ったのです。
「辛かったお前を…黙って見てあげることしかできなくて…」
気付いてたんだ…
私がいじめられていることも…ずっと一人でいることも…
私が誰にも助けを求めなかったから…黙って見ててくれていたんだね…
それ以来、親は私のサポーターになってくれました。
カラーカウンセリングの資格取得を検討した時も、高額の受講料で戸惑う私に、
「あんた社会人何年目よ!そんな金額も出せないの?ダサいわね~!」
と発破をかけてくれたのも母です。(笑)
そして今となっては…
「あんたの人生なんだから、お好きにどうぞ。」
「なんだか不穏な世の中だけど、自分らしく生きていかないとね。」
と応援してくれています。
これが「愛」なんですね!
愛とは、自分のことをありのまま受け入れ、大切にしてくれる愛情のことで、その愛の中で育てられた人は、大人になっても情緒的に安定し、逆に愛してもらえないと感じた人は、憎しみや怒りといった感情がくすぶり続け、大人になっても自尊感情が育たず周囲の人との軋轢が深くなるのだと気づかされました。
長くなりましたが、親心について、愛について触れてみました。
母は私の太陽です。
コロナが落ち着いたら、元気なうちに親孝行したいと思います。